ローリング・コンプレックス
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ローリング・コンプレックス(The Rolling Complex)とは、1965年にレコードデビューしたイギリスを代表的するロックコピーグループ。ロック草創期の60年代から活躍し、スキャンダルによる度々の活動休止がありながらも第一線で活動し続けている、コピーバンドの代名詞的な存在である。略称ロリコン

『実は有名なロックバンドはみんな、俺たちのリリース前のデモテープから曲をパクって成功したんだ』というコンセプトのもとに名曲のコピーを行っており、デビューから40年経ったいまでも3年に1枚のスタジオアルバムというリリースペースを崩していない。

バンド名は、リーダーのシド・ジョーンズがローリング・ストーンズのコピーバンドをやっていたことに由来する。目次

1 現在のメンバー

2 過去のメンバー

3 音楽の特色

4 バンドの歴史

5 TV番組

6 ディスコグラフィ

7 日本公演

8 関連項目

現在のメンバー
シド“メイ・ボーナム”ジョーンズ(故人)
ローリング・コンプレックスの実質的リーダー。演奏楽器はチャランボを主とし、ディジュリドゥ、ハーディー・ガーディ、カリンバなど。アルバムではサンポーニャやムビラも演奏している。飲酒とオーバードーズの末にあやまって階段から転落し、その際に吐瀉物が肺につまり、たまたまドアにひっかけてあったタオルで首を絞めて死んでいるところを発見されるという大変奇抜な最期を遂げた。死因は溺死であった。死後、リユニオンでローリング・コンプレックスに再加入し、卓抜した演奏技術を披露したことは記憶に新しい。
ピッチ“ロットン”ジャガー(本名カールエリック・クリスティアンセン) 
ヴォーカル担当。ピッチシフターをヴォーカルに使った奇天烈な歌唱が特徴。その声域は
ロブ・ハルフォードを遥かに凌ぐ10オクターブ以上であるとされる。1988年のワールドツアー中にホームシックになり、ヒッチハイクでブラジルから勝手にイギリスへ帰国したために解雇されるも、リユニオンで復帰をはたした。MSGのロゴを見ると、なぜか急におびえだす。愛称のロットンは、若い頃から歯槽膿漏で口臭が酷かったのと、見た目がゾンビ映画にでてくるゾンビにあまりにそっくりだったので、メンバーにRotten(腐ってる)と名づけられた。後にピストルズのジョニー・ロットンがこれをパクったのは有名。
ビル・ハンネマン(本名ヴァーグ・ヴァイカート)
ベース担当。ネックの3つある特注のトリプルアップライトベース(通称キングギドラ)を用いるため、常に顔が見えない。
キース“リチャーズ”エマーソン・ザ・レイク(本名、キース・アクセル・ブロムバーグ)
結成から現在にいたるまで常に在籍し続けた唯一のオリジナルメンバー。パートはギター。多弦多フレットのギターを愛用し、現在は12弦36フレット×4ネックのエレキギターを手足のように操る。その風貌から仙人とも称される。嫌いなジャンルはフュージョンで、理由は「ベースが調子に乗って前に出ているから」であるという。
ポール・ワーリー・チャッツ(本名ジョージ・エマニュエル・2世)
パートはジェンベなどのパーカッション楽器。バンドのムードメイカーでもある。ホテルの家具を天井に全部接着してしまったり、ホテル中のテレビを窓から投げ捨てたりといったロック有名人の奇行を真似するのが趣味。バンドは彼の家具破壊代金をツアー中の経費として計上しているらしい。1999年のカウントダウンライブ中に客席にダイブしようとしてステージから4メートル上にあったドラムセットから転落、足を複雑骨折した。その後1年半は「改造手術中」という名目で一時脱退していた。しかし2002年に本当にサイボーグとして復帰してファンを驚かせた。
イアン・ボウヤ・ホーキンスJr
キーボーディスト/サンプラー。影のメンバー。Mr異次元の異名を持つ。あまりにデカすぎてライブ会場に入らないので、レコーディングと作曲にのみ関与している。
b9d 過去のメンバー
ナシ・スター
ベーシスト。
リンゴ・スターの実弟というギミックで登場したが、真っ赤な嘘だったことがバレて脱退。どうやら日本人らしく、リンゴ・スターが芸名であることを知らなかったらしい。だいいちリンゴ・スターのリンゴは林檎ではない。まったく、身の程知らずのバカなヤツである。
スティーブ・テイラー
ミック・テイラーの実弟というギミックで登場したが、真っ赤な嘘だったことがバレて脱退。パートは当初はギターであったが、後にベースにコンバートされた。1999年カウントダウンライブにて、シークレットゲストとして電撃参戦するが、本業のスタジオ経営が忙しくなったためにその後は参加していない。
ショウガ・ベイカー(本名不明)
ドラムス。一時期ヘルプとして参加。名前の元ネタはクリームのジンジャー・ベイカーと思われる。
カール・ダグラスJr
すっごいアゴがわれてるよ。パートはアゴ。
ボブ・ハルフォード
2代目ヴォーカル。ピッチシフターを用いずして4オクターブの音域を歌いこなしたが、ローリング・コンプレックスの楽曲は歌いこなせず脱退。直接的な理由は「キャラと頭髪が薄かったため」。後に「あいつはヅラを買ってからというものの、自分がヒーローになったと勘違いしていたのさ」などと罵られることになる。
グラハム・ロートン・プラント
3代目ヴォーカル。初期は5オクターブの音域を歌えたが「Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaah」という雄叫びで始まる曲などをライブの初めに毎回歌っていたため、のどが壊れて以前のような歌い方が出来なくなり引退。? 2000 ??近グラミー賞をとった。
音楽の特色

彼らの音楽は基本的にカヴァーソングである。デビュー曲の「オン・ザ・カム」はストーンズによるチャック・ベリーのカバーである「カム・オン」の民族楽器カバーとなっている(これは当初はレコード会社の指示だったが、予想外に受けがよかったために、この路線が続投となった)

そもそもは、民俗音楽を機軸として音楽的に極限までエクストリームなことをやろう、というのがこのバンドのコンセプトであった。それがレコード会社の仕掛けた『有名なロックバンドはみんな俺たちがやってた音楽をパクって成功したんだ』というプロレス的なギミックをともなったカバーバンドというスタイルとあわさり、現在の形式の基礎なった。

ローリング・コンプレックスの特徴はアレンジの独創性にあり、ピッチシフターをつかった10オクターブを超えるヴォーカルでギターのかわりにギターソロやベースソロをやる、普通の拍子の曲を変拍子にしてしまう、別の曲の歌詞を無理やりあてはめて歌う、テンポを1/10?5倍速にする、ブラストビートを用いる、メンバーの身長が156cmになるなど、多岐を極める。このため評論家には「プログレッシブ・ロックよりプログレッシブ。いろんな意味で。」と評される。

彼らはストーンズのように黒人音楽を敬愛し、彼らのスタイルや感性を積極的に取り入れようと、多くのミュージシャンと交流をもっていた。そのため、『黒人からも愛される白人のコピーバンド』という珍しいバンドとなった。

初期はロック+民俗音楽、中期はパンク+民俗音楽→ハードコア→NWOBHM+現代音楽、近年はヘヴィロック+民俗音楽と分けるのが一般的。



バンドの歴史

仕掛け人はイギリスのクイーンズロードでヴィヴィアン・サウスウッドデザインの服を売る小さなブティーク 『FxUxCxK』 を経営していたマイケル・マクラーレンである。店に出入りしていたキース、ジョーンズ、ロットンと、ブティークの従業員であったビルの4人を反社会的なロックバンドとして結成させた。マクラーレンはストーンズのマネージャーの腰巾着を務めるなどロックのムーヴメントに触れており、ロックのカヴァーをイギリスで流行させようと目論んでいたのである。

最初期はジミ・ヘンドリックス、ローリング・ストーンズ、ザ・ビートルズ、エルヴィス・プレスリーなどのカヴァーを行っていた。ドラッグのやりすぎでドラムとギターとベースがそれぞれ1小節ごとにズレていくなどの変態的なサウンドが好事家に受け、そのしばらく後に本格的にブレイクすることとなる。しかし本格的ブレイクの翌年である1970年、メンバー間の不仲が原因で一時の活動停止を余儀なくされる。

1972年、メンバーを再編成しての活動再開。面倒なのでキース以外は覆面のメンバーであり、現在も中の人が誰なのか不明である。なにが面倒なのかは永遠の謎だが、とにかく謎である。以降、70年代中期まで着々と売り上げを伸ばしていくこととなる。

70年代中期はセックス・ピストルズを筆頭とするパンクムーブメントにキースがものの見事にハマってしまい、最初期の路線に回帰したがっていた他のメンバーと不仲になる。そこで旧メンバーを再集結し、オリジナルメンバーに戻して活動を再開。その『流行を逃さないカバーバンドとしての自身に殉じた生き様』がある意味パンクであると評価される。

ビルがリーゼントにアロハ、白のスーツという、とてもパンクスとは思えない服装をやめなかったために、キースはスタッフに指示して彼の服をすべて破棄させた。着替えの白スーツが見つからず困ったビルは、アンチファッションらしいステージ衣装を差し出すキースを無視し、急遽外出して対放射線スーツとガイガーカウンターを手配して本番に備えて周囲を驚かせた。それほど、パンクス的な出で立ち? 2a24 ?嫌ったようである。これらのいざこざからか、1976年末、ニューアルバムをデンマークで録音中にスタジオを飛び出し、リンカーンシャーの自宅に帰宅。そのまま解雇させられてしまう。

その後パンクムーブメントに翳りがみえるやいなや元のスタイルに戻すが、70年代後期にG.B.H(現Charged GBH)などのハードコアパンクが出現すると、ハードコアのカバーに再び転向。この時期は、ハードコアパンクを変拍子のハードコアテクノでカバーする、という相変わらずの偏屈ぶりであった。が、実はどっちも同じハードコアというジャンルだと思っていた、という勘違いから起こった偶発的なものであったという。

80年代に入るとハードコアパンクの状況は一変し一気に苦境に立たされることとなるが、NWOBHMの出現に便乗してどうにか生き延びる。この時期はNWOBHMをプログレや現代音楽によってカバーするスタイルを確立し、再び話題を呼んだ。特にCDでの演奏力の高さは評判であり、この時期を黄金期とする見方が一般的である。その反面、演奏があまりに難解になりすぎたせいでライブではドラムとベースは常にモタっていた、という証言もあり、評価が分かれるところである。

レコードの売り上げは80年代中期が頂点であった。しかしその一方では、アメリカに住んでいた自殺した少年2人の両親から「息子が自殺したのはバンドの曲に含まれるサブリミナルメッセージが原因」として裁判を起こされたり、ロットンの解雇、その後に加入した2代目ヴォーカルはゲイであることを告白し脱退、そしてジョーンズの死去など、多くの苦悩があった。

キースがMOTORHEADのレミー・キルミスターと殴り合いの喧嘩をする。キース側の理由は『俺の妻に色目をつかいやがったから』、レミーは『「HAWKWINDのパクリだろ」とかなんとか、意味不明なことを言われた。アレ弾いてるの俺だっつーの』ということらしい。キースはレミーに見事に返り討ちにあい、全治3週間。全米ツアーがキャンセルになる。

90年代に入るとメタリカ、パンテラなどの影響でモダンヘヴィネスへと転向。90年代中盤以降にはテロライザーやカンニバル・コープスの影響でデスメタルに転向するが、旧来のファンにもデスメタルファンにも総スカンをくらい、アルバム1枚のみで再びモダンヘヴィネスへと戻った。その後セパルトゥラのヒットもあり、再びバンドのスタイルは初期にあった民俗音楽色をとりもどしはじめることになる。

1998年、リユニオンによって全員オリジナルメンバーへと戻る。すでに人間だかなんだかよく分からない灰褐色の塊になっていたジョーンズ(故)の卓抜したパフォーマンスと異臭で再び話題を呼ぶ。同年、オリジナルメンバーでの初来日を果たす。

インタビューにて、ロットンの『マイケル・シェンカー? なにそれ、食えるの?』発言がとびだし、自分の所属レコード会社からもシェンカーの所属レコード会社からもこっぴどく怒られる。バカにするつもりがあったどころか本当に知らなかったロットンは、この一件のせいでシェンカーを新興宗教の教祖かなにかだと誤解し、現在もそのままのようだ。

2000年以降は初期のような民俗音楽色を取り戻し、なおかつスリップノットやリンキンパークの影響を受けたモダンなスタイルで再び全盛期を迎えようとしている。メンバーもゾンビが二人、サイボーグ、キングギドラ、仙人と、まるで戦隊モノの悪役幹部のような状況で、子供達の人気も上昇中であるという。しかしその反面、完全にGWARやLORDIなどのようにコミックバンドと誤認されてしまうこともあり、まだまだ悩みは尽きないようである。
TV番組

2004年、MTVでヴォーカルのシド・ジョーンズ一家の生活に密着したという名目の番組「シドジョーンズ(The Sidjhornes)」の放送が始まる。『シド一家は歌詞以外はShitとFuckしか言えないため、会話がピーという規制音で全て掻き消されている』という設定。結局、そのふざけた映像の放映をワンクール敢行してしまった前代未聞の番組であった。あまりにピーという音が延々と続くため、口からブクブクと泡を吹いて発狂しかけた子供も多かったという。

もちろんこれはブラックサバスのオジー一家に密着した「オズボーンズ」をネタにしたパロディ番組なのだが、このあまりにぞんざいな扱いにはオジーの妻シャロンが大激怒して問題になった。一方のオジーは普段どおりにヒヨコをモリモリ食いながら「シブいね」とコメントし、裁判沙汰にはならなかったそうである。



ディスコグラフィ

1965年 俺以外の奴等はみんなカス(1st Album)

1968年 とにかく俺は偉い(2nd Album)

1971年 ジミー・ペイジの存在はとんでもないジョークとしか思えない。(3rd Album)

1974年 俺は貴族なんだ。正確には伯爵だ(4th ALbum)

1977年 リッチーの代わりになれるのは俺だけだ(5th Album)

1979年 あいつは電話ボックスでしか歌ったことがない(Live Album)

1980年 唯一嫌いなのはブルース・ディッキンソンだ(6th Album)

1983年 とんでもない話だ!あの醜い顔を殴ってやりたい! (7th Album)

1986年 アイツはとにかくテング野郎だった(8th Album)

1989年 生まれてこのかた、あれ以上頭の悪い奴には会った事がない(9th Album)

1992年 俺は嫌われてるんだ。理由は、俺が成功していて金持ちだからさ(10th Album)

1994年 ハッハー! スレイヤーなんてお笑いだぜ!(Live Album)

1995年 ヌーノ・ベッテンコートにはカリスマ性が感じられない (11th Album)

1999年 ジェフ・ベックはゲイリー・ムーアの真似をしているのか?(12th Album)

2000年 奇妙なアティテュード(Best Album)

2002年 クリス・インペリテリは俺のプレイを端から端までパクっているだけ(13th Album)

2005年 『カモン・ベイベー! イエイ! ロックンロール!』なんて歌詞は大嫌いだ!(14th Album)

2007年 うんざりだよ。不感症の女みたいで……(Live Album)

2010年 オレの素晴らしきルックスの世界(15th Album):二枚組(スタジオ+ライブ)

日本公演

1990年:2月14日,16日,17日,19日,20日,21日,23日,24日,26日,27日・
東京ドーム

1995年:3月6日,8日,9日,12日,14日,16日,17日・東京ドーム、3月22日,23日・福岡ドーム

1998年:3月12日,14日,16日,17日・東京ドーム、3月20日,21日・大阪ドーム

2003年:3月10日・日本武道館、3月12日・横浜アリー? ccc ??、3月15日,16日・東京ドーム、3月20日,21日・大阪ドーム

2006年:3月22日,24日・東京ドーム、3月29日・札幌ドーム、4月2日・さいたまスーパーアリーナ、4月5日・ナゴヤドーム

関連項目

ローリング・ストーンズ


イングヴェイ・マルムスティーン

テングダケ

激しぶBOYS


更新日時:2018年1月22日(月)16:46
取得日時:2021/04/13 11:18


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出典: へつぽこ實驗ヰキ『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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