憲法無効論
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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「憲法無効論」の項目を執筆しています。

憲法無効論(けんぽうむこうろん)とは、アメリカの意を受けて作られた日本国憲法は改正するまでもなく無効であり、過去の政体を復活させるべきであるという主張。
目次

1 概要

2 明治憲法復活説

3 太政官制復活説

4 武家法復活説

5 律令法復活説

6 十七条憲法復活説

7 ではどうするのか

8 関連項目

概要

アメリカの占領下で成立した日本国憲法は、その成立過程において自主性を欠いているばかりか、民主主義、個人主義などの欧米の思想を無理やり導入し、天皇を戴く日本の国体を破壊したと主張する保守派は多い。彼らの大半は憲法改正を掲げるが、そんな面倒くさい手続きはしたくない理屈を突き詰めれば、アメリカの軍事的圧力の下で成立した憲法など初めから無効であるとし、改正などせずとも即座に破棄できると主張する人々も存在する。主に日本国憲法の掲げる地方自治によって実現した公選知事の石原慎太郎元都知事等がこういった説を唱えている。ここでは、無効論の詳細な理論についてはウィキペディアに譲り、日本国憲法が無効になった後、どのような政体の導入が検討されているのかについて述べることとする。
明治憲法復活説

恐らく最も有力とされる説。大日本帝国憲法(明治憲法)は日本国憲法の次に新しい国家の基本法典であり、日本国憲法が無効になれば自動的に明治憲法が有効になると考えている人は多い。しかしながら、明治憲法自体の成立過程には問題がなかったのだろうか?

明治憲法といえば恐れ多くも孝明天皇を暗殺した逆賊伊藤博文一味によって作られた憲法であり、しかも伊藤は初代総理大臣に自身を据え、若い天皇を傀儡とし政治を思うがままに操っていた…という話が本当かどうかは知らないが、孝明天皇の公式の伝記である「孝明天皇紀」によると、天皇は三条実美らによって体調不良にも関わらず行幸を強要されたり(無理やり鳳輦に載せると脅迫された)、公武合体を望む自分の意思に反する詔勅が勝手に作られるなどの状況を嘆いている。そしてこういった心労が彼の死を早めたとしたら、仮に維新の志士達が孝明天皇を暗殺しなかったとしても、彼らは天皇を殺したのも同然である。そもそも孝明天皇は公武合体を望んでいたのであり、倒幕により成立した新政府自体が天皇の意に反したものである。このように天皇をないがしろにすることで成立したのが明治新政府であり、明治憲法である。皇室を敬い、天皇の意思を尊重しようとする者が明治憲法の復活を望まないことは、当然である。

あのマッカーサーでさえ昭和天皇には手を出さなかったばかりか、一定の敬意を示したのである。明治憲法を復活させるくらいなら、日本国憲法の方がその成立過程に照らし、天皇を中心とする我が国の国体に合致することは、明白ではないだろうか。
太政官制復活説

さて、明治憲法に問題があるのならば、次の候補を捜すしかない。明治憲法の次に新しい政体とは何だろうか?それは、太政官制である。そんなの知らない、と言う人も居るかもしれないが、明治時代の初め頃に一時的にかつての律令制風の体制が復活したことがあったのだ。なんとこの時代の法令(太政官布告)の一部は現代でも有効である(爆発物取締罰則等)。そういう意味では現体制と連続性を保つことができる最古の政体である。

しかしこれも結局明治維新の産物であり、天皇を踏み台にして作られた政体であることは変わらない。そもそも律令制自体に大きな問題が存在する…と言う点については後で述べる。
武家法復活説[ 6709 編集]

これより遡るといよいよ江戸時代である。江戸時代の基本法典といえば武家諸法度などが考えられるが、ここでは戦国時代の分国法や、室町時代の建武式目などを含め、武家法として一纏めにして扱う。というのも、これらの法典の源流はある共通の法典に求められるからである。その法典は何かというと御成敗式目である。

御成敗式目は鎌倉時代に作られた法典であり、武士のための法律であるが、高度な訴訟法を整え、民法の取得時効の源流とも取れる制度を導入していたり、農民の逃散を合法化し一種の抵抗権として保証するなど驚くほど先進的な内容が含まれていた。また女性に相続権を認めるなど男女平等の精神が取り入れられている。まさに日本が誇る独自の法典であり、御成敗式目やその系譜を引く武家法こそ日本の基本法典として相応しいのではないだろうか?

しかしこの素晴らしい御成敗式目も成立過程に問題がある。御成敗式目を制定した人物は、鎌倉幕府の第3代執権北条泰時である。北条泰時といえば、父北条義時と共に恐れ多くも治天の君である後鳥羽上皇に弓を引き、あまつさえ隠岐島に島流しにするなどの暴虐を働いた人物である。このような朝敵の制定した法典が日本の国体と相容れないことは、当然である。
律令法復活説

では、武家の前に政権を握っていた勢力といえばどこだろうか。朝廷に仕える公家である。朝廷の基本法典たる大宝律令養老律令を始めとする律令格式は武家に政権を奪われた後も公家法として生き残り、特に官位制度などは形骸化しつつも明治時代まで存続した。ある意味日本で最も長い間存在した法典であり、しかも律令を廃止する法令や詔勅などは今のところ一切存在しないため、考えようによっては現在でも存続していると言えなくもない。この律令法こそ日本の基本法典に相応しいのではないだろうか?

しかしよく考えてみると、律令というのは本来支那中国)の法典であり、日本は支那に文明国と認められたくて律令制を導入したという経緯がある。アメリカ以上に支那を嫌っている人間にとっては黒歴史のような存在であり、そしてそういう人達は無効論者の中に特に多いため、この説が取り上げられることは無いのである。
十七条憲法復活説

律令制よりも古い日本最古の法典、それは聖徳太子の制定した十七条憲法である。第1条で「和を以て貴しと為し…」という現代にも通じる平和主義を唱え、しかも制定者は皇族である。紙幣の肖像画で現代人にも馴染み深い聖徳太子の制定したこの法典こそ、日本の基本法典に相応しいのではないだろうか?

だが、最後の頼みの綱である十七条憲法にも問題があった。第2条を見てみよう。「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり。…」日本古代の神道の影はそこになく、代わりに外来宗教である仏教を尊重しろと言っているのだ。


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