和同開珎
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和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)とは、奈良時代に発行された記念硬貨であり、日本政府によるバラマキ政策の元祖である。
目次

1 富本銭と和同開珎

2 和同開珎とは何なのか

3 バラマキの成果と皇朝十二銭

4 関連項目

5 脚注

富本銭と和同開珎

708年(慶雲5年)のこと、埼玉の秩父で銅の塊が採掘され、朝廷に献上されるという出来事があった。当時はまだ鉱石の採掘技術も発達していなかった時代で、朝廷はこのビッグニュースに沸き返り、年号を改めて和銅とするだけでは飽きたらず、記念硬貨まで発行してこの幸運を国を挙げて祝うことにした。こうして発行されたのが和同開珎である。経緯から考えて、当然銅貨である…と思いきや当初は銅貨以外に銀貨も発行されていた。

和同開珎は、一般的には日本で最初の貨幣とされる。しかし近年、和同開珎以前に「富本銭」と呼ばれる貨幣が製造されていたことが、平城京や藤原京の発掘調査によって明らかとなった。但し、富本銭は和同開珎のように宮廷の外では出土しておらず、宮中でまじない銭(厭勝銭)として使われたに過ぎない、という説が根強く、そのような説では、日本で最初の「流通貨幣」は和同開珎であるとされる。しかしこれは大きな間違いである。
和同開珎とは何なのか 貴族や藤原京の住人達に和同開珎を撒く近衛兵の図

上述のように富本銭は厭勝銭であるというのが有力な説である。厭勝銭とは、中国から入ってきた文化で、銭の形をした一種のお守りであり、まじないだけでなく様々な儀式や、被葬者の副葬品としても用いられた。祝い事の席で銭を撒いたり、城壁の上から皇帝が銭を撒く、ということもあり、このようにすることで災いを払い、幸運を呼び込むことができると信じられていたようである。日本でどのように使用されたのかは不明な部分も多いが、このように厭勝銭とは本来バラマキ専用の貨幣であり、儀式の場や墳墓に撒くというのが主な使い方であった。[1]

このように、宮中でこっそり使われていた富本銭であったが、様々な天災や疫病に悩まされていた当時の人々は、やがてこう考えるに至った。

「銭を撒くことで幸運を呼び込めるなら、日本中に銭を撒き散らせば、日本中が幸福に包まれ、日本中からあらゆる厄災を取り除くことができるに違いない。」

こうして、日本中に厭勝銭をばら撒くための壮大な計画がスタートした。折しも先述したような銅の献上というイベントがあり、記念硬貨も兼ねて発行された和同開珎は、幸福を呼ぶ銭として日本全国に撒かれることが決定された。すなわち、(少なくとも朝廷の意向としては)和同開珎は舞台を日本全土に移した厭勝銭であり、富本銭はその試作品であったと解釈できる。決して流通目的ではないのである。このような目的で製造されたため、和同開珎の発行は日本で最初のバラマキ政策であることに異論の余地はない。
バラマキの成果と皇朝十二銭

このように日本中に撒かれることを願って発行された和同開珎であったが、なにしろ厭勝銭の風習自体が中国文化に接していた宮廷のしきたりであったため、およそ庶民には理解されないものであり、バラマキ計画はなかなか進展しなかった。そのため朝廷はあらゆる手を尽くし、税を払いに都に来た人々に和同開珎を渡す、といったことも行われたようである。極めつけは711年(和銅4年)に出された蓄銭叙位令で、銭を蓄えたものに位を授けるという、流通目的であれば絶対にあり得ない政策が始められた。後世、中国から大量の貨幣が輸入され名実ともに流通貨幣として使用された室町時代、銭の死蔵を咎める命令が幕府から出されているが、その正反対のことを行っていた律令政府には銭を経済的に流通させる意思などは初めから無かったことは明らかである。しかし銭が幸運を呼び込むことを実証するという点では意味のある政策であり、これによって厭勝銭の意義を民衆に(強引に)理解させようと図ったのであろう。この法令の存在こそが和同開珎が厭勝銭であるという何よりの証拠である。ただ、朝廷の意向とは無関係に、和同開珎が物々交換の延長線として、物の売買に利用されて流通したことは、畿内においてはあった。その意味では和同開珎は、結果的に日本で最初の流通貨幣になったと言えるのかもしれない。

和同開珎が発行された後も銭の発行は続けられたが、疫病や天災が止むことはなくその効果が疑問視されたのか、奈良時代中頃には大仏や寺院の建設によって仏の力で日本を幸福にしようという考え方にシフトしていったようである。しかしその後も発行自体は続けられ、平安時代の中頃まで合計十二種類の銭が製造されて、後に皇朝十二銭と呼ばれた。朝廷の壮大な計画に反して、ついに皇朝十二銭はほぼ畿内地域にしか行き渡らず、日本中の幸福のため、全国津々浦々に行き渡るように神仏に祈願したりもしたらしいが、結局は無駄なことであり、958年(天徳2年)に発行された乾元大宝を最後に計画は中断することになった。日本で本格的に貨幣が流通するようになったのは、平安時代末期に中国から渡来銭が輸入されて以降の事であると考えられている。
関連項目

貨幣

脚注^ なお後世、流通貨幣制度が発達した時代において「三途の川の渡し賃」として棺に銭を入れる習慣が生まれたが、これは銭の厭勝銭的な使い方であると言うことができる。さらに言えば現代の神社の賽銭などもこれに類?? 33f7 ?るものである。


更新日時:2015年7月16日(木)19:06
取得日時:2018/11/09 15:59


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出典: 嘘八百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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