プロテスタント
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神は見ているローマ教皇庁(Roman Curia)認可

本項の文章と内容は、完全に正しい事実としてローマ教皇庁により認定されており、全てのカトリック教徒に見せることが認可されています。

この資料を疑うことは神の御心に背く事になり、異端者として魔女狩りの対象となり、ほとんどの場合火あぶりとなります。
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「プロテスタント」の項目を執筆しています。「グダグダぬかさずに話を聞け プロテスタントのメス豚共」
? プロテスタント について、エンリコ・マクスウェル「わざわざ地球最高の頭脳を与えてやったんだから、聖書がデタラメって事ぐらいいい加減気づけよ」
? プロテスタントの聖書主義 について、

プロテスタント(Pro Test Stant)とは、英国から生まれたスタントマン集団である。古くはローマ教皇庁及び老魔法王に反逆した異端教徒を意味していたらしいが、歴史の捏造によって闇に葬られ今に至る。
目次

1 概要

2 黒歴史

2.1 現代においてのプロテスタント


3 教理

4 関連項目

概要

そもそもプロ・テ・スタントとは、その無謀なスタント活動によって重症厨二病患者と疑われている。この活動の規模が近年アメリカ合衆国で殊のほか大きくなっているため、被害妄想に取り付かれたローマ教皇庁は彼らを「カソリックに対して堂々と宣戦布告したも同然の逆賊」と見なし、近いうちに第10次十字軍を行って征伐もしくは第13機関イスカリオテによる異教殲滅を行う予定である。

彼らの活動内容は人生全てをかけて危険な精神状態に自身を追い込みながら、思い込みで捏造した天国に、駆け込み寺のように飛び込むのが最大の目標である。
黒歴史ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「清教徒革命」の項目を執筆しています。

神聖ローマ帝国は1500年ごろになると大変腐っており、大阪人にとっての納豆よりひどい状態だったという。この腐臭に我慢できなくなったマルティン・ルターなどが何とか帝国から脱獄した。

その後も腐臭がおさまらなかったので、1529年に「逆らってる俺カッコイイ!」と妄想をしながら腐臭に対する抗議文を送ったのである。これがプロテスタントの名前の元ネタではないかという風説が広まっているが、たぶん誰も知らない。

ピューリタン(略してピータン)と呼ばれる改革を行い英国国教騎士団という微妙に名前がかっこいい部隊を組織したが、納豆に対してピータンなのであまり変わりなかった。そうして、活動は年月を追うごとに次第にスタントマンとしてのパフォーマンスに移り変わっていくのである。

後にエホバの証人統一教会・日本乳業協会やらが分裂。なお、こいつらに至っては「キリスト教」扱いすらされていない。

現代においてのプロテスタントユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「カルヴァン主義」の項目を執筆しています。

このような経緯で発生したプロテスタントだったが、長い年月のうちに歴史の解釈が、学者・研究家・政治家・官僚・ハッカー・PARなどによって改ざんされてしまい、抗議文書云々という語源も忘れられ、現代では前述の通りもっぱら「スタントマン」を表す用語になってしまった。だがこれは決してデタラメではなく、聖書を読みふけるうちに開いた悟りの道だったのである。では、彼らの生態について解説していこう。

彼らはスタントマンなので、己の体が資本である。具体的に何をするかだが、例えば、周りを見渡せば美味しい料理に溢れているにもかかわらず全身全霊をかけてスルーしながら、わざわざまずい料理まがいに群がる。これは自分の精神を極限のハングリー状態に置き続けることで、この苦行真っ只中でなおも正気を保っているという、一種のパフォーマンスなのである。まず過ぎて肉体が悲鳴をあげる事もあるが、彼らにとってはなおさら都合が良いため率先して芸を披露し続ける。もちろんこんな事は普通誰もやりたがらないが、だからこそ彼らはスタントマンなのである。

パフォーマー人口は多ければ多いほど効果があるため、国ぐるみでプロテスタントになってしまう地域もある。その場合はさらに苦行がエスカレートして、互いに心を削りあいながらどちらが先に死ぬかというチキンレースがたちまち繰り広げられる。危険な仕事なので報酬は多い(それがプロテスタント圏における資本主義である)が、たんまりもらった報酬も使い道が無いため、さらなる苦行とパフォーマンスを披露するための道具を買うために使い切ってしまうのだ。ほとんどがノイローゼになるか自我を失う中で、わずかに生き残った人たちは莫大な報酬を手にするが、報酬を握りしめたまま天国に旅立ってしまう事例も多い。しかし、彼らにとっては天国行きになることが最終的な報酬であり、人生そのものは生きることではなくスタントのショーなので、このような結果になることは至福の結末と位置づけることが出来よう。

パフォーマンスを披露する相手は主にカソリック圏だが、最大の相手はやはり彼らが信仰している「神」であろう。なぜ彼らはわざわざこの「神」という得体の知れない生物にパフォーマンスを披露しなければならないのか。それは後述の「予定説」で解説していきたい。
教理ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「予定説」の項目を執筆しています。
基本教理


三位一体論 - スタントにおいて、苦行・観衆・報酬の3つはどれも欠けてはいけないという意味。ならばこそのスタントマンなのだ。彼らは報酬のためにスタント活動をしているのであって、決してマゾヒストなどではないので、勘違いしてはいけない。

聖書論 - ここに彼らのスタント活動の全てが記されている。繰り返し言うが、彼らはなにも魔術的儀式をやったのでもなく、狂気に駆られたのでもない。聖書に書いてあることを忠実に実践した結果、立派なスタントマンを世界中に輩出したのである。ちなみに魔術的儀式をやっているのはカソリックの方である。

天国論 - 彼らが目標とする究極の報酬。おかげでこの世の宝の全てが無駄になっている。ここを目指すことこそがスタント活動の最終的な目的であって、彼らの全てである。傍から見ればMOTTAINAI

創造論 - 日々精進を続ける彼らは、新たなスタント活動を求めて続々とそのパフォーマンスを創造し続けている。だけど最近はスタントマンとしての自覚がありすぎるのか、周りを巻き込んで危険なパフォーマンスを始めている。一般人をスタントマンの土俵に立たせるのだけは勘弁してほしいのだが。

死んだプロテスタントだけがいいプロテスタント - あらゆる楽しみをことごとくスルーする彼らの人生という名のパフォーマンスや、行き過ぎた創造論による巻き添え事故が多発しているため、現代では彼らプロテスタントの評価はお世辞にも高くない。スタント活動をしないヤツはヒトじゃないと思い込んでいる輩は昔からいるので、昔から評価は高くなかったのかもしれない。

予定説

まずい料理を食べ続けて精神的にボロボロになったプロテスタントが摂取する数少ない栄養素。生きるも死ぬも、天国行きも地獄行きも、すべてチェーンソー一本で死ぬ「神」の気まぐれという、普通の人からすれば聞いただけで劇薬に等しい効果を? 47ee ?つ猛毒なのだが、そこは国ぐるみで行うスタントのプロである。地獄行きの烙印を誰が押されるのかをテストしており、得体の知れない気まぐれな「神」をも手なずけてしまうほどの芸を彼らは持っているのだ。通常はそのテスト結果を誰も知ることが出来ないのだが、彼らはプロ集団なので上記のような危険極まりないスタント行為の正否によって探り当ててしまう。これら一連の行動様式が「プロテスタント」と呼ばれる所以であり、プロテスタントをプロテスタントたらしめているのが予定説であることもおわかりになるのではと思う。さて、プロテスタントにおける予定論の聖書的根拠の代表的な箇所はペトルの否認(マトフェイ福音26章、マルコ福音14章、ルカ福音22章、イオアン福音18章)に見られる。事前にペトルが主を否認しないといった時、主は、鶏が二度鳴く前に私を三度忘れたというであろうというがその通りになった部分である(マルコ26:66-72)。俺は最強の信仰というコピーに引かれ 最強になるためにはどうすればよいのか考えた 最強なのだからどんなこともできる 手始めに全裸で中庭の火によって暖まるため飛び込む 司祭長の婢が呆然としながら見てくるが最強なので気にしない 婢はあなたもイエスと共に在ったと絶叫俺は「知らないし! 覚えがないから!」と言って中庭から立ち去るだがまだ最強には不十分 次は外の前庭に鶏の鳴き声を聞きながら飛び込む 婢は傍らに立つ者に「この人もその仲間の一人だ」と告げる最中だったが最強なので無視 ガリレヤの言葉で 「俺は知らない!」と絶叫 確実に最強に近づく 少し時間が経ちそこに立っていたものが「やはり仲間の一人だガリレヤ人でありその言語は似ているから」という 呪いながらお前がいっている人の事は知らないと突撃この時鶏が再び鳴く捕まったイエスの鶏がニ度鳴くより前にあなたは三度私を知らないという言葉を思い出す俺は泣いた

カトリックの場合、これは主がペトルを守るためにそうされたとする(カトリックの予定論)が、プロテスタントの場合は主の意思がペトルを無視し強制したものではないとする。だがペトルが望み、しかし主が知りつつもその望み通りになるように図らなかったのは、ペトルが主の介在しない、即ち後の救済を約束するような神の定めた「将来(あるいは未来)」ではなく、人の定めた人自身の「予定」に基づいていたからである。

「予定」とは人間全体の心と罪から造られる人の行く先の定まりであり、神の介在する「将来」に比べると不確かだが、人間的であり人間を支配する。例えば旧約聖書における「土が呪わしいものになった」などの神の言葉は、将来を定めるものではなく、人によって造られた予定の確認である。予定は人が造ったものであるから人の行いによって(信仰に基づけば良く、不信仰なら悪く)変えられる不確かなものだが、しかし神は予定を確認し告げる事はあっても、それを受容し無くそうとはしないため、人が神の救済によって予定を無くす事は期待できない。これがプロテスタントの予定論であった。エック「わかってるねんで? ダビデの将来を約束したのが予定、ダビデの長子が死ぬといったのは将来。バカにしたらあかん。それがごっちゃに……」ルター「ダビデの長子が死ぬといったのは予定です」エック「わかってるねんで!!」
予定説の検証

予め天国か地獄かの運命が決まっているためにスタント活動でしか行く末を探れないこの教義だが、それがどのような結果となるかを、提唱者のカルヴァン本人の人生に焦点を当てて予想を立ててみることとする。
カルヴァンは聖書主義である。聖書というスタント取扱説明書の内容は絶対である。異教徒は天国には行かれない。
ちなみにプロテスタントでは、聖書の元に人々は平等である。


そして、予定説にしたがい、自分の人生の行く末は、自分の生き方というスタントに反映される。よって、スタント活動がうまくいっていれば成功である。

ジュネーブで聖書(をもとにしたスタント)をもとにした恐怖政治を敷いた。

そして行ったことは、聖書に反したどころか、スタントをやらないだけで処刑、ローマ法王を褒めたら処刑、そして自分に逆らったら処刑。
カルヴァンは神ではないし、プロテスタントの牧師は聖職者ではないので、自分に逆らった人を処刑した時点で聖書ともスタント活動とも関係がなく、聖書の元に平等であるという記述からもついに外れてしまった。


したがってカルヴァンは、自分の提唱した教義に従うなら、地獄行きが証明されることになる。

関連項目

マルティン・ルター


ゲーニッツ

メス豚共


プロテスタントは書きかけなんだが、俺は行かなきゃならないんだ。なに、帰ってきたらこの記事の続きを書くさ。気長に待っていてくれ。 (Portal:スタブ)


更新日時:2019年12月4日(水)02:03
取得日時:2019/12/07 07:22


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出典: 八百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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