ルートヴィヒ2世_(バイエルン王)
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注意この記事は5.1サラウンドでお楽しみいただけますが、音が聞こえない場合は貴方の心が汚れている可能性があります。 「ローエングリン」“第一幕への前奏曲”

ルートヴィヒ2世(Ludwig II / 1845年8月25日 - 1886年6月13日)は第四代バイエルン国王であらせられる。1864年に19歳で即位された若き王の光り輝く美貌はヨーロッパ全土を明るく照らし出したが、王の一生は闇そのものであった。「狂王」、「バイエルンの中二病末期患者」などという蔑称はもちろん後付けも甚だしい。
目次

1 第一幕

2 第二幕

2.1 王の秘事

2.2 ワーグナー

2.3 女性も


3 第三幕

3.1 政務に倦む

3.2 発狂なう


4 終幕

5 出演者

第一幕

1845年、バイエルンはニンフェンブルグ城で一人の男の子が生まれた。父は皇太子マクシミリアン二世、母は登山好きのマリー夫人である。彼が三歳になった頃祖父ルートヴィヒ一世の退位に伴い父親が即位。丁度同じ年に弟のオットー一世が生まれ、すぐに仲良くなったが数年後ちょっとした事件が起こる。

ルートヴィヒが遊びと称してオットーの首を突然絞め、「ギブギブギブギブ」と声を漏らすオットーにキャメルクラッチをかけ続けたのであった。母マリーがレフリーとなり、青い顔で泡を吹くオットーの前でカウントを始めたところ、騒ぎを聞きつけたマクシミリアンが駆け込み激怒、彼らを叱咤する。しかしルートヴィヒは持ち前の機転を生かしこう歌った。

ぴぃ?ひょろろ?
ボークは?生まれながらの王?
おとうとオットーは生まれながらにボクの家来?
よって! ボク無罪!

ジャン!ジャン!

稚拙ながら自尊心まみれの歌詞に一人前のオペラサウンド、このころから彼には王たる資質が備わっていたようである

幼い彼は基本的に孤独であったが、本棚にあった北欧神話の騎士伝説などのとりあえずありえない世界に衝撃を受ける。この時代は無論北欧神話を土台としたネットゲームなども存在せず、エルフやドラゴンなどの姿を自らの想像力によって感知するほかないため、彼の想像力は現代人には計り知れぬものとなっていた。美意識も相当磨かれており、コックの一人が醜男であることを知った瞬間に泣き出し父親にあの男を殺せと命じることもあった。

成長すると彼は馬車をひく御者や、建設好きな父親が駆り出す人足たちのたくましい肉体を見るたびに、なにやら熱いものが心の中に湧き上がるのをを感じていたとされる。このときルートヴィヒ17歳、まだ色々な意味で引き返せる年齢であった。だがここでこれっぽっちも引き返さずメルヘン、耽美の世界へさらに邁進していったのが彼を偉大な中二病患者と言わしめる要因となっている。

第二幕 少女漫画の世界。
王の秘事

1964年、父であるマクシミリアン二世が北風に当たり、ハックションとくしゃみをした勢いで大量に喀血し逝去した。19歳のルートヴィヒは嫌々後を継いで王となり、彼のイケメンっぷりにヨーロッパ中が嫉妬したとされる。去る1963年にかのオットー・フォン・ビスマルクと対談した際、「ヴィルヘルムはヒゲを切れ♪」などの辛口人物評で知られたビスマルクをしてイケメンと言わしめ、さらにはビスマルクの書斎に堂々と彼の肖像画が鎮座するほど気に入られた。

しかしこの歳ともなると自らの性的嗜好に完璧に気が付いたようである。彼の逸話として渓谷へ山歩きに赴いた際に、さわやかな空気と伐採にいそしむ半裸のいい男に気分を良くしたのかだしぬけに男の写真を撮り、801漫画ばりの展開の速さでキスをすることもあった。また、18歳の春に歌劇「ローエングリン」のテノール歌手との秘♂事で童貞を見事脱出した彼は、私の初体験はローエングリンとだとばかりに周囲に言いふらしたとされる。通常のドイツロマンチストはエルザ姫と初体験を希望するはずであるが、そこをあえて聖杯の騎士ローエングリンと行うとは王の座にふさわしい行いである。そうに違いない。

なお彼は城に籠っては毎晩のように若い男性と部屋で何らかの騒ぎをしていたという。とりあえず金はあるのだ。

ジャン!ジャン!ジャラララタンタンタン!
わが身の?周りに侍るは 若き豹?
しなやか つややか のどごしサッパリ!
時に野獣であり? 時にもろき薔薇であり?
私の?わたしの?所有物?

ボワワアァアァァン……!

なんとみずみずしい歌詞であろうか。思わず背中がむずむずしてしまうほどだ。
ワーグナー

王となった彼が、いの一番に王宮に召集した男は髪がボサボサの中年男であった。みすぼらしい風貌にギラギラした眼、周囲の者は王の守備範囲がまた広がったかと溜息をついたが、この男こそかの浪費屋音楽家リヒャルト・ワーグナーである。子供の頃夢見た神話の世界を歌劇に仕上げる作曲家ワーグナーに心酔もとい泥酔していたルートヴィヒはワーグナーのみすぼらしい見た目はひとまずとして感激に身を震わせた。一方ワーグナーも女に捨てられるわ浪費癖が祟って借金まみれになるわと、生活に行き詰まっていたためにいいカモ素晴らしきパトロンを得たことに感激。ルートヴィヒの手の皮がふやけてむけるまで接吻し続けた。

たんたんたったんたらら
わが親愛なる陛下よ?ちゅっちゅっ
わが友ワグナーちゅっちゅっ
素晴ら?しき友よ?ちゅっちゅっ

(気分が悪くなったため割愛)

その後も妙な関係を匂わせる濃厚な手紙のやり取りを続け、ルートヴィヒはワーグナーワールドを作ることに情熱を傾けたが、側近たちがあまりにもワーグナーを煙たがるので1865年いったん罷免した。ワーグナーとの関係についてはルートヴィヒ自身生涯否定している。全力で。
女性も

ワーグナーは常々「心が美しく、体が美しく、歌が上手で、ほのかに百合の香り漂う石像が好き」、「結婚するなら自殺する方がいい」などと漏らしていたが、歌劇『タンホイザー』のヒロインと同じ名を持つオーストリア皇后エリーザベトとは友達以上恋人未満関係にあった。彼女もまた浮世を嫌う厭世的な性格で美貌に恵まれており、ルートヴィヒと同じくちょっとズレていた。

世話好きな彼女はいつまでたっても女性に関心のないルートヴィヒを気遣って自身の妹ゾフィを紹介し婚約までこぎつけたが、ルートヴィヒが怖がって結婚を二回も延期したため怒り絶縁した。ゾフィの父が怒って次延期したら婚約を破棄すると宣言したところルートヴィヒはこれ幸いとばかりに婚約を破棄。ゾフィはのちに別の男性と結婚したが、1897年協会の火事に巻き込まれ丸焼きとなり、エリーザベトも翌年イタリア人アナキストにヤスリで刺され、「あんた誰だよ」を断末魔に絶叫し死んだ。

第三幕
政務に倦む

就任から二年ほどはややまともに政務をこなしていた彼だったが、ワーグナーを罷免せざるを得なくなったころから政務を嫌うようになる。ルイ十四世を崇拝していた彼はヴェルサイユ宮殿を見事コピーしたヘレンキムゼー城、ラブホテル的内装で知られるノイシュヴァンシュタイン城などの建築に力を注ぐようにもなった。ノイシュヴァンシュタイン城建築にプロイセンのビスマルクから資金を援助するとの申し出があったため、ルートヴィヒは嬉々として見事なまでに懐柔された。されまくった。

完成した人造の洞窟には水をたたえ、鍾乳洞風なナショナル蛍光灯が薄暗く水面を照らす。その上を白鳥ボートに乗って鬱な気分に沈むのが王の趣味である。1866年、プロイセンとオーストリアが普墺戦争を開始すると、どちら側で参戦するか部下に強く求められた。王は面倒で発狂しそうになったが、部下たちの意見に押されオーストリア側で参戦、あっさりと敗北を喫した。そのうえバイエルン側は賠償金まで払わされたため、ルートヴィヒは「現実」という言葉を過度に恐れるようになる。

ドンドンドンシャーン!
めんどくさい ああめんどくさい お母さん
でも私は?醜き現実を?切り払う?ローエングリンなのさ?

もうすでに歌からもだるさが伝わってくる。
発狂なう 素晴らしくて付いていけないセンスである。

1870年、普仏戦争のさなかルートヴィヒの弟オットーは朝起きると「おはよう、さわやかな朝だ」とつぶやき猟銃を持つと庭に散歩に赴き、おもむろに農民を打ち殺した。そして4人ほど打ち殺すと急に無表情になり「飽きた帰る」と戻って朝食を食べる生活を繰り返していた。領民の間で次第にオットーは「きがくるっとる」とのうわさが広まったため、見かねた周囲が精神科医のフォン・グッデン医師の診察を受けさせると、グッデンは話を聞いた後こう切り出した「おめでとう、それは発狂だ。」

ルートヴィヒは自分のことは置いといてオットーの病に心を痛めた。ますますこもりがちになった彼は昼夜逆転生活の快楽を覚え、ひとりで食事をとりながらルイ14世とマリー・アントワネットの肖像を椅子に乗せ、延々と会話を楽しんでいた。「お客様を丁重に扱うように」と召使は言われたものの、他人から見ればバカバカしいことこの上ない。また夜はごてごてと過装飾な痛馬車に乗って雪山にこぎつけ、夜が明けるまでひとりでソリ遊びを楽しんでいたという噂も流れるようになる。昼間は寝るか城造りの命令を出すだけとなり、住みもしないのにとにかく趣味のよろしくない城を建てまくった結果二千六百万マルクの負債を抱え込み、銀行に助けを求めては負債を増やしていた。 晩年の王の肖像。なんだかむくんでいるが気のせいである。

終幕

そんな王の治世が十数年間続いたのち、側近たちは危機感を覚えるようになる。側近たちは密かに彼の叔父であるルイトポルトを摂政にする準備を整え、弟のオットーを診察した医師のグッデンに彼を診察させた。初めはいぶかしんでいた彼だったが、「先生と話をしてお茶を飲むだけだから安心して」という部下の言葉に渋々カウンセリングを受け、その夜に精神に異常をきたしているもしくはパラノイアであると判断された。さすが医学の進んだドイツ、無駄に診断が速い。

そして1886年6月12日、病院と聞いて部下たちに連れて行かれたルートヴィヒはなぜか鉄格子を見た。ここは病院でない事を知った彼は面会に来たグッデンに「私は先生とお話してお茶飲んだだけです」と主張したが、「お答えしかねます」と言い含められてしまい、薄い布団の下で穏やかな夜を送った。

患者として翌朝早く目覚めた彼は、グッデンに湖畔を散歩したいと言った。今まで超絶引きこもりだった王が早くも恢復の兆しを見せていると思ったグッデンは喜んで受け入れたが、午前中の散歩には見張りの憲兵がついていた。それを快く思わない彼は夕方の散歩には憲兵を付けないよう頼み、話に聞くより狂ってもおらず従順な素振りを見せる彼の頼みをグッデンは聞き入れ「八時に戻る」と仲間に言い出かけた。しかし二人は八時になっても戻らない。

部下たちによって湖畔の捜索が続けられたが、努力もむなしく翌朝釣りをしていた男によって見事水を吸ってふやけた二人の?? 56be ?体が釣り上げられた。二人の死については謎であり、現代の腐女子歴女たちのうふふな研究対象となっている。なお、彼のポケットには走り書きのメモが残されていた。

だるい
うま「我らはこの遺書から彼の遺志を最大限読み取る努力をすべきです。」
? ルートヴィヒの遺書 について、エリーザベト

残念ながら世の中には努力ではどうにもならないものも存在する。享年40歳であった。


出演者ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)」の項目を執筆しています。

※幕が下りました。聞こえるように拍手をして下さい。

ルートヴィヒ二世(青年期):えなりかずき

ルートヴィヒ二世(晩年):佐藤蛾次郎

エリーザベト:林家パー子

リヒャルト・ワーグナー:桂三枝

フォン・グッデン医師:伊武雅刀

執筆コンテスト
本項は第16回執筆コンテストに出品されました。


更新日時:2017年3月18日(土)02:14
取得日時:2018/06/18 14:25


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