中央アジア
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中央アジア(ちゅうおうアジア)とは、アジアばかりかユーラシアの中心たることを自負する真空スタン空間である。
目次

1 概要

2 歴史

2.1 前近代

2.2 近現代


3 宗教

4 関連記事

概要

中央アジアとは、アジア大陸の文字通りの中央部に位置する地域である。ソ連がなくなってから、「?スタン」という一般人には訳の分からなさにスタンさせられるような国が多数出現している。

中央アジアの民はあたかも世界の中心にいるかのような感覚に囚われている。そのため、付近のスタン共和国を多数巻き込んで「中央ユーラシア」と自称することもある。ユーラシアの中心点が一応この付近にある以上、五国の共和国市民が発する声はどこかの四国中央市よりは現実味がある。

しかし、政治経済面で中央アジアがアジアの中央たれているかどうかは大衆世界のイメージからして言うまでもない。これを誇り高き中央アジア人民の前でいうと、スタンガンで撃たれるかもしれないので、注意が必要だ。

日本の中央アジア学者たちは、自分たちの研究成果が、世界の中央にあると繰り返している。その研究成果がどこまで中央なのかについては、その研究成果がどれだけ一般に浸透しているかをみればよく分かるだろう。その成果の浸透振りこそが、中央アジアの世界的国力を如実に物語っている。
歴史
前近代

現在の中央アジアでは、タジキスタンを除き、トルコ系民族が多数派となっている。西方のトルコ共和国では、中央アジアをトルコ人の国トルキスタンと呼び、「このトルキスタンの地から流れた民族が、各地の四大文明の基礎をつくったと説いている。本当なのかどうかは、そうした遺構が中央アジアに残っているかどうかをみれば一目瞭然だろう。

中央アジアはシルクロードという遊牧民族が行きかう交易路であった。このシルクロードは、太古以来ずっと東西を結ぶ幹線だったと言われている。ならば、三蔵法師が歩んだ道がどうしてあそこまで険しいのかという疑問が持ち上がる。ここで真相を書いてしまおう。実のところ、シルクロードは中国との交易路においては支線に過ぎなかったのだ。幹線ルートは今も昔も、東南アジア経由の海路だったのである。でも、中央ユーラシア繁栄の夢に浸りたい中央アジア人が、この真実を知ることはまずない。

中央アジアまたは中央ユーラシアの歴史とは、即ち遊牧騎馬民族の歴史である。中央アジア人民は、馬に乗れない今の自分たちの状況はあまり考えず、自分の民族名とは直接関係ない過去のトルコ人やモンゴル人がどれだけ偉大だったかを自賛したがる。それを自分たちの視線で記録した文書がほとんどないので、史実を100倍誇張してプロパガンダにしてもまるで分からない。朝鮮人が歴史の誇張行為を行った場合は東方から多くの突っ込みが入るが、「偉大なるアルタイ民族トルコ人とモンゴル人が同等もしくはそれ以上の誇大宣伝を行ったとしても、突っ込む研究者はまずいない。

ちなみに、モンゴル系のティムールなど「中央アジアを駆け抜けた」英雄たちは、文字通りに中央アジアを不毛な通過地点としかみなしていなかったとみられている。イスラム化する前のトルコ人が中央アジアをあっさり通過していったのも、中央アジアがその程度の土地でしかなかったからだ。

だが、こんな不毛な場所にも世界遺産は存在する。10以上存在する。ウズベク人に滅ぼされたティムール朝のサマルカンド等が世界遺産だ。ただ、その知名度は世界遺産カーストにおいて最下級扱いのため、イランの遺産と一括りで紹介されるという4軍遺産扱いを受けている。
近現代

19世紀になると、名前しか伝わらない小国がいくつかできた。その頃南方から台頭してきた大英帝国と北方からやってきたロシアが、中央アジア一帯に勢力を広げようとグレート・ゲームを展開した。ただ、その舞台は中央アジアでなく、主にアフガニスタンだった。中央アジアは抵抗する暇もなく、ロマノフのツァーリの配下に置かれたため、攻略価値を認められなかったからである。

中央アジアは20世紀ソビエト連邦の一部となった。その間は、中央アジアはシベリアの一部としての価値のみを認められた。民族共和国の基礎単位ができたのはこの頃のことだ。共産主義体制下ではバスマチといったイスラム的抵抗運動が起きたが、東欧や欧州の共和国とは異なり、注目を集めることはなかった。

ソ連はやがて解体し、「?スタン」だらけの現在の5共和国、総合してスタン共和国が独立した。ソ連解体をみた国際世論は民主主義が帰ってきたと一概に喜んだ。だが、中央アジアの独立共和国には複数政党制の民主主義はなかなかやってこなかったことに、世界史の大きな物語の書き手は誰も気にしない。それでも、それは世界史においてはどうでもよい周辺的要素である。

スタン共和国の間では、各国の歴史的シンボルを巡る取り合いが起きており、時には関係がスタン状態になって紛争が発生する。何故なら、近代以前の民族境界は現在のそれとはまるで一致しないからだ。ただし、少しぐらい議論があったとしても、反対勢力に遊牧騎馬民族的懲罰を与えるという点は共通している。
宗教

イスラムがどのスタン共和国でも国教である。タジキスタンが後継国家を名乗る癖に都はウズベキスタンのブハラにあったサーマーン朝を皮切りに、13世紀ごろまでにイスラムへの改宗が完了した。改宗の際には次のような布教文句が皮切りになったことが口承で伝わっている。

「イスラムに改宗すれば、女を家庭内に閉じ込め、?スタンの緑の楽園で“?たん”と俺の嫁を呼称できるようになるよ。外で馬にまたがっている生意気な女連中を屈強な身体の男児が堂々と“?たん”呼ばわりできるようになるアッラーな寛容なる宗教、それがイスラムだ。さあさあ、偶像崇拝の遺物なんか打ち壊して、改宗しようよ」

こうした流れがずっと続いてきたので、女性たちは次第に周りの視線が怖くなってヴェールをとれなくなった。その流れは共産主義無神論運動によって強権的に一時解除されたが、共和国独立後はイスラムの波に押し戻されつつあり、それを世俗体制が厳しく抑え込んでいる状態にある。ただし、こうした流れはイスラムが続く限り、ずっと社会の底流に存在し続けることだろう。
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更新日時:2018年11月4日(日)15:16
取得日時:2020/03/31 21:04


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