東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)とは、東京より名古屋を経て、大阪へ至るベルトコンベイヤーの通称である。旅客輸送に対応可能であるが、運営会社はあくまで貨物専用であるとしている。よって他の新幹線と称される交通機関と比較し、サービス、旅情、そして温情に欠け、席数が乏しい。高速で非常に時間に正確な運行で知られるが、貨物用の設計であるため安全で快適な旅は保証されておらず、運営会社も旅客営業規則
の適用を受けないきっぷの購入を推奨している。目次東海道新幹線は、各種新幹線の中でも、そのダイヤグラムに超がつくほど過密に引かれている。これは、日本でも屈指の人口集中地区がいくつも並び、軽く100万人を超える人口を擁する政令指定都市や、東京都特別区1区だけでも軽く50万人は超える各都市から、別の各都市へと行き来するサラリーマンや有名芸能人、大阪のおばちゃんやシロガネーゼ、鉄道マニアといった多岐にわたった人種が乗車するという、極めて流動人口も多い新幹線として知られている。 冒頭で述べたとおり、それぞれ自分の出身都市(町村含む)こそが一番と思っている奴らばっかりなので、わざわざ別の都市に行き来する利用者はもれなくツンデレなのではないかと言われている。しかしその割合など、詳細については秘密結社・JR倒壊の最大の機密事項となっているため定かではない。それと同時に、学生の長期休暇を中心にJR6社(実はJR貨物を入れて7社という説もある)で仲良く発売される青春18きっぷの強制救済乗車路線となっている(なお、新幹線特急券と乗車券は別に買う必要がある)。そのためか、JR東海道線の各接続駅でしばしば「新幹線をご利用ください。」運動を実施中である。これについては、JR倒壊の社員がかなり徹底して教育されており、乗客がJR倒壊駅員に何を尋ねても、「新幹線をご利用ください。」と返してくるだろう。例えば、「トイレはどこですか?」「新幹線をご利用ください。」、「羽田空港に行きたいのですが、どの路線でしょうか。」「品川まで新幹線をご利用ください。」、「沼津に行きたいのですが。」「小田急新宿駅から、なんちゃって新幹線
「新幹線をご利用ください。」運動
しかし、当の371系は富士急行で短編化の末に 57a ミトーオ化されちゃったので、MSEが「なんちゃって新幹線」の後継になるけど、もう御殿場止まりであり沼津へは直通しないのだった・・・今後は「御殿場に行きたいのですが」で通じるのだろう。実際、その「なんちゃって新幹線」はJR束マルスでは買えず、JR新幹線のマルスなら岐阜・名古屋でも買えるのだから。
そして、2018年度のダイヤ改正では小田急電鉄と共謀して、特急「あさぎり」を「ふじさん」に改名した。「御殿場口のふもとで表富士なんだから、外国人に分かりやすく!」で裏富士側の富士急行と張り合っている図はあるのだが、小田急側も複々線化が大体完了すると言うけどMSEがノロノロ運転でも一般・外国人には「富士山新幹線」と言えるのだろう。
えっと、特急「富士」はいつ復活するのでしょうか?中央新幹線かな? 東海道新幹線の位置づけとして、JR東海のドル箱中のドル箱路線であり、その勢力範囲は、本来ならばより人口が相当に集中している区間である、JR西日本の管轄区域にあるべき米原?新大阪間や、JR東日本の管轄区域にあるべき東京?熱海間それぞれの区間をも、JR倒壊がちゃっかりと管轄している。これにより、同社JRが最もほくほくなのである。こんな背景もあ?
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?てか、この路線の収益の一部が、今後建設されることになっている中央リニア新幹線の資金源ともなっている。参考までに、交通新聞社のコンパス時刻表を見ると、当路線に使われているページ数は、約30ページに対し、東北(山形・秋田)新幹線16ページ、上越(長野)新幹線8ページ、九州新幹線は6ページである。 また、東海道新幹線は、必ず車掌が直接車内検札にやってくることでも知られる。実は、システム上、JR東日本のように、自動改札に指定席券を通せば、ばっちりとその乗車記録はわかる(JR東海の車掌に複数回確認した)ため、一見、人力による車内検札は不要に思える。ところが、例え乗客が、仕事や旅行疲れで熟睡していようが、トイレですっきりしていようが、食事をしていようが、ゲームをしていようが、携帯をいじっていようが、アフリカの飢饉の中で自分たちだけクリスマスを祝っていいのだろうかなどと考えていようが、容赦なく車掌が検札にやってくる。これは諸説があるが、東海道新幹線の乗車マナーは他の新幹線よりも悪く、その車内がしばしば殺伐としたエクストリームスポーツ会場となるためであることが最も有力視されている。事例を具体的に挙げていくと、自由席特急券で乗っているにも関わらず、平気で空いている指定席に座っていたり、指定席に記載された座席と異なる席を、堂々と複数の旅行者(これはマジで大阪のおばちゃん集団に多い)で占領したり、座席を他人の迷惑を顧みず、好き勝手に移動させたり、しまいには車内で自分の体に火をつけて乗客一人を巻き添えにするなど、お世辞にも乗車マナーがいいとは言えない競技者たちが多数参加しているからである。事実、JR東海によると、「機械は信じられるが、乗客は信用していない。」と言わんばかり…ではなく、はっきりとそう明言しており、一説によると、検札によって見つかる不正乗車(自由席特急券で指定席に座って乗車しているあたりから明らかにクロとなる)での収益が年間で1億円を超すとも言われている。中には、自由席特急回数券で乗車し、グリーン車に堂々と座って、本来?
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??ら不正乗車として2倍の増運賃をとってもいいだろうに、特別企画乗車券通達の車内の特別扱いにより、その差額を払うことを請求されたというのに、これを拒否して車掌によって自由席に立たされた人がいる?
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?こともあろうか、このことを逆恨みして、わざわざ新聞に投書した猛者もいる。それ以外にも、通路が詰まっているのに、通路を挟んでおしゃべりに夢中になって通路の妨げとなっていたり(それに対して文句を言ったら当然のように逆切れされる)、何の断りもなく自分の座っている座席を対面席にしようと動かされたり、乗った駅でその前から乗車していた客にすでに動かされていたりと、明らかに東北・上越新幹線の客層よりマナーは悪い。この場合、JR東海に苦情を入れると、「より快適なグリーン車をご利用ください。」という返事が返ってくるだろう。つまり、たくさんお金を落としてくれるお客様は、いくらでも優遇しますよというJR東海らしい方針なのかもしれない。それに、これがイヤで自らの意思でグリーン車を選ぶ乗客もいるほどである。参考までに、東北新幹線や上越新幹線を普段利用している人に言っておくが、こ
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の検札に関するセクションについてはほぼ実話であることを知っておこう。煩わしい車内改札を拒否する方法は、つい最近、発生した新幹線運転士による中央線ホームライナーのライナー券を購入せずに乗車するという不正乗車事案をJR倒壊は公表していない。つまり、JR倒壊のスタンスとしては不正乗車を揉み消してしまえばいいということと受け止められるものである。この件を車内検札に来た車掌に対し、尋ねてJR倒壊では不正乗車を揉み消し、許しているのだから、車内検札は拒否するという意思表示をすれば車内検札は受けずに済む。ちなみにこの中央線ホームライナーのライナー券を購入せずに不正乗車した倒壊工作員は前回、新幹線の切符を偽造した名古屋運輸所の所属の新幹線運転士である。しかし最近では 自由席特急券や回数券で自由席に座っているのにも関わらずチェックしてくる区間があり(上り名古屋?静岡県あたりなど)。機械や客はおろか、グリーン席のお客様しか信用していないという事態に発展している…。 日本には、もともと弾丸列車計画と呼ばれるものがあって、これは戦前から計画されていた。しかし、日本の鉄道は、国土に平地にも大小さまざまな河川があって、カーブが多い上、勾配や山間部が避けては通れない。そこで、海外の技術者に「日本の鉄道のレール幅は1067mmでいいんじゃないの。領土が狭く、小柄な日本にはお似合いだぜ。」という挑発と適当な発言にばっちりと乗せられてしまい、トンネル代をケチったり、土地代をケチったり、枕木の幅をケチったりと、戦後の路線図を見ても、すでに時は遅しで日本全国狭軌路線が基本として出来上がってしまった。そこで、これに懲りた日本政府は、新幹線計画が戦後ある程度現実味を帯びて来た頃、「絶対に標準軌で作るんだ。カーブがあるなら、トンネルや鉄橋を惜しげもなく通す。関ヶ原に雪が降る? とにかく土を積み上げとけばいいだろ。時間がないんだよ。目視で緊急停車が不可能なら、人や自動車は線路内に一切入れないように、踏切なしで造ろう。侵入者対策には、架線に電気を流すついでに、柵にも高圧電流でも流しておけばいいじゃん。」とばかりに、東海道本線とは全く異なる新線を新たに通すことになった(意外なことに、もちろん営業線の間ではないが、当路線にも旅客用列車が通過し、道路を線路が横切る踏切がある)。さらに、東海道新幹線は、なんとその扱い上、実は東海道本線の支線である。というのも、現在の時刻表を見る限りマジで信じられないだろうが、東海道新幹線が開業する前の東海道本線は、特急列車 また、ソフト面においても新幹線開発には特別な背景があった。戦時中に軍事兵器の開発をした人々も、戦後の就職口の中にこの新幹線計画の部門があり、多数この新幹線建設に関わっていたという。その時の技術を生かして、より安全に高速運転し、なおかつそれを安全に停車させる技術や、無線技術を以って、確実に目視不可能な信号機を路線上に置かず、信号速度をその都度運転台で受信できるための秘密道具である
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ATC信号の開発に携わったと言われ、その技術者の下半月型前ポケット
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太平洋ベルトメイン地帯を完全掌握したJR倒壊
必ず車内検札にやってくる新幹線
開業への経緯や背景
まさに新幹線とは、大和魂を持つ者たちの技術や開発力によったものだったと言えるだろう。
歴史と運用車両
1964年 - 新幹線開業、高度経済成長の幕開け[
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編集]東海道新幹線が東京?新大阪で全線開業する。建設計画や実験線での条件をクリアし、実際に建設されるルートなどが固まり、着工後わずか5年で完成し、東京オリンピック開催の前までに開業にこぎつけた。しかし、当面はまだ実験的要素が高く、12両編成のひかり号とこだま号が、1時間に1本ずつそれぞれ交互に30分おきに出るという、どこかのローカル線のようなダイヤだった。所要時間は、ひかり号東京?新大阪間で4時間と、自宅で朝食を食べて、駅弁で昼食をとり、おやつの時間に間に合うよう配慮されていた。停車駅は、東京?新大阪間で、途中は名古屋と京都のみであったが、割とのんびりと走っていたのだ。こだま号は、三河安城・掛川・新富士・三島・品川駅の各新駅がこの時点ではまだ存在していなかったのだが、それ以外の新幹線駅に停車していた。これは、視点を変えて言うなら、本来は途中駅を何駅も通過して長距離を比較的高速運転するという優等列車の常識を覆し、初の各駅停車タイプの特急とも言える。また、このときのこだま号の所要時間は、東京?新大阪間で5時間ちょうどであった。しかし、戦後当時の国鉄ご自慢の東海道本線を走りぬく特急つばめ号が東京?大阪間を7時間30分程度、その後充当車両が151系電車になってやや高速化したものの、名称が新幹線へと受け継がれることとなる特急こだま号や、非常に影の薄い特急ひびき号とともに7時間弱かかっていたことを考えると、当時ではこれでも革新的な出来事だったのだ。東京駅からの出発が30分おきとし、ひかり号とこだま号のどちらかが発車するという分かりやすいパターンダイヤを敷いていた。参考までに、関西では割と有名なある漫才師のコンビ名も、これらの
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特急列車からとられたものであるが、なんとなくその立場が似ているのは、偶然の一致だろうか。まあそんなこと考える奴おれへんやろ。んなこと言われたら往生しまっせ。話がバラバラや。
1965年 - 夢の超特急実現へ・もはや戦後ではない当初の予定通り最高速度210km/hで運転開始。ひかり号が東京?新大阪駅を3時間10分程度で運転。東京?大阪間が地上鉄路によって、3時間で移動できる可能性を目標としていた新幹線が、この年に間違いなく夢の超特急が本当に実現した瞬間といえる。これで、東京?名古屋間は、2時間を切ることに成功。これにより、東京?名古屋便の飛行機は以後撤退を余儀なくされていく。また、おやつの前に昼食を食べなければいけないという苦情は別になかったようである。そう言う人は所要時間が4時間となったこだま号を利用していたからであろう。この年から1時間にひかり・こだまがそれぞれ2本ずつとなり、以後細胞分裂を繰り返すかの如く増発されてゆく。どさくさにまぎれて、各編成個体もこの3年後くらいから4両ほど中間車両の遺伝子が突然変異し、16両となるものが現れた。乗客大量輸送の時代といよいよ大阪で万博が開かれるための進化である。何よりも技術の塊であった新幹線で主に海外の技術者に驚かれたこととは、その揺れの小ささであったと言われている。もともと日本人は、技術力に優れ、その開発力には一目置かれていた。零式戦闘機(通称・ゼロ戦)も、他国と比べて国内純正の極めて優秀な飛行機と言われたこともあるのだ。戦時中の軍事兵器である零式戦闘機を飛ばせるのではなく、世界一速く走る夢の超特急と呼ばれる鉄道を走らせることにより、みじめな敗戦国であった日本が世界の国々から見直され始めるのは、まさにこの頃、実に終戦からわずか20年後のことなのだ。しかし、その一方で、東北各地などでは、DD51機関車どころか、当たり前のようにSLが現役で運用していたのだ。
1975年 - 食堂車の連結、そしてついに新幹線は海外へ駅弁じゃ物足りないという食いしん坊な乗客の要望により、日本食堂によって経営される食堂車を連結する。これで山陽新幹線の海を渡った向こうにある博多駅まで駅弁を買わずに済むという乗客の間で、食堂車は大盛況であった。しかし、食堂車から富士山が見えるかどうかという大変くだらない論議で、暴動にまで発展したが、国鉄の車掌が事務的に静岡駅で「存分に富士山でも見ていろ。」と言わんばかりに、新幹線が最高速度で通過中だろうと、車掌室窓口からこういう輩を叩き出すことでこれを解決していた。これは新幹線事故には含まれない。今では食堂車は廃止されてしまったが、なぜか大宮駅近くに出来た施設でのみ日本食堂の食事を今でも楽しめる。また、山陽新幹線全線開業により、しばしば東海道・山陽新幹線と呼ばれるようになった。これで新幹線を単に東海道新幹線と呼ぶか、山陽をつけるかで出身地がわかるようになった。
1982年 - 0系新幹線(・○・)襲名・北へと延びる新幹線みちのくへと向かう東北新幹線(別名:鈴木新幹線)が、大宮駅始発による暫定開業し、そのすぐ後に上越新幹線(別名:角栄新幹線)も開業する。これらの路線専用に作られた200系新幹線が登場したことにより、東海道の新幹線車両に初めて0系新幹線の名前が与えられた。それまでは、「あれ」とか、「何をこうするやつ」とか訳のわからない夫婦ゲンカの元となるような呼び名や、「あの速いの。」とか、「飛行機みたいな顔した、高速で地上を走る汽車。」などと呼ばれ、明確な名称がなかった。しかし、新幹線の原点と言う意味で、東海道新幹線車両を0系と名付けたのは、賢明な判断であったといえよう。この0系新幹線こそが今後開発されてゆく新型車両すべての基本となった。200系新幹線は、外観上、東海道の青色(参考までに、この東海道新幹線が纏う青色は、新幹線ブルーという正式名称がある)とは異なり、帯色が緑色のラインというはっきりとわかる違いがあるが、見掛け上0系とそっくりに、かつ豪雪にも耐えられるように、線路は通る新幹線のもの、線路の上にある雪の塊などふっ飛ばせばいいというある意味ジャイアニズム的発想なコンセプトを加え、より頑丈に鋼鉄材をベースで作られた。このことが、後に起こる新潟県中越地震で大きな奇跡を起こす要因の一つとなるのだ。2004年10月23日、東京発新潟行きのとき325号が長岡駅数十キロ手前を約210km/hで走行中、この大地震の揺れをもろにくらって中間車両が一部脱線しつつも2km近い距離を脱線したまま走行し、なんとか安全に停車した。他の幸運な要素(偶然上り新幹線とのすれ違いがなかった、高架橋が阪神大震災の教訓により強化されていたため走行路線そのものが崩壊せずに済んだなど)も関わっていたことも事実だが、それでも死傷者は0人という栄誉を与えたのである。これは、一歩間違えればヨーロッパの高速鉄道事故のような大惨事が起こっても不思議ではなかった状況を回避し、その乗客150名余りと新幹線安全神話を守り抜いたということである。これと同時に、マスコミの適当な報道により、脱線したことだけを取り立てて、JR東日本を散々悪者扱いするかのように言ったが、視聴者や多くの専門家がこれに苦笑し、人命よりも不安を煽り、会社叩きするほうが大事なのかと、その頭の悪さを露呈しただけであり、ばっちりとマスコミどもの自滅と不信者を増やすことにも大いに貢献した。また、国鉄がもはや崩壊寸前であることとは別に、東海道新幹線も順風満帆に営業されたことにし、海外より借用していた借金を毎年滞りなく返済しており、なんと、前年には新幹線建設費をすべて完済したのだ。この後、時速220kmで運転するひかり号の中に、ついに東京?新大阪間を3時間を切って走るものが現れた。まさに速度面だけでなく、あらゆる付加的要素も含めて、東海道新幹線の最盛期ともいえた時代であった。
1987年 - ニュー新幹線登場[-○-]・車両も会社も世代交代へ100系新幹線登場。初の2階建て車両付き列車で、ニュー新幹線と呼ばれ、中間に2両(後にグランドひかりという愛称のつく4両連結したものも登場)の配置がなされた。下段には一部ビュッフェ、上段がグリーン車になっていた。このグリーン車は、みな羨望のまなざしでそれを見送っていた。一度はここに乗りたいという乗客も多かったという。営業最高時速は220km/hだったが、沿線に住むうるさい住民が、うるさいとうるさく言われたため、実は275km/h出せる能力がありながら、この騒音の問題を解決できず、その能力を全く発揮できぬまま、その後を生きることになる。これとは別に、この前後した時期に、こだま号の中には、編成内の一部に細胞死を起こした編成が現れ、実は東海道新幹線でも12両編成の営業車が再び見られるようになっていた。また4月1日、国鉄がJRへと、貨物も含む7社のJRへと分割民営化された。東海道新幹線は全区間がJR東海のものとなる。よく上がる話としてJR東海は、大人の事情で強引に作られた会社と言われているのだが、実は、JR各社の中でも、国鉄が残した巨大な負債(莫大な借金)をも同社に最も多く抱えさせられることにもなった。そのためJR東海株の配当金が、JR東日本やJR西日本のそれよりも明らかにしょぼかったり、JR東日本は2割引、JR西日本は半額だというのに、JR東海の株主優待券は1枚につき1割引となっている。
1992年 - 時速270km新幹線(-н-)・民営化後初の新型車両のぞみ号登場300系新幹線登場。JR西日本と共同開発と称して、JR東海がメインで270km/h運転を基本とする新種別となるのぞみ号専用車両として営業開始。ところが、明らかに0系や100系より乗車中の騒音がひどく、最高速度を上げるために、車体が在来車両よりも軽いことが逆に災いして乗り心地も悪く、故障が多発した。当然マスコミも恣意的にこれを取り上げ、当初設定されていた「のぞみ301号」が利用客の多い名古屋駅や京都駅をも通過したことと、何より後期増産は0系を置き換えるために製造が続けられた経緯もあってか、未だに鉄道マニアの多くから恨まれている新幹線である。しかし、東京?新大阪間で、停車駅を一部増やしながらも、2時間30分に近づく所要時間にまで短縮された。何よりこの300系は、それまでの形式の面影をどこかに残しながらも、今までの新幹線より近未来的なデザインを採用したことから、この車両のファンも少なからず存在し、初ののぞみ号としての栄誉が評価もされている。残念ながら、後述するが100系と似たような事情もあって短編成化はされずに、順次廃車されることとなる。
1997年 - ギネスブックに載った戦闘機新幹線(\∀/)・東海道デビュー500系新幹線登場。全編成がJR西日本開発、所有の新幹線であり、山陽新幹線ではすでに300km/h運転デビューをしていたが、同年東海道にも、JR東海からJR西日本へと乗り入れられた(ただし、東海道区間では過密ダイヤのために最高速度は問題があるということで、時速270kmに抑えられていた。その後に登場した700系、N700系も同じ)。走る巨大電気ウナギとしてメタリックな塗装をしている。車体が新幹線ブルーとホワイトが基調の車両の中でも、特に東海道ではひときわ目立って、異彩を放っていた。500系は、山陽新幹線での高速走行によってギネスブックを書き換え、戦闘機のような前面がウリで、先頭車がやたらと長く、側面の車体が丸い。それが災いして、他の車両と定員が合わないことや妙な圧迫感があるという理由や、その他JR東海によるいろんな言いがかりを元に、JR東海の手によって2010年東海道から叩き出されることとなる(詳細は後述)。なお、なぜか試作車を作らず、各車両へ課せられるOJTを基本とすることに定評があるJR西日本の唯一の試作車が存在した車両でもあり、この500系とは似ても似つかぬ風貌をしていたことから、実はこの車両は試作車ではなく、浜名湖のヌシなのではないかと言われているとか言われていないとか。
1999年 - 初代新幹線引退・量産型新幹線⊂-_-⊃が本当の海外へ700系新幹線登場。カモノハシの異名を持ち、外観についてはダサい新幹線として、多くの人から見てくれについての評判はあまり良くなかったが、性能は270km/h(山陽区間では285km/hまで出せる)で安定した走りと居住空間を提供できるということと、車両の製造コストが500系よりも経済的に済む量産型車両ということで、そこそこ優等生という感じの車両である。おかげで、700系新幹線は、台湾へと輸出され、そちらは700T型と呼ばれ、爆音を立てつつも台湾高速鐵路を最高速度300km/hで駆け抜けている(←台湾新幹線の項目を参照のこと)。また、これと同時期に輪廻転生を繰り返し、開業の時点からずっと走り続けた国鉄ご自慢の0系新幹線が、とうとう東海道から叩き出された。
2003年 - のぞみ号雄飛・さらなるスピードの時代へ100系新幹線が東海道から追い出される。この形式には0系や500系と異なり、各車両1両単位でモーター車がそれぞれ配備されていないという構造で、さらにパンタグラフが変な位置にあったという理由から、減車するときの改造がやたらと面倒くさかった。中には、わざわざJR東海の100系先頭車を買い取って、改造されたものもいた。そのため、短編成化も0系ほど柔軟に進まなかったことと、前述通り、出せる性能はあっても、時速270kmでの営業運転が出来なかった背景もあり、この100系が東海道新幹線からの全面引退後にすでに山陽新幹線で短編成化されていたもっと車齢が高い0系がいたにも関わらず、それよりも急ピッチで廃車が進行してしまった悲劇の車両でもある。当然、ダブルデッカー車両も転用が出来ず廃車となり、全米が泣いた。ただ、鉄道マニアからだけでもなく、今も愛されているイケメン新幹線である。現在は、4両、または6両へと短編成化されたものが山陽新幹線だけで見られる。完全にJR東海と一部JR西日本の開発車両に統一となったことをいいことに、のぞみ号が大増発され、下剋上の世を思わせるほどひかり号が影をひそめる。同時期に、値引きと称してのぞみ号にもひかり・こだま号の自由席と同じ料金で利用できるという自由席が3両連結されることになったが、前述の通り、選択肢でひかり号(通常は自由席1?5号車)が大幅に削られ、のぞみ号が大増発されたということを総合的に鑑みると、実質的には値上げである。しかも車内の新幹線放送チャイムも更新され、「前のチャイムのほうがよかったのに。」という意見が良く聞かれる。特に国鉄時代からのコアな新幹線ファンを裏切るという暴挙に出る。東海道と山陽でチャイムが違うが、特に数多くが乗り入れるのぞみ号やひかり号でも使い分けがなされている。東海道では、この年ジャニーズ(TOKIO)より発売された「AMBITIOUS JAPAN!」の曲をアレンジしたチャイムとなるが、聞きなれないと何かが変である。詳しくは山陽新幹線の項目に譲るが、山陽では、「いい日旅立ち」をアレンジしているチャイム(「いい日旅立ち・西へ」がベース)が使われているが、普通に聞いても「なんだか暗い感じがする。」などと、実はこの新チャイム更新については、一般人にもあまり評判は芳しくない(一説によると、「岐阜羽島」や「新神戸」の宣伝だと言う話もある)。シンプルイズベストという教訓がよくわかる事例として挙げられることも少なくない。参考までに、この更新前に使われていたチャイムは、「Do They Know It's Christmas?」という洋楽が基本となっており、アフリカの飢餓や飢饉の問題を扱った曲である。それを聴くと、途中にはっきりと新幹線の始発チャイムと分かる部分がある。
2007年 - 車体傾斜によるN700系登場{。∝。}・ドリフト走行の時代へN700系新幹線登場。乱暴に言えば、車体を傾けることにより、カーブによる減速を最小限に留められ、減速せずに走行して所要時間を短縮できるように設計された初の振り子式新幹線である。巨大な号車表示と巨大で派手なLEDがそれなりに評価されている。それに、700系よりも加速性能が段違いに良い(インスタントラーメンで言うと、発車と同時にお湯を入れて、出来上がる頃には270km/hに達する)のだが、完全に実用性重視の新幹線車両なので、窓なども小さく、前面の形状も、全く一般受けしていないため、100系や500系のようなコアな人気が全くない。しかし、編成の中に777-7という車番があるため、これを見るといいことがあるとか、ないとか。現在も増産が続けられ、おそらく少なくとも、300系が完全にいなくなるまで、製造が続けられるだろう。これまた、東海道ではないが、山陽新幹線に、色は「私は桜です。」と自己主張しまくっている色をしたこのN700系を堂々とパクった8両の新幹線がたまに目撃されている。
2010年 - 500系新幹線東海道から引退・GO WEST!!2月28日、多数のファンに見送られながら、新幹線史上最もカッコイイと言われてきた500系新幹線が東海道新幹線から引退。ニュースでも割と大きく扱われた。この後、のぞみ号が一部を除き、多くののぞみ号はどんどんとN700系へと置き換えられている。また、500系は8両に切られて山陽新幹線のこだま号として再出発するが、切られて余った8両の車体は、土用の丑の日にふるまわれることになっている。しかし、この500系引退からすぐにまるでタイミングを見計らったかのように、東京行きのぞみ号として山陽区間を走行していたN700系の車内一部12号車で、まるで誰かがバルサンを炊いたかのように煙に巻かれて新幹線が運転を見合わせた。原因は車輪の部品やオイル部分が老いるという不具合を起こしたとされ、営業中のN700系全編成がセルフリコールの対象となった。このように、N700系の先行きが不安視されているが、同じ愛知県のトヨタ自動車のまねをしていたかったとか、500系を引退させた恨みによるものだとかその真偽を問わず諸説飛び交っているが、JR東海の手によって詳細は
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検閲により削除されている。また、JR東海では、名古屋?新大阪間でも300km/h運転するかもしれないと、自動車教習所で習う「かもしれない運転」を示唆する発言をしている。そのうち、空を飛ぶのかもしれない。実際にJR東海は、宙を浮く新幹線を自費で作ろうとしているのだ。しかしながら、JR東海に限った話ではないが、不景気を理由とした、民間企業が奨めている、出張差し控えという名の会社内ひきこもり政策と、政府が推奨する高速道路の割り引き・無料化実験という名の二酸化炭素増加推進運動のあおりをもろに受けて減収減益となっており、実際は夢のまま終わる可能性も出てきている。
各駅紹介
東京駅東海道新幹線の起点駅兼公式エクストリームスポーツ会場。当路線は、14番線から19番線までの6つのホームがある巨大駅である。しかし駅全体をよく見ると、地上ホームの番線がなぜか番号の若い順になっておらず、東北上越系統が発車する23番線の隣が14番線となっている。これはJR東日本が2つの番線を持つホームを増設した際に、「14番線を東北上越ホームの番線として、番線番号を1つずつずらしてやらないか。」とお願いしたが、JR東海が、新たに必要となる20番線という数字に対し、「すごく…大きいです。」と嫌がって駄々をこねたため、JR東日本が折れた結果である。