二重橋
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二重橋(にじゅうばし)とは、東京は皇居に架かる橋である。現在は二重橋は立ち入り禁止だが、皇居前広場から眺めることができる。ここから眺める二重橋の姿は筆舌尽くしがたい絶景で、これを目にして涙に明け暮れる人も多く、その涙に潤んでぼやけた橋の姿が二重に見えたから、この名前がついたと言われている。と、いう説は多分ウソである。ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「二重橋」の項目を執筆しています。
目次

1 二重橋の誕生

2 江戸っ子が飛び込む二重橋の濠

3 皇室ファンが集まる場

4 東京だよおっ母さん

5 関連項目

二重橋の誕生 二重橋。

江戸時代に江戸城西の丸改修の際に作られた橋がこの二重橋のもとになっている。特に財政困難となった幕末にかけては徹底的な橋の改修が行われた。幕末の実力者であった大老井伊直弼も、幕府の威信をかけて建替えられたこの橋を検分しに来たことがある。橋から見る眺めを観ようと身を乗り出したところ、途端にバランスを崩し真っ逆さまに水をたたえた堀へドボンと墜ちていったのである。幕府の重職である大老が堀で溺れているとあっては面子(メンツ)がたたない。井伊大老は、あたふたする幕府の役人が手をこまねいている間に、どうすることもできずにブクブクと沈んでいった。助けようとした海軍奉行の役人も大老を救おうとして飛び込んだはいいが、ろくに助け出すことも出来ず、相次いでブクブクと沈んでいった。かくして「二重遭難」が起きる橋ということで、以後「二重橋」と呼び習わされるようになったのである。この井伊大老の遭難事件が世に言う「二重橋の変」である。(幸いにして井伊大老はどざえもんになる前で一命を取り留めた。しかしその三年後の1860年、江戸城の門の側で、水戸浪士らに首を打たれるとは思いもしなかったであろう。これが「桜田門外の変」である)。
江戸っ子が飛び込む二重橋の濠

二重橋は幕府が崩壊した後、明治政府になってからも、何度となく建て替えを行い、現在あるような鉄製の橋に生まれ変わった。しかし手すりや、足元の安全の不備から、つるっと滑って堀にドボンと落ちる人が相次いだ。その後も何度も安全点検をして、堀に落ちないように手配しているのだが、立ち入り禁止にもかかわらず、明治から戦前そして戦後の現在に至るまで1ヶ月に20人はドボンと落ちている計算になる。

一説には、阪神タイガースの優勝でドボンと道頓堀に飛び込む大阪民国の民に負けるのが悔しい、負けず嫌いで血気盛んな鉄砲玉のような江戸っ子が、読売巨人が負けたはらいせに「てやんでえ、べらぼうめ」という気持ちでわざと飛び込んでいることがあるらしい。皇宮警察は安全管理上から公表していないが。

江戸時代からの江戸っ子のやせ我慢は有名だが、江戸っ子は隅田川でもどこでも気に入らないことがあると川に飛び込む習性があった。こうした江戸っ子の威勢のいい飛込みが、明治時代には薩長藩閥政府のあてつけで行われるようになり、二重橋での連続ダイブの元祖となったとも言われている。しかし先に挙げた「井伊大老のドボン」の方が時代的には先であるともいい、二重橋ダイブの起源については決着していない。
皇室ファンが集まる場

これほどまでに危険な場所でありながら、明治時代に明治天皇がここを皇居(この当時は宮城)として以来、熱狂的な皇室ファンが二重橋前は皇居前広場にわんさとつめかけることで名高い。皇室ファンといってもさまざまなタイプがある。

70?100歳の戦前からの皇室ファン:純粋な気持ちを持つじいさん、ばあさんが多いが、中には特攻隊上がりの猛者もいる。

学習院関係者や聖心女子大関係者:現在の両陛下の学友とか知人とか。あまりくせのないタイプ。

右翼と言うより軍事マニア:アメ横中田商店で買ってきた迷彩服で出かける人もいるらしい。

暇人(ひまじん):有閑主婦(マダム)とか営業セールス途中のビジネスマンとか、行き場のないNEETとか。

田舎者全般:はとバスの乗ってくる農閑期の農協(JA)関係者とか、名札ぶら下げた修学旅行生とか。

ガイジン:なぜか半そで半ズボンのすずしい格好をしている。

鳥肌実:ある方面からの圧力に負けないで、思い残すことなくやることは全部やっといて欲しい。

雅子さまのおっかけの主婦:2ちゃんねる鬼女板には常駐者のスレッドがあるらしい。

皇居を我が家だと言い張る人:春先に多く見られる。定期的に黄色い救急車で連れ去られるらしい。

東京だよおっ母さん

このように二重橋を目の前に皇居前広場には老若男女を問わず、多くの人々が集まるが、なかでもその賑わい振りを歌った往年の名曲、島倉千代子の「東京だよおっ母さん」の歌詞は忘れられない。

「久しぶりに 手をひいて 親子で歩ける うれしさに 小さい頃が 浮かんで来ますよ おっ母さん ここが ここが二重橋 記念の写真を とりましょうね」。

この歌詞のように、本来であれば、東京に来たおのぼりさんは、到着するや否や、すぐさま二重橋に駆けつけ、その先にある皇居に向かって、黙礼して涙を流し、写真屋を頼んで大判の写真を撮ることが作法であった。しかし、この美風も世の中がガサツになったおかげで、急速に忘れ去られようとしている。

それでも中高年の中には島倉千代子を新しい視点でとらえなおそうという動きもあるらしい。例えば、二重橋を眺める位置に、記念撮影用の「島倉千代子とおっ母さん」の穴あき看板が設けられている。どうやらそこに顔を突っ込み「島倉千代子」になりきって写真を撮ることが流行っているらしい。加えて中高年のオタク専用のものなのか、島倉千代子とおっ母さんの蝋人形やフィギュア、島倉千代子に扮するためのコスプレ着物も置いてある。その他レコードやテープも島倉千代子グッズも売店で売っているが、中にはどう見てもコロッケにしか見えない粗悪品も混じっているから要注意である。

最近は、ヒット曲「人生色々」にちなんで、振幅の激しい島倉千代子の人生の一部始終を、ジオラマ化した商品が一番人気である。特に二重橋を舞台に、にこにこと微笑んだ島倉千代子が、仇敵の某占い師に蹴りを食らわして「久しぶりに 手をひいて 借金の返済完了 うれしさに インチキ占い師 蹴り飛ばす おっ母さん ここが ここが二重橋 記念の写真を とりましょうね」と言っているシーンである。二重橋を前にするとみんな優しい、そして、なつかしい気持ちになれる。そんなことを島倉千代子は歌っているのかもしれない。
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更新日時:2018年6月21日(木)15:16
取得日時:2019/09/18 02:05


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