仙台市
[Uncyclopedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

…潟まで全部宮城野区である。見事にバラバラでまとまりがない。「どこに住んでるの?」と聞かれて「宮城野区」と返されたからって、勝手に原町のあたりを想像してはいけない。てか、鶴ヶ谷と岩切と蒲生干潟が同じ区ってぶっちゃけありえない。でも国分町(市役所)や上杉(青葉区役所)の人間は全部同じようにしか考えていないためしょうがない。本町の人間は宮城野区はおろか仙台自体が嫌いである。区の真ん中に大きな田んぼが広がっており、大まかに分けて、榴ヶ岡や原町、幸町を中心とする名取市宮城野区と、福室、高砂、中野を中心とする、ほぼ多賀城市宮城野区に分かれている。仙台バイパスの向こうは、仙台市都心部から隔絶されて、多賀城や塩釜と市街地が繋がっているのだから、もはや多賀城以外の何者でもない。そういや苦竹にある仙台駐屯地は道路挟んで向かいが<ヽ`∀´>の生息地で、その裏が犬作教団のねぐらゆえに日々三者の争いが絶えず、人はこの地域を「東北の大阪」と呼ぶ。だからってドブ川に飛び込む訳じゃない。松島町を侵略し、松島名物カキフライを宮城野名物にしようとたくらむやつらどもの集まり。コロナワールドを駅から超遠いところに作ってしまったのは大失敗だが、天然温泉や映画館が揃ったなかなか良い施設。交通不便といったらキリンビール園もサッポロビール園よりも格段に入りづらい工場の形してるし、送迎バスが出てるのかどうかもよく分からない。海に近いため、仙台の中でも最も温暖な方だが、その代わり風が強い。仙石線が良く止まる。港と倉庫がコラボってるところなのでぴーが多く、粛清されました検閲により削除しまくりなのがのどかな日常風景である。日本の全ての政令指定都市・東京特別区の「区の名称」の中で、一番画数が多いことはあまり知られていない。つまり住所書くのが超面倒。これで宮城野区のGDPにマイナス15%の影響がある。
若林区名前こそ若林であるが、ポジション的には森崎である。今や市内では宮城野区と双璧を成す程高い知名度を得てしまった区。全国区の知名度となった「荒浜」は、仙台市民にとっては今でも「深沼海岸」である(仙台で「荒浜」と呼んだ場合、 f28 亘理の「荒浜」をさすことが多い)。寺や古墳や城跡(宮城刑務所)があったりと歴史は古い。しかしかつては仙台の区の中では最も地味だった。侵略合戦でひかえめな行動をし、区を小さくしてしまったおとなしい系の集まり。自業自得。一応、文化センターやヘリを毎日飛ばす自衛隊があるけど、意味はない。家は古いし街は狭いし道は一方通行ばかりだし住民は高齢化してるし、一度はまったら抜け出せないまさに迷宮というかダンジョンである。ウィークポイントはおそらく柏木さ?んより156個多いが、元近鉄の給料泥棒とほぼ同じである。交通の便はJR仙石線、バス、地下鉄東西線。仙台市民の見栄というか伊達というかマゾの象徴、地下鉄東西線は卸町、六丁の目などの区内の比較的北部のみで、利便性ゼロ。区の中心云々を全部考えず、とにかく走らせればいいんだろう、という仙台市民の伊達というか酔狂というか見栄が見え隠れしている。なお、実は仙台市営地下鉄南北線の「愛宕橋駅」「河原町駅」は若林区に存在するが、周囲にこれといったものがないことから存在が今ひとつ知られていない。一方、郊外に行くと下手すりゃ地平線が見えそうな田んぼが広がり、田んぼの中に飛行場があったり、海水浴場があったり、馬術場があったり、本当に仙台なのかと思うほどの田園風景が広がる。大多数の仙台市民(特に青葉区東部民)は余所者から「仙台って田舎都市だよね」って言われると、「んなわけねえっちゃ!!仙台は都会さけさいん!」と猛烈にキレるか、「確かに田舎もあるけど、それは愛子とか秋保っていう、似非仙台のことだよ」と勝ち誇った表情で反論するかのどちらかに分かれる。しかし、そんな彼らでさえも、若林区沿岸地帯(三本塚、長屋敷、荒浜、蒲生南、六郷、井土)を訪れると、不思議なことに、田舎都市を自認してしまうのである。恐るべし若林区。イグネ農家の一年を追ったカントリーテイスト溢れるNHKスペシャルのドキュメンタリー番組が作られたのはなんと2002年のことである。また、メジャーリーガーを1人輩出している。プラス例の震災で有名になり地味ーズから脱退したのも最近のラッキーな出来事の1つだ。余談だが、宮城野区とそれほど街区の構造が変わらない為、いつの間にか宮城野区に入っていることもしば 12f3 しば。「あれ、ここ若林区だっけ?宮城野区だっけ?」と言われることもある。
歴史
創設

1601年伊達政宗が岩出山から転入して、城下町を建設した。仙台城は「青葉城」という別名で有名な断崖絶壁に囲まれた難攻不落の城であったが、一度も実戦に使われることは無く、何の用にも立たなかった。伊達政宗も「この城、ちょっと不便すぎる」とぼやいている。それ以前の歴史については、仙台が杜(もり)の都と呼ばれていることから、諸説が乱立している。

大阪の森ノ宮からの移住者が住んでいた。

伊達政宗の妾である森野宮子という女性の住居があった。

暗黒魔導書モリノミヤコンが隠されている。

平安時代に森造(もりのみやつこ)なる者が住んでいた。

ポケモンのモリノミヤが住んでいた。

近世

徳川時代は、加賀100万石、薩摩80万石に次ぐ雄藩となり、江戸市中に流通する米の過半を供給するまでになったが、伊達家は、数々の陰謀を張り巡らせた伊達政宗のせいで徳川幕府に信用されていなかったので、周りを磐城平藩、会津藩、山形藩、庄内藩などの譜代大名に囲まれ、東北の入口には磐城平城に小峰城と難攻不落の城を建てられるなど逐一監視され、松尾芭蕉という隠密を放たれたりする日々だった。唯一の例外となった外様大名は、伊達家の温情のお陰で生き残った相馬家の中村藩である。この頃にヨドバシカメラを創設する計画が完成。

徳川時代中期には、林子平という仙台藩在住の軍事評論家が「海国兵談」という本を著し、「やっぺ。ロシアやべえよ。蝦夷地取られちゃうよ、マジで」と出川哲郎バリに幕府に訴えたが、仙台藩は信用されていなかったので、「何こいつやばくね?」ってな具合に見事にスルーされ、危険人物として蟄居させられてしまう。しかし、山形出身の最上徳内や江戸出身の近藤重蔵が蝦夷地探査を行い、同様の訴えを行ったところ、あっさり受け入れられ、「そういやお前んとこの、前に蝦夷地がどうとか言ってたよな、ああん?」ってな感じで、蝦夷地東半分の沿岸警備を徳川幕府に命令されたりした。

戊辰戦争では、明治政府(薩長)からいちゃもんを付 fd2 けられた会津藩を助けてくれと懇願され、米沢藩などと共に奥羽越列藩同盟を作り、いちおう東北で一番大きな藩だったため盟主に祭り上げられたが、普段の威勢のよさとは裏腹に基本へタレなので、明治政府からは生温かい扱いを受けた。長州藩から送り込まれた世良修蔵という百姓上がりに散々愚弄されても我慢していたら、「奥州皆敵。YOU滅ぼしちゃいなYO!」という密書まで送られる体たらく。そこで伊達家開闢以来の陰謀好きの血が騒ぎ、検閲により削除をしている現場に踏み込んで世良を惨殺し、奥州戦争の引き金を引いてしまう。

江戸を逃れた大鳥圭介の幕府洋式陸軍や榎本艦隊も加えてさあ決戦だ・・・と思いきや、秋田では久保田藩との戦いで「ドンと鳴れば5里逃げる」戦いぶりで、庄内藩から「頼むから余計な手出しはするな」と言われ、駒ヶ嶺では中村藩をフルボッコにするつもりが指揮官が無能だったために逆にチンチンにされ、一気にヘタれて無条件降伏するという空前絶後の弱兵振りを発揮、せっかく馳せ参じた徳川幕府の洋式近代軍を箱館に追っ払ってしまった。しかし、降伏したからと許してもらえるはずはなく、家臣は北海道に流刑され、藩主は分家の宇和島伊達家より下の爵位を賜る屈辱を受けた。挙げ句の果てに家臣の流刑された北海道に後に仙台にとって最大の宿敵となる都市を作ることを手伝わされたのである。
近代

明治政府が立てられると、戊辰戦争で逆らった東北地方を監視するために、仙台には仙台鎮台が作られ、旧制第2高等学校が作られた。第2高等学校には東北全体から多くの優秀な人材が集まり、東京帝国大学へと送り出したが、「東京の大学行くのに仙台の高校通うのたりぃよな?」という声が上がったため、1907年に東北帝国大学が作られた。陸軍の司令部、帝国大学に鉄道開通もあいまって、仙台は東北の中心となっていったが、なんせ仙台には港がなかったため工業は発達せず、帝国時代には、まだ行政と軍と商業の中心というレベルであった。

仙台鎮台は第2師団と名前を変え、日露戦争では、奉天会戦などで多くの武勲を上げた。塹壕戦にかけては大日本帝国陸軍随一である。なんでその才覚を戊辰戦争に生かせなかったのか・・・。第2師団の二つ名は「夜襲師団」である。要はだまし討ちを得意としていた。しかし、その精強さがあだとなり、太平洋戦争になると 113d ガダルカナル島でアメリカ海兵隊とガチでやりあい、一切の補給なしで篭城戦を戦い抜いたが、ついには撤退してしまう。ついで、中華民国の背後を襲おうと、だまし撃ちのインパール作戦に投入されるが、こちらも補給路を断たれ、イギリス軍を主力とする連合国軍にやられてしまった。インパール作戦では、肥前藩出身の陸軍参謀牟田口廉也から無茶な山越えを強要され、敗れて退却した道は「白骨街道」と言われる程であったが、戦後、牟田口に「作戦が失敗したのは将兵が無能だったからだ」とばっさり切り捨てられてしまった。犠牲の大きさを省みるとあまりにもあんまりな発言だが、太平洋戦争中もなお、仙台人は薩長に信用されなかった。
戦後

終戦直前、アメリカ軍の空襲によって仙台市内は一面の焦土となってしまったが、これによって現在の青葉通や定禅寺通の広い道路が作られ、戦災復興を祈ってケヤキ並木が植えられ、今から考えると結果オーライになった。核を落とされなかっただけでもメッケモン。

しかし、ここに来て仙台始まって以来の屈辱的な事件が起きた。なんと、仙台が長らく見下し続けてきた蝦夷地新興都市に人口を抜かれ、江戸時代以来守り続けてきた北日本の中心都市の地位を奪われたのである。プライドの高い仙台市民にとってはとてつもなくショックが大きい出来事であった。それ以来、札幌に対して強い対抗心を抱くようになる。後に需要も無いのに見栄を張って地下鉄を作ったのも周辺市町村と寄せ集め合併をしてまで政令指定都市になったのも札幌への対抗意識によるものである。

1966年に仙台バイパスが、1975年に東北自動車道が開通すると、東京からトラックで毎分約680トンもの大量の貨物が運ばれてくるようになり、卸町に物流倉庫が出来、田んぼを掘って仙台港が作られるとようやく工業都市にもなる。他の拠点都市に遅れること数10年、途中コジラやガメラに何度も街を壊滅させられたものの、ようやく東北の中心らしい風格を持つ都市になった。この頃、突如合併症を起こして多賀城市や塩竃市の編入を試みるも失敗。多賀城市や塩竃市は当時の仙台市長が左翼だったのが気に入らなかった。

1982年に東北新幹線が開通して東京との交通が便利になると、これまで東北に見向きもしなかった企業が雪崩を打って仙台に支店を構えるようになり、これで「白河以北一山百文」の時代に終止符を打つことになる。これにより自信を付けた仙台市だったが、再び合併症を発症し、宮城町・秋保町・泉市に病気をうつしつつ、1989年に幕府の命令によって仙台全域を封? 12df ?されたどさくさで政令指定都市になった。泉市の編入はかなり揉めたが、実弾の絨毯爆撃が効を奏して編入に成功した。これで(少なくとも表面上は)何とか札幌と同じ土俵に立てるようになったと仙台市民は喜んだ。

だが、そんな順風満帆な仙台をやっかんだ都市があった。東京への企業流出が止まらない大阪である。もともと大阪の企業であったアイリスオーヤマを奪われたことに腹を立て、1988年、大阪商人の棟梁であるサントリーの佐治敬三社長が、「東北は熊襲の産地で文化程度が低い」と発言。東北に宣戦布告を行った。しかし、この発言に東北各県は一致団結、東北各県からサントリー商品を締め出すことに成功し、佐治社長の涙の謝罪行脚により緒戦を東北の完全勝利で締めくくることに成功した。その後も、元禄寿司から平禄寿司を引き抜いたり、羽曳野からダルビッシュ有を引き抜いたりと連戦連勝。2005年には、ついに、当時唯一の在阪球団だった近鉄バッファローズの残骸を引き取り、東北楽天ゴールデンイーグルスを獲得することに成功した。こうして現在、仙台は東北の中心としていろんなところに喧嘩を売ったり買ったりする日々を過ごしているのである。そんなこんなとしてる間にヨドバシカメラ仙台駅東口店が竣工(1997年3月)。

仙台市は会心の勢いで成長を続け。仙台市は、名取市と岩沼市の間にある仙台空港を手に入れようと名取市を編入しようということになったが、名取市民の赤ちゃんからご長寿までが一人残らずストライキを行ったため惨敗した。更に名取市に反乱を起こされ、県内一位の大きさを誇っていたショッピングセンター『ザ・モール仙台長町店』を抜かす大きさの『イオンモール名取エアリ』を建てられ、「このままでは県庁所在地も盗られてしまう」と一時は危機的な状況に陥ったが、イオンモール名取エアリから三越が撤退するなど、あの施設は商業的に失敗したので、事なきを得た。
目立った出来事
1999年女性の失踪事件が相次ぐ。しかし空条承太郎がこの地を訪れたことにより失踪はピタリと止む。あと30 123b 代の会社員が救急車に撥ねられ数分後死亡したという事件もあった。遺族に病院側の謝罪があったかどうかは不明。

2004年ダル君楽天に行くもんだと思ってたら、ドラフトで北海道日本ハムファイターズに指名され市民がっかり。市民の8割7分4厘9毛(87.49%)が「なんだ日ハムかよ」と心でつぶやく。

2006年秋ダル君を北海道にやった見返りとして、マー君を獲得。

2007年仙台にテレ東の系列局を作ることを決定。ただしこれは失敗に終わった。あ?あ、残念。

2016年仙台駅の東西自由通路の拡張工事が完了。とてもスタイリッシュなカッコイイ通路に進化した。

政治
歴代市長
岡崎栄松
初の公選仙台市長。戦災によって焼け野原となっていた仙台に、幅員の広い幹線道路を整備した。後に仙台と言えば誰もが連想するケヤキの並木道は彼の発案である。当時は「無駄」「無意味」と言われ理解されなかったが、「青葉通りは、私の死後必ずや評価されるであろう」と予言している。残念ながら、末期にはワンマン化して挙げ句に不正選挙をやらかして失職した。
島野武
伊達政宗以来の仙台藩士でお奉行様の要職を務めた格式の家に生まれ、小学校から(旧制)第二高校まで一位の成績を通し、東京帝大経済学部に入学したが、思想的に完全な赤色に染まり治安維持法違反の容疑で逮捕されるまでに至る。弁護士を経て社会党公認で仙台市長に当選。塩竈・多賀城等との合併を狙ったが「アカのどん百姓に支配されるのは嫌」と断られ話は流れた。「微笑みの市長
」と言うどこかで聞いたようなニックネームを付けられ、7回連続当選し1984年に急死するまで、26年の長期革新政権となった。
石井亨
当時の宮城県知事・山本壮一郎の招きにより宮城県副知事に就任。当然山本の後継者となると目されていたが、仙台市長選挙に担ぎ出されて当選。知事の椅子を逃した。後に彼は「貧乏県の知事より、政令指定都市の市長のほうが面白い」と言っている。市長としてシムシティごっこを開催、数え切れないほどの箱物を建設した。当時宮城県? db4 ??二の都市であった泉市を「地下鉄を通す」という目に見えるエサと「実弾攻撃」という見えてはいけないエサを使い分けて泉市を併合、仙台市は政令指定都市に昇格した。だが、ゼネコンから山吹色のお菓子をもらっていたことがバレて、宮城県知事とセットで首が飛んだ。東京地検の捜査官が石井の自宅マンションに踏み込んだ際、玄関には諭吉入りの段ボールが大量に積まれていたという。これらの所行により国営別荘に3年間滞在する事になった。
藤井黎
頭の固い方の辞典によると「政令指定都市の市長を3期12年も務めた人物の記事に、市長時代の業績・政策や、主義・主張、逸話に関する言及が一言もない」という人物である。彼の市政がなぜ何事も無く安泰であったのかすら理由は不明。
梅原克彦
杜の都の市長だけあって、植物の声が聞こえるという特殊能力がある人物。記者会見の場で「ケヤキの精と語り合いました。『市長さん、市長さん切らないで、あなたの事は、子供の頃から知ってます。出来れば伐採しないで、どこかに植えてください。』と言うんですよ。」と真剣な表情で語っていることが、彼の超能力が本物である証拠である。全国のえらい方々の中でも、植物と対話する能力がある事を公言しているのは、彼一人である。まさに杜の都の面目躍如、やったね!しかも、仲良くなるとタクシー券がもらえて市内観光もお手の物。海外出張と称して夫人同伴で遊び回り、私的な引越しに勤務時間中の市職員を使い、ついでに公用車も流用してガソリン代を市の費用にするなど公私混同の行為が目立った。致命傷となったのはタク券のバラマキで、市長名義で使われたタク券の内、公務で使われたと確認出来たのはたった1割、残りは行き先すら書いていないという有様。頭を丸刈りにしてエクストリーム・謝罪に挑戦。市議会では仙台市長初の問責決議が可決された。失業後は完全に心を病んでしまいネトウヨのアイドルとなり、仙台市のイメージダウンに貢献している。
奥山恵美子
副市長として梅原市長の下で働いていた。しかし梅原の駄目さ加減は薄々感じており、下克上のチャンスがあるかも、と気がつき始める。梅原に辞任状を突きつけて行動を開始した。そして選挙の時期、、梅原は市長を続けたかったが、市民の冷ややかな目に耐えられず、選挙出馬を辞退。代わりに子飼いの副市長(仙台には副市長が二人いる)を後継者に担ぎ出した。でも、梅原が背後にいることによるドス黒いイメージがついたために、その候補は苦戦。一方奥山恵美子はあのクソ市長に刃向かった英雄として歓迎され、圧倒 1ee1 的な多数の得票を得て当選した。そもそも大学卒業後仙台市役所の職員になり、副市長、市長と順調に出世した人物だけに、存在感が薄い。震災に際しても「何もしていなかった」かのように思われているが、隣の建物の主であるワケル君が本業の職業柄、非常事態の仕切り役に最適なスキルの持ち主で、ヘリの操縦も出来るワケル君に比べると市長さんは地味に見えてしまう。そしてこの市長は「常にほほえみを絶やさない」習慣というか特徴があり、平時にはそれが美点となるが、大惨事が起きている時や不祥事で記者会見をしている時にあの表情では、非常に不謹慎に見えてしまうのである。
経済

仙台は、中心部を政商が支配しており、中心部への進出では高度規制を働きかけたり、他県の資本に色々な嫌がらせをしているくせに、他県の資本に支配されている経済植民地である。
主な政商 仙台駅前の様子
藤崎マーケット
仙台を代表する政商。一番町アーケード街のドンであり、藤崎マーケットのためなら地下鉄東西線を無理やりなルートで引き込んで駅を作り、仙台の象徴ケヤキを引っこ抜くことも厭わない。ブランド店は藤崎マーケット周辺のみに集めないと気が済まないブランドコレクターでもある。ラララライ!仙台駅前は、Loft(そごう・西武系)やパルコ、ダイエー(イオン系)といった他県資本の根城と化しており、今やそっちの方が元気なので、藤崎マーケットの悩みは尽きない。東北を代表するデパートにもかかわらず、支店は出さずギフトショップでお茶を濁している。言い換えれば仙台の「お山の大将」である。最近、ルパン三世が賊に入った。ラララライ!
河北新報
宮城県の県紙。仙台市民は見栄っ張りなので、宮城県以外の地域版はお汚し程度に用意しているが、スポーツ面はベガルタ仙台の記事だけで、エリア内のモンテディオ山形の記事はスコアと寸評のみである。それでもブロック紙である。三社連合に入れさせてもらえず、地方紙並みに共同通信の記事で埋め尽くされている。それでもブロック紙である。「河北」の語源は、明治時代に東北地方が「白河以北一山百文」と明治政府から小バカにされたことの反発から名づけられた。しかし、そんな反骨精神も今や昔、しっかりと仙台の政商の一角に納まっている。創刊以来、ずっと創業家である一力家が支配している。イメージキャラクターのかほぴょんは、結構可愛いと評判である。
カメイ
連結決算で6000億円を計上する宮城県を代表する企業である。しかし、これは仙台コカコーラ、仙台トヨペット、テンプスタッフ、オリックスレンタカーといった宮城県外の大企業の地域子会社に出資し、その売上高を加えた数字である。本業は、ただのガソリンスタンドとキリンビールの特約代理店に過ぎない。他人の褌で相撲を取って大金を騙り取る堀江貴文を彷彿させる、「支店経済都市」仙台を象徴する企業といえる。ミヤギテレビも含め、苦竹周辺にカメイ村を作り、仙台のエネルギーを一手に支配しているが、どうみても実効支配は東北電力(理由は後述)です。
エンドーチェーン
かつては宮城県全域にスーパーを進出させて羽振りがよかったが、今や青息吐息である。エンドーチェーンは西友になり、仙台駅前の一等地で栄華を誇ったエンドーデパート(スカイダイビングのメッカ)は、ファンキーなファッションのギャル達と腐女子、そしてアニヲタという異種混交の総合テナントビル「エンドウ豆」になってしまった。ボロイ店内と他県資本のけったいなテナントに占領されたその光景は、仙台の未来を暗示する象徴的な施設と言える。中野ブロードウェーのでっかいバージョン。ただし、中層階のジュンク堂は洋書専門書が豊富なので、新宿紀伊国屋を入れた感じ、カオスである。レジがヘンなところにあるので、間違って登りエスカレーターに乗ったら必ず別店舗だが漫画館の店員に申し出る様に。独力で戻ろうとすると大変な事になる。なお、2009年に無くなってしまったが、唐突に3m以上ある戦艦大和が飾ってあった。東北なら陸奥だろう常考と言いたいところだが、仙台の商人にそういう濃さを期待しても無駄である。レアもの、珍品は期待出来ない。
東北電力
創業者は白洲次郎で、東北財界の元締め的存在。電力ビルの1階にはグリーンプラザという、何の目的で設置されているのか解らない施設が在り、待ち合わせの時間調整の場所として重宝されている。創業の過程で東京電力と対立した為、東京電力とは相性が合わず、自社のエリア内に「部外者」である東京電力の発電所が建てられており、毎年夏になると多量の電気を送って東京電力を懐柔している。 12a7 柏崎浜通りにある核電、旧磐城平藩内の火電、それに会津の水電の大部分、そしてそこから伸びてるやたら太い送電線に注意してもらえば解ることだが、これらは東京電力の所有物であり、東北電力のエリアに「部外者」東京電力の発電所が建てられているのである。「東北七県ネット」と称した番組のスポンサーとなっている。会津庄内の仲間である下越をエリアに入れているからである。子会社経由でこっそり都市ガス供給も一手に担っており、新潟郡山福島市→仙台のパイプラインを引いていたりする。Jリーグチームでは、太平洋沿岸の仙台と日本海沿岸の新潟のどちらに与するかで迷い、新潟の方のスタジアムは東北電力が命名権を購入し、仙台の方のスタジアムは子会社のユアテックが命名権を購入している。このため、FC東京のスポンサーである東京電力vs東京ガスのようなガチ対決はみられず、むしろ牧歌的ですらある。
七十七銀行
仙台財界のラスボス。NERVで言えば碇ゲンドウであり、東インド貿易会社で言えばベケット卿であり、蘇連軍で言えばポドフスキー中佐である。強きを助け弱きを挫く典型的な地方銀行。自行本支店間の口座振り込みですらやたら高い手数料を取り、肝腎な時には金を貸してくれない銀行。支店を守るためにコンビニATMの出店を遅らせ、2025年に仙台市の人口100万人割れの予測を出すなど、仙台市民のモチベーションを下げることにかけては天下一品。宮城県は「伊達騒動」「相馬事件」のお国柄なので、何かと熱中しやすい仙台市民や、何かと振り回される中村市民の手綱と財布の紐を締めてくれる頼もしい存在である。そうやってなんだかんだボロクソ言ってる市民が、祭り事には日頃の態度手のひら返していろいろせびってくるんだから自然にそうもなるわな。あの大震災の時には、女川支店の従業員が逃げ遅れてほとんどが犠牲になった。女川にある他の銀行の支店では、金よりも命が大事ということで早く逃げようと、とっとと山の上に避難したため全員が助かっているが、七十七銀行では本店の指示を受けるため、必死に本店に電話していたがつながるわけも無く、そうこうしている間に津波が来てしまい殉職。良くも悪くもお堅い企業である。
11c1 教育
東北大学

東北にも帝国大学が欲しいと騒ぎ出したので、札幌市の札幌農学校を東北帝国大学農科大学と看板を架け替えるという荒業で1907年に設置されたのが起源である。1911年の理科大学新設に合わせて仙台に本部機能が移り、今に至る。いわゆるビッグフォー(東の東大、西の京大、北の東北大学、南の九州大学)の一角。

見栄っ張りの仙台人は、よく北海道人に、「北海道大学はもともと東北大学の分校だったんだぜ」と自慢を始め、「東北大学こそ札幌農学校から生まれたくせに」と反撃を食らいがちである。それに対して仙台人は、仙台藩の藩校である明倫養賢堂を持ち出して「東北帝国大学の真の起源はこっちだ」と強硬に言い張るが、「公式の創立年は東北帝国大学が新設された1907年だ」「仙台医専は後から併合された亜流」と一蹴されたりと、「鶏が先か卵が先か」の神話論争に発展してグダグダになる。この見栄と頑固と必死さこそが仙台人の伊達である。

魯迅などの中国人から伝えられた麻雀が大学に大きな影響を与えており、自らの大学を「東南西北」からトンペーと称している。ただし、中国に於いて「北」をペーと発音しないことについては知らない。学校関連の施設に検閲により削除のアジトがあり、東京の法政大学にまで出張して機動隊御一行様とお遊戯をしたり、京都大学の検閲により削除のアジトと交流を深めている。東北大学の卒業生の多くは東京の企業に就職しており、これもある筋に対する就職活動の一環という説が有力である。

工学部など理工系が大きいためか、総合大学にもかかわらず男子校のような雰囲気である(一方、南の拠点である九州大学は、法文系の学部の方が強い)。駅方面から青葉山の高度があがるにつれ法文系→理学部→工学部と、男子の比率が高まるように配置されている。なお、男女比緩和策として頂上に宮城教育大学と薬学部が設置されている。

研究第一主義を掲げ、これまでテレビアンテナで使われる八木アンテナ、それを利用したレーダー、同時無線通信(携帯電話の起源)、光ファイバー(インターネットの根源)、ハードディスク等、我々の生活を根本から変えるさまざまな画期的な発明を行っているが、不思議なことに、仙台? 10e3 ?はその発明の成果が見事に残っていない。
東北学院大学

「大学」という名称ではあるが、事実上、教育機関の名を借りた宗教施設である。奇妙なことに仙台市を含め宮城県内から東北大へ進学する者は少ないため、大半の若者は首都圏の大学に向かうか、就職を希望する。しかし、進学するほどの知的能力を有さず、また精神年齢が就職に適さないと判断された場合、高校卒業後の4年間をこの宗教施設で服役することになる。まさにモラトリアムという言葉がふさわしい。

この施設に服役していたことを履歴書に書くと、知的能力に問題を抱えていることが露見してしまうため、県外に脱出することが難しくなってしまう。ただ、結果として県内には大量の服役経験者が存在しており、下手すれば、東北大を卒業するよりも人脈作りに役立つこともある。特に地域の商工会議所では、高卒か学院卒しかいないといったことが日常茶飯事である。ただし、その勢力範囲も県内のみであり、県外に出た瞬間に高卒扱いになってしまうので注意が必要である。県外で出身校を尋ねられた場合は、「地元の私大を出ましたw」と答えれば良い。大抵の場合は事情を察してそれ以上は聞いてこないものである。

毎日の礼拝が義務付けられているが、実際に礼拝に通うのは服役後最初の半年間くらいというのが実態である。危機感を募らせた施設側は、年間の皆勤賞を取った服役者に対して「施設長と一緒にランチ」の機会を設けることとした(実話)が、むしろ逆効果だったのではないかと言われている。
東北福祉大学

「大学」という名称ではあるが、事実上、教育機関の名を借りた知的障碍者擁護施設である。東北福祉大学という学校名の意味は、「東北」に存在する「大学」を名乗る「福祉」施設であることに由来する。前出の東北学院大学すら引き受けを拒否するような能力しか持たない知的障碍者を一手に引き受け、国見の山奥に4年間監禁することで、東北地方の治安情勢の安定に貢献している。何らかの理由で、地位を追われた気の毒な人物が、教授と言う名のお守り役に就任することもしばしばある。

ただしコンパにおける強さでは東北学院大と双璧を成しており、垢抜けない服装で分厚い眼鏡をかけたトンペー君を一蹴し、宮教大の先生様の卵も蹴散らして、肉食系男子・女子の称号を欲しいままにしている。

仙台には、「旦那にするならトンペー、彼氏にするなら学院、用心棒なら福祉」ということわざがある。仙台ブス地元ギャルにも敬遠される、これだけで、東北福祉大学がいかなる扱いを受けているか、お分かりだろう。

また、プロ野球界に沢山の選手を輩出し、虎の穴と呼ばれるプロ野球選手養成所を持つ。
174c 東北工業大学

工学部(八木山キャンパス)とライフデザイン学部(長町キャンパス)を擁する私立大学。上記の東北学院大学、福祉大学にすら入学を拒否されたけれども就職はしたくないという者達の最後の砦。工学部の八木山キャンパスは八木山の坂という坂を登り切った先にある。長町キャンパスもやや坂を登った先にある。学費と海抜は高いが偏差値は低い。毎日毎日通学のために坂を登るが卒業したら人生は下り坂。もうやんなっちゃう。
セーラー服の不在

仙台が何だってとりあえず良い。知っておかなければならないのは、この市にはセーラー服を採用した公立高校が一つもないという厳然たる事実だけなんだ。いいか、もしお前が宮城県でセーラー服を着用した公立高校の女子高生を見たいと思ったら、仙台市民の3%(1%という説もある)しか所在地を知らないような北の果てに行かなきゃならないんだ。こんなことってあるか。そもそも正規のセーラー服(趣味の悪いセーラージャケットを除く)を採用している高校が私立でも2校しかないという悲劇。何だ、仙台市民はセーラー服に恨みでもあるのか。政令指定都市でこれだけセーラー服採用率が悪い場所は、仙台市しかない。旧仙台藩の武士達が拓いた北海道は伊達市の検閲により削除高校では、シンプルかつビューティホーで、すっごくネイビーなセーラー服を採用しているってゆーのにね!ご先祖さまも泣いてるぜ…。

うん、確かにそんなセーラー服不毛地帯・仙台でも、セーラー服を採用した中検閲により削除校は何校かある。中には、「現代風にアレンジしたセーラー」と称して志願者を集めようとする名前の無駄に長い仙台検閲により削除学校もある。けど、昨今の中検閲により削除生は登下校にジャージ(原住民が話すセ=ン・ダイ語では「ジャス」)を着用しているから、実際にセーラー服を着た姿を見かけるのは稀というか、ほとんど都市伝説並みの遭遇率だね!!そもそも自宅警備員でもない限り、平日の下校時間に街をうろつけないし、何か犯罪っぽいからやめとけよ、なっ?お前らみたいなリアルと妄想の差がつかないモヒカン族のせいで、ときどき街でセーラー服とすれ違う一瞬の出来事に心ときめかす「お手つき自重」派が肩身の狭い思いをするんだぜ?

いやーそんなわけで仙台にはブルセ検閲により削除ップはおろか、マニア自体が希少種。制服って何? 112b 美味しいの?ってなもんさ。いやはや、仙台という街にはもはや変態の居場所はないですな。でも、そんな仙台市で口に発するだけでも危険な代物を扱う業者の摘発が行われたりとか、街は見かけによらないよな。

因みに2月下旬になると東北大を受験するべく全国から闘いに来た女子高校生が来るため駅周辺のセーラー服の比率が急上昇する。
私服進学校の存在

仙台の公立高校にセーラー服がないことは既に分かっただろう。だが、それだけではない。そもそも仙台では、制服を着ている時点で「あぁ。こいつはナンバースクールには入れなかったのか・・・」と周囲の人からがっかりされる悪しき風習があるのである。その為、ちょっと出来る中学生は私服登校を求めて仙台第二とか宮城第一とかを目指すのだが、顔の二女や体の三女がある南学区はともかく、北学区の受験生は美少女であればあるほど頭が良かったりする(もともと美人が少ないため、仙台の美人は転勤族系(関東関西大企業社員の娘or北東北美人地帯出身者の娘が多い。転勤族系は東京や秋田に代表されるように、教育熱心な家が多いので、自ずと進学校に入りたがる)ので、「あの子と同じ高校で制服デートしたい」と願っても無理なのである。結局は大学生のデートと同じような感じになってしまうのである。嗚呼無情。

仙台では、学力偏差値が高ければ高いほど、私服高校率が高いからだ。所謂公立進学校である仙台第二(元男子高)>仙台第三(元男子高)≧仙台第一(元男子高)>宮城第一(元女子高)>仙台二華(元女子高)>泉館山(共学)≧仙台向山(共学)>宮城野(共学)>泉(共学)>仙台(元男子高)の10校のうちなんと7校が私服なのである。

つまり、仙台でトップクラスの進学校のJKに憧れを持ったとしても、私服である以上、見た目が女子大生と何ら変わらないので、「女子高生」の良さが全く発揮されない。嘘だと思うのなら、雨の日に市営バスで川内営業所行きとか広瀬通一番町行きとかに乗ればいい。三女はナンバースクールであるが、進学校ではないのでご注意を。最近顔の二女、体の三女というキャッチコピーが崩れつつある。

仙台城址のふもとにあるのが宮城県仙台第二高等学校である。「仙台第二」「仙台二高」とか言ってると長いからみんな「二高」って呼ぶよ。「第二」だが一応県内一の入学偏差値を誇っている。仙台市民からするとこの高校の存在は大きい。下手に「東北大学出身です」とかいうよりは「高校は二高でした」といったほうが尊敬される。この高校、ほとんど東北大に行くための予備校である。現役、浪人を合わせると毎年100人を超える合格者を出す(現役だけだと70人前後? 1341 ??浪人が多いのは仙台市の進学校のトレンドである)。テストでも東北大の過去問から出題されたり、しょっちゅう東北大説明会みたいなものが開催されたりする。一年生が全員強制で受けさせられる初回の模試(7月)では、東北一もしくは北海道を含めた北日本一の成績を出すが、徐々に水準が低下する。

仙台一高には下駄箱がない。土足だから。職員室がない。職員がいないから。嘘です、研究室があるから。生徒会の執行部もない。面倒だから。だから、生徒会長もいるはずがない。邪魔だし。

基本学力の高い公立高校ほど自由度が高い。仙台一高では生徒と教師が仲良くコンビニに行く様子が見られる。俺の頃はIZAKAYAに、うわなにをす
交通
新幹線

新型新幹線は、大宮と仙台の間を1時間で結ぶ。仙台市民にとって新幹線で東京に1時間30分で出兵できることは、彼らの矜持に関わることである。その微妙な距離のおかげで、新幹線は事実上仙台市と首都圏との高速アクセス手段を握っているといっても過言ではないが、青森県まで離れるとむしろ飛行機で早割を活用した方が首都圏へ安くいけるケースもあるので、同じ東北でも色々と新幹線の立場は複雑である。

近年仙台空港にも格安航空会社が進出したおかげで、仙台から東京までの新幹線代約半分の運賃で関西へ行ける事となった。
地下鉄

仙台の地下鉄は見栄という観点で運行されていると言われている。乗客数や利便性は関係が無い。とにかく「地下鉄のある都市」のタイトルが欲しいのだ、まさに伊達であり酔狂である。東葉高額鉄道を見習って高利貸しから金を借りてしまった。自称日本一高い(笑)地下鉄であることを地元民は誇りに思っており、埼玉県民や千葉県民から呆れられている。南北線の累積損失は1千億円だが、心配のしすぎではないだろうか?

第二の路線である仙台市地下鉄東西線は、市民に愛されているケヤキを伐採したあげく、路線のルートを高齢化が進んでいる地域にしているが、誰も気にしない

詳しくは「仙台市地下鉄」を参照。
空港

仙台では見栄とか伊達とかが重んじられると言われているので、 133e 空港に直接乗り入れる鉄道を建設した。実は地下鉄で繋げたかったが、そんな無理な話は気にしない。『仙台空港』を名乗っているが、実際には隣町の名取にある。一方で、名取市内には、仙台市内じゃないのに『南仙台』を名乗る、原町方式の施設が林立している。

仙台空港はジャンボ機の離着陸が可能な3000m滑走路を備えているが、普段飛んでいるのは2000m滑走路で十分なボーイング767などの中型機ばかり。ていうか最近はその767も数えるほどしか来ないがな!ジャンボ機は、数年前に陸上自衛隊イラク派遣部隊の輸送で政府専用機がやって来たくらいである。

丑三つ時にはとある場所のゲートが開き、宇宙戦闘用メカ「伊達MASAMUNEX」の整備室へ入れるとか入れないとか。
鉄道

仙台駅は仙台市を代表するターミナル駅であり、同時に東北地方を代表するターミナル駅である。東北に向かうなら事実上同駅を通らねばならず、同時に北東北から新幹線で仙台、首都圏へ向かう際にも同駅を使わねばならないため、仙台駅を利用する乗降車数は1億人とありえないほど多い[要出典]。そのため、同駅の東口では再開発が活発であり周辺は未だ活気にあふれる。同人誌書店のとらのあな仙台店は仙台駅の目の前である。文字通り仙台駅の目の前である。わからない人はどれぐらい目の前か実際に行ってみて確かめてこよう!
東北本線

国内有数の大都市中心駅である仙台駅に乗り入れる大幹線であるにもかかわらず、運行本数は30?45分に1本という単線レベルの貧弱路線である。同じ単線でも仙山線のほうが本数が多いという屈辱的な立ち位置となっている。特に仙台以北は人のいない田圃ばかりに駅があり、住宅や商業施設が充実する仙台周辺には駅がないというマヌケな状態になっている。
常磐線

常磐線千代田線との直通運転を行っているので、仙台⇔第3新東京市で特急を運行する計画がある。又、中村への普通列車や、水戸への特急列車も走っていた。しかし、フクシマ爆発により、これらの計画と路線は丸潰れになってしまった。
196e 仙台空港アクセス線

文字通り、仙台空港と仙台駅を結ぶ鉄道である。「仙台空港アクセス線」を名乗っているだけあって専用の鉄道路線が新設されているのかと思えば、半分はJR線を走っているので大したことはない。「仙台エアポートリムジン」という仙台市交通局唯一と言っていいくらいの黒字バスを廃業させたアンチキショウでもある。開業以来アクセス線の乗車数は減少の一方だったのだが、東日本大震災後から乗員数はV字回復し、なんと一番乗員数が多かった開業時の推移を上回ってしまった(実話)。震災のおかげで利用者が増えてしまったのは、なんとも皮肉である。
仙石東北ライン

上記の仙台空港アクセス線と大変紛らわしい名称となっているが全く別の路線である。後述の仙石線の快速線みたいなものである。
仙石線

上記の仙石東北ラインと大変紛らわしい名称となっているが全く別の路線ではない。前述の仙石東北ラインに対する緩行線のようなものである。
仙山線

上記の仙石線と大変紛らわしい名称となっているが全く別の路線である。高速バスと互角の戦いをしているにもかかわらず、なぜか高速バスにボロ負けと弄られることが多い不憫な路線。
上野東京ライン

え?上野東京ラインは東京の路線だからここに書かれているのはおかしいって?おかしくないんだなぁそれが。2020年3月から仙台駅に乗り入れされる特急ひたちはあくまでも「上野東京ライン」の特急だから仙台駅も「上野東京ライン」の駅になるのさ。そもそも、常磐線だって東京の路線だよ!
バス
路線バス
仙台市内はほぼ十字形にJR在来線が走り、南北に縦貫して地下鉄が走っているが、相変わらずバスが郊外から中心部に大量に乗り入れている。朝晩の通勤ラッシュになると、東二番丁通が通勤の車とバスで順調に渋滞に陥る。他の都市では、最寄のJR駅や地下鉄駅で運行を打ち切って鉄道に乗り換えてと言うのが普通で、都心には極力市内路線バスを入れさせないようにしているが、仙台市は何が何でも都心に直通させなければ気がすまない。この奇妙な現象については諸説あるが、実は交通局の人間の9割は河合塾仙台校(←文理予備校・河合塾文理から改称)のOBであり、文理学院(注:仙台校は名古屋河合塾の直営ではない)に対して多大なる恩義を受けているからと言うのが真相
と言われている[要出典]。事実、都心直通路線のなんと9割は電力ビル前or地下鉄広瀬通駅に乗り入れを行っているのである。
高速バス・特急バス
バスプールは主に仙台駅西口とそして仙台駅東口の二つに分かれている。札幌駅前ターミナルや西鉄天神高速バスターミナルのような立派なバスターミナルは存在しない。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション
Wikipediaで表示
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしUncyclopedia

Size:116 KB
出典: へつぽこ實驗ヰキ『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
担当:undef