古墳時代(こふんじだい)とは、後の天皇家によって無かったことにされた栄光だったかもしれないお墓の時代である。日本の歴史
先史時代
古墳時代とは、全国に広がる古墳とそこから出る文物が主役となる4?6世紀の時代である。九州から東北まで広がる前方後円墳
のネットワークをみれば、どれだけその頃の日本が強かったか、両国合わせてもウリナラの現面積さえ治めきれない2つの半島国家の文化植民地でなかったかがよく理解できる。しかし、後の天皇家にとって不都合な史実が日本書紀、古事記編纂のさい全て検閲され闇に葬られたので、当時間違いなく存在したはずの信用できる文字記録が極めて少ない状態に置かれている。特に古墳時代の始まる4世紀は遺物にも乏しく、「空白の4世紀」などと呼ばれており、遺骨をも掘り起こして焼き尽くす極めて激しい大乱が起きたことが想像されるが、改憲と特定アジア大乱を望んでやまない現代の皇国史観論者は、「日本だけは平和的に国家統一されたんだ?」と東北以北と沖縄を無視して能天気に浸っており、その知的程度を示している。最近の核DNAの研究は古墳時代になって、北部九州地域にだけ住んで居た倭人系日本人が日本列島全体に拡散し、先住の縄文系の人を追い払い、または混血して現代の日本人が形成されたことを明らかにしつつある。 古墳時代を理解する最大の鍵は、いうまでもなく古墳にある。特に代表的なのが、特定の様式美に沿う鍵穴型の古墳だ。大和王朝の勢力圏を示すと云われるこの古墳形式、英語では「keyhole tomb」と文字通り「鍵穴」となっているが、日本語では「前方後円墳
古墳
古墳建造にはピラミッド建築でも用いられた技術が用いられた。ピラミッドの内部と同じように石室もあった。大阪の 693f 大山古墳は面積で世界の墳墓を上回っているという。当然そこにはファラオ的な大王権力による強制力を駆使した奴隷労働があったものと想定されるが、自称・平和と民主主義を愛する皇国論者によれば「日本にだけはそんなことはなかったぜ」としなければならないらしい。
宮内庁は「歴史学者には皇室への敬愛心が足りぬ」との名目で、天皇陵墓への立ち入りを拒んでいる。天皇陵の位置が宮内庁と学者との間で大いに異なるのは当たり前だ。それでは、宮内庁の公認する歴史がどれだけ真実に迫れているのだろう?それは、宮内庁が天皇陵と認定する古墳を「実際の古墳は草ぼうぼうじゃなかったことが分かっているのに、草ぼうぼうのまま保存」して、考古学者の再現する古墳を目下にみているのをみれば一目瞭然だ。事実、天皇陵には古墳時代最大の人気アイテムたる「埴輪」の姿が影も形もみられない。 古事記や日本書紀
倭の五王
五王の正体が誰なのか分からないのは様々な説があるが、神功皇后の怨霊によるとする説がある世界では有力である。新羅に武威を示した母の意思に背いて中国に朝貢した息子たちを皇后が霊界から罰して歴史上の記録から消し去ったというのだ。しかし、母に背いてまで朝貢し、自分たちの存在を実在人物として残すことに成功したのだから、倭の五王も朝貢した甲斐があったというものだ。 古墳時代の日本の国力は如何ほどのものだったのだろう?古墳の大きさからみれば、日本の国力は朝鮮半島以上のものだったとみるのが正直な観察なのだろうが、後のヤマト王朝が自分たちに都合の悪い歴史にご都合主義の解釈を加えて本質が残らないほど歪曲し、ファンタジー紛いの歴史書しか残さなかったため、ありのままの姿を覗くのは困難になってしまった。思えば、「前方後円墳は全てヤマトのもの」というのも相当無理のある前提である。 そのため、古墳時代の国力については様々な想像力が謳歌し、韓流時代劇顔負けの想像力が跋扈している。向こう側が「我が国にも前方後円墳があるから、前方後円墳の起原は我が国だ。日本文化は全て半島からの渡来人
国力
古墳についてもその機能を巡って議論が絶えない状況にあり、「古墳は騎馬民族のものだった」という従来の説だけでなく、「古墳とは火山の噴火で形成された新山だった!」という珍説まで現れている。そこそこ人気のある学者が提唱した後者の説は特にウケが良いらしい。
何はともあれ、こんなに百家争鳴になったのはファンタジー要素を一切持たないちゃんとした歴史書を残さなかった大和朝廷が諸悪の根源だ。
関連項目ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「古墳時代」の項目を執筆しています。
古墳
埴輪
三角縁神獣鏡
九州王朝
渡来人
継体天皇 ? 万世一系の起源を自称するこの天皇が、それまで伝えられてきた文字の歴史を最も破壊したといわれている
出雲
更新日時:2019年6月24日(月)09:04
取得日時:2021/04/18 01:35