ヨハネス・ブラームス
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秀逸な記事

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ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833年-1897年)は、19世紀ドイツ作曲家、ピアニスト、指揮者バッハ(小川さん)やベートーヴェン(カブ農家)と共にドイツ音楽の「三大B」とも称される。これは「三大バカ」ではなく、「三大仏頂面」を意味する。三人の中でもブラームスの表情の険しさは抜きんでているといわれ、機嫌が悪いのか、体調が悪いのか判断しかねる写真が多数現存している。そのせいで作品のほうも難解でくそまじめで面白みがないとみなされがちだが、なんだかんだで世界中の人に愛されている。
目次

1 人物

2 作曲家ブラームスの偉大さ

3 子守唄

4 みんなブラームスがお好き(交響曲第3番第3楽章)

5 ハンガリー舞曲

6 四つの厳粛な歌

人物 ブラームスといえばこの顔。哀愁漂うまなざしに気づいてほしい。

顔じゅうマルクスみたいなヒゲに覆われたいかにもな感じの肖像が有名すぎて厳格な人物として紹介されがちであるが、実は寂しがり屋のシャイなジジイであった。いやもちろんジジイになる前からシャイで、そのせいでいろいろ辛い目に遭っている。 若き日のブラームス。むろん、建物の前をうろつくのが精一杯である。

もっとも有名なのは人妻への恋を諦めたことだ。晩年のロベルト・シューマンと旅行中に知り合い、家族ぐるみの付き合いをするうちに、彼のクララを愛するようになったブラームスだが、思いを伝えることができない。彼女が夫と熱烈に愛し合い、次々子供を作るのを、指をくわえて見ていた。やがてロベルトが狂ってライン河に落ちて死んだ。これでクララをものにしても略奪にはあたらない。チャンスだった。しかしブラームスには親友の妻を奪う度胸はなく、かといって彼女との関係を断つこともできず、ずるずる文通など続けていた。長年にわたりクララにムラムラしつつもムスッとした顔を貫き、クララに勃つことがあっても…これはよそう。ともかくブラームスは1896年のクララの死までずっと、彼女の良き友人のままだったのである。クララが危篤に陥ったとき、知らせを受けたブラームスは慌てるあまり汽車を間違えて、死に目どころか葬儀にも間に合わなかった。失意のまま、彼自身も翌年に死んでしまう。一生独身だった。

音楽家としての立場を同時代の人達に対して明確に表明することも、うまくできなかった。ブラームスはその一見古臭く形式ばった古典主義らしい作風から、ロマン派の星であるワーグナーに対立する勢力の筆頭とみなされていたが、彼自身はそれほどでもなかった。むしろ自分もロマン派のつもりだったが、それにしては渋みがありすぎた。ワーグナーの葬式には献花しているのだが、彼の妻コジマに突っ返されたし、ワーグナーのシンパのほとんどには生涯憎まれ通しだった。

ワーグナー派でありながらブラームスと偶然親しくなった人物もいるにはいる。ブルックナーがそうで、たまたま好きな食べ物 3ff3 が一緒だったという小学生みたいな理由で仲良くなったのだが、その時には二人ともジジイであり、友情は長続きしなかった。ブルックナーに先立たれたブラームスは、辛すぎて葬式に出られず、会場の扉の前にずっと立っていたらしい。

他にもピアニストのくせに人前で弾くのを嫌がったり、弟子をきつく叱り過ぎて後で悩んだり、演奏の録音を恥ずかしがってしくじったり、いわゆる「コミュ障」めいたエピソードには事欠かない。ウィーンの小さなアパートに住み、散歩が好きな、まじめで誠実なジジイだった。愛すべきなのは作品だけではないだろう。とはいえ彼の一曲ごとの知名度とその影響は、彼自身のイメージを超えてあまりにも大きい。
作曲家ブラームスの偉大さ

ブラームスは交響曲、声楽、レクイエム、室内楽、その他あらゆる分野に手をつけている。しかし彼が偉大なのは、その作品の多様性や膨大さよりも、それだけ書いていながら、オペラだけは生涯を通して一度もつくらず、ワーグナーにもならなかったことである。
子守唄

ブラームスの子守歌は、世の全ての母親に少なくとも一度はカバーされているはずだ。全く難解ではない。そして、これは絶対にワーグナーには書けない。
みんなブラームスがお好き(交響曲第3番第3楽章)

1957年、フランス人作家フランソワーズ・サガンことコワレ嬢は、デビュー作の売り上げで買ったアストン・マーチンを乗り回していて大ケガを負った。田舎道を180キロ以上でぶっ飛ばした結果、車ごとぶっ壊れたのである。自殺するつもりだったのかもしれないが死ねなかった。入院中、モルヒネにどっぷり浸かった彼女の脳内で繰り返し鳴っていたのが、ブラームスの代表作の一つである交響曲第3番の、中でももっともメロディアスな第3楽章であった。2年後に発表された小説『ブラームスはお好き?』において、この曲はナンパの小道具以上の役割を果たして…はいなかったのだが、1961年にイングリッド・バーグマン主演で映画化された際にはしつこいくらい使用された。なぜだ。

この映画『さよならをもう一度』を知らなくても、私たちは交響曲第3番第3楽章のメロディをいろいろなところで聴いている。うんざりするほどカバーされているのだ。1950年にアメリカマフィアであるフランク・シナトラが歌った、 ⇒♪Take my love アホみたい Take my love シェーですな♪は有名だし、サンタナのアレンジもそれなりに知られている。日本では大貫妙子のほか、ホルスト『木星』の残念なカバーで有名な平原綾香が、いささかも反省することなく、またも恥知らずな歌詞をつけて歌っている。
ハンガリー舞曲

盗作で訴えられている。とはいえネット上によくある、パクリを糾弾するような話にはならない。ブラームスは発表した時点で、これは自身の作曲ではなく、ジプシーの伝統音楽の「編曲」だと明言しているのである。第一、彼が堂々と盗作など出来るわけがない。この「編曲」は無事認められて大いにヒットし、中でも第5番は現在に至るまで多くの演奏がなされている。1940年のチャーリー・チャップリンの指揮によるものは、数あるうちでも特に誉れ高い名演である。


実に見事であるが、チャップリンが指揮棒の代わりにカミソリを使っている点が日本では問題視されたため、棒状のチーズをアホそうな子供が嬉しそうに裂く映像に差し替えられた。


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出典: 嘘八百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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