仙台市
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「この土地は難攻不落じゃ、誰も攻めてはこられまい」
? 仙台市 について、伊達政宗「こんな何も無い所を占領しようとする人はいませんよ。もっと開発しないと。」
? 仙台市 について、片倉小十郎「仙台の危機的財政を立て直すには、開発計画の見直しが必要です。」
? 仙台市 について、仙台市民オンブズマン
仙台都心部の様子。「森の都」と呼ぶに相応しい。手前の川は仙台のシンボル、広瀬川。 仙台人が石を投擲する姿を収めた貴重な画像。

仙台市(せんだいし)は、日本東北にある、宮城県の県庁所在地である。東北の中心都市と言われているが、東北の歴史を知っている人々は、「東北の中心都市は平泉だろ?」と思っている。
ちなみに仙台人はプライドだけが非常に高いので「仙台は田舎である」などと仙台人の前で言ったが最後、仙台人による石の連続投擲が執行されるため注意。
目次

1 概要

1.1 仙台の名前の由来


2 地理

2.1 自然

2.2 生態系

2.3 行政区

2.3.1 青葉区

2.3.2 太白区

2.3.3 泉区

2.3.4 宮城野区

2.3.5 若林区



3 歴史

3.1 創設

3.2 近世

3.3 近代

3.4 戦後

3.5 目立った出来事


4 政治

4.1 歴代市長


5 経済

5.1 主な政商


6 教育

6.1 東北大学

6.2 東北学院大学

6.3 東北福祉大学

6.4 東北工業大学

6.5 セーラー服の不在

6.6 私服進学校の存在


7 交通

7.1 新幹線

7.2 地下鉄

7.3 空港

7.4 鉄道

7.4.1 仙台駅

7.4.2 常磐線

7.4.3 仙台空港アクセス鉄道


7.5 バス


8 観光

8.1 祝祭


9 スポーツ

10 宗教

11 マスメディア

11.1 テレビ局


12 関連項目

12.1 関連人物

12.2 関連都市


概要

市章:ワケルくん(※
大阪出身)

市の鳥:ベガッ太さん

市の花:アイリスオーヤマ(※韓国出身)

市の木:藤崎(※東京都日野市出身)

市歌:八木山ベニーランドの歌

市のヒーロー:未知の国守 ダッチャー

市の最高峰:仙台大観音(※インド出身)

東京との時差:1ヶ月(仙台時間。詳しくは#祝祭の項を参照)

通貨単位:はんだや - 1はんだや=1/2吉野家

言語:仙台弁 - もえみる語ではない。ラムちゃん語。

いなか度:都会なのかいなかなのかわからない中途半端系(東京駅周辺と同じくらい)

市の標語:おだづなよ!

美人度:60% - 街で周りを見回してみると、意外とかわいい女の子とかきれいなオネエサマが沢山居たりするのだ。残り40%のうち20%は、顔はともかくが異常なほどプルプルだったり、ふっくらと分厚かったりして、思わずキスしたくなるようなかわいい女の子♥その他は検閲により削除

仙台の名前の由来

駅前のヨドバシカメラに1千台が駐車できる駐車場が完備されていること。これは関東から500台、青森から500台走ってきても停められるようにとの配慮である。または、1000以上の砲台がこの地に有る事から呼ばれる。なお、このようなものを作る構想は伊達政宗の時代からあった。鹿児島県薩摩川内市もこれと似たような地名の由来を持つ。
地理
自然

ジャングルのような巨大な森林の中に都市が存在している。巨大な森林は東北地方では珍しくはないが、東北地方では都市が珍しい。

この森林は広大であり、その中にビルが立っているといっても過言でない。特に市の西部にあるものは、人が入ったら簡単には出てこられなくなるものである。太平洋から山形県まで続いているというから、まさにジャングルといえるだろう。
生態系

駅前にも平気でサルが出没する。なおジャングルの中には、数年前から楽天的性格のイヌワシが住み始めたが、いつもライオンや鷹に苛められていて、いつまでたっても地べたから這い上がれないでいる。つーかぶっちゃけ鷹も地べたから這い上がれない。ライオンはいるという情報のみで、未確認である。

リアルにニホンザルが大繁殖して青葉区西部を絶賛侵略中。心ある市民(=猟友会の皆さん)で構成された義勇軍による掃討作戦も空しく、モンキー・レッドラインは刻一刻と仙台市天文台(@ハートヒルズ錦ケ丘)に迫りつつある。事実、山形県との県境付近において連日連夜、サルのサルによるサルのための「大乱交パーティー」が繰り広げられているため、近年は個体数が増加の一途にあるようだ。各地で限界集落化が進行しつつある県内人口動向とは実に対照的である。ともかく、激増したサルたちは、4?5世紀のヨーロッパで起きた「ゲルマン民族の大移動」のごとく、人家が散在する青葉区西部(いわゆる宮城地区)に侵出し始めた。その被害は凄まじく、無人化したまま放置されたJR仙山線「西仙台ハイランド駅」が不法占拠されるに至る。市当局は大粛清を計画するも予算不足で頓挫。生半可な威嚇射撃では、連中を山の奥地に追い込むだけで根本的な解決には繋がらないという。これら野生のテロリストとの戦いは、21世紀における仙台市に課せられた課題の一つである。青葉城陥落の日は近い。
行政区
青葉区仙台のムダに面積が広い区・第1位。ア・ロット・オブ・デパートメントストアがある。だがそれはたった2割で、残り8割がすべて住宅地なので、つまらない。これでも仙台で一番盛り上がっている区なのだ。名取市役所仙台支所(旧・仙台市役所)の裏の二日町や木町通界隈からして、戦後の焼け跡以来代わり映えのしないボロ路地が広がって酒蔵まであったりする中で、ある通りだけ妙にスタイリッシュだったりと、行き当りばったり感が漂う空間になっている。東北最大の都市の中心だからといって、治安が悪いわけではない。むしろ良いほうである。そもそも区役所所在地は(地名だけ見れば)超高級住宅地である。深夜11時に普通に変な人は一人も居なかった。女性が深夜に歩いても何も起きない。まるで台湾(仙台市の姉妹都市は台南市)である。さすが杜の都。区内で最も治安が悪いと噂される国分町ですら、多賀城・塩釜や宮城野区に比べれば平和な方である。なぜなら町のど真ん中に中央警察署があるから。区役所がある上杉地区は仙台でも一番高級な住宅地とされており、金持ちが子弟を通わせたいと思っている宮教大附属小学校・中学校や、左翼グルメ漫画美味しんぼにも登場した高級食材を扱う勝山が経営している、勝山館や、広大な緑地公園教育研究施設である東北大農学部などが街区を形成している。正直言って家賃がクソ高いだけで、住民の気位も鼻持ちならないほど(略)なお、この地区は地下鉄が通る北四番丁・北仙台エリアとバスの基幹路線が走る北六番丁エリアを例外として、交通アクセスが非常に悪いことは意外と知られていない。最寄りのバス停まで徒歩20分なんて地域もある(←しかもそこは1日たったの2本しか運行されていないとかザラである)し、なぜか知らないけど街としての格は交通アクセスが悪いほど高いという、東京近辺や京都近辺の人間には理解不能なルールがある。2010年度はとかく本区が全国的に注目される年であった。青葉区小田原にある某女子高の教師が殺害されるや否や連日ワイドショーのネタになり、事件解決後は同校でSKE48のPV撮影が行われ、大きなお友達の心もガッチリつかみ取った。そして2011年2月には大手大学入試問題漏洩事件により同区本町の某K塾や上杉の某寮がマスコミの餌食になり、逮捕直後に戦後最悪規模の大震災に見舞われ、今度は全国どころか全世界から注目されるにいたるようになった。上杉山通小学校での厳しい避難所生活がお茶の間に映った姿はかなり辛いものである。折立以西は将来的に分区が規定路線であり、恐らくは「広瀬区」になるのではないかと言われているが、愛子の再開発のわりに人口が増えていない。青葉区のブランドイメージ低下を嘆く川内や八幡のアパート住民は「西の方、田舎臭いし邪魔だから早く分離してくんねえかな」と心の中で思っている。いくら青葉区が仙台の中心といっても、人が住んでいるところはたいてい山の中である。仙台市役所は、かの有名な国分町にあり、アフター5はヤリたい放題なパラダイス生活を行っているため、就職希望者が後を絶たない。仙台駅西口にあるペデストリアンデッキは日本最大。周辺の大手デパートと駅を繋いでいくうちにいつの間にか頭の固い百科事典のペデストリアンデッキのトップをかざるまでに大きくなった。
太白区仙台のムダに面積が広い区・第2位。確かに朝鮮総連の宮城県本部があっちゃったりなんかするが、決して韓国語でテペク区と読んではいけない。たいはく区である。長町駅から太子堂駅にかけての荒廃した砂漠地帯。長町界隈には原爆ドームと間違えそうなボロボロの建物がたくさんある。まさに「北斗の拳」の世界で、今にもケンシロウやラオウが現れそうな雰囲気である。でも現実にはモヒカンクラスにとどまるヘタレ区。そういったイメージを払拭するために長町の再開発が始まる。仙台の南部に位置しているが、秋保町を組み入れたため西にも大きく伸びている。山形市と接しているのは太白区だけであり、二口林道や?? 7f1a ?山トンネルで山形市と繋がっているため、第3新山形市(第2は天童市)である。仙台南インターから長町にかけての国道286号バイパス沿いにザ・モール長町など多くの店舗が立ち並んでいるが、よく見てみるとパチンコ屋など山形資本の店舗が目立ち、利用者も山形ナンバーが多い。仙台市都心部を山形人に占拠されない為に仙台人が設けた万里の長城であり、それを逆手に取った「仙台に行ったよ」という山形人の自作自演の場でもある。区民はその恩恵に預かっているといった場所である。だからといって、太白区民を不用意に「や?い、やまがたモドキの田舎者?」と愚にしてはいけない。太白区民を敵に回したら最後、大年寺山から届けられるテレビ電波が届かなくなり、八木山ベニーランドには出入禁止、富沢車庫から運行される地下鉄に乗車拒否を食らってしまうであろう。水道局からの水の供給も拒否されることになるし、五橋から長町に移された市立病院を敵に回すやも知れん。恐ろしや恐ろしや。長町駅前にある再開発ビルの名前が「たいはっくる」とか、再開発地区の地名が「あすと長町」という恥ずかしい事実は隠し通さねばならない。「あすと長町」て、なんと地名なんだってよ。八木山地区は仙台有数の観光スポットである。学生の団体客専用と思われる大遊園地八木山ベニーランド(八木山ベニーランドの歌は市歌にもなっている)、ライオンを山に解放して注目を集めた八木山動物公園、そして東北有数のワイヤーレスバンジージャンプスポットである八木山橋がある。ああ、だから(八木山橋が架かる)竜ノ口渓谷は足がない人たちと遭遇する確率が高いんだね。あと、ベニーランドは旧長町の残した最後のカケラでもあるのだが、その事実は仙台市民だって知らない。やんッ!やんッ!ヤヤァー!YAGIYAMAの?♪ ヴェニーランドは デッカイ夢がッ!弾むよぉ?♪ 跳ねるよぉ?♪こ?ろが?る?よ♪ なお、前述の長町というのは、旧自治体としての宮城県宮城郡「長」町であり、現在の長町地区よりも遥かに広大な領地を持っていた。ベニーランドの所在地は「長町越路」となっていることからも伺えるであろう。(なお、越路は現在の向山麓の地名でもある)どういうわけかジャニー喜多川(の個人事務所)による全面協力の下、GDP世界第二の経済大国からヨハネ・クラウザーII世のような顔をした珍獣が八木山動物公園へと贈呈されることになった。被災地復興の象徴となるのであろうけど、億単位のレンタル代やら飼育代やらは全部、ジャニーさんのおごり。
泉区 これが泉中央のペデストリアンデッキ。仙台のムダに(略)第3位。平成になるまではずっと「泉市」という宮城県No.2の都市であったが、仙台市が併合した。最近になって妙にペデストリアンデッキが増え始めてきて、この勢いで区全体をペデストリアンデッキにしちまうつもり。高級住宅地のイメージで売り込んでいるが、区外に抜けられる道路が極端に少ないため、場所によって渋滞が激しい。おんなじような家が立ち並んで結構迷路だったりもするし、基本山なので言うほど住みやすい場所ではない。仙台の人間は、温暖で冬でも雪が少ない気候を良く自慢するが、区内の泉が岳にはスキー場があるし、根白石には普通に大雪が降る。藁葺き屋根の農家だってある。鼻毛が伸びて鼻毛橋もできる。他の区と気候区分が違うんじゃないかと地元住民も内心疑っているが、見た目平静を装っている。昔は八乙女あたりに七北田刑場があったりして、黒松、高森、将監、紫山など、刑場だったとか病人を隔離していたとか姨捨山だったとかオカルトな噂がある場所がやたら多い。つまり昔はそういう噂が出るような場所だった。NHK朝の連続テレビ小説で史上最低視聴率の金字塔を打ち立てたヒロイン、佐藤天花ちゃんの故郷。七夕の季節には、天花ちゃんのように竹を担いで定禅寺通まで歩いていくほど、普段から農作業で足腰は鍛えている。しかし、大した用事でもないのに、アホみたいに新幹線で東京日帰りを繰り返しているのはあの一家だけで、一般の泉区民には当てはまらない。
宮城野区宮城野区って言ったって、仙台駅の東側半分から、鶴ヶ谷・岩切・仙台新港・蒲生干潟まで全部宮城野区である。見事にバラバラでまとまりがない。「どこに住んでるの?」と聞かれて「宮城野区」と返されたからって、勝手に原町のあたりを想像してはいけない。てか、鶴ヶ谷と岩切と蒲生干潟が同じ区ってぶっちゃけありえない。でも国分町(市役所)や上杉(青葉区役所)の人間は全部同じようにしか考えていないためしょうがない。本町の人間は宮城野区はおろか仙台自体が嫌いである。区の真ん中に大きな田んぼが広がっており、大まかに分けて、榴ヶ岡や原町、幸町を中心とする名取市宮城野区と、福室、高砂、中野を中心とする、ほぼ多賀城市宮城野区に分かれている。仙台バイパスの向こうは、仙台市都心部から隔絶されて、多賀城や塩釜と市街地が繋がっているのだから、もはや多賀城以外の何者でもない。そういや苦竹にある仙台駐屯地は道路挟んで向かいが<ヽ`∀´>の生息地で、その裏が犬作教団のねぐらゆえに日々三者の争いが絶えず、人はこの地域を「東北の大阪」と呼ぶ。だからってドブ川に飛び込む訳じゃない。松島町を侵略し、松島名物カキフライを宮城野名物にしようとたくらむやつらどもの集まり。コロナワールドを駅から超遠いところに作ってしまったのは大失敗だが、天然温泉や映画館が揃ったなかなか良い施設。交通不便といったらキリンビール園もサッポロビール園よりも格段に入りづらい工場の形してるし、送迎バスが出てるのかどうかもよく分からない。海に近いため、仙台の中でも最も温暖な方だが、その代わり風が強い。仙石線が良く止まる。港と倉庫がコラボってるところなのでぴーが多く、粛清されました検閲により削除しまくりなのがのどかな日常風景である。日本の全ての政令指定都市・東京特別区の「区の名称」の中で、一番画数が多いことはあまり知られていない。つまり住所書くのが超面倒。これで宮城野区のGDPにマイナス15%の影響がある。
若林区名前こそ若林であるが、ポジション的には森崎である。今や市内では宮城野区と双璧を成す程高い知名度を得てしまった区。全国区の知名度となった「荒浜」は、仙台市民にとっては今でも「深沼海岸」である(仙台で「荒浜」と呼んだ場合、亘理の「荒浜」をさすことが多い)。寺や古墳や城跡(宮城刑務所)があったりと歴史は古い。しかしかつては仙台の区の中では最も地味だった。侵略合戦でひかえめな行動をし、区を小さくしてしまったおとなしい系の集まり。自業自得。一応、文化センターやヘリを毎日飛ばす自衛隊があるけど、意味はない。家は古いし街は狭いし道は一方通行ばかりだし住民は高齢化してるし、一度はまったら抜け出せないまさに迷宮というかダンジョンである。ウィークポイントはおそらく柏木さ?んより156個多いが、元近鉄の給料泥棒とほぼ同じである。交通の便はJR仙石線、バス、地下鉄東西線。仙台市民の見栄というか伊達というかマゾの象徴、地下鉄東西線は卸町、六丁の目などの区内の比較的北部のみで、利便性ゼロ。区の中心云々を全部考えず、とにかく走らせればいいんだろう、という仙台市民の伊達というか酔狂というか見栄が見え隠れしている。なお、実は仙台市営地下鉄南北線の「愛宕橋駅」「河原町駅」は若林区に存在するが、周囲にこれといったものがないことから存在が今ひとつ知られていない。一方、郊外に行くと下手すりゃ地平線が見えそうな田んぼが広がり、田んぼの中に飛行場があったり、海水浴場があったり、馬術場があったり、本当に仙台なのかと思うほどの田園風景が広がる。大多数の仙台市民(特に青葉区東部民)は余所者から「仙台って田舎都市だよね」って言われると、「んなわけねえっちゃ!!仙台は都会さけさいん!」と猛烈にキレるか、「確かに田舎もあるけど、それは愛子とか秋保っていう、似非仙台のことだよ」と勝ち誇った表情で反論するかのどちらかに分かれる。しかし、そんな彼らでさえも、若林区沿岸地帯(三本塚、長屋敷、荒浜、蒲生南、六郷、井土)を訪れると、不思議なことに、田舎都市を自認してしまうのである。恐るべし若林区。イグネ農家の一年を追ったカントリーテイスト溢れるNHKスペシャルのドキュメンタリー番組が作られたのはなんと2002年のことである。また、メジャーリーガーを1人輩出している。プラス例の震災で有名になり地味ーズから脱退したのも最近のラッキーな出来事の1つだ。余談だが、宮城野区とそれほど街区の構造が変わらない為、いつの間にか宮城野区に入っていることもしばしば。「あれ、ここ若林区だっけ?宮城野区だっけ?」と言われることもある。
歴史
創設

1601年伊達政宗が岩出山から転入して、城下町を建設した。仙台城は「青葉城」という別名で有名な断崖絶壁に囲まれた難攻不落の城であったが、一度も実戦に使われることは無く、何の用にも立たなかった。伊達政宗も「この城、ちょっと不便すぎる」とぼやいている。それ以前の歴史については、仙台が杜(もり)の都と呼ばれていることから、諸説が乱立している。

大阪の森ノ宮からの移住者が住んでいた。

伊達政宗の妾である森野宮子という女性の住居があった。

暗黒魔導書モリノミヤコンが隠されている。

平安時代に森造(もりのみやつこ)なる者が住んでいた。

ポケモンのモリノミヤが住んでいた。

近世

徳川時代は、加賀100万石、薩摩80万石に次ぐ雄藩となり、江戸市中に流通する米の過半を供給するまでになったが、伊達家は、数々の陰謀を張り巡らせた伊達政宗のせいで徳川幕府に信用されていなかったので、周りを磐城平藩、会津藩、山形藩、庄内藩などの譜代大名に囲まれ、東北の入口には磐城平城に小峰城と難攻不落の城を建てられるなど逐一監視され、松尾芭蕉という隠密を放たれたりする日々だった。唯一の例外となった外様大名は、伊達家の温情のお陰で生き残った相馬家の中村藩である。この頃にヨドバシカメラを創設する計画が完成。

徳川時代中期には、林子平という仙台藩在住の軍事評論家が「海国兵談」という本を著し、「やっぺ。ロシアやべえよ。蝦夷地取られちゃうよ、マジで」と出川哲郎バリに幕府に訴えたが、仙台藩は信用されていなかったので、「何こいつやばくね?」ってな具合に見事にスルーされ、危険人物として蟄居させられてしまう。しかし、山形出身の最上徳内や江戸出身の近藤重蔵が蝦夷地探査を行い、同様の訴えを行ったところ、あっさり受け入れられ、「そういやお前んとこの、前に蝦夷地がどうとか言ってたよな、ああん?」ってな感じで、蝦夷地東半分の沿岸警備を徳川幕府に命令されたりした。

戊辰戦争では、明治政府(薩長)からいちゃもんを付けられた会津藩を助けてくれと懇願され、米沢藩などと共に奥羽越列藩同盟を作り、いちおう東北で一番大きな藩だったため盟主に祭り上げられたが、普段の威勢のよさとは裏腹に基本へタレなので、明治政府からは生温かい扱いを受けた。長州藩から送り込まれた世良修蔵という百姓上がりに散々愚弄されても我慢していたら、「奥州皆敵。YOU滅ぼしちゃいなYO!」という密書まで送られる体たらく。そこで伊達家開闢以来の陰謀好きの血が騒ぎ、検閲により削除をしている現場に踏み込んで世良を惨殺し、奥州戦争の引き金を引いてしまう。

江戸を逃れた大鳥圭介の幕府洋式陸軍や榎本艦隊も加えてさあ決戦だ・・・と思いきや、秋田では久保田藩との戦いで「ドンと鳴れば5里逃げる」戦いぶりで、庄内藩から「頼むから余計な手出しはするな」と言われ、駒ヶ嶺では中村藩をフルボッコにするつもりが指揮官が無能だったために逆にチンチンにされ、一気にヘタれて無条件降伏するという空前絶後の弱兵振りを発揮、せっかく馳せ参じた徳川幕府の洋式近代軍を箱館に追っ払ってしまった。しかし、降伏したからと許してもらえるはずはなく、家臣は北海道に流刑され、藩主は分家の宇和島伊達家より下の爵位を賜る屈辱を受けた。挙げ句の果てに家臣の流刑された北海道に後に仙台にとって最大の宿敵となる都市を作ることを手伝わされたのである。
近代

明治政府が立てられると、戊辰戦争で逆らった東北地方を監視するために、仙台には仙台鎮台が作られ、旧制第2高等学校が作られた。第2高等学校には東北全体から多くの優秀な人材が集まり、東京帝国大学へと送り出したが、「東京の大学行くのに仙台の高校通うのたりぃよな?」という声が上がったため、1907年に東北帝国大学が作られた。陸軍の司令部、帝国大学に鉄道開通もあいまって、仙台は東北の中心となっていったが、なんせ仙台には港がなかったため工業は発達せず、帝国時代には、まだ行政と軍と商業の中心というレベルであった。

仙台鎮台は第2師団と名前を変え、日露戦争では、奉天会戦などで多くの武勲を上げた。塹壕戦にかけては大日本帝国陸軍随一である。なんでその才覚を戊辰戦争に生かせなかったのか・・・。第2師団の二つ名は「夜襲師団」である。要はだまし討ちを得意としていた。しかし、その精強さがあだとなり、太平洋戦争になるとガダルカナル島でアメリカ海兵隊とガチでやりあい、一切の補給なしで篭城戦を戦い抜いたが、ついには撤退してしまう。ついで、中華民国の背後を襲おうと、だまし撃ちのインパール作戦に投入されるが、こちらも補給路を断たれ、イギリス軍を主力とする連合国軍にやられてしまった。インパール作戦では、肥前藩出身の陸軍参謀牟田口廉也から無茶な山越えを強要され、敗れて退却した道は「白骨街道」と言われる程であったが、戦後、牟田口に「作戦が失敗したのは将兵が無能だったからだ」とばっさり切り捨てられてしまった。犠牲の大きさを省みるとあまりにもあんまりな発言だが、太平洋戦争中もなお、仙台人は薩長に信用されなかった。
戦後

終戦直前、アメリカ軍の空襲によって仙台市内は一面の焦土となってしまったが、これによって現在の青葉通や定禅寺通の広い道路が作られ、戦災復興を祈ってケヤキ並木が植えられ、今から考えると結果オーライになった。核を落とされなかっただけでもメッケモン。

しかし、ここに来て仙台始まって以来の屈辱的な事件が起きた。なんと、仙台が長らく見下し続けてきた蝦夷地新興都市に人口を抜かれ、江戸時代以来守り続けてきた北日本の中心都市の地位を奪われたのである。プライドの高い仙台市民にとってはとてつもなくショックが大きい出来事であった。それ以来、札幌に対して強い対抗心を抱くようになる。後に需要も無いのに見栄を張って地下鉄を作ったのも周辺市町村と寄せ集め合併をしてまで政令指定都市になったのも札幌への対抗意識によるものである。

1966年に仙台バイパスが、1975年に東北自動車道が開通すると、東京からトラックで毎分約680トンもの大量の貨物が運ばれてくるようになり、卸町に物流倉庫が出来、田んぼを掘って仙台港が作られるとようやく工業都市にもなる。他の拠点都市に遅れること数10年、途中コジラやガメラに何度も街を壊滅させられたものの、ようやく東北の中心らしい風格を持つ都市になった。この頃、突如合併症を起こして多賀城市や塩竃市の編入を試みるも失敗。多賀城市や塩竃市は当時の仙台市長が左翼だったのが気に入らなかった。

1982年に東北新幹線が開通して東京との交通が便利になると、これまで東北に見向きもしなかった企業が雪崩を打って仙台に支店を構えるようになり、これで「白河以北一山百文」の時代に終止符を打つことになる。これにより自信を付けた仙台市だったが、再び合併症を発症し、宮城町・秋保町・泉市に病気をうつしつつ、1989年に幕府の命令によって仙台全域を封鎖されたどさくさで政令指定都市になった。泉市の編入はかなり揉めたが、実弾の絨毯爆撃が効を奏して編入に成功した。これで(少なくとも表面上は)何とか札幌と同じ土俵に立てるようになったと仙台市民は喜んだ。

だが、そんな順風満帆な仙台をやっかんだ都市があった。東京への企業流出が止まらない大阪である。もともと大阪の企業であったアイリスオーヤマを奪われたことに腹を立て、1988年、大阪商人の棟梁であるサントリーの佐治敬三社長が、「東北は熊襲の産地で文化程度が低い」と発言。東北に宣戦布告を行った。しかし、この発言に東北各県は一致団結、東北各県からサントリー商品を締め出すことに成功し、佐治社長の涙の謝罪行脚により緒戦を東北の完全勝利で締めくくることに成功した。その後も、元禄寿司から平禄寿司を引き抜いたり、羽曳野からダルビッシュ有を引き抜いたりと連戦連勝。2005年には、ついに、当時唯一の在阪球団だった近鉄バッファローズの残骸を引き取り、東北楽天ゴールデンイーグルスを獲得することに成功した。こうして現在、仙台は東北の中心としていろんなところに喧嘩を売ったり買ったりする日々を過ごしているのである。そんなこんなとしてる間にヨドバシカメラ仙台駅東口店が竣工(1997年3月)。

仙台市は会心の勢いで成長を続け。仙台市は、名取市と岩沼市の間にある仙台空港を手に入れようと名取市を編入しようということになったが、名取市民の赤ちゃんからご長寿までが一人残らずストライキを行ったため惨敗した。更に名取市に反乱を起こされ、県内一位の大きさを誇っていたショッピングセンター『ザ・モール仙台長町店』を抜かす大きさの『 40cb イオンモール名取エアリ』を建てられ、「このままでは県庁所在地も盗られてしまう」と一時は危機的な状況に陥ったが、イオンモール名取エアリから三越が撤退するなど、あの施設は商業的に失敗したので、事なきを得た。
目立った出来事
1999年女性の失踪事件が相次ぐ。しかし空条承太郎がこの地を訪れたことにより失踪はピタリと止む。あと30代の会社員が救急車に撥ねられ数分後死亡したという事件もあった。遺族に病院側の謝罪があったかどうかは不明。

2004年ダル君楽天に行くもんだと思ってたら、ドラフトで北海道日本ハムファイターズに指名され市民がっかり。市民の8割7分4厘9毛(87.49%)が「なんだ日ハムかよ」と心でつぶやく。

2006年秋ダル君を北海道にやった見返りとして、マー君を獲得。

2007年仙台にテレ東の系列局を作ることを決定。ただしこれは失敗に終わった。あ?あ、残念。

2016年仙台駅の東西自由通路の拡張工事が完了。とてもスタイリッシュなカッコイイ通路に進化した。

政治
歴代市長
岡崎栄松
初の公選仙台市長。戦災によって焼け野原となっていた仙台に、幅員の広い幹線道路を整備した。後に仙台と言えば誰もが連想するケヤキの並木道は彼の発案である。当時は「無駄」「無意味」と言われ理解されなかったが、「青葉通りは、私の死後必ずや評価されるであろう」と予言している。残念ながら、末期にはワンマン化して挙げ句に不正選挙をやらかして失職した。
島野武
伊達政宗以来の仙台藩士でお奉行様の要職を務めた格式の家に生まれ、小学校から(旧制)第二高校まで一位の成績を通し、東京帝大経済学部に入学したが、思想的に完全な赤色に染まり治安維持法違反の容疑で逮捕されるまでに至る。弁護士を経て社会党公認で仙台市長に当選。塩竈・多賀城等との合併を狙ったが「アカのどん百姓に支配されるのは嫌」と断られ話は流れた。「微笑みの市長
」と言うどこかで聞いたようなニックネームを付けられ、7回連続当選し1984年に急死するまで、26年の長期革新政権となった。
石井亨
当時の宮城県知事・山本壮一郎の招きにより宮城県副知事に就任。当然山本の後継者となると目されていたが、仙台市長選挙に担ぎ出されて当選。知事の椅子を逃した。後に彼は「貧乏県の知事より、政令指定都市の市長のほうが面白い」と言っている。市長としてシムシティごっこを開催、数え切れないほどの箱物を建設した。当時宮城県第二の都市であった泉市を「地下鉄を通す」という目に見えるエサと「実弾攻撃」という見えてはいけないエサを使い分けて泉市を併合、仙台市は政令指定都市に昇格した。だが、ゼネコンから山吹色のお菓子をもらっていたことがバレて、宮城県知事とセットで首が飛んだ。東京地検の捜査官が石井の自宅マンションに踏み込んだ際、玄関には諭吉入りの段ボールが大量に積まれていたという。これらの所行により国営別荘に3年間滞在する事になった。
藤井黎
頭の固い方の辞典によると「政令指定都市の市長を3期12年も務めた人物の記事に、市長時代の業績・政策や、主義・主張、逸話に関する言及が一言もない」という人物である。彼の市政がなぜ何事も無く安泰であったのかすら理由は不明。
梅原克彦
杜の都の市長だけあって、植物の声が聞こえるという特殊能力がある人物。記者会見の場で「ケヤキの精と語り合いました。『市長さん、市長さん切らないで、あなたの事は、子供の頃から知ってます。出来れば伐採しないで、どこかに植えてください。』と言うんですよ。」と真剣な表情で語っていることが、彼の超能力が本物である証拠である。全国のえらい方々の中でも、植物と対話する能力がある事を公言しているのは、彼一人である。まさに杜の都の面目躍如、やったね!しかも、仲良くなるとタクシー券がもらえて市内観光もお手の物。海外出張と称して夫人同伴で遊び回り、私的な引越しに勤務時間中の市職員を使い、ついでに公用車も流用してガソリン代を市の費用にするなど公私混同の行為が目立った。致命傷となったのはタク券のバラマキで、市長名義で使われたタク券の内、公務で使われたと確認出来たのはたった1割、残りは行き先すら書いていないという有様。頭を丸刈りにしてエクストリーム・謝罪に挑戦。市議会では仙台市長初の問責決議が可決された。失業後は完全に心を病んでしまいネトウヨのアイドルとなり、仙台市のイメージダウンに貢献している。
奥山恵美子
副市長として梅原市長の下で働いていた。しかし梅原の駄目さ加減は薄々感じており、下克上のチャンスがあるかも、と気がつき始める。梅原に辞任状を突きつけて行動を開始した。そして選挙の時期、、梅原は市長を続けたかったが、市民の冷ややかな目に耐えられず、選挙出馬を辞退。代わりに子飼いの副市長(仙台には副市長が二人いる)を後継者に担ぎ出した。でも、梅原が背後にいることによるドス黒いイメージがついたために、その候補は苦戦。一方奥山恵美子はあのクソ市長に刃向かった英雄として歓迎され、圧倒的な多数の得票を得て当選した。そもそも大学卒業後仙台市役所の職員になり、副市長、市長と順調に出世した人物だけに、存在感が薄い。震災に際しても「何もしていなかった」かのように思われているが、隣の建物の主であるワケル君が本業の職業柄、非常事態の仕切り役に最適なスキルの持ち主で、ヘリの操縦も出来るワケル君に比べると市長さんは地味に見えてしまう。そしてこの市長は「常にほほえみを絶やさない」習慣というか特徴があり、平時にはそれが美点となるが、大惨事が起きている時や不祥事で記者会見をしている時にあの表情では、非常に不謹慎に見えてしまうのである。
経済

仙台は、中心部を政商が支配しており、中心部への進出では高度規制を働きかけたり、他県の資本に色々な嫌がらせをしているくせに、他県の資本に支配されている経済植民地である。
主な政商 仙台駅前の様子
藤崎
仙台を代表する政商。一番町アーケード街のドンであり、藤崎のためなら地下鉄東西線を無理やりなルートで引き込んで駅を作り、仙台の象徴ケヤキを引っこ抜くことも厭わない。ブランド店は藤崎周辺のみに集めないと気が済まないブランドコレクターでもある。仙台駅前は、Loft(そごう・西武系)やパルコ、さくら野百貨店(高島屋系)、ダイエー(イオン系)といった他県資本の根城と化しており、今やそっちの方が元気なので、藤崎の悩みは尽きない。東北を代表するデパートにもかかわらず、支店は出さずギフトショップでお茶を濁している。言い換えれば仙台の「お山の大将」である。最近、ルパン三世が賊に入った。
河北新報
宮城県の県紙。仙台市民は見栄っ張りなので、宮城県以外の地域版はお汚し程度に用意しているが、スポーツ面はベガルタ仙台の記事だけで、エリア内のモンテディオ山形の記事はスコアと寸評のみである。それでもブロック紙である。三社連合に入れさせてもらえず、地方紙並みに共同通信の記事で埋め尽くされている。それでもブロック紙である。「河北」の語源は、明治時代に東北地方が「白河以北一山百文」と明治政府から小バカにされたことの反発から名づけられた。しかし、そんな反骨精神も今や昔、しっかりと仙台の政商の一角に納まっている。創刊以来、ずっと創業家である一力家が支配している。イメージキャラクターのかほぴょんは、結構可愛いと評判である。
カメイ
連結決算で6000億円を計上する宮城県を代表する企業である。しかし、これは仙台コカコーラ、仙台トヨペット、テンプスタッフ、オリックスレンタカーといった宮城県外の大企業の地域子会社に出資し、その売上高を加えた数字である。本業は、ただのガソリンスタンドとキリンビールの特約代理店に過ぎない。他人の褌で相撲を取って大金を騙り取る堀江貴文を彷彿させる、「支店経済都市」仙台を象徴する企業といえる。ミヤギテレビも含め、苦竹周辺にカメイ村を作り、仙台のエネルギーを一手に支配しているが、どうみても実効支配は東北電力(理由は後述)です。
エンドーチェーン
かつては宮城県全域にスーパーを進出させて羽振りがよかったが、今や青色吐息である。エンドーチェーンは西友になり、仙台駅前の一等地で栄華を誇ったエンドーデパート(スカイダイビングのメッカ)は、ファンキーなファッションのギャル達と腐女子、そしてアニヲタという異種混交の総合テナントビル「エンドウ豆」になってしまった。ボロイ店内と他県資本のけったいなテナントに占領されたその光景は、仙台の未来を暗示する象徴的な施設と言える。中野ブロードウェーのでっかいバージョン。ただし、中層階のジュンク堂は洋書専門書が豊富なので、新宿紀伊国屋を入れた感じ、カオスである。レジがヘンなところにあるので、間違って登りエスカレーターに乗ったら必ず別店舗だが漫画館の店員に申し出る様に。独力で戻ろうとすると大変な事になる。なお、2009年に無くなってしまったが、唐突に3m以上ある戦艦大和が飾ってあった。東北なら陸奥だろう常考と言いたいところだが、仙台の商人にそういう濃さを期待しても無駄である。レアもの、珍品は期待出来ない。
東北電力
創業者は白洲次郎 7fde で、東北財界の元締め的存在。電力ビルの1階にはグリーンプラザという、何の目的で設置されているのか解らない施設が在り、待ち合わせの時間調整の場所として重宝されている。創業の過程で東京電力と対立した為、東京電力とは相性が合わず、自社のエリア内に「部外者」である東京電力の発電所が建てられており、毎年夏になると多量の電気を送って東京電力を懐柔している。柏崎浜通りにある核電、旧磐城平藩内の火電、それに会津の水電の大部分、そしてそこから伸びてるやたら太い送電線に注意してもらえば解ることだが、これらは東京電力の所有物であり、東北電力のエリアに「部外者」東京電力の発電所が建てられているのである。「東北七県ネット」と称した番組のスポンサーとなっている。会津庄内の仲間である下越をエリアに入れているからである。子会社経由でこっそり都市ガス供給も一手に担っており、新潟郡山福島市→仙台のパイプラインを引いていたりする。Jリーグチームでは、太平洋沿岸の仙台と日本海沿岸の新潟のどちらに与するかで迷い、新潟の方のスタジアムは東北電力が命名権を購入し、仙台の方のスタジアムは子会社のユアテックが命名権を購入している。このため、FC東京のスポンサーである東京電力vs東京ガスのようなガチ対決はみられず、むしろ牧歌的ですらある。
七十七銀行
仙台財界のラスボス。NERVで言えば碇ゲンドウであり、東インド貿易会社で言えばベケット卿であり、蘇連軍で言えばポドフスキー中佐である。強きを助け弱きを挫く典型的な地方銀行。自行本支店間の口座振り込みですらやたら高い手数料を取り、肝腎な時には金を貸してくれない銀行。支店を守るためにコンビニATMの出店を遅らせ、2025年に仙台市の人口100万人割れの予測を出すなど、仙台市民のモチベーションを下げることにかけては天下一品。宮城県は「伊達騒動」「相馬事件」のお国柄なので、何かと熱中しやすい仙台市民や、何かと振り回される中村市民の手綱と財布の紐を締めてくれる頼もしい存在である。そうやってなんだかんだボロクソ言ってる市民が、祭り事には日頃の態度手のひら返していろいろせびってくるんだから自然にそうもなるわな。


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出典: 八百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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