名人戦
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名人戦(めいじんせん)とは、その世界の最高権威である名人の座を巡る戦いのことである。
歴史 名人戦の様子(将棋 名人戦の様子(ファミコン

戦国時代織田信長が当代一の碁打ちである本因坊算砂を「真の名人なり」と称したことが「名人」の起こりである。その後、江戸幕府にて囲碁の家元制が確立され、第一人者は「名人碁所」として、50石20人扶持の俸禄で幕府に召し抱えられた。絶対的権威である名人碁所の座を巡って、時には熾烈な争碁や政略戦も繰り広げられた。将棋においても囲碁と同様に、江戸幕府の庇護の元、その時代の第一人者が「名人」を名乗った。
現代の名人戦

江戸幕府の崩壊により、いったんは名人位は消滅した。しかし、将棋界囲碁界とも、有志の棋士や関係者達が発起して、世襲制でも推挙制でもない実力制名人のタイトルを設立して、現在に至る。

各界の名人戦将棋囲碁ファミコン
設立年1937年1962年1986年
主催朝日新聞社
毎日新聞社朝日新聞社東宝
協賛日本将棋連盟日本棋院
関西棋院ハドソン
勝負形式七番勝負七番勝負五番勝負
持ち時間9時間8時間2分/5分

有名な逸話
羽生の「50年に一度の大逆転」
2008年将棋名人戦七番勝負第3局、挑戦者の羽生は敗勢の中も粘り強く指し続ける。そして122手目で飛び出した△4二角が、7五歩打ちを強要して森内の入玉の進路を狭めると同時に7七飛車の成りこみを防ぐ好手。その後も形勢の差を詰め、終盤では王手銀取りとなる森内の▲9八銀の大失着を誘い、「50年に一度の大逆転」を成し得た。
林の二手打ち
1987年囲碁名人戦七番勝負第3局、二日目の夕食休憩に入ると、林は食事もとらずに自室にこもり、夢遊病者のように歩き廻っていたという。極度の集中か疲労が限界を超えたのか、対局が再開されると相手の手番にもかかわらず、林は189手目を打ち下ろしてしまった。打たれた加藤もすぐには二手打ちに気付かなかったという。史上稀に見る、名人戦における反則負けである。


毛利のラザロ失敗
1986年ファミコン名人戦五番勝負最終局。序盤、高橋はイージーなキャラであるメルスを逃してしまい、空中物の出現パターンを遅らせてしまう。毛利優勢で試合は進むが、これは高橋の高度な作戦であった。空中物の出現パターンが早かった毛利は、トラップゾーンに重なってラザロ8万点を失敗したのだ。これが響いて毛利は高橋に勝利数では上回ったものの、総得点では敗れた。 24be

更新日時:2012年9月4日(火)21:05
取得日時:2019/07/17 16:07


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出典: フリー誤報百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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