埼玉西武ライオンズの選手一覧
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…外野手[編集]栗山巧(1)
下手に手を出すと逆襲を食らうので十分注意。豚コーチこと大久保博元から散髪指令を受け、伸ばしていた髪をばっさりと切り落とした。が、伸ばしていた当時よりイケメンになったため、「短髪でイケメンな奴が本当のイケメン」の法則に基づき、彼はイケメンであると考えられる。野球選手の握力王を決めるバラエティ番組の企画で、如何にも強そうなガタイのいい選手を押しのけトップになった。握力は80.7kgだった。昔は中学生に馬鹿にされるほどの守備力を誇っていたが、ゴールデングラブを獲るまでに成長。タイムリーやサヨナラ打を打った後のドヤ顔はもはや名物。そのため、彼が打つのはタイムリーではなく「ドヤムリー」である。2012年シーズンより選手会長&キャプテンに就任するが、選手会長経験者は100%他球団に移籍するというジンクスがある。なので、選手会長は平野辺りにしとけば良いんじゃないかと思うんだが…。2016年オールスター初出場初打席でホームラン。西武ファンのみならず全野球ファンを感動の渦に巻き込んだ? 4efc ??
外崎修汰(5)
ミスター意外性。得意技は素手でのリンゴ割り。入団時は多和田のバーター呼ばわりされていたが、内外野守れるユーティリティ性が買われて2017年からレギュラー獲得。体格からは想像もつかない逆方向にグングン伸びるアップルパンチな打球も魅力的。アジア選手権でMVP獲得し知名度を上げた。
金子侑司(8)
2013年ドラフト3位。イケメン。しかし、源田が彼女である。俊足のショートだったが、所沢遊撃隊解散により、現在は外野。塁に出れば走りまくって2016年盗塁王。
木村文紀(9)
ハンカチ世代。セの不人気の増渕君を抽選で外したため、外れ1位で獲得。ナベQの背番号41を背負う。その重さに負けていたが、2011年後半戦から覚醒しつつある。俺達として。はまった時のピッチングは大沼を彷彿とさせる。地元埼玉出身であり、ナベQの背番号を引き継いだためか、球団からの期待値は高い。オフは毎年のようにハワイウィンターリーグやオーストラリアウィンターリーグに派遣されている。結果が伴わないと思っていたら外野手にまさかのコンバート。決意のコンバート2世になれるか?
秋山翔吾(55)
西武ファンなら誰でもロマンを感じる苗字と名前。あ、ロマンと言っても一場靖弘でもロマンでもありません。新入団選手発表で、背番号が24でないことに違和感を感じたファン多数[1]。長い間弱肩拙守だったライオンズ外野陣にようやく補充された強肩外野手。強肩俊足好守と守備走塁は本家並。特に肩は懐かしの羽生田忠克を彷彿とさせるレーザービーム。ライトからノーバウンドでホームに届く。ランナー2塁でライト前ヒットだと、相手3塁コーチは殆どランナーを制している。2011年の菊池の完投勝利もCS進出も完全に彼のおかげ。パ・リーグが公式でアップするyoutubeのファインプレー系動画には彼と岡田幸文の動画が多いため、別名「岡田秋山チャンネル」とも呼ばれている。2015年には打撃面も覚醒してシーズン安打の日本記録も達成。余談だが顔がウナギイヌに似ている為、キャプテン発案の元、秋山翔吾のうなぎTシャツ&タオルなるアイテムが発売された。2018年は金子がキャップを落とす度に秋山が拾うという場面が多かった事を地上波のテレビ番組にBL仕様で流され、その映像を秋山本人がスタジオで見るという謎な出来事が起きた。2019年度により、FAで退団した浅村の代わりにキャプテンへと就任した。化け物ことホークスの柳田からは「翔吾」と呼ばれ、試合前には談笑する等、仲の良さを見せた。なお、柳田は同級生である。
熊代聖人(58)
高校時代はの佐藤しょーまきゅんから決勝ホームランを放つなど活躍。たこ焼き君。上述の秋山と並ぶ俊足強肩の外野手。斉藤・秋山・熊代と、今まで弱肩拙守だったライオンズ外野陣に灯った希望の光。高校時代は140km/hを超える速球を投げていたとおり、秋山並みの強肩を持つ。ライトが熊代でもなめたらあかんて。浅村の保護者だったが、浅村がFAで移籍した為に居場所をガチで無くす。
斉藤彰吾(65)
弱肩・拙守の外野陣に割って入る強肩の守備型外野手。豚コーチの教えか、二軍でバッティングが開花。一軍も経験し2011年以降期待大。元横浜ハーパーの来日初本塁打(二軍)をフェンスの向こう側でキャッチして阻止したのはこの人。熊代、秋山の出番が増え、おもに守備要員に。懲罰ドラフト組の中で武隈と並ぶ当たりくじ。2014年初打席が初ホームランと完全にロマン砲。
首脳陣
一軍
辻発彦
(85)
一軍監督。黄金時代前半は9番、後半は1番でセカンドが定位置。中日でコーチをやっていても、家は所沢にあったというライオンズ愛溢れる監督。低迷したライオンズを救うためにやってきた。松崎しげるほどじゃないけど黒い。
橋上秀樹(73)
一軍ヘッド。たなべえ時代は宝の持ち腐れも辻政権になってから輝いている野村ID野球の申し子。
阿部真宏(76)
一軍打撃コーチ。赤田将吾とのトレードでオリックス・バファローズからやってきた内野のユーティリティプレーヤー。守備固めとして普通に期待と思いきや中村・片岡不在時に大活躍。引退後は球団職員を経て打撃コーチに。内野守備コーチじゃないのか。
嶋重宣(80)
一軍打撃コーチ。2012年に5位力が凄まじい赤い鯉のチームから来たゴジラ。移籍後1号が満塁ホームランとド派手だったけど、俺達によってヒーローになり損ねた。
佐藤友亮(70)
一軍外野守備走塁コーチ。秋山と熊代が入団するまでは、西武で唯一守れる外野手だった。スタメンは少ないが抹消されるとファンが焦る。打撃は非常にイマイチだが左投手、特につよぽんにはなかなか強かった。頭髪が監督ほどじゃないけど、だんだん寂しくなっている…。巷で流行のスポーツ速読をやっていたらしいが、効果はあったんだろうか??2012年を以てエリートもついに引退。
森慎二(89)
一軍投手コーチ。150kmを超える力強い速球と落差のあるフォークボールで奪三振を量産し、年に数回は四球と暴投で試合をぶち壊した90年代後半?00年台前半の中継ぎエース。ピンチでのチキンハートと芸術的な暴投は大沼に、球速の割に打たれる速球と襟足の長い髪型は小野寺に受け継がれた。100万ドルのポスティングでメジャー移籍もオープン戦3球で肩が爆発。北陸で指導者のキャリアをスタートし、2015年から二軍投手コーチとして西武に帰還。翌年には1軍投手コーチに昇格しブルペン陣の再建という快挙を成し遂げるも、2017年6月28日多臓器不全のため急逝。豪腕リリーバーよ永遠なれ
土肥義弘(72)
一軍投手コーチ。横浜ベイスターズから戦力外を受けて、帰ってきた左腕。ベイスターズ時代は先発だったが、西武に戻ると中継ぎに転向した。2010年を以って中島より先にまさかのメジャー挑戦。その後まったく音沙汰がなかったが、2012年にひっそり引退。
西口文也(74)
二軍投手コーチ西武の元エース。タコ踊りのできる宇宙人。得意技は「ノーノー未遂」。留学生を使って箱根駅伝で優勝した大学の当時のエース(故人)に似てる。2000年台後半から不振に陥り給料泥棒扱いされていたが、37になって初めてウェイトトレして、2011年に大復活。ファンからは200勝とノーヒットノーランと日本シリーズ勝利は是非達成してほしいと思われていた。しかし、結局どれも達成できなかった。球界に星の数ほどいるベテランの中でも好感度は高かった。遂に西口さんも指導者に。二軍はブラック潮崎がいるため、二軍投手陣は西口さんに指導を乞うようファンは祈っている。と思ったのもつかの間、森コーチの急逝で1軍ブルペン担当に。
二軍
潮崎哲也
(86)
二軍監督。黄金時代のサンフレッチェ(杉山・鹿取・潮崎)の一人で、伝説のシンカーの使い手。2016年は1軍ヘッドだったが、ブラック企業もびっくりの昭和的投手起用を推進したため、ブラック潮崎となった。
黒田哲史(87)
元々用具員だったのになんとなくコーチになっちゃった幸運の持ち主。現在は二軍の守備走塁コーチだが一時期は何かの間違いで一軍打撃コーチ補佐を担当していた。通産58安打の男に補佐も糞も…元妻はタイムショックの置物。
高木浩之(75)
二軍野手総合兼打撃コーチ。現役時代はセカンドで神的な守備を見せた。視力障害がでたタイミングで初球K-POP王が台頭した。
赤田将吾(77)
二軍打撃兼外野守備走塁コーチ帆足の前の選手会長。オリックスに移籍した時、あの涌井が泣いた。二軍育成コーチ時代、森友哉を復調させた指導力に期待されている。
星孝典(81)
二軍育成コーチ球界の盟主と自称する球団から来たほしほしゅ。巨人の星とか(ごく一部で)騒がれてたのにね。移籍当初は星秀和と紛らわしかった。銀仁朗が離脱している間に2番手捕手としてチームを支えたが、岡田の成長もあり2016年をもって引退。
上本達之(97)
ブルペン捕手98甲子園のサヨナラボークの当事者。ATMから無心して書類送検。それでもめげず、ダルから代打で逆転2ランを打ったり、7連敗を止めるサヨナラ3ランを打ったりと活躍。本職は捕手だが、一塁、外野も守れ、左の代打の切り札等で活躍した。2017オフに戦力外から引退。ブルペン捕手に転身。応援歌が何故か「ライトフェンスを直撃」だったが、普通にホームランも打ってた。
許銘傑(91)
日本での通名は許銘傑。許さん。FA権を取得した位ものすごい昔からいる眼鏡の外国人。毎年、シーズン終盤の大事な試合で完投したりして「解雇ほぼ決定」→「残留」を繰り返していた。片言のヒロインがとってもかわいい。2010年までは先発の時と中継ぎの時では中の人が別人になっていたが、2011年は先発では完封、中継ぎではピンチを好リリーフといい意? 264c ??で別人になり、結局セットアッパーとして定着。2011年、登録名が「ミンチェ」に。あれ? 似たような名前の投手がにいたような…。本当はもっと前から変えたかったんだけど「成績が悪くて言えなかった、2010年は納得できる成績だったので申し出た」という他の選手にも見習って欲しい謙虚さを持ち合わせている。FA権取った後も「ずっと西武にいる」って言ってたのにまさかのに移籍も大炎上。と思ったらコーチで復帰。郭の再生担当か??
OB

西武ライオンズは、たくさんの有名な選手を生み出してきました。
歴代監督
根本睦夫
(1978-1981)
特殊潜航艇の異名をとった球界の寝業師。戦国時代なら毛利元就宇喜多直家松永久秀に匹敵するほどの謀略家。
広岡達朗(1982-1985)
管理野球で黄金時代の礎を築いた。玄米食、豆乳…今でいう健康食品を選手に強制した。が、自分は肉を食い、それをマスコミに指摘されると「監督だから」と開き直る。根本管理部長や森ヘッド(のちに監督)と確執が生じ、辞任。
森祗晶(1986-1994)
黄金期時代の監督。90年代前半、当時のオーナーに「監督をやりたければ、どうぞ」と言われた。
東尾修(1995-2001)
革靴を裸足で履く人のお義父さん。現役時代はスライダーとシュートを武器にマウンド上でリチャード・デービスとプロレス大会を開催するなど、西鉄暗黒期?西武黄金期を支えた。90年代後半の「白にゃんこ打線」の生みの親。解説は酒を飲みながらやっている。
伊東勤(2004-2007)
東尾とは犬猿の仲の不動の正捕手だった。彼の前で超有名野球漫画を読んではいけない。彼の監督最終年は、現役でも経験したことのない26年ぶりのBクラスの責任を取り辞任。雰囲気が暗く、観客動員は最低。ただ、彼のもとで育った中島、栗山、中村、片岡、涌井らが翌年の快進撃を呼ぶ。お菓子に釣られ、2013年からは黒いお菓子球団の監督に。
渡辺久信(2008-2013)
通称ナベQ。現役時代は西武黄金期の右のエースとして活躍。イケメンで女性からの人気も高かった。帽子の下はスキンヘッドの為触れないように・・・。1983年ドラフト指名記者会見のパンチパーマリーゼントに驚愕した人は多いはず。1989.10.12の対近鉄ダブルヘッダーで自信満々で投げ込んだ高めストレートをラルフ・ブライアントに上段まで運ばれてorzTV等を見るとわかるように大抵隣にレオちゃん人形が置いてある。こっちが西武の本物の監督という噂も…。ドラフトのくじ引き係っつーか2年連続で1/6を引き当てる驚異的運勢の持ち主。が、2017ドラフトで田嶋をオリックスに持ってかれた時はネット上で「違うだろー違うだろー!このハゲー」と容赦ない罵声を浴びた就任以来、暴力野球、殺人野球と呼ばれる報復行為のサインを出している。まあサイン通りなのかただのノーコンなのかは投手に聞いてみないとわからないが、おそらく後者であろう。
伊原春樹(2002-2003,2014)
黄金期時代の頭脳。鬼軍曹。第1次政権の頃は、伊原さんと呼ばれていた。「ライオンズブルーの血が流れている」と言いながら紳士集団であることを自称する球団のヘッドコーチをやってた。アンチバッカじゃなかろうかルンバ。しかし彼の考えと第2次政権の頃の西武の選手との考え方は真っ向から対立。チームの空中分解を引き起こし、途中で「休養」という名目の解任通知をくらうこととなった。
田辺徳雄(2014-2016)
一軍監督。黄金時代後半は9番ショートが定位置。応援歌の歌詞がが水戸黄門チック。「人生楽ありゃ、苦もあるさ?ゆけゆけGoGoGo!…」って。そのままじゃん。二軍打撃コーチだった頃は結構有能で、浅村のアッパースイングを矯正したりと指導能力が高かったためか、一軍打撃コーチに昇格……だったが、一軍の戦績がボロボロで監督が解任されてしまったため緊急で代役を任されることとなった。監督としては傀儡で、実権は潮崎と橋上が握っていた。低迷したため辞任。
チームスタッフ

西武は引退したOBを積極的にチームスタッフないしはコーチとして雇う面 1558 倒見の良さで有名。沼者?えーと…。
谷中真二
(1997-2001,2008-2010)
打撃投手。チャラ尾との交換トレードで阪神に行って輝いた。2008年に戻ってきて2009年の戦力外候補と思われたが、三井浩二や岡本慎也を差し置いて何とか生き残った人。2010年東京ドームでの巨人戦で敗戦処理ででるなど活躍するもさすがに戦力外通告され引退。お疲れ様でした。
大島裕行(2000-2012)
若獅子寮の副寮長。翔さんの前の高校通算本塁打記録保持者。高校時代は暴投王からHRをかっとばしていたが…今やチャラ尾さんの影響で日サロ通いが続き、本業はもう…お察し下さい。彼の実績により、高校通算本塁打はあてにならないことがはっきりとした。泥臭い打撃を身につけ、一軍でも凡退の場合でも地味に進塁打だったり、見えないところで活躍した。けど、大島パワーとは何だったのか?
平尾博嗣(2001-2012)
球団職員。西武の元木大介。あの歳であのスタイルは、はっきり言ってキモ(ryそれでもチャンスでしっかりと打ってくれるから良しとする。出家後はより勝負強くなった。実質生え抜き。代打の神であり、困ったときの平尾さん。
芝崎和広(1997-2005)
打撃投手。1997年ドラフト6位、通称「闇の97年ドラフト組」の一人。その中でも一番頑張った人。
ホセ・オーティズ(2012-2013)
スカウト。下記のホセのように、パ・リーグを転々とし、2012年6月に入団。内野と外野どこでも守れるが、守備はお察し下さい。ロッテ時代にやらかしたグラブ投げ事件はあまりにも有名。2013年はあまりにも打てない守れないで、カーターと入れ替わる形で退団。
その他のOB
1970年代
土井正博
(1975-1981)
この人に育てられたライオンズの名選手は数知れず。選手もファンも感謝すべき存在。清原にデッドボールのよけ方を 15e7 検閲により削除により教えることが出来なかった。他球団ファンにとって彼の白髪・白ひげはかなりインパクトが強いらしく、ネット上で「あの白髪の爺ちゃんは誰だ」という質問をよく見る。監督より目立ってんじゃねぇの?セの赤いチームに行けば、見た目サンタクロース間違いなし。もう70歳近いけど、握力は50キロ。しかも打撃指導のスイングの鋭さはDHなら現役でいけるレベル。
1980年代
秋山幸二
(1981-1993)
AKB48の一角。超人的なプレーでファンからの人気も高かったが、当時のスーパーマーケット球団にトレードされ、携帯会社球団の監督も勤めた。気性が荒い。
安部理(1981-1996)
黄金時代は日替わり7番レフトの一員。一軍打撃コーチを務める時に、なんでこの人が? って声が当初は挙がった。てっきり、白にゃんこ打線の4番かと思ってた。
石毛宏典(1981-1994)
チームがピンチになると宇宙からやってきたウルトラセブン。西武黄金期のリーダーとして、うまくチームをまとめていた。守備は秀逸、3割20本20盗塁が常に期待でき、おまけにバントまでうまいというすごい選手だったが、監督就任を断って移籍して以降はお察し下さい。ヒウィッヒヒーでライオンズ愛を感じるツイートが目立つ。将来幹部での復帰あるな。
工藤公康(1982-1994,2010)
16年の時を経て、カムバックしたハイパーおじさん。西武黄金期の左のエース。2010年は恐らく、現監督を「ナベ」と呼べた唯一の所属選手。やっぱりモーロクなのか、出てきたらハラハラする投球をされる。と言うかした。監督より年上なためか打たれてもなかなか二軍に落ちなかった。そして戦力外に。いっそのこと、焼け野原の投手陣を何とかして欲しいが…。黄金時代は、当時ボリュームのある頭だった監督と共に、「クドちゃんナベちゃんのキャンプフライデー」なるものをやってた。ライオンズナイターのゲスト解説を務めたが、自分以外最年長の西口との面識は無いとぶっちゃける。2010年は黒歴史なのか?ファン感謝祭では戦犯になったこと認めたのにね。モバゲーベイスターズの監督になるかと思いきや、絶好? 1374 ??にその座を譲ってしまった。そしてひっそりと現役引退。文化放送ライオンズナイターで号泣アナとよくコンビになる。
大久保博元(1985-1992,2008,2010)
捨てられた球団に戻ってきた上、捨てられた時は恩を仇で返したプライド無きピザ。ヘタに動かすと肉離れする。傷害容疑で書類送検。またノコノコと戻ってきたが結局やらかしてクビ。裁判所に仮処分申請するも却下され殊勝なコメントを出し一件落着…かと思いきや忘れた頃にいきなり提訴。2008年に育てたおかわり中村が統一球の影響で2011年に特にハネたため、あちこちで「私が育てました、私の手柄です」体で取材を受けてる。「今より1、2m位手前で打つように」指導したのはもう聞き飽きましたって。1年で4冊ぐらいの雑誌で見たから、そのフレーズ。でもそのおかわり本人が「2011年は大久保さんに教わる前に戻した」と発言しているのは検閲により削除菊池をボコってクビになったのが分かったとほぼ同時に実は左肩をケガしてたのが分かったので、多くのファンからは「まさか、あの野郎…」と言う疑惑が消えていない。2011年から楽天の打撃コーチに。いや、あの…、東北の皆さんに勇気と元気を与える前に首脳陣のトータル好感度が低すぎるんですが…。まあ、2008年も「前のコーチ(土井お爺ちゃん、立花コーチ)の指導の賜物」とか言ってたしな。打撃投手に罵声を浴びせてワシに激怒されて二軍監督に降格し、臭い物に蓋方式で楽天の2軍監督に。
清原和博(1986-1996)
誰もがご存知番長清原。西武時代はスマートな好青年だったが、水道橋ナベツネズに行って地蔵と化す。プロ野球に数々のドラマを生んだ、素晴らしき打撃三冠無冠の帝王。入団時は泣いてたのに、何だかんだで西武の居心地が良いんだろう。2011年は何とライオンズナイターのイメージキャラクターに就任。解説した時の試合はほとんど勝ってるとか。2012年は西武のユニフォームを着ていた。PL学園→黄金期西武と見た目とは裏腹に野球偏差値が高いので、打撃コーチもしくは二軍監督待望論も一部であるが、検閲により削除となってしまいその芽はなくなった。
タイラー・リー・バン・バークレオ(1987-1990)
清原、秋山と共に本塁打アイドルユニットAKB48を結成し大活躍。
鈴木健(1988-2002)
清原が抜けた後の4番打者。2002年にヤクルトに行ったが、応援歌が何故か新日本ハウス。
15dc オレステス・デストラーデ(1989-1992)
本塁打王、打点王を獲得したキューバ製サイボーグ。西武黄金期の5番打者。そのパワーは今も健在で、西武球団が獲得を目指している。
1990年代
宮地克彦
(1990-2003,2011-2016)
元ニ軍打撃コーチ兼守備走塁コーチ。日替わり3番の一角。ダイエーに移籍した後はリストラの☆になった。
奈良原浩(1991-1997,2012-2016)
2016まで一軍内野守備走塁コーチ。黄金期末期のショート&ガムヲが来てからはセカンド。98年ハムに移籍。
豊田清(1993-2005)
8年先発で2桁前後の成績で終始した後、抑え転向で覚醒、守護神の名を欲しいままにする。何だかんだで通算セーブ数は歴代10位。その後FAで巨人に移籍。巨人では微妙な成績だったが、そもそも西武での最終年も微妙な成績で、つまりは衰えてたってことなんです。はい。広島に移籍後、「自分の満足できるピッチングが出来なくなった」として1年で引退。お疲れ様でした。久保に軽くアドバイスしたら覚醒して今の位置になった指導力を買われて巨人の2軍コーチとなった。ちなみに彼曰く「野球選手は走れなくなったら終わり(by帆足和幸)」らしいですよ、聞こえてますか、投げれなくなった人?
石井貴(1994-2007)
90年代の西武を支えたエース。いた年々ずーっと「モンスター」(石井丈、豊田、西口、松坂etc.)が一人はいたから不動のエースって訳にはいかなかったけど、実は2桁勝利をバンバンやってる上、キャリア最後の賞が2004年の日本シリーズMVPというとんでもない人。当初は二軍投手コーチを担当。実績的にも人望的にも本来なら一軍コーチだけど、「だからこそ二軍をお願い!」と監督に頼まれて現在二軍投手育成していた。育てた選手は特にいないけど…。現役時代のあだ名は「投げる金剛力士像」「レクター博士」。母校でドラフト候補を育てていると思ったら、いつの間にか徳島にいる。
佐々木誠(1994-1998)
黄金時代のスーパーヒーローらとのトレード、いわゆる「世紀の大トレード」で西武に移籍してクリーンナップ・下位打線何でもござれだった万能バッター。99年に阪神に移って、その後何やかんやあって、今はNTT西日本の監督。増田達至を「こいつはプロなら中継ぎ・抑えでやっていける」と徹底的に抑えとして育成した。その愛弟子が2012年ドラフトで1位指名され、元同僚が「6人目の先発として」とか世迷言を抜かし始めたその日のうちに「中継ぎ・抑えなら全然プロでもやっていける。今の西武に? 1443 ??ナベちゃんにも、一番必要で戦力になれる」と穏やか且つキツめに釘を刺した。そのお陰か元同僚も「来年の抑えは大石か増田か新外国人」と普通の考えに至った。サンキューサッサ。
橋本武広(1994-2002)
ハシゾー。俺達が誕生する前の優秀な左のセットアッパー。
小関竜也(1995-2005)
不動の2番。退団する際は一悶着あった上、伊東監督に全く連絡がなかったことから、氏が西武不信を抱く大きな一因にもなった。その後メジャー挑戦を表明した後、読売に拾われ、最後はに。実家はラーメン屋。
河田雄祐(1996-2002)
広島時代から引退まで一貫して代打守備要員を貫いた地味な人。コーチとして2015年まで地味に在籍。一時、帝京魂を持った先輩にいじられ知名度が上がった。あだ名は「ベム」
大友進(1996-2004)
大友いいとも。小関の前はこの人が2番。足が速い。
高木大成(1996-2005)
現役時代は「レオの貴公子」とまで言われ、人気選手であり主力打者。チームの柱であったが、怪我により引退。引退後は球団の営業(ある意味広報)となり、ファンサービスを向上させ、西武の不人気解消に努力しているが、頭がこれまた監督同様にアレな状況になってきている。
ドミンゴ・マルティネス(1997-1998)
マルちゃん。守れないという理由で切られたが、後釜の助っ人がアレで白にゃんこ打線化してしまった。
和田一浩(1997-2007)
髪の毛はこの頃から減少傾向になっている。晩年はゲッツー量産機。
松坂大輔(1999-2006)
涌井の前のエース。海外に行ったら日本にいたときよりさらに太りだした。彼により、横浜高校出身の投手は必ず太るというありがたくないジンクスが出来た。まあ、涌井曰く「西武の練習は横浜高校より楽」らしいので。2018交流戦で古巣相手の公式戦登板7分前に背中がアレになり肩透かし。
星野智樹(1999-2012)
お笑い中継ぎプロ野球選手大会、キングオブリリーフで2,3回くらい優勝している。左打者は容赦なく咬み殺す。コバトン。2000年台前半は対 2599 松中やローズ最終兵器だった。2012年戦力外。その後、トライアウトを経て監督が同じ名字の球団へ。
2000年代以降
大沼幸二
(2001-2010)
数々のサヨナラを演出。言わずとしれた初代俺達総帥にして名誉総帥。結構速い球とそこそこのコントロールで二軍では神の如く(というか神)好投するが、一軍にあがると痛打され試合を壊す。言わずとしれた総帥閣下であり、現在に生きる野球の神様であらせられる。ブルペンで球を放る儀式を執り行うことにより味方の士気を鼓舞し、敵チームを恐怖にすくみ上がらせ、数々のライオンズの奇跡的大逆転を呼び込まれた。マウンド上で持てるお力の全てを開放することは壁の無い西武ドームの屋根を吹き飛ばしてしまう恐れがあるため、ライオンズの究極のピンチにのみ、自らそのお力の殆どを封じられた上でマウンドに降臨される。立派なたてがみを持つそのお姿は獅子神レオの化身とも噂される。沼者万歳。2011年、10年背負った背番号15を大石に譲った上で、球界のお荷物にトレード。開幕戦で同点で救援として出場。「四球→送りバント→四球→運よくレフトフライ」で打者森野を迎えるところ(2死1、2塁)で佐藤祥万(21歳)にマウンドを譲る。という変わらぬ投球術を披露。その後、彼は仕事をしたつもりなのだろうか。ベンチに笑顔でハイタッチして戻ってきた。[2]2012年にはスキャンダル専門誌に既婚者でありながらふしだらな生活をしていることが暴露され開幕前から炎上するという俺達総帥としての貫禄を見せる。2012年シーズン途中、肩痛により現役引退。さらば総帥。
アレックス・カブレラ(2001-2007)
55本を打ったのも数年前の話。オリックス→ソフトバンクに渡ったが、地蔵は保管されたままである。
高山久(2000-2013)
1999年ドラ1であることは、もうファンですら忘れている。打撃フォームがいつの間にか落合になっている。2010年戦力外候補筆頭と思われていながら活躍、2010年の安打数>2000~2009年の安打数、2010年の本塁打数=2000~2009年の本塁打数になった。2011年から魔法が解けてしまい確変が終了。熊代・秋山の台頭で再び苦しい立場に。握力はキャプテンよりも高いと言われている。2013年、トレードでお祭り集団に移籍。
中島裕之(2001-2012)
2001年誰それ枠。女性に人気があるアイドル。足はそこそこ速い。魔送球が発動することもあり、エラーは多い。ただし古木あーっとにはとても及ばない。サザエさんの中島ヒロシの絵を掲げられている。小学校時代はカツオこと山崎勝己とバッテリーを組んでいた。「もし西武の最強オーダーを考えるなら」の妄想では松井稼頭央と完全に二分している。2012年オフには案の定海外FAでメジャーを目指し渡米し、マネーボールの球団に移籍。
帆足和幸(2001-2011)
日本で数少ないパーム使い。よ?く見てみると平尾っぽい…? が髪を切った。ライオンズ左のエース。ONE PIECE好き。得意料理はハムエッグ。地味に2011年から選手会長に。お願いだから地元の鷹には行かないでね。え?行っちゃうの?行っちゃった。移籍を決めた日にちゃんと自分の足で球団事務所まで行って面と向かって移籍を告げた、人間として100点の対応を見せた。ちなみにファンの間では人間として帆足100点、ミンチェ14点、細川-130点とされている。しかし福岡では検閲により削除
スコット・マクレーン(2001-2004)
カブレラと共にツイン・バズーカを結成。2009年、広島に半年復帰。
細川亨(2002-2010)
26b0 ベニーに投げられる細川。後ろは偶然にも体当たり大好き早川。今日もロッテの餌食である。バスター打法が特徴だったけど今はやめちゃった。サイクルヒットなんかやった気もするけど基本は低打率。打撃は通常は自動アウトがデフォだが、シーズンに1回は確変状態に突入し、3試合3ホーマー12打点なんてこともある。ジャンクスポーツに出演した際浜田から若頭と名付けられる。ロッテには移籍前も移籍後も何かと被害を受ける。実はボヤキングに「(あの人復帰前は)今の日本球界で一番の捕手」と言われている。2010年に楽天戦で19-4のドカ勝ちをした時も、若頭の「6回表の牽制」が一番褒められている。2010年オフFA宣言。が掻っ攫っていった。さらに、人間的に屑であったことも発覚。あの球団行くとチックもそうだが人が変わるように洗脳されるのか?オセロの黒い方のように。
石井義人(2003-2011)
そこそこ打てる選手。安打製造機として期待された。2005年にチームメイトのハゲた時計台との首位打者争い時にはインボイスSEIBUドームのアナウンスで「俺達の首位打者!」とアナウンスされていた(あれ?俺達って…?)。サードホセ、ショートナカジ、セカンド義人、ファーストカブレラのファイヤーフォーメーションで松坂がブチギレたのも今となってはいい思い出。2011年戦力外で読売に拾われ、左の代打として復活。
長田秀一郎(2003-2013)
慶応卒。小島よしおに似てる。小野寺より遅い140キロ前半なのにずばずば空振りが取れる。最近松脂アレルギーが発覚したためロージンではなく土を代わりに使ってるとか。
小野寺力(2003-2011)
二代目総帥。守護神の座を外国人に奪われた。でも2008年は中継ぎでそこそこ活躍。しかし2009年は、炎上しまくり、第二球場に強制送還された。パワポケ10では先発として扱われていた。二代目襲名直後のトレードは、一部ファンを震撼させた。2012年移籍先のヤクルトでも戦力外となり引退。2軍用具担当として復帰したが、なんやかんやで狭山丘陵の居心地がいいのだろう。現在、「イケメンすぎる2軍用具担当」としてブレイク間近。と思ったらヤクルトで俺達を布教している。
後藤武敏(2003-2011)
二軍の帝王。野手版俺達。2008年には亡き母ちゃんの力で覚醒したが、確変は2009年で終わり、2011年にはモバゲーベイスターズにトレードで移籍。向こうではゴメスを名乗っている。楽しそうで何より。
岡本篤志(2004-2016)
「この球がいいね」と中日が打ち込んだから五月二十日は俺達記念日そこそこの速さの速球と三振の取れるチェンジアップを持つが、得点圏に走者を置くとストライクが入らなくなるという、典型的な俺達。記念日創設に尽力を尽くした俺達幹部も2016年を持ってついに引退、お疲れ様でした。
G.G.佐藤(2004-2011)
登録名の理由は、中学校時代のあだ名「じじぃ」から。脱いだらすごい、脱がなくても十分キモい、ムキムキの身体が自慢、というか、見た目も仕草ももはや日本人ではない。外国人枠に入るべきである。ヒーローインタビューの時に上げる奇声が印象的。野球ファンと一般人では彼の印象に大きな差がある。北京オリンピックでポロリの印象が強いが、2007年は136試合出場で守備率10割に2008年はパリーグ捕殺王と堅守の部類に入る。それでも「週刊朝日調べ・CMに使いたい男性タレント・使いたくない男性タレント・使いたい女性タレント・使いたくない女性タレント」ランキングで使いたくないの40位と極めて中途半端なランキングに入った。2011年は1試合も出場せず戦力外。星野には壊されたんじゃありません、粉々にされたんです。2013年からはお菓子球団に移籍するが2014年をもって引退。現在はサラリーマンとしてキ・モ・ティー!を流行らせるよう画策中。
ホセ・フェルナンデス(2004-2005,2010-2011)
中村の離脱により急きょ再入団。オリックス時代のような成績かと思いきや大爆発で安い買い物となった。間違いやすいがよく激走してヘルメットを落としていたフェルナンデスではない。ロッテ→西武→楽天→オリックス→西武と転々としており、あとソフトバンクと日本ハムに入ればパリーグ制覇である。ホセとナカジで36失策の三遊間は伝説。
松永浩典(2004-2014)
「甲子園は子供の砂場」発言をしたかの松永浩美とは無関係。あまりのノーコンさでついにサイドスローに転向もピンチじゃびびって自滅するのは変わらず。あまりにも使えないため、背番号24 12ff を剥奪される。星野さんに代わってワンポイントの座を射止めるも怪我で離脱。その間に武隈と高橋に立場を奪われてしまい戦力外に。
山崎敏(2004-2011)
ヤマビン。山岸との中継ぎコンビが最強だったのは過去のこと、菊池雄星に背番号を奪われた。走者を出すと投球間隔が異様に長い。これを利用して、混雑する攻守交替時ではなくヤマビン登板時にトイレに行くのが通のライオンズファン。
片岡治大(2005-2013)
走ることしか芸のないK-POPアーティスト。(本人も認めちゃった。)初球ぽp量産機。2007年から4年連続盗塁王に福本以来の3年連続50盗塁達成という世間のイメージ以上にすごい人。2013年FA宣言。脱臼癖を抱えてるのに取る球団があるのかいなと思ったら、あっさりと読売がお買い上げ。最近のプレースタイルは原嫌いと似ているのだが、上手くやっていけるのだろうか。
正津英志(2005-2009)
勝ち運に恵まれており、10年以上やっているのに未だに負け数が2ケタを超えていなかったが、2009年4月18日に2ケタになってしまった。『ほにゃ?』とした雰囲気が出ている。地味だが2008年シーズンはそこそこ活躍していた。
星秀和(2005-2013)
ナベQの高校の後輩。お気に入り。捕手として入団したが銀仁朗の入団であっさり内野転向。と思ったら外野も守ってる。よく目薬をさしていてその直後好プレーを見せたこともあり「あの目薬はなんなんだ」と問い合わせが一部に殺到したという。打撃フォームはいつの間にか掛布。2011年は秋山、熊代、斉藤にあっさり抜かれて厳しい立場となったが、2012年はまさかの捕手で出場。しかも星→星という交代。審判、星捕手と言っても、どっちの星だか分かりませんよ?2013シーズンは絶不調で戦力外に。
涌井秀章(2005-2013)
2010年前半までは、球界を代表するエースだった。2007年シーズンは最多勝、2009年は沢村賞を受賞。WBCで地味に一勝をあげている。フラグ発言でおなじみ。誤解される事が多いが涌井のフラグは「口に出した事が必ず実現する」というものである。予言者とも言う。ダルビッシュ有の影響を強く受けており、髪型と女性問題に現れている。が、容姿そのものまでは真似できなかったようだ。もっと愛想良くしたら人気でるかも? 1548 ??この人痴漢ですという疑惑で謹慎もさせられるほど女性運が悪い。とりあえずまともな女性と付き合えることを願っている。
江藤智(2006-2009)
現巨人の笑顔担当コーチ。昔は広島、巨人でも大活躍していたが今ではその存在を忘れられている。それでもけなげに頑張っている江藤さん…、惚れてまうやろーーーー!おかわり君に4番としての帝王学とHRの打ち方のコツを伝授したのはデーブではなく江藤さんというのがもっぱらの話。
岩崎哲也(2007-2011)
一年目はキングオブリリーフ星野智樹の登板回数を超え、新人王候補に選ばれるなど大活躍するも、二年目になると二軍暮らしの続いた選手。これまた2011年戦力外に。トルネードサイドという独特のフォームだったが、後年牧田で味占めた。みなみ。…おもちゃじゃないけれどね。
ジェーソン・ジョンソン(2007)
松坂の穴を埋めるべくやってきたが、3億が無駄になる悲惨な成績に終わった。
岸孝之(2007-2016)
寄せ集め球団と競り合って交渉権を獲得した。その甲斐あって、2008年の日本シリーズでMVP獲得。2012年からは涌井がアレなためざっくりとエース。ナイターとGにやたらと強いが、逆にには弱い。軽い。胴上げすると飛んで行くので注意が必要。もっと食べたほうがいいよカイジに似てる。ワクワクメガネにタンパリングされ、地元に帰って行った。
大ア雄太朗(2007-2017)
G.G.の息子。そっくり。ドラフト下位指名ながらコンスタントに出場していたが、あと一歩の殻を最後まで破れなかった。
石井一久(2008-2013)
FAで加入。天然。調子の波が激しい。フリーダムな国でも投げてました。ふにんき球団からふにんき球団へ移籍してしまった。WBC(ワールド・ボンバーマン・クラシック)の主催者。ヒーローインタビューではよく愛犬を語る。肩や足にメス入れていて、しかも見た目あまり熱? 144a ?に練習しそうにもないのに、20年もプロだったのは何だかんだで凄かった。
アレックス・グラマン(2007-2011)
笑顔が怖い強面。先発時代は俺達を支えた炎上投手の一人だったが、中継ぎに回ったら途端に好投した。抑えに回り、西武の守護神の座をほしいままにしているにも関わらず、恐ろしい程に目立たない。彼も電車通勤をしており、チームのみならず親会社への貢献度も高い。彼がいなくなってから終盤逆転負けを食らう試合がかなり増えた。2010年怪我が治ってからは中の人が変わり別人のように打たれるようになってしまった。2008年日本一の立役者も2011年限りで戦力外。
クレイグ・ブラゼル(2008)
当たればボールどっか飛んでく人。4番なのに電車で通勤。親会社に貢献している。しかし、デーブと衝突して退団し藤本の存在に気がつかない球団に拾われた。しかも伸び伸びと超絶大活躍で向こうのファンは「安値で最高の買い物や!」って喜んでたのに、統一級の影響をバリバリに受けて調子を崩して2012年を以て退団。
平野将光(2008-2015)
イケメン2010年は先発でそこそこ活躍。2011年は途中から中継ぎに降格し信頼度を上げるために主にビハインド兼ロングリリーフ要員に。2007年の大学・社会人ドラフトで禿監督が2010/9/3で4連続四球のあと、おかわり君のチーム初スイングがグランドスラムだった時の投手とロッテの失敗ドラ1を連続で抽選を外した時の外れ外れ1位だが、この3人の中では、1番まともな投球をしている。2011年は威力のある速球とフォークでロングリリーフを担当、ってなんか似たような特徴の人が横浜にトレードされてたな…あの人の系譜なのか、2012シーズン以降は炎上続き。結果、才能を活かせずに引退。
ヒラム・ボカチカ(2008-2009)
代表がダジャレで取ってきたボーカロイド。ピッチャー?ボッカチカにしてやんよ。まゆ毛がキリッとしている。誰がなんと言おうとWBCプエルトリコ代表である。
原拓也(2008-2012)
弱肩に定評のある外野陣よりよっぽど肩のいい内野手。内野の穴を埋めるユーティリティプレイヤー。俊足選手に見えるが、実は走塁面でおかわり君より鈍い。強肩堅守にバントもこなす、字面だけ見れば使い勝手のいい選手だが、競った終盤にバント失敗、1点差ゲームで狙ったように 17d9 エラーと致命的な勝負弱さでファンにはあまり評価されてなかった。ナベQのお気に入りと言うのは嘘だったのか、猛牛に上洛。
藤田太陽(2009-2012)
タイタイマン。阪神タイガースから飛ばされて来た愛すべき1.5軍選手。ブログが笑える。ほとんど毎日更新している。


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