横浜DeNAベイスターズ
[Uncyclopedia|▼Menu]

横浜DeNAベイスターズ(よこはまデナ-)とは、中華街・横浜市プロ野球チーム、もしくはJ3に所属するサッカーチームのことである。というか5球団だと数が合わないので、仕方なくセントラル・リーグからプロとされているだけの“ハマのヤンキー集団”である。もっとも今年はJ3でも下位に低迷しているので来年はJ4への降格が濃厚である。

あの科学汚染物質の突然変異で生まれた「大魔人」、ササキ・カヅヒロも所属していた球団であり、また多数の花火師を雇っている球団である。またハマのヤンキー集団ではあるが、もちろんヤンキースとは関係がなく、日本のヤンキースである巨人軍に対抗する南の一つ星に青地の旗の球団ということで球団旗は、ヤンキーに反旗を翻した南軍の旗の一つ、ボニー・ブルー・フラッグを使用している。

D」や「B」と混同するのを防ぐため、「DB (DeNA BAYSTARSから? 18a9 ??即時削除ではない)」と表記されることがある。
目次

1 歴史

1.1 大洋漁業時代

1.2 TBS時代

1.2.1 狂乱期

1.2.2 低迷脱出の兆し、…か?

1.2.3 再び、暗黒氷河期へ

1.2.4 低迷脱出に向けて その1

1.2.5 売却問題 2010年

1.2.6 低迷脱出に向けて その2

1.2.7 売却問題 2011年


1.3 DeNA時代

1.3.1 新始動

1.3.2 真の低迷脱出へ

1.3.3 夢を魅せた前半戦、そして定位置へ

1.3.4 行こう、夢のCSへ。

1.3.5 上位定着に向けて

1.3.6 上位定着を目指して

1.3.7 上の限界突破か下の限界突破か



2 球団データ

2.1 チームの得意技

2.2 フロント

2.2.1 補強

2.2.2 戦力放出



3 主な選手

4 マシンガン打線

5 ベイスターズファン

5.1 自虐横浜ファンの漫画家


6 真理

7 関連項目

fed 歴史
大洋漁業時代

「捕鯨業も流行んないよね」なんて1993年に、横浜大洋銀行とバカにされ続けた『横浜大洋ホエールズ』から突然変異して誕生。天然監督ワンマンマンの「欲しい欲しい病」で落合博満を獲得した巨人軍から迫害されていたお馬さんからの亡命申請を、馬車道という名の地域が近くにあるという理由だけで受け入れる。そのお馬さんは「30本打つ!」と意気込んでいたわりにはあんまりホームランが打てなかったので、そのかわりと言わんばかりに併殺打の日本記録を樹立。守備でもフライを結構ポロポロ落としていた。しかし5年間すべての試合に意地でも出続けるという壮大な嫌がらせをして、チームの足をおおいにひっぱった。巨人前監督藤田元司の推薦で、鬼軍曹こと近藤昭仁を監督に抜擢。近藤は嫌われ役を演じて若手を鍛え上げたつもりだったが本当に嫌われてチームを追い出されたので、「いい人」大矢明彦が正捕手tanisigeを一人前にしてチームを纏め上げてマシンガン打線を確立した。一応大矢の部下ということになっていたが、大矢なんかより全然大御所の「権藤さん」が名実ともに一番上に立って投手陣を整備すると、お馬さんの嫌がらせにも関わらず1997年にはペナントレース2位、1998年には日本一、1999年当時のチーム打率日本記録を達成するなど、短い間ではあるが栄華を誇った。2000年にはその嫌がらせに耐えかねた権藤が、お馬さんに代打を出す、というちょっとした事件もあった。

しかし、強すぎて1980年代的お笑い要素が薄れてきたことにフロントが焦り、大魔神・権藤監督・4番ローズ fda ・5番お馬さんを追放。2001年に年末年始のかくし芸など数々の伝説を打ち立てた森マチャアキを新監督に招聘し、森繁和投手コーチ・落合臨時打撃コーチを含めたお笑いトリオの結成で話題作り。タイアップ商品のコウジ黒酢を奨励する中、FA宣言で国外逃亡を企てた正捕手tanisigeには結局、味噌カツ球団に逃亡される。なお、味噌カツからは使い古し捕手である中村武志を下げ渡された。まるで液晶の替わりにブラウン管テレビを引き取る家電量販店の如きである。さらに、98年を知る主力選手も遠慮なく次々と追放。ファンにとっては極寒氷河期、暗黒時代の到来である。
TBS時代
狂乱期
2002年
球団経営を諦めた大洋漁業からその当時でも悪名高かったTBSに親会社に替わる。しかしこの時は、親会社の宣伝のためにTBSのチャンネル番号の「6」位に留まり続けるよう、本社から極秘に指令が出ていたことはまだ誰も知る由もなかった…。親会社が変わるという一大事ながら、チーム名・ユニフォーム・本拠地などほとんどチームに変化を及ぼさない理想的な経営移転として、一部で賞賛を浴びた。12球団で唯一の親会社の企業名が入らないチーム名(「広島東洋カープ」も親会社のマツダの企業名を持たないが、厳密にはマツダの前身「東洋工業」の名前の一部が入っているので、純粋な企業名が入らない球団はベイスターズのみ)が初めて役に立った瞬間ともいえよう。後のダイエー近鉄バファローズのゴタゴタと比較してもその騒動の小ささは特筆すべきものであったが、それが2010年になるとそれどころではないくらいにゴタゴタが待っているとは誰も思わなかった。ともあれ、新親会社はさっそく「我々はTokyo Bay Starsである」と親密? f1f ?りをアピールし始めた。しかし、TBSはニッポン放送の代わりとして半強制的に買わされたため、最初からまともに経営する気はなかった。実際にはTBSでベイスターズ戦が中継されることはほとんどなく報道するどころか、対戦相手視点の編集になったりすることが多い。加えてTBSは坂本堤弁護士一家殺害事件のきっかけを作った過去(TBSビデオ問題・オウム真理教に放送前の映像を見せた。坂本堤弁護士一家は横浜に在住していた)を持ち、横浜市民からの反発を煽った。春季キャンプのシーズンには、野球に関心の無いみのもんたを強行スケジュールで沖縄中を連れ回したことから、結局は税金対策ではないかとも言われている。また、実の父は東武東上線とも言われているが、定かではない。 冥将、大ちゃんす
2003年
かの名将うっかり大ちゃんが就任。マチャアキとゴールデンコンビを結成していた井上純をロッテに追放するなど決意を新たにするも、監督自身が天才的なお笑いの才能を発揮して、03年にはチーム敗戦日本記録(当時)を達成。2001年から始まったチームのお笑い路線復帰計画はここに成功を収めた。このオフには1位の星野・2位の山田・3位の原が監督交替の憂き目に遭っているにもかかわらず、フロントは大喜びで任期を全うさせ、勝ち頭のドミンゴ・グスマンを中日に供出するといった敗退行為を繰り返し、狂乱は来年も続くことに。
2004年
4月末には、ほんの一瞬だけ単独首位を味わった。しかし、すぐに最下位になったのは言うまでもない。結果、山下 1504 はオフに責任をとらされクビとなる。それ以来、横浜からは光が消えた。笑顔が消えた。明りが消えた。
低迷脱出の兆し、…か?
2005年
前年シーズン終了後に4番タイロン・ウッズを、またしても中日に供出。こんな戦力を引き受けた山下とは対照的な印象をお持ちのインテリ893が、2005年から監督に就任。投手陣の再整備に成功し、落合道場の魔の手からようやく復活したスペランカーの活躍などで3位に滑り込む。
2006年
「この戦力で3位なら若手が育てば1位になれんべ?」と補強は一切なし。しかし、牛島はスターティングメンバーを長期間固定し、全くと言っていいほど好不調でメンバーの入れ替えをせず、大差がついた試合でも若手を起用することはなかったため、若手が育たなかったことは言うまでもない。また、二軍から上がった選手をすぐに使わず、全く起用しないまま二軍に戻すことも多く、投手以外には基本的に代打を出さないから若手が育たなかったことは言うまでもない。よってチームもやる気がなくなり、牛島はフロントに辞表を叩き付けて去った。有名選手のみでチーム作りをした場合の結果を良くも悪くも教えてくれた監督であった。
再び、暗黒氷河期へ
2007年
再建の切り札として大矢明彦が再任する。ようやく怖い人がいなくなったかと思ったら、投手コーチに斎藤明夫が就任。マウンドでのピッチャーに檄を飛ばし("唾を飛ばす"の誤用)に行く際の威圧感は、他球団のピッチングコーチの追随を許さなかった。フロントが門倉なんかイラネ、クルーンなんぞイラネ、スペランカーなんぞイラネ、とイラネイラネ病を発病。代わりにやって来たのはオジさんと原嫌い、そしてスペランカー。移籍初年度こそ3人とも交換相手以上の活躍を見せるといった予想外の出来事が起こった。
2008年
この年も斎藤明夫が続投。ベンチのムードは険悪であった。この年に飛躍した内川に加えて、村田・吉村の強力クリーンアップをもってしても投手陣が壊滅的で最下位に沈む。内川の打率(.378)がチーム勝率(.338)を上回るという2リーグ分裂後では初となる珍記録も記録された。寺原が先発→ヒ魔神→先発→ヒ魔神とあちこちをたらい回しにされながらも頑張ったが、いつのまにか消えてしまった…。オジさんと小柄な? 139b ??ッグマウスは年齢が祟り、オジさんは敗戦処理として存在感を発揮したが後に古巣へ返還。ビッグマウスは水差し野郎のときにヘマをやらかすなどしていつのまにか消えてしまった。そんな中でも“やる大矢”は若手捕手を育成し、石井琢郎など球団に不満を持つベテランを必死に説得。しかしコーチ要請を目論んだ石井琢朗にはフラれるなどフロントにも足を引っ張られた模様。
2009年
2009年の、チームへの一般的な評価。よく見りゃ横浜OBでさえも、この様式美。もちろん翌年以降も似たような評価である。怖いおじさんが去り、チームを明るくしようと、復帰した駒田とともにクリーンナップの成績次第という効率の悪い打線をどうにかしようとする毎日であった。しかし、14連敗などの精神的苦痛に耐えかね疲労の限界に達した5月、ついに休養させられ、湘南シーレックス監督のオバQに監督代行を託すこととなるほどチームのムードどころでは無くなってしまった。ちなみに高木のとっつぁん・シーレックス監督代行とともに、数々の選手を森の魔の手から再生した育成のスペシャリストである。しかし監督交替後も1軍の迷走は続き、それに引きずられるように首位を走っていた2軍も急速に弱体化。ファンの間はベイスターズ崩壊を目論む「TBSの三悪人」こと佐々木・村上・山中が、大矢の構想の1つであった若手捕手育成計画を阻止、さらに12球団有数の野手育成力で知られるシーレックスの崩壊を画策したと噂されているが・・・。なお「読売ジャイアンツ」は「巨人」、「中日ドラゴンズ」は「」、「阪神タイガース」は「」、「東京ヤクルトスワローズ」は「」、「広島東洋カープ」は「」と表記するように、「横浜DeNAベイスターズ」は「」を略表記とすることがある。ここだけ動物でないことが、負けが多い原因ではないかとも憶測されている。その負けの多さから野球ファンは「星」から★(黒星=負け)を連想? 1456 ?ており、横浜ファンは勝ちが込んで☆(白星=勝ち)を連想するようになるその日を待ち続けている。
低迷脱出に向けて その1
2010年
2009年シーズン終了後、降って湧いたアニメマネーで気を良くしたのか、ほとんど総入れ替えに等しい15人もの大補強を敢行する。なにせ、この年で数年前に燕軍の通算敗戦数と2009年には横浜のAクラス入り回数を上回り、正真正銘の12球団随一の貧弱球団に成り下がったためである。ようやく事の重大さに気づいたフロントが、アニメ収益があっても赤字決定という親会社の財布を強請(ねだ)った模様、というよりもフロント自体がほぼ総入れ替えになってやる気になった模様である。ちなみに内訳は千葉ロッテマリーンズから4人、北海道日本ハムファイターズから5人、福岡ソフトバンクホークスから2人、海外球団から助っ人3人+日本人1名という今までのフロントでは到底ありえないような補強をした。しかし、獲得した選手はほとんど活躍せず、放出した選手には横浜戰限定で活躍された。その放出した選手には問題児も含まれ、トレード得したというか、膿出しのようなものだった(←例として四球を出して舌も出す松家。北海道でもやっていて解説者から苦言を呈されていた)。そして この2010年シーズン、セントラル・リーグには貧富の格差が現れた。“金のあるトコは上位、ビンボーは下位”といった図式である。そこでの横浜は、破壊力ある外国人打者の働きで勝利を模索していたが、彼らは打力に限らず守備でも破壊力を発揮してくれた。交流戦では、トレード放出した左腕に0封されたとか、2度の4連敗どころか9連敗まで喫した始末。ペナントレースに戻っても6月末で借金20(70試合で45敗)、96試合目で借金30(63敗)というダントツの最下位。しかも12球団で唯一、勝率3割を瞬間的に下回った東京ヤクルトスワローズでさえも勝率5割を超えたり、同じくペナント戦でガッカリだった北海道日本ハムファイターズも“横浜まで来て貯金生活を満喫”するなど、このチームには一体、何が足りないのかと思わせる事だらけだった。なにせ「アメリカ帰りの大家さん」や「救世主ハーパーさん」を新たに獲得するなど、燕や鯉と違ってオフから相当な投資をしながら、それでも最下位なのである。シーズンの大勢が決まった頃になってようやく底無しのスランプから抜けた村田と、救世主ハーパーで何とかなっている状態。それでも12球団ワーストのチーム出塁率.313という影響は、そのまま521 fcf 得点(これまた12球団最少)に直結。そのせいか、1点差試合を18勝29敗で大きく負け越す勝負弱さにも結びついた模様。“投手陣再生の名手”と謳われた尾花のキャリアに傷がつくのも時間の問題と思われる。もっとも尾花自身も一番モンチッチ、山口俊を2回またいでクローザーなどの自爆行為に奔っており、まったく責任が無いとは言えない。実は開幕から1ヶ月程度は勝率ほぼ5割ペース、下位から這い上がる兆しの見えない鯉とツバメを尻目に4位と、近年になく健闘していたのだ。ところがその原動力である寺原・牛田がピンポイントに故障した交流戦開幕前後から急降下、ペナントレースから脱落してしまった。山口イニング跨ぎもその所以であるが、シワ寄せがきている真田のような敗戦処理担当中継ぎ投手陣へ二次災害を及ぼすことも懸念された。何とかしたい、という姿勢くらいは見えるものの、これくらいではトンネルの出口など見えてこない。
売却問題 2010年

このころ、横浜の順位に毎年「6位」が異常に多いのは、チャンネル番号の宣伝のためであるということが、一部報道でリークされてしまった。一方、「6位」になってもあまり宣伝効果がないことに気づきだしたTBSは、赤字を垂れ流している深刻な事態を打開するため、水面下でチームの売り先を探しだした…。
10月1日
シーズンも大詰めを迎えた中、試合とは無関係な新たなネタ提供に世間は騒然とする。史上初の3年連続90敗を達成と歴史に残る大敗を喫してみても大して宣伝効果がない横浜に対して愛想が尽きたのか、はたまた看板番組「
水戸黄門の再放送」しか視聴率が取れなくて本業以外に手を出してる余裕ががなくなったのか、アニメ大好き悪質テレビ局の球団売却構想が明るみに出た。
10月6日
早速、虎には矢野燿大の引退試合を台無しにしたせいで、木塚敦志の引退試合を台無しにされた。最終戦こそ勝てたものの、借金47(95敗1分)で試合を終え、試合後のセレモニーには監督ではなく、加地球団社長が挨拶。「横浜の地を離れたくありません」と熱く訴えると、居残った物好きのファンから喝采を浴びた。しかし、先行きは不透明。
10月27日
順調に思われた売却構想だったが、最初から売却先企業と決め込んでいた 1488 住生活グループとの交渉は物別れに終わっただけでなく、結局「TBS傘下のベイスターズのまま来季を迎える」との世間を騒がせただけの愉快犯的な発表があった。
騒動終了後
住生活グループでは、本拠地を静岡に移転する予定だったことが判明。山下大輔、鈴木尚典、石川雄洋らOB・現役の静岡出身者を有することから、その後も静岡移転は有力視されていた。ちなみに住生活グループの幹部は新潟など眼中に無かったとのこと。後に住生活グループ会長が「全ての可能性を切り捨てるべきでない」と否定しているが、後付け丸出しである。新潟としては強い西武のほうに来てもらいたいところ。家電量販店のノジマも買収に手を挙げていたが、なぜかTBSは無視した。でもその後も、気分は悪いだろうに、けなげにノジマはスポンサーをしてくれている…。この一連の人騒がせで元鞘な報道に、ファン安心。しかし世間は白けた。ところが赤字解消には全く結びついていない。どうする気なのか。そもそも、裏でTBSが買い手を探していることなんか誰も気にしない
低迷脱出に向けて その2
2011年
近年、有力選手の『脱ハマ』におびえ続けた2010年オフ。とうとう横浜を支えてきた男、内川までもがFA。球団の実態を暴かれた挙句、ハゲ鷹軍団へ逃亡された。いきなり補償金という名のあぶく銭ができたので、北の方からお笑い芸人をFAで、さらに東北から渡辺直人を不条理トレードで獲ってみた。投手陣でも、働かない寺原と、同じく働いてないらしい左腕・山本を交換してみた。さらに中継ぎ強化のために西武の誇る炎上型リリーフ集団『俺達』初代総帥、大沼幸二を獲得してみた。で、予想通り強化どころか火に油を注ぐ結果になった。びっくりしない。助っ人では、期待のリーチを獲得。ところがこの即戦力左腕はオープン戦中に震災の影響で帰国。そのままシーズン後半まで帰ってこなかった。その後、前年限りで解雇のランドルフと再契約を結ぼうか、などと先見性の欠片も無い相変わらずな球団方針を垣間見せた。不安を抱えたままペナントレースがスタートすると予想に反し、? 7ff2 ??噌カツ相手の開幕カード3連戦を勝ち越し。『弱投? それがどうした。打って勝てばイイじゃんか!!』とばかりに、“吐き出した分まで打ち返して上位を窺おう”というスタイルで挑みだした。村田の決め台詞が「全力疾走」になっていたのはこのころである。ところが、ともに最下位争いを繰り広げていた広島に3タテを食らうなど開幕6戦目から早々と5連敗を記録。5月にも5連勝直後のリバウンド6連敗で、さっそくテンションが続かなくなって例年通りにおちついた。シーズン52試合目には12球団最速の30敗到達。開幕投手に抜擢した新戦力の山本が阪神から挙げた2勝のみの10敗で7月には2軍降格。あせりを感じてなんかしなくちゃ恰好がつかないフロントは村田、ハーパー、筒香らがいるにも関わらず、無職でプラプラしていたノリさんを雇ってみた。おい、投手補強しろよ。とは言え、敗戦を重ねても選手の積極性・気持ちが折れていない試合を幾つも見せてくれた。なにしろ前半戦辺りまではリーグ最多の得点力。それなのに、ぶっちぎりの最下位で前半戦終了。さらに8月、初回から8点のハンデをもらいながら追いつかれた辺りから一段と負けを重ねてきた。そんな横浜との試合を多く残して安堵する他球団に対し、9月以降から、なぜか上位チームをいじめまくることで存在価値を見せようとする。大男を3位に引きずり降ろしたなど、ファンに小さな希望を提供する。←それだけ頑張れるなら、年間通じて頑張れよ。そこで満足するだけだから、順位を上げられないんだぞ。黄虎・大男へのイジメだけで満足するのか、ナゴヤの味噌軍団に対しては、ほとんど無抵抗。おかげで“味噌軍団の胴上げ担当”の座を大男から譲られると、同点延長の末に優勝胴上げを目の前で見せてもらった。そしてウサギ小屋で迎えた、当季最終戦。裏切りの男・村田の単発2本で新人・沢村の防御率1点台を阻止するなど、勝ちゲームを展開。が、9回裏に入ると渡辺に替えて、怪我でスタメン落ちしていた石川内野手をあろうことか守備緩め守備固めとして遊撃に起用、直後に恒例の痛恨のエラー。さらに山口のフィルダースチョイス(キャッチャーの送球指示によるところが大きい)で無死満塁という得意のドタバタ……。そして投じられた高目のボール気味な直球を――、代打逆転サヨナラ満塁ホームランされる、壮絶な爆死ぶり。これほど横浜らしい負け方を見せた事ないくらい、惨たらしい派手な終幕であった。そして、これがTBSベイスターズとして、最終戦となろうとは...。村田修一がスピードアップ賞を獲得。内川が移籍してしまいった後は唯一獲得できそうなタイトルだったので併殺でスピードアップに貢献し無事獲得。横浜ベイスターズとしては最終年となった。この年までで10年連続勝率5割未満、Bクラス9回(最下位8回)、4年連続最下位という輝かしい成績を残す。
売却問題 2011年震災の影響による節電のための時間短縮により引き分けが増えて、4年連続90敗を惜しくも達成できなかった。しかし、前年に引き続き、この問題が再燃する。
10月
アニメ大好き悪質テレビ局が複数の企業と売却交渉をしていると発表。朝ズバッ!生たまご冒頭のスポーツ誌1面チェックをやらなくなった。金満帝国大正義虚塵軍総司令が横浜の売却先が仮想都市生活と婚活支援を兼ねた出会い系サイトで決着するとの見解を示した。
11月
楽天軍団から猛反発。「何で出会い系がプロ野球に参入するんだ!」と毎日のように訴えられる。でもね。楽天以外はみんなどうでもいい感じで事を進めてるんだ。だからモガベーは参入決定したかのように、尾花解任とか、監督工藤とか、杉内奪取とか言ってるんだよ。それに本音はGREEとずぶずぶだから入れたくないだけだろ。そんなのはあんたらが生まれる前からマスゴミで変態新聞の参入めぐって対立してた事をくりかえしているだけ。
決着
やっとこさ終結。選手やGM、監督らを見る限りどう見ても日本ハムと巨人の2軍選手混合チームである。名前も長ったらしくなり、選手には月1万以上の課金を始めそうな…。別名「横浜DNAベイスターズ」または「横浜デナベイスターズ」
DeNA時代

前述の経緯により、2011年12月に親会社はモバゲータウンを運営するDeNAに替わった。

契約年数の残ってた尾花監督を解雇し、新生・横浜の初代監督には、巨人の絶好調男こと中畑清を抜擢した。勝敗を度外視して『明るく楽しく元気にやろう!!』というスタイルを目指すには、うってつけの人材である。

この新監督は早くもお笑いの才能を見せつけており、就任会見では「熱いぜDeNA!」などとあれな発言を連発。キャンプでは初日からいきなり体温が熱いぜ!でダウンして人々の笑いを誘う。回復後もリップサービスで、キャンプ期間中に話題を振りまくなど、スポ紙の紙面を賑わせようとする姿勢には、ただただ頭が下がる。だが、肝心のチーム自体は誰も関心ないので記事も小さかった。
新始動
2012年
足攻めを多用し、唯一の防御率1点台で3位にまで躍進したオープン戦の戦績。台風の目に成れるかも!!なんて期待させといてフタを開けてみれば、開幕4戦目から6連敗を記録。15試合で10敗一番乗り(4勝1分)するところは、看板が替わっても横浜に変化ない事をまざまざと見せつけた。その上、ヒットがDeNAい試合を含む46イニング無得点をやらかすサプライズっぷりである。そして九州2連戦の内、雨で流れて一発勝負となった金満球団との最下位決戦(4月25日)では、3-15のフルボッコ敗け(そもそも4回終了時点で毎回失点の0-10)で定位置に転落。再び連敗街道に突入した。おかげで熱い監督に便乗した、ゴールデンウイークの特別企画『全額返金!?アツイぜチケット』は大盛況。試合内容によっては全額返金の求めにも応じるという大胆な企画どおりに凡戦を繰り広げ、0-7で敗れた5月1日の試合後に観客は返金要求の行列を作る始末であった。そんな屈辱に奮起したのか、翌2日の“打てん中止”で心機一転。3日から引き分けを挟む3連勝、GW本拠地6戦を3勝1敗1分1中止で乗り切った。ところが観客からは、勝ち試合であっても返金を求められた(5戦総額47万円)。大嫌いな交流戦では、相変わらず下位に低迷。レギュラーシーズンに戻ってもラミ・ノリの打棒爆発にしか、得点源を見いだせない寂しい攻撃力。7月早々に40敗12球団一番乗り(66試合21勝5分)。それでも4日には、番長の自身150勝を巨人からの7年ぶり勝利で飾り、ファンに温かい話題をもたらすが、2日後の6日には借金20(69試合22勝42敗5分)と自力V消滅のW達成と横浜らしい戦いぶりも見せつけてくれた。オリックスよりも後だが、結局最下位。最終戦ではヤニキに「絶好調の方が目立っていた」と苦言を呈された。
2013年
この遊具を獲得した。相手投手を乗せて飛翔させるという使い方である。前述通り、監督が一番目立っている球団の為、DeNAの記事は監督の中畑清の話題で満載であった。それでも中日から3人の外国人を獲得する事に成功する。超危険遊具、エンジェルベルト・ソト、ホルヘ・ソーサの3人であるが、若干1名、完全に忘れられた存在になってしまう。そしてトニー・プラッシュも獲得。一応球団もやることはやっていた。3月・4月には12勝16敗で首位のあの球団に既に7.0差で5位。首位はそもそも無理難題なので、あまり関係の無い話である。5月10日には、監督の中畑清が、自分の恩師である相手チームの終身名誉監督を敵陣に招待。我が野球を見せつけてやると言わんばかりに招待した結果、7回で10対3という散々な結果を見せつける。しかしそのウラの回、怒涛の連打やエラー等の失点もあり、9回裏には10対9で1点差、巨人は守護神浅尾拓也と双璧を成すイケメンを投入する。1アウトから強肩強打の凄い奴、ハマのゴメスの連打の後、帰ってきたスペランカーのサヨナラ3ランで劇的な幕切れを見せつけた。稀に見られる巨人、横浜の空中戦が勃発。投手が燃えて、それ以上に打つという、横浜らしい野球を見せつけた。後に交流戦に入るが、7勝17敗であった。相変わらず交流戦は激弱である。しかしこれはぶっちぎりの最下位というわけではなく、11位の乳酸菌球団は7勝16敗1分であり、10位もセ・リーグの中日ドラゴンズであった。改めて「人気のセ 実力のパ」をプロ野球ファンに認識させることに大いに貢献した。7月には助っ人のトニー・プラッシュが夏男という事もあり、調子が急上昇。投手崩壊と言われるチームの中、それ以上の打力を見せつけ、奇跡のAクラスで終わった。しかし8月9月は壊れていた投手が、疲労により使用不可の状態に陥りチームは64勝79敗で結局5位であった。定位置から免れた事や、この年の後半戦で、ヤジにも負けずに使い続けた消えるセカンドが開花、超危険遊具の二冠王、12球団でチーム打率、巨人 ロッテと並んで3位である。これは指名打者制度がなかったり球場の広さなど一概に優劣は決められないが、横浜の投手を相手にせずにこの打撃成績はファンにとっても嬉しい結果である。肝心な投手陣については今までクローザーであった・3・が、中継ぎに配置転換されてからの顔芸の上達、期待されていた高さ危険太郎が先発で使えないこと、多くの収穫はあったのだが、ここでは割愛させて頂こう。この2013年のシーズンは7点差以上の逆転を3回も行っている。5月10日巨人戦、8月20日阪神戦、8月31日ヤクルト戦である。7点差にならないと本気にならない打線であり、1点差2点差では本気が出せない。その為、ファンも点差がつくなら7点差になってほしい、という気持ちでいっぱいである。打てない時はめっきり打てない。去年の鯉のエースにノーヒットノーラン。そしてこの年も07年日本シリーズ8回完全試合の人にノーヒットノーランをされてしまう。これは山井が4月19日のDeNA戦でサヨナラホームランを浴びた以降不調が続いた為、DeNA打線はあえて打たなかった事はファンの中では既に知れ渡っている事である。「追いつけない程度の反撃」はまだまだ健在でもある。このシーズンは、阪神・ヤクルト・中日と勝ち越しているのだが、巨人戦は大の苦手でたったの5勝。一部のアンチは監督の古巣ということもあり、巨人の犬と罵るが、監督が一番巨人戦では気合が入っている。が逆効果だったり・・・。純粋な力不足で負け越している。監督の中畑は、この年でCS進出が達成出来なければクビであると去年セレモニーで発表。しかしGMのヘイ!魔術師ぃ!!が定位置回避、集客率、前半戦Aクラスを評価して、残留を要望する。またファンから「なかばたけさん!辞めないで!」という暖かい声やファンの手紙で、続投を決意する。べ・・・別にクビになるって言っただけで、辞めるなんて言ってないんだからね!この時、監督の中畑は「私もオートバックスと同じくらい有名になりましたね!」とコメントしている。ちなみにこの年は、一緒に監禁されていた仲間がCS初出場という形であっさり解放され、12球団で唯一144試合終了後に年が明けるまで一切試合をしたことのない球団となってしまった。
真の低迷脱出へ
2014年
ドベ2からどんでんのお気に入り、アメリカのピザ屋の尻、聖域を撤廃した黄色い球団の守護神を獲得し、いたせりつくせりの補強をするが、元々女房が少ないのに、戦力外にした上に、FAで復帰した正捕手を変人のプロテクトに入れ忘れ、補償で持ってかれてしまう…なんてことを!正捕手を持っていかれて絶好調監督の歯車が狂ったのか、守りの要であるセンターラインを総入れ替えしてしまい、昨年の最下位から脱出した機運が微塵に吹っ飛んでしまったのである。なんて球団だ!そんな調子で開幕。開幕投手の敬遠すらまともにできないいつも真顔くんがいきなりやってくれた。日本一早く点を取られ、初回に7失点。終わってみれば9-1でボロボロにやられた。これに引き続き、4月2日の巨人戦では5点差の試合を逆転された。ドラ2の平田を点差のある巨人戦で登板させて、自信をつけさせるという指揮官の目論見を完全にぶっ壊す試合展開になる。追いつかれそうになってどすこいをマウンドに上げたが、ランナーが溜まっている状態で既に逆効果。炎上への継投となる。そもそもランナー無しでもあの時の巨人打線はどすこいでも…。そしてその回だけで10点取られるというベイス☆ボールを披露した。絶好調監督は「1点差ゲームをモノにする。」と言っていたが、(「監督!5点差ゲームすら落としてます!」)4月で既に1点差ゲームを7戦落としている。ソーサが調整不足で、平気でサヨナラ負けを喰らうようになる。1点差で勝っているのは3戦のみで、1点差試合すら負け越し3月4月で7勝18敗である。ちなみに中止以外の試合は、全カード負け越しという偉業を成し遂げたのであった。4月11日の試合で、ヤクルトの破壊王に正捕手ゴキジェットが破壊される。前述通りまだ前半戦であるという状況で、既に鶴岡が人的補償でもっていかれたことが痛手となる。「高城を育てればいいやん。」という状況でもなく、阪神も驚愕の3人合わせて1.5流捕手達の、どんぐりの背比べ起用が始まる。自動アウトの強肩強打の凄い奴(予定)、2塁フリーパスの機種依存文字岡、足は速いけど全く塁に出れない西森と阪神にも劣る捕手3人である。さらに、危険遊具も4月で肉離れで離脱するという、夢も希望もない前半戦であり、既にシーズン終戦と言っても過言ではない状況に陥った。5月6日からの巨人戦では中畑監督就任以来、初の東京ドームで勝ち越し。5月10日のヤクルト戦では1安打勝利を収め、このカードは3タテを決める。1点差の僅差の試合を勝利することや、社会人からドラ4加入のハマの愛子様が守護神に固定され、即戦力の新人の登場でファンに希望を与えるが、次の中日戦ではちゃっかり中日に3タテされている。さらにその次の阪神戦も負け越し、苦手な交流戦に最悪の形で入ることになる。初戦は去年日本シリーズ覇者。交流戦の目標は5割と定め、交流戦に挑む。この試合の解説はハマの大魔人であったが、「目標はどうせなら優勝と言ってほしい」と苦言を残す。今までの散々な交流戦で絶対に達成出来ない目標…いや目標と言えるか分からないような「交流戦優勝」を目標にあげる所が大魔人の凄い頭の悪いところである。5割の目標を達成することで、選手達の自信にも繋がるであると考えている中畑と、あくまで第三者目線の佐々木では当然ではあるが…「今まであいつ何見てたんだよ」と言われても仕方がないだろう。この交流戦初戦の試合は勝利を収めたが、次の尻は自責点0で黒星がつくベイス☆ボールである。この試合は尻が、結果次第では2軍落ちの試合であり、まさに尻に火が着いている状況での登板であった。しかし、確実に2タテされるとファンが予想していた、合併球団戦の2戦目、wktk軍団の2戦目でサヨナラ勝ちを決めるなど、5月は13勝12敗でなんとか勝ち越すことが出来た。実はさりげなく、ハマの宇宙人が5月の月間MVPである。そんな調子で6月に入るも、9日の楽天戦では再び則本をぶつけられ10-0で完敗。その後のオリックス戦では西、金子のダブルエースをぶつけられ見事に2タテを食らう。ここからズルズル落ちると思いきや、その後は西武・ロッテに勝ち越しを決め、日ハム戦も5割維持。最終的に交流戦は13勝11敗、負け越しはオリックスだけという成績で7年ぶりの交流戦勝ち越しとなった。ちなみにロッテはマスコットの神と同じ名前を持つ鴎が「白星をお願いしなきゃ。」という挑発ポスターを作ったが、これは横浜ファンに該当する事実であると言える。願いが叶ったのだ!再び危険遊具が肉離れを再発させて離脱、225も1ヶ月くらい前から足が万全でなく離脱、打撃が好調だったハマのポップフライも練習中に怪我で離脱という散々なチーム状況ではあったものの、控えの選手達が力を発揮して、戦力をカバーした。投手ではソ? 13f1 ??サの不調が続いていたが、ブランコがいなくなり外国人枠が空く為に、強引に使い続けたが試合が壊され続けて、勝ちパターンから外れるといったこともあったが、萬谷や先発に配置転換されたどすこいが良い投球をする等、課題の投手陣にも光が見えてきた。またチームはこの頃キューバの至宝を獲得した。ちなみに6月の月間MVPでどすこいが選ばれた。問題はこれがセ・リーグでも出来るかと言った所である。7月4日からの阪神戦は何事もなかったかのように3タテを食らう。この次は那覇で苦手な巨人戦でキューバの至宝が飛行機に乗りたくないとの事で、グリエル無しで試合をしなければならない状況に陥る。潜水艦を用意できるわけもなく、グリエルは沖縄に遠征免除となる。巨人戦は2連戦で、8日は台風で中止、9日は3-0で勝利を収めた。7月11日からのヤクルト3連戦も3タテを決めた。この頃から(特に7月14日からの広島との3連戦)筒香の調子が爆発的に上がる。ホームランも打率もどんどん伸びていき、7月21日にはブランコが帰ってくる為、ファンは「ユーリ、ブラ、ツッツとか最強やん」「横浜優勝」等、ポジるにポジりまくるが、グリエルが7月16日のカープ戦で脇腹を痛めて、登録抹消。グリエル、ブランコの両雄が揃った試合はここまでわずか5試合である。ブランコは怪我した時に指揮官に「体重を落として戻ってこい」と命じられ、ブランコは5キロ近く体を絞りあげて戻ってきた。体のキレが戻った事によってイメージとの誤差が消えたのか、打撃成績も上がり気味である。ここまで絶不調だったみんな大好き!ジーニアス!も、指揮官がアッパーからレベルにスイングの起動を修正してから調子を取り戻し、7月11日のヤクルト戦ではサイクル越えの6打数5安打4打点2本塁打の異常な固め打ちを見せつけ、元気な姿を取り戻した。投手陣も、半ば忘れられていた存在であるソトが帰ってきて、中継ぎで驚異的な活躍を見せ始める。どすこいが5球で危険球退場になる珍プレーもあったが、何だかんだで試合をしっかり作る投球を見せている。25日からのヤクルト3連戦を再び3タテするなど、結果的に7月は10勝8敗2引き分けで勝ち越した。そして8月。この月最初の巨人戦で3タテを決め、そこから良い流れで突き進んでいたかに見えたが、8月13日の中日戦で、フライ捕球時にレフトの筒香とセンターの梶谷が交錯。筒香が頚椎震盪を起こしてしまい、次の14日には登録抹消。外野のファンはもちろん、中日ファンからも声援を受けて、救急車で運ばれて行った。横浜ファンは筒香が心配で涙を流すファンもいた。この得点圏打率の鬼であった筒香がいなくなることは、横浜にとって大きなダメージを与えることになった。未だに構想上の中軸での試合数が圧倒的に少ないことである。それでも投手陣が以前と比べてかなり安定を見せるようになり、先発も5回5失点だとファンから「内容が悪い」「打たれすぎ」と声が出るようになるくらいである。(少し前までは3回5失点くらい普通です。そうじゃないと胃がもたないZE☆)怪我をしてしまった筒香も心配されていたが、幸いにも大きな怪我ではなくシーズン中に戻れるとの事。そして26日には待ってました? 4529 ?キューバの至宝の復帰。弱かった打線が中軸に1つ芯が入ることで強みを増して、得点力も上がってきた。この月は巨人戦で2回サヨナラ勝ちをしているが、殊勲打は2つとも若手の巨人"だけ"キラー。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション
Wikipediaで表示
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしUncyclopedia

Size:98 KB
出典: 八百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
担当:undef