マクシミリアン・フランソワ・マリー・イジドール・ド・ロベスピエール
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マクシミリアン・フランソワ・マリー・イジドール・ド・ジェニファー・ロベスピエール(仏:Maximilien Francois Marie Isidore de Jennifer Robespierre、1758年- 1794年7月28日)はフランス革命期の政治家でジャコバン派のリーダーであり、別名、ルソーの血塗られた手。ルソーもいい迷惑である。ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「マクシミリアン・ロベスピエール」の項目を執筆しています。
ルソーに憧れて スコッチ最高

1758年5月6日、北フランス、アラスに生まれたロベスピエールは、ベビーベッドから見たルソーの肖像画のあまりの素晴らしさに失禁したといわれている。彼のような法律家になろうと、貧しいながら勉学に励み、その甲斐あって17歳の時には類まれなる秀才としてルイ16世に謁見するという栄誉に浴する。ルイ16世の、大食と快楽と不養生に膨れ上がった芋虫のように醜悪な顔を間近に見、ロベスピエールは生涯の吝嗇を心に誓った。

1789年、贅沢するための資金が底をつき始め、困ったルイ16世により久方ぶりに三部会が招集されると、フランスの北の端のド田舎、アルトワ州の高等法院でくそまじめに働いていたロベスピエールはすぐさま担ぎあげられて、州の第三身分代表となった。周囲の大きな期待を受け、議員になりたての弁護士クンとしては、張り切らぬわけにいかなかった。ジャコバン派内の左翼、山岳派に入党した彼は、ルイ16世の「贅沢な遊びはやめずに、国のお金を増やしたい」という要求に、積極的にノーと言い続け、外国との戦争という一番金になる計画にも反対した上、もっと目立ちたいがためにルソーもどきの死刑廃止論まで展開した。彼の奇抜すぎる提案は、その死ぬほど退屈なうえに終わりの見えない演説のせいもあって総スカンを食ったかに思われたが、1人の変人はこの面白みのない理屈屋の小男がその内に秘めた、リーダーとしての素養を見抜いていた。党内きっての演説の名手ダントンである。

「贅沢しつつお金をたくさん貯める」という方針が否定される状況を嫌い、三部会を閉鎖しようと試みたルイ16世に対し、ミラボーをはじめとする知識人から「バカじゃないの?」というコメントが出されるにあたり、犬やら猫やら人やらの糞が散らばった地べたで酒を飲んだり鼻をほじったりさらにクソをたれたりしていたパリの民衆は手をたたいて喜び、日ごろの憤懣をいざや貴族の野郎どもにぶつけんと、汚い長ズボンをはいた足で一斉に立ち上がった。彼らは「われら市民に自由平等友愛を!」と叫びながら狂ったように暴れまわり、貴族と見るや問答無用で引きずりまわし、唾を吐き散らしながらむちゃくちゃになぐり殺した。こうして、それまで我が物顔でパリの街を闊歩していた裕福な半ズボン氏の勢力が、労働者階級の反半ズボン勢力、つまり長ズボン勢力からの圧力をモロに受け始めると、突如としてジャン=ポール・マラーが登場、「わて、あんたらの味方やで」と民衆に取り入り、その力を利用して、議会を牛耳っていたジャコバン派内の右翼グループであるジロンド派の追放をはかった。この際ロベスピエールも、「あのチビ正直言っておもろない奴やけど、まあ、ダントンがえらい気に入っとるさかい、仲間にいれたろ」と、議会乗っ取り計画の参謀に選ばれた。かくしてロベスピエールの、理性に徹した、女っ気のない、血みどろの、恐るべき理念が、実現に向けて動き出したのだった。
壮大なルソーごっこ 3fb1 恐怖政治全盛期のロベスピエール

ロベスピエールは山岳派の指導者の一員であったが、基本的に誰ともつるまず、自分の理念に従って行動した。かつて一度だけ王制支持者に殺されかけて、おしっこを漏らしながら近くの小物職人の家へ駆け込んでからは、そこに下宿し、一人で策を練っていた。彼は自分だけを信じていた。

彼は30を過ぎてもまだ理想に燃え、ルソーを本気で目指していた。彼は人間の「徳」をたたえ続け、その徳を守るために、悪徳を絶やす、つまり、フランスの敵を殲滅することが不可欠であり、ギロチンが必要だとかきくどいた。彼は本気だった。議会において、彼は毎日胸を張って長ったらしい御説教をたれた。毎度毎度出てくるギリシャ・ローマ英雄伝、尽きることのない心の徳への賛辞、フランスの敵を殺せ、毎日あいさつをしろ、お年寄りには席を譲れ、家に着くまでが遠足です。そのつまらなさ、堅苦しさ、長大さは目に余るもので、まるでこの記事のようであった。党員はしばしば貧血を起こし、ダントンやマラーもあくびまじりに次のようにこぼした。「おお、眠うてかなわん。何や、大カトーて。わて、あんましドリフターズ好かんのやけど」「マラーどん、何ん下らんこつば言うとっとね。おいどんも、あん男ばもさい思っちょりますばい。だけんど、根はよか男たい。あげな信念の強いんは、他にはなか」「ダントン、お前、ほんまに懐のでかいやっちゃ」

たしかにダントンは懐の広い人物であったが、悪く言えば大雑把で能天気だった。賄賂も平気で受け取った。その性格がのちに彼自身の首を絞める……もとい首を切ることとなる。

1793年に設けられた革命裁判所は、ロベスピエールの大好きなルソーへの道の第一歩だった。この裁判所は一審制をとっていた。つまり、被告に控訴権がなく、死刑判決が出たら即死刑である。続いて、公安委員会という名の秘密警察ができると、検挙率は格段に上がった。死刑は当然増え、ギロチンが採用された。重く鈍い斧の落ちる音を何度聞いても、ロベスピエールは決して後悔しなかった。フランスの敵をみんな処刑すれば、ルソーの目指した(とロベスピエールが思った)徳に溢れた理性的な国が姿を現すと信じて疑わなかった。彼は言った、フランスの敵を残らず殲滅せよ。われらが徳の勝利のために。やるべきことはただ一つ。首を切れ、首を切れ、反逆するなら首を切れ。ためらうことなく首を切れ。朝飯前に首を切れ、ランチの間も首を切れ、皿の合間に首を切れ、夕食済んでも首を切れ、年がら年中首を切れ、休むことなく、速やかに。なにはともあれ首を切れ、首を切れ、首を切れ、首を切れ、首を切れ、首を切れ、首を切れ、首を切れ、首を切れ、首を切れ、首を切れ、首を切れ、首を切れ。おかげでサンソンは大忙し。
恐怖政治がおわるまで 肖像画を書く際に彼に踏み台を与えなかったのは、ダヴィッドの生涯最大の失策であった

王様も、お妃様も、賢い男も、賢い女も、基地外も、フェミニストの女優作家も、みんな仲良く首をはねられて死んだ。なるほど平等だ。

ロベスピエールはその冷酷さにもかかわらず、背丈の低さやくそまじめな物言い、整いすぎた服装などから、他の二人、特にマラーからはこの上ない愛情を受けていた。ダントン、マラー、ロベスピエールの三頭そろって食事に行くと、ロベスピエールだけフルコースでないのだ。オードブルの後、彼だけに特別な皿が運ばれてきた。くまさんの書いてあるプレートに、ポテトフライとスパゲティナポリタンとハンバーグが載っていて、なんともうれしいことに野菜のつけあわせがない。別の皿の上のチキンライスには、彼の愛したフランスの旗が雄々しくはためいていた。マラーのいきな計らいであった。ロベスピエールはコックの労をねぎらい、貴族でない彼を差別することなく、断頭台の上に載せてあげたのだった。

1793年7月13日、水虫を治すべく活動を休止し、薬草風呂に浸かっていたマラーは、突然訪問したうら若き乙女に、「姉ちゃんそんなとこでぼさーっと立っとらんとこっち来いや」と紳士的に声をかけたとたんに下腹を深々と刺されて非業のを遂げた。彼女はマラーやロベスピエールがかつて根こそぎ議会から追放した、ジロンド派議員の恋人だった。現場に駆け付けたロベスピエールは、盟友の死に涙するでもなく、急いで宮廷画家のジャック=ルイ・ダヴィッドを呼び、ふやけた死体を示して「いいですか、なるべくかっこよく描くんですよ」と無理難題を言い渡し、立ち去った。ルイ・ダヴィッドはベストを尽くした。


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出典: 八百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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