日産・ブルーバード
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日産・ブルーバード(にっさん ぶるーばーど)は、かつて日産が生み出し我が国に大量の外資をもたらした青い鳥である。ただし、青がイメージカラーだった事はなかった。
目次

1 概要

2 歴史

2.1 初代 310型(1959年 - 1963年)

2.2 2代目 410型(1963年 - 1967年)

2.3 3代目 510型(1967年 - 1973年)

2.4 4代目 U610型(1971年 - 1976年)

2.5 5代目 810型(1976年 - 1979年)

2.6 6代目 910型(1979年 - 1983年)

2.7 7代目 U11型(1983年 - 1990年)

2.8 8代目 U12型(1987年 - 1991年)

2.9 9代目 U13型(1991年 - 1995年)

2.10 10代目 U14型(1996年 - 2001年)


3 関連項目

概要

1959年にデビューし、2001年まで製造された。その間に、日本ではコロナカリーナと、サファリラリーではヨーロッパのマシンと壮絶な殴り合いをしていた事で知られている。
歴史
初代 310型(1959年 - 1963年)

1959年 - デビュー。テールランプの形状から「
柿の種」という愛称が付けられたが、こじつけにも程がある。この当時はイギリスの自動車会社「ブリティッシュ・モーター・コーポレーション」からの貰い物のオースチンエンジンを魔改造排気量アップしたうえで載せていた。アメリカにも輸出され、ビートルに対抗していたが、結果はお察しください。サファリラリーにも出たが、ここでも世界の壁の高さにぶち当たる。それでも 5e7c ウリナラでもセナラ自動車の「セナラ」として作られたが、車名が「セナラ・セナラ」になっちゃってる事にツッコミを入れてはならない。

1961年2月 - 日本初の女性仕様車として「ファンシーデラックス」を追加。明るい内外装色は勿論、シートのスライド量を100mm増やすなど女性に対する配慮が為されているが、女性ドライバーがほとんどいない時代だったため売上はお察しください。それを差し引いても、ウインカーの音がオルゴールになってるのと、車名の割にイメージカラーが青じゃないのは意味不明である。

2代目 410型(1963年 - 1967年)



1963年
9月 - デビュー。エンジンは初代からの使い回し。イタリアのピニンファリーナにデザインを頼むも、垂れたケツに日本人が萎え、客をコロナに奪われる。

1964年3月 - スポーツグレードの1200SSが追加。キャブを1個から2個に増やす。

1965年5月 - SSSがデビュー。垂れ尻を引き上げる前に車のイメージを「スポーティーさ」で引き締め、翌年まで凌ぐ。

1966年4月 - マイナーチェンジ。同時にボルグワーナー(オートマチック)付が追加。垂れ尻の引き締めと、サファリラリー総合5位(クラス優勝)でどうにか日本人に売り込みを図る。

1966年9月 - あれこれ手を入れてるが、「ブルーバード」なのにイメージカラーが青じゃないのは相変わらずである。

3代目 510型(1967年 - 1973年)

1967年
8月 - デビュー。「ブルーバード」の名前に反してサファリブラウン(ライトブラウン=明るい茶色)が人気である。4輪独立懸架を採用し、3年後にデビューした自称「足のいいヤツ」に差をつける。エンジンもついでにオースチン(大手自動車メーカー)の使いまわしから脱却し、自社開発と言いつつメルセデス・ベンツのパクリのL型に切り替えた。Z共々アメリカで荒稼ぎし、サファリラリーでヨーロッパ勢をフルボッコした。ボディのデザインがシンプルでクリーンなものになったが、それに反して日産は「スーパーソニックライン」という仰々しい名前をつけた。

1969年7月 - 裕ちゃんをエサに510ブルーバードの売上を上げるため、石原プロが全力でアピールした映画『栄光への5000キロ』が上映される。1966年のサファリラリーでクラス優勝した先代の410型がネタ元だった事に触れてはならない。

1971年8月 - 後述するU610型がデビューするも、廉価グレード等は510型を残す。顔もU610型っぽくして上級化したU610型も買えない貧乏人ユーザーに配慮した。

1973年12月 - 510型の生産が完全に終了。後継車はバイオレットだが、後輪がスポーツグレードのSSS以外はリーフリジッドになってしまった事に触れてはならない。

4代目 U610型(1971年 - 1976年)



1971年8月 - デビュー。名前がブルーバードUに変わる。ボディを大きく重くしたため、ラリーはバイオレットにぶん投げる。

1973年
8月 - マイナーチェンジ。同時に「サメブル」こと2000GTと2000GTXを追加。直列6気筒のL20エンジンが搭載され、サメのエラっぽいデザインを盛り込んだモデルである。これは、プリンス店が扱うスカイラインに、日産店の扱うブルーバードで対抗するという内ゲバの為に設定されたモデルである。2リッターの直列4気筒が旧プリンスのG20しかなく、元から日産のブルーバードに載せたくないという派閥意識もあったが。こうして以前から続いてた日産の内ゲバ体質が脈々と受け継がれることとなる。

5代目 810型(1976年 - 1979年)

1976年
7月 - デビュー。名前から「U」が取れ「ブルーバード」に戻る。キャッチコピーは「ヘビーデューティー」だったが、これはボディの肥大化と排ガス規制への対処で車重がヘビーになったことを意味する。廉価グレードのリアサスペンションがリーフリジッドとなり、一般人からは総スカン食らうも廉価グレードマニアが大歓喜した。

6代目 910型(1979年 - 1983年)

1979年
11月 - デビュー。直列6気筒搭載車は日本から出ていき、北米に移住した。リアサスペンションのバリエージョンが無駄に増え、セミトレーリングアーム、4リンクコイルリジッド、リーフリジッドの3種類となる。CMで青じゃなく白スーツを着たジョニーを出したところ、トヨタはコロナのCMに3代目ボンドを出して白スーツの男を噴水に突き落とさせた。

1980年3月 - ターボ搭載車追加。ツインカムのトヨタに対抗するも、トヨタにツインカムターボを出されてしまう。チバラギ仕様の元ネタとなったシルエットフォーミュラでアフターファイヤを吹きまくり、車ヲタの心を鷲掴みにした。実はスカイラインRSのFJ20E型エンジンを載せる計画があったが、「ツインカム vs ターボ」で日産の社内で内ゲバが起こっておりターボ派が勝った為に幻に終わってる。その割にはスカイラインRSターボを出したりしてるが、そんなにFJ20を旧プリンス系じゃない車に載せたくなかったのだろうか。

7代目 U11型(1983年 - 1990年)

1983年
10月 - デビュー。「世界的ですもんね。乗るしかない、このビッグウェーブに」とFF化。CMには3代目ボンドに噴水に突き落とされて這い上がった沢田研二を再び起用。余談だが、7代目で「ダットサン」ブランドから「日産」ブランドに変わっている。これまた、アメリカでダットサンを広めたミスターKを追放してミスターKの痕跡を抹殺する内ゲバの一環である。

8代目 U12型(1987年 - 1991年)

1987年9月 - デビュー。雪道でヒャッハーする為にフルタイム4WDのATTESA搭載車が用意される。更に、国内のラリーでヒャッハーする為にSSS-Rが用意された。ジャングルジムやらクロスミッションやらが最初から組み込まれているが、当時は後付けしようものならお国の許可を取るのが難しかったからである。ラリーでヒャッハーする為に開発されたがその走りは「アコースティックな走り」を目指していたとされ、チグハグである。

9代目 U13型(1991年 - 1995年)

1991年
9月 - デビュー。引き続き雪道ヒャッハー用にターボ4WDも用意されるも、ラリーでヒャッハーする為に作られたパルサーGTI-Rとはエンジンが別物なため注意が必要である。そもそもラリーでヒャッハーするのは先代で卒業してる。

10代目 U14型(1996年 - 2001年)

1996年
1月 - デビュー。日産が金欠になったため、ターボ車が消えた。FF車のリアサスペンションがトーションビームになるも、リンクを追加して「マルチリンクビーム」という苦し紛れの名前をつけた。だからといって、トーションビームの時点でスペック上は4輪ストラットなコロナカリーナに見劣りしてた事実に変わりはないが。

1997年9月 - パルサーのSR16VEを2リッター化したSR20VEを載せた2.0 SSS-Zが追加されるも、6速マニュアルモード付きCVTだった為に当時の走り屋からそっぽ向かれる。SR20VE+MTの組み合わせは、3代目プリメーラまでお預けとなる。

2001年8月 - 後継車のブルーバードシルフィが出たため、42年の歴史に幕を閉じる。言うまでもなく、イメージカラーはブルーじゃないのはいつも通りである。

関連項目

日産自動車

トヨタ・コロナ - ライバル。

トヨタ・カリーナ - これもライバル。

日産・スカイライン - これまた一時期ライバルだった。

この「日産・ブルーバード」は、マイナーチェンジの案が出ています。マイナーチェンジして下さる協力者を求めています。 (Portal:スタブ)


更新日時:2020年6月22日(月)12:52
取得日時:2020/06/22 14:32


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出典: 嘘八百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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