パチえもん
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とっととばかばかしく編集するか、こっちの方に書いてください。そうでないと誰か怒られちゃうよ。
ドラえもん。

パチえもんとは、文字通り、藤子・F・不二雄原作の「ドラえもん」の亜流やパクリに当たるキャラクターやアニメ作品である。「パチモン」と「ドラえもん」の合成語。

有名なパチえもんとして、うまい棒のキャラクター(ウマえもん)があり、また中国や韓国ではドラえもんのパクリ作品がとにかく出回っており、あげく美国の政府機関にまでパクられるなどしている。(美国連邦通信委員会マスコットキャラ「ブロードバンド君」)

当記事では、ウマえもんや中国等のパクリ作品・美国の「ブロードバンド君」等ではなく、主に藤子・F・不二雄の漫画が原作のアニメ「パチえもん」について記述する。

"藤子・F・不二雄の漫画が原作のアニメ「パチえもん」"とは、一体どういうことか意味が分からない方が多いと思うが、これは順を追って詳しく説明する。まずは、藤子・F・不二雄(以下、「藤子F」または「藤本弘」と表記)の経歴を見てもらいたい。
目次

1 パチえもん乱造の背景

1.1 ドラえもんのシンエイ動画によりアニメ化されヒットするまで

1.2 過去の打ち切り作品の発掘


2 パチえもんの特徴

3 パチえもんの一覧

3.1 21エモン

3.2 ウメ星デンカ

3.3 キテレツ大百科

3.4 パラソル変兵衛

3.5 ポコニャン

3.6 モジャ公

3.7 その他


4 「パチえもん」製作スタッフの苦悩

5 一方で意外な形で功を奏したことも

6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

パチえもん乱造の背景
ドラえもんのシンエイ動画によりアニメ化されヒットするまで ウメ星デンカ(上図赤矢印参照)最終回の新連載予告。締め切りギリギリまで主人公のデザインは考え着いていなかった。

藤子F(藤本弘)が「藤子不二雄」として藤子A(安孫子素雄)と共にデビューしたのは1950年代だが、活躍するようになったのは1960年代からになる。1960年代には『オバケのQ太郎』(Aと共作)と『パーマン』がアニメ化したちまち人気漫画家となった。

しかし、1960年代も後半になると次第にスランプに陥るようになり、『Q太郎』や『パーマン』の連載は終了し、かといって新規連載もパッとせず、『21エモン』(1968年?1969年連載)は打ち切りで全4巻しか出ず、『モジャ公』(1969年?1970年連載)やはり打ち切りで全2巻、『ウメ星デンカ』も打ち切りとなった。

しかし、これらの打ち切り作品21エモンやモジャ公・ウメ星デンカ(不思議な道具が出てくるという設定)が、後の『ドラえもん』のプロトタイプとなることとなる。 ドラえもん第一話。まだこの頃は設定が固まっていなかった。

1970年には不朽の名作『ドラえもん』の連載を開始。

とはいえ連載開始当初、1970年代前半はまだあまり『ドラえもん』の設定も固まっておらず、1973年に日本テレビでアニメ化されるも、アニメ制作会社の社長が夜逃げして半年で打ち切りとなり、アニメ化は失敗に終わった。アニメは終わっても『ドラえもん』の原作の連載は続いているが、アニメ失敗のために、この頃の藤子Fは過去の人(『オバケのQ太郎』『パーマン』といった昔の作品だけで持ってる)という扱いをされることとなる。

1974年から、『キテレツ大百科』の月刊連載が始まる(1977年まで)。だが、『キテレツ大百科』はキャラと顔の設定が一切固まらないまま連載は終了。連載された雑誌自体も「こどもの光」という非常にマイナーな農協の発行している雑誌で、手に入れようにも、農協の一部の関係者にしか手に入らない(書店では手に入らない)というありさま。連載終了した1977年に小学館から一応単行本が3巻出たが、完全に空気であった。

また、その頃、藤子Fはポコニャンは1970年から1978年まで連載されたが、連載当初から『ドラえもん』の二番煎じという印象が強く、しかも藤子Fは『ドラえもん』の連載に力を注いでおり、こちらにはあまり力を入れたわけでもなく、全然ヒットするわけもなく、当然テレビ局からアニメ化の声などかかるわけもなかった。

だが、1970年代後半には『ドラえもん』は連載がようやく軌道に乗り、『ドラえもん』の漫画は爆発的に話題となり、1977年4月15日(金曜日)には「ドラえもんが毎回読める雑誌」として月刊コロコロコミックが創刊され、1979年4月2日(月曜日)には満を持してテレビ朝日系列でアニメ化された[1]。1980年以後は毎年春に映画も作られることになり、話題沸騰・日本を代表する人気作となった。と同時に、日本テレビでのアニメ化はなかったことにされた(テレビ朝日系列でのアニメが今まで途切れることなくずっと放映され続けていることは言うまでも無い)。

『ドラえもん』のアニメ大ヒットに伴ってか、1980年代前半は『ドラえもん』のアニメ制作会社・シンエイ動画からは、藤子Fの過去の作品『パーマン』『オバケのQ太郎』などリメイク(再アニメ化)されるようになる。同じく、『忍者ハットリ君』『怪物君』など藤子Aの作品など、シンエイ動画によってアニメ化された。
過去の打ち切り作品の発掘 国民的アニメドラえもん。

シンエイ動画は『ドラえもん』のアニメの爆発的ヒットで利け、会社の規模も拡大。『ドラえもん』のテレビアニメ年50話分・映画ドラえもん以外にも並行して、幾つものテレビアニメを作れるぐらいに会社の規模が大きくなっていった。

だが、1980年代も半ばになると、過去の藤子Fアニメのリメイクもやり尽くし、シンエイ動画は『ドラえもん』以外に藤子F作品でアニメ化するものが無くなった。だが会社の規模が大きいので、絶えずアニメをたくさん制作していなくてはならない。とにかく藤子Fの『ドラえもん』が人気だから、他にも藤子F作品をアニメ化したいが、藤子Fの"人気"作品にはもうアニメ化するものがない。では一体どうすればいいか?

打ち切りになった作品でもいいから、藤子Fの過去の作品を発掘してアニメ化すればいい。"藤子F"のブランドは絶大だから、大した原作じゃなくても、『ドラえもん』と同じキャラクターデザイン(作者が同じだから当然同じになる)で、『ドラえもん』と似たような話にすれば、スポンサーも必ずつく!!

こうして、1980年代後半には、主に1960年代後半?1970年代の藤子Fの数多の打ち切り作品が、シンエイ動画に目をつけられるようになり、アニメ化するようになっていく。

また、ドラえもん人気に目をつけたのは、ドラえもんのアニメを作るシンエイ動画だけではなかった。

その他のアニメ制作会社・テレビ朝日以外の放送局も、『ドラえもん』人気にあやかり、藤子Fに過去に数多の打ち切り作品があることに目をつけ、とにかくそれをアニメ化することに躍起になった。どんなつまらない原作でも、「藤子F原作」というブランドがあるなら、何とでもなる。

なるべく『ドラえもん』と似た藤子F原作をアニメ化用に選び、話が『ドラえもん』に似てない原作なら、アニメ化の際に話をばっさり切り捨てて全部アニメオリジナルエピソードして、『ドラえもん』に近付ければいい。

こうして、ドラえもんの亜種が造られるようになっていった。黒歴史→粛清されましたがほとんどであるが。



パチえもんの特徴

1979年にアニメ版『ドラえもん』が爆発的にヒットしたことから、他にも(藤子Fが昔書いた原作で)ドラえもんみたいなアニメをやろう。・・・ドラえもんの亜種が乱造されるようになったのはこれに尽きる。それらのアニメを、この項では「パチえもん」と呼ぶこととする。

また、小学館にとっても、藤子Fの過去の打ち切り作品がアニメ化すれば、それをリメイクとして藤子Fと藤子Aを除く新人作家(多くは藤子プロの元スタッフ)に連載させることで、利権が広がるという恩典があった。なお、藤子Fの打ち切りとなった作品は、小学館以外の出版社から出ているものが多いが、アニメ化の際に小学館はそれらの作品の版権をその出版社から大安値で買い取っていった。

藤子・F・不二雄の漫画が原作のアニメ「パチえもん」のキャラクターの特徴は以下の通りである。
ロボット、宇宙人、幽霊といった人外が主人公

レギュラーの四人組は、のび太みたいな作者の幼少期ボンクラ少年(主役)、性格も外見もジャイアンそっくりの餓鬼大将、性格もスネ夫そっくりのお坊ちゃま、ヒロインも必ず静香ちゃんのようなかわいらしい少女。

レギュラーの四人組に、出木杉みたいなリカーリングの人間キャラが一人付く。

ボンクラ少年の家庭は必ずと言っていいほど、サラリーマンの太った父親と専業主婦のやせた母親。きょうだいはいたりいなかったり。

話もドラえもんに似ている。だがドラえもんと異なり、明らかにつまらない。ストーリーも明らかにドラえもんの劣化版でしかない。

このように、キャラクターは『ドラえもん』に似ているが、『ドラえもん』のように個性豊富でなければ魅力もない。制作サイドから見れば話が、面白いかつまらないかはどうでもよく、とにかく「ドラえもんみたいなやつ」をやることしか頭に無かったため、そんなことは誰も気にしなかった。

また、ドラえもんの劣化版ということ以外に、一部の作品には以下の特徴がある。

原作はとても子供向けとは思えない? 4bfc ?らいブラック要素が強い作品なのに、なぜかアニメ版ではブラック要素が一切排除されている
「とても子供向けとは思えないぐらいブラック要素が強い作品」をアニメとしてそのまま放映してしまってはスポンサーがつかない。なので、そういった要素は全て削る必要がある。「原作レイプ」?そんなの気にしない。
パチえもんの一覧
21エモンユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「21エモン」の項目を執筆しています。

タイトルからして明らかに『ドラえもん』の劣化版に思えるが、絵を見ると余計そう思えてしかたがない。原作自体はドラえもんよりも前に、『週刊少年サンデー』にて1968年から1969年に連載されたものであり、21エモンの曽祖父にあたる18えもんも『ドラえもん』32巻や『エスパー魔美』4巻などに登場している。藤子F博物館では、ドラえもんと21エモンが共演する短編映画も上映されている。

原作連載終了から22年後(おしい!)の1991年5月2日から1992年3月26日まで、毎週木曜19:30?20:00にテレビ朝日系列で放映された。ドラえもんと同じシンエイ動画によって制作され、当初は一年・全52話以上放映するはずだったが、打ち切りとなったため、全39話。主題歌は忍者の「おーい!車屋さん」である。映画版もあり、『21エモン 宇宙いけ!裸足のプリンセス』が1992年3月7日に公開された。

「21エモン」という名前のキャラクターは、黄色い変な生物の方ではなくのび太みたいな奴 男の子の方である。まあ、一見すれば誰もが黄色い変な生物の方が「21エモン」だと思うだろうが、この黄色い変な生物の名前は「モンガー」という。『太陽戦隊サンバルカン』に登場する機械帝国のロボットではない。このモンガーと薯掘りロボットの「ゴンスケ」がレギュラーの人外キャラ。中でもゴンスケは『ドラえもん』本編にも出てきた。藤子Fはモンガーや21エモンよりゴンスケがお気に入りだったらしく、短編作品やドラえもんで使い回し再登場させている。口調や外見はそっくりそのままなので、よほどお気に入りだったのだろう。

人間キャラとしては、21エモン(主人公、ホテルつづれ屋の後継者たる少年)、ルナ(ホテルギャラクシーの令嬢)、リゲル(金持ちの息子で21エモンとホテルつづれ屋を嘲っている)の3人がレギュラー、スカンレー(宇宙探検家、ホテルつづれ屋の常連客)がリカーリングとして登場する。藤子Fアニメのテンプレに当て嵌めると、{人外(モンガー、ゴンスケ)、主人公のおとなしい少年(21エモン)、ヒロイン(ルナ)、おぼっちゃま(リゲル)、リカーリングの人間一人(スカンレー)}となり、ジャイアンに相当するキャラのみが存在しない。なお、21エモンは12歳の小学6年生である。

あらすじは、「21世紀後半、地球人と宇宙人の交流が盛んになった時代に、他の惑星からの観光客を相手に商売するホテル『つづれ屋』の当主の跡取りの話」。

このあらすじを聞くと一見面白そうな「ホテルを舞台にした宇宙旅行のアニメ」に見えるが、キャラを見ても解る通り、この時期の藤子Fは調子が悪かったのか、どうにも話には魅力が乏しく、原作の連載当初の評判も悪ければ、アニメの評判もあまり好くなかった。

1992年3月26日には、『21エモン』どころか、あの『ムーミン』まで打ち切り(無印を含めて2年間だが、続編の「冒険日記」が半年で打ち切り)、ホームコメディーのアニメ『ハーイあっこです』まで3年半で終わり、結局残ったのは裏番組でジェノヴァ(イタリア)が舞台の海外サッカーのアニメ『トップストライカー』だけになった(『ムーミン』の後任を引き受けたが)。そして、藤子Fの作品を放送して来たテレビ朝日系木曜19:30?20:00のアニメ枠も廃止されてしまった。

「藤子Fアニメが、スポーツアニメに敗けるはずがない。」と制作者も視聴者も高を括っていたが、裏番組『トップストライカー』は選手以外のヒロインが2人(アンナとカトリーヌ)[2][3]、主題歌が島崎和歌子で解るように『魔法少女ちゅうかないぱねま』のテンプレ{異国から来た主人公(吉川光)、滞在先の少年/少女(アンナ)、滞在先の主人(ロブソン)、お調子者のおじさん/おばさん(ベルティーニ)、彼氏/彼女(カトリーヌ)}を出してきたため、『21エモン』はこの目新しいテンプレに敗けたのである。

また、『トップストライカー』の制作会社は日本アニメーションであるが、完全な『いぱねま』のパチモンではなく、ロブソンは高山行男とは異なって「往年の名選手らしい賢明なキャラ」であり、ベルティーニも三軒茶屋のババアとは異なり意地悪ではない。後述する『キテレツ大百科』の制作会社・スタジオぎゃろっぷを学んでるとも言える。これらの経緯から、「光に敗けたのは、ジュリアンじゃなくて21エモンじゃねえか?」と言われる始末である。 21エモン。のび太みたいとか言ってはいけない。 レギュラーの一覧

ウメ星デンカユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ウメ星デンカ」の項目を執筆しています。 ウメ星デンカ 1994年劇場版

故郷のウメ星が爆発してしまったため地球に逃れてきたウメ星国の王室一家が地球の平凡な一家に居候するギャグ漫画。『ドラえもん』開始直前に藤子Fが小学館学年誌に1969年から1970年まで連載。全3巻。

一応1969年にTBSでアニメ化され、その25年後の1994年に単発映画としてアニメ化された。ただし、両方ともアニメ化は失敗に終わっている。

1960年代にアニメ化されたのは、当時藤子Fアニメは『Q太郎』や『パーマン』で成功していたからであり、とりあえず藤子作品をアニメ化しておけばいいだろう、というより、藤子Fも社長を務めたアニメ制作会社スタジオ・ゼロの資金源としてであった(元々、オバQもパーマンも資金源として作られた)。主人公の絵もQ太郎に似ていることもある。

ただし、当時既にカラー放送が完全化されアニメの放映もほぼ必ずカラーになっていたにもかかわらず、この作品は白黒(日本最後の白黒テレビアニメと言われている)であり、スタジオ・ゼロに止めを刺した作品になった。

その後時を経て、シンエイ動画に目をつけられることとなり、ウメ星デンカの1994年劇場版『ウメ星デンカ 宇宙の果てからパンパロパン!』として、『ドラえもん のび太と夢幻三剣士』『ドラミちゃん 青いストローハット』との同時上映となった。こちらがパチえもんにあたる。原作と1969年版は明らかに『オバケのQ太郎』『パーマン』の劣化版といった感じだったが、1994年版ではキャラクターデザイン・話ともに『ドラえもん』寄りに変化した。

シンエイ動画は、この『ウメ星デンカ』をリメイクとしてテレビアニメ化する計画があったらしく、1994年劇場版はそのパイロット版であったようだが、映画版の『ウメ星デンカ』の方の評判が散々だったため、テレビアニメ化計画は頓挫した。シンエイ動画は、『21エモン』がなぜ『トップストライカー』に敗けたかを理解していなかったようである。

「人外と小学生が同居し、不思議な道具が毎回登場する」設定は、『ドラえもん』よりも『ウメ星デンカ』の原作の方が前なのであるが、1994年となっては明らかに何番煎じとなってしまっている。原点で減点されると言う皮肉を受けた。
キテレツ大百科

※厳密にはパチえもんには入らない。ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「キテレツ大百科」の項目を執筆しています。

1974年から1977年まで農協の発行している「こどもの光」という非常にマイナー・農協関係者以外には実質入手困難という謎の雑誌で連載された(よく藤子Fは連載を引き受けた? 1366 ??のだ)。最初から最後までキャラ・顔の設定が一切固まらないまま連載が終了し、一応連載終了後に単行本が全3巻出たが、完全に空気という有様だった。

放送局もテレビ朝日ではなくフジテレビであり、アニメ制作会社もシンエイ動画ではなくスタジオぎゃろっぷであり、映画版は作られず通常版のみである。通信社のみが同じ旭通信社(ASATSU)である。放送日は日曜日19:00?19:30。初回は1988年3月27日、最終回は1996年6月9日である。

コロ助・キテレツ・ブタゴリラトンガリ・みよちゃん・勉三さんの組み合わせは、藤子Fアニメの「人外一人、四人組、リカーリングの人間一人」のテンプレで、『ドラえもん』におけるドラえもん・のび太・ジャイアン・スネ夫・静香ちゃん・出木杉とどこか被る所があり、『ドラえもん』の話題をしている時に「『キテレツ大百科』って『ドラえもん』と似ているよね」と話題に出ることでおなじみである。キテレツたち四人組は、表野小学校5年1組に在籍しており、コロコロコミックと同じ1977年生まれ(1988年4月時点の小学5年生)である。なお、誕生日が明確な人物はみよちゃん(1977年9月4日<日曜日>)のみである。四人組のその後を見ると、キテレツ・トンガリ・みよちゃんの3人は、2000年3月に高尾大学を卒業し、ブタゴリラは家業の八百屋を継承した。

世間的に「ドラえもんのパチモン」といえば『キテレツ大百科』であるが、アニメ放送は8年3ヶ月(99ヶ月)という長期間で『ドラえもん』に次いで第二位であり、作品自体の知名度も藤子Fアニメの中では『ドラえもん』の次に知名度が高く、主題歌の知名度も非常に高い(例:はじめてのチュウ、お料理行進曲、スイミン不足、Happy Birthday 他挙げるとキリが無いので省く)。人物設定も、落ち零れ・毒親・意地悪キャラがいない、大らかな雰囲気であり、ブタゴリラは「暴力を揮わない餓鬼大将」であり、トンガリは「嫌味じゃないお坊ちゃま」である。内容も、発明道具ではなく人物を中心に描いており、放送当時の世相や時代背景が解る内容も描いている。

このように、あらゆる面で『ドラえもん』との差異を打ち出してる面が大きい為、『キテレツ大百科』は、アニメとしても大成功に終わった部類に入っており、正確には「パチえもん」とは言い難い。実際に、遠藤綾、辻村深月、中村憲剛など『キテレツ大百科』を小学校時代に見て育った有名人も少なくないし、 1c01 戸松遥など『キテレツ大百科』の放送日に生まれた俳優声優が、『キテレツ大百科』の設定を忠実に継承する『妖怪ウォッチ』(こちらも「落ち零れ・毒親・意地悪キャラ」がいないので、「パチえもん」とは言い難い)にレギュラー出演する程である。

又、『キテレツ大百科』と『妖怪ウォッチ』の出演者と視聴者世代には、2月生まれがかなり多く、双方に出演した俳優声優までいる[4]。京田尚子(1935年2月22日<金曜日>)、荘真由美(1965年2月5日<金曜日>)、小桜エツコ(1971年2月22日<月曜日>)、遠藤綾(1980年2月17日<日曜日>)、辻村深月(1980年2月29日<金曜日>)、戸松遥(1990年2月4日<日曜日>)など。従って、彼らが誕生日祝賀会に出る際には、キテレツ大百科の「Happy Birthday」が歌われることは言うまでもない。椎名へきると言う工作員も、「スイミン不足」の歌手の一人であった。それも偶然なのか?

勿論、『21エモン』や『モジャ公』の方がよっぽど「ドラえもんのパチモンアニメ」なのだが、これらは『キテレツ大百科』よりも知名度が低いので、『キテレツ大百科』と異なり話題に登らない、可哀想な奴らである。アニメではなく、1996年以前の原作コミックならば表紙ぐらいは見た事がある程度だから、皮肉と言うべきである。

なお、『キテレツ大百科』のアニメの主力脚本家は、『サザエさん』のアニメのメイン脚本家で知られるあの雪室俊一であるが、これは後述する。最終回は作者・藤子Fの逝去(1996年9月23日<月曜日>)より3ヶ月前であったが、藤子Fは雪室俊一に対して「藤子Fアニメの中ではキテレツが一番好きで、毎週かかさず見ています。」と絶賛した程である。そして、戸松遥は、藤子Fが亡くなった時に小学1年生であったが、小学校の運動会をすっぽかして藤子Fの葬儀(1996年9月29日<日曜日>)に参列した。そうでなきゃ、『キテレツ大百科』の設定を忠実に継承するアニメで主演になれないよな。
パラソル変兵衛

※厳密にはパチえもんには入らない。ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「パラソルヘンべえ」の項目を執筆しています。

藤子A作品は本来この項目の守備範囲ではないが、次項のポコニャンと密接に関わっているため併せて紹介する。

始めからアニメとタイアップで企画され、講談社が新創刊した『ヒーローマガジン』に1989年から1991年まで連載。創刊号から鳴り物入りの扱いだったが、連載と 2460 共に雑誌も終了した。そして同時進行で、NHKからアニメ化されたのである。全2巻。

民放が藤子アニメで潤ってるのを見て、NHKも藤子アニメが欲しくなった。そこで、首尾よく藤子Aに原作の依頼を取り付けた。そしてもちろん、NHKが藤子Aに期待したのはパチえもんだった。番宣でも、NHKは藤子Aを「『ドラえもん』で御馴染みの藤子不二雄先生です」と紹介した。そう、NHKはFとAが別人物である事を知らなかったのである。だから、コンビの時に初期で世界観を共有していただけの藤子プロと藤子スタジオも見分けられない版権問題とかもあると言う大人の事情を知らない情弱メディアだったのはそこから来ているし、NHKの不祥事による受信料拒否もこの情弱さで伺える。ナンテ、ミワケノツカナイメディアダッタノダロウカ。

仕方がないので、藤子Aは主人公だけ考えて、脇役や舞台設定はNHKの用意した脚本家が作ることにした。まず、藤子A作品にはパラソルで飛ぶ変太夫というキャラがいた。こいつはお世辞にもお子様向けキャラでは無いので、子供向けに可愛くした、遠縁の変兵衛(ヘンべえ)を主人公に決めた。そして脚本家で、内気メゲル(もちろんのび太そっくりの遅刻魔である)、いずみ(ヒロイン)、ゴリ太(ガキ大将)、メモスケ(ゴリ太の子分)といった、パチえもんのフォーマットに合ったレギュラー陣を用意した。藤子Aは、変兵衛が自分の住むマボロ市パラソルワールドへメゲルたちを連れて行く話にしようとしたが、大長編でもないのに生意気だというわけで、もちろん却下され、メゲルの家に同居して彼を助けるといういつもの展開に収めることになった。「まるで京都の下水を大阪の上水道で飲む状態」とも言えよう。

アニメ先行企画なので、原作は当てにならない。また、NHK総合・教育の10分アニメ枠なので、週5話用意しなければならなかった。そこで脚本家(具体的には樋口雅一、中村修、あかほりさとる、川崎ヒロユキら)が知恵を絞って、パチえもんに相応しい話を作っていった。もちろん、藤子Aにも独自性やプライドはあるので、あんまりパチ臭い話にはダメ出ししたり、ビデオ化に際して削除させたりしている。さらに、NHKが「とにかく、有名人を起用したい」と考え、大物女優の中村メイコを変兵衛役に呼んだが、アテレコのしきたりを知らず、といって呼んだNHKの手前、一昨日来やがれと叩き出すわけにも行かず、関係者一同の頭痛の種になったという。また、最後の方ではパラソルワールドを舞台にすることで、藤子Aの顔も立てた。そして、NHKに「ドーン!」と来てしまった。

こうして、関係者の苦労の結果、全200話(30分枠アニメに換算すると概ね全67話分)が放映されたため、アニメとしては一応成功の部類に入る。また、藤子Aの母親はこのアニメがお気に入りで、墓石にも変兵衛がしっかと刻まれている。本作はパチえもんを想定しながらも、藤子Aの個性が出たため、厳密にはパチえもんとは言えない内容になった。しかし、パチえもんとしてはもちろん、藤子A作品としてもイマイチ物足りず、誰からも微妙な存在として忘れられていった。実はゲーム化されたのだが、「鬼みたいな姿の宇宙人が、地球を昔話の世界に変えて征服しようとする」というバリバリにパチ臭い話であり知名度はアニメ以上に低く、誰も気にしない状態だった。
ポコニャンユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ポコニャン」の項目を執筆しています。

原作は潮出版社(創価学会系)の月刊誌で1970年から1978年まで細々と連載された。原作連載終了の15年後の1993年にNHKでアニメ化された。全2巻。

「不思議な生物ポコニャンが、同居する男の子を不思議な能力と道具で助ける」というどこかで聞いたことのあるストーリーの作品。しかも主人公は、タヌキ(ポコ)でありネコ(ニャン)である。もはや色が青いか青くないかの違いだけである。原作のポコニャンの造形は完全にドラえもんである。(これがザ・ドラえもんズの一員と言われても全く違和感が無い)

『パラソル変兵衛』で苦労したことで、NHKもようやくFとAが別人物である事を理解した。当然、今度はFに新作を依頼してタイアップによって、今度こそ本当のパチえもんを作るつもりであった。しかし、藤子Fは既に晩年にさしかかっており、また小学館の半専属状態となっていたため、新作依頼はNHKといえども至難であった。そこで「F作品なら何でもいい」と方針を変え、ポコニャンが発掘されたのである。

ただ、ポコニャンは主人公の生物の造形こそドラえもんと完全に同じモチーフであるものの、アニメは幼児向けというコンセプトで造られることとなったため、アニメ化の際には、原作で主人公のパートナーが男の子(のび太にそっくりな奴)なのを女の子に変え、話はほとんどがアニメオリジナルストーリーで、またキャラクターデザインもポコニャン以外のキャラクターの造形は藤子色の薄いものとなった(ポコニャンのキャラクターの造形だけ引用され、他は原作とは全くの別物となったと言える)。要はポコニャンのビジュアル以外は、徹底的に原作ともドラえもんとも違う形に改変が加えられたのであり、他のパチえもんがアニメ化の際に極力ドラえもんそっくりに造られたのとは異なる唯一の例である。しかし、主人公そのものがあまりにも劣化ドラえもんなので、アニメの方もやはりドラえもんと似たものとなった。

『ポコニャン』のアニメの脚本は『キテレツ大百科』のアニメをほとんど一から手掛けて大成功させた雪室であったが、この雪室でさえ、『ポコニャン』を人気アニメとして『キテレツ大百科』のように後世に語り継がれる作品にすることはできなかった。NHK総合・教育の10分アニメ枠で放映され、一応全170話(30分枠アニメに換算すると概ね全54話分)続いたことから、決してアニメ化失敗というわけではなかった(少なくとも21エモンやウメ星デンカよりは成功に終わった)。しかしマイナーで、今となってはこのポコニャンを知っている者は 43f5 少ないだろう。

ちなみに、ポコニャンの主題歌(OPとED)は大事MANブラザーズが担当している。幼児向けアニメのはずなのに、その主題歌の曲名は「賽は投げられた」(OP)と「おやじと話す」(ED)であり、内容はアニメの内容とは1ミリもシンクロしていない、幼児がとても理解しがたい、とても幼児が口ずさむことのない曲となっている。何しろ、サビの歌詞が「その気んなって腹くくらなきゃ 将来だってない 君は見ていてよ」である。ポコニャンには"賽は投げられた"のように社会の厳しい現実を投げかけるシーンは皆無なので、これは完全にタイアップでしか無いが、なぜ"賽は投げられた"のタイアップ先にポコニャンが選ばれたのかは謎となっている。もっと他にいくらでもマシなタイアップ先はあったであろうに。

(アンパンマンのOPも歌詞は幼児には理解しがたい内容だが、メロディーが覚えやすいため幼児にも親しまれているのとは違って、"賽は投げられた"はメロディーも覚えにくいため、このアニメを見た幼児の頭に"賽は投げられた"が残ることは一切無かった)

また"賽は投げられた"は(それが大事とは違って)全くヒットすることは無かった。「賽」って意味を幼児が理解出来る訳がない。大人思考だったから仕方がない

ちなみに余談であるが、ドラえもんのアニメが長く長くなが?く続きすぎてネタが尽きた為か、このポコニャンの原作を元に作られた話が存在する。これは、ポコニャンが本家に流用できるほどパチ度が高い事を証明しているだろう。正に東京都の水道水における歴史である。 ポコニャンの原作。ドラえもんみたいとか言ってはいけない。 アニメ版

モジャ公ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「モジャ公」の項目を執筆しています。

「パチえもん」の最も顕著な作品。原作は1969年から1970年まで、幼年誌「たのしい幼稚園」・「ぼくらマガジン」(小学生3?4年生向け雑誌)に連載された。

原作では、主人公の少年が宇宙からやってきた生物(モジャ公)とロボットのドンモと3人で宇宙に旅に出る、という内容なのだが、伝染病・詐欺師・不老不死の星で自殺フェスティバル・精神に仮想現実を送信することで架空の現実を体感させて支配する死人の星などという、死ぬほど暗い・残酷で皮肉な話が延々続くも、さすがに「たのしい幼稚園」の読者達にはドン引きで、全2巻で打ち切りとなった。掲載誌が『魔太郎がくる!!』(藤子A作品)のように週刊少年チャンピオン連載だったら打ち切られずに名作(迷作)になる可能性があっただけに非常に惜しい、明らかに掲載誌を誤えたとしか思えない、全く対象年齢が考慮されていない作品。

あらすじはかなり藤子A作品っぽい(AはFと異なり、『笑ゥせうるすまん』のように高年齢層も視野に入れたどす黒い印象がある)が、藤子Fの作品である。藤子Fの暗いシュールな部分が垣間見える、というか残酷でシュールそのものであり、決して藤子Fが『ドラえもん』のような完全な児童視線の作風だけでは無いことがとてもよく解る。『ドラえもん』にも偶にブラックな話が登場することもあるが、世間一般のイメージでは『ドラえもん』は残酷ぶりが希薄だと見られている。

これらの一連のパチえもんの原作の中では唯一の傑作であり、読んだことの無い方はぜひ読むことをお勧めする[5]。(そもそも他のパチえもんの原作はどれも片手間で作られた作品であり、プロトタイプになることはあっても、傑作になどどうやってもなりようがない。)

この当時、まだドラえもんの連載が始まる前とはいえ、既に藤子F(藤子不二雄)はオバケのQ太郎・パーマンで子供向け人気漫画家として評判が確立していた。それでいて掲載誌は「たのしい幼稚園」・「ぼくらマガジン」という10歳未満向け雑誌である。読者たる10歳未満(小学校低学年まで)の幼児たちが、『パーマン』『Q太郎』のような作品を期待して雑誌を開けたら、載っているのはこれである。当然、10歳未満の児童がこれを読んでトラウマにならないわけが無い。

元々は二人で一つの"藤子不二雄"だったのが後に解散してF(藤本弘)とA(安孫子素雄)名義に分かれた理由として、よく「藤子A作品が少年チャンピオンの"恐怖コミックス"枠で連載した作品『魔太郎が来る!!』『ブラック商会変奇郎』などのブラックなイメージが強いから、A作品のせいで、Fの『ドラえもん』のような作品のイメージが悪くなるため」と言われている。だが、最初にブラックで残酷で児童に壮大なトラウマを残すような作品を大々的に連載したのは、明らかにFの方が先である[6]

ちなみに、主人公たちは家出して宇宙で地獄を見てきた後、一度だけ地球に帰るが、再び宇宙に出かけ(正確には地球が滅びそうになったので地球から逃げた)、路銀が尽きたので職安で仕事を手に入れて珍獣「ダンボコ」を狩りに行く回が終わったところで、そのまま連載が打ち切りになって未完となる(後に総集編に載った時は未完では無く満を持して完結したかのように編集されているが、実際は未完である)。仕方がないので、「コタツでみかん」で終わったとか終わってないとか。 自殺フェスティバル ※Aの作品では無い。れっきとしたFの作品である。 恐竜のシーン パリではエッフェル塔からの自殺が大はやり

だが、原作の連載打ち切りから25年経った1995年10月3日に、この『モジャ公』がテレビ東京系列で新規にアニメ化された際、それらのブラックな要素は全て排除され、『ドラえもん』や『キテレツ大百科』の亜流に徹したキャラクターと話にして、何の変哲も無い無難でほのぼのとした作品となった。それを象徴するように、アニメ制作会社は、後に『ポケモン』や『妖怪ウォッチ』を制作するOLMである。放送時間帯は、1995年10月3日(初回)?1996年9月24日は毎週火曜日18:30?19:00で、1996年10月7日?1997年3月31日(最終回)は毎週月曜日19:00?19:30である。

ブラックな要素が全て排除された理由として、放送枠が子供向けアニメ枠であり、「あまりにもブラックすぎて子供に見せるにはえげつない」というスポンサーサイドの理由による。だって、子供向けのコーヒー牛乳だって砂糖ミルクは欲しいよね?

とはいえ、話の核・この作品のすべてといってもよいブラック要素を全て排除したことで、後には全く何にも残らなかった。つまり、粛清されました

なので、とりあえずモジャ公のビジュアルだけはそのままにして、後は『ドラえもん』や『キテレツ大百科』の要素を徹底的に追加。ジャイアンやブタゴリラに風貌がよく似た餓鬼大将・ピテカン(坂本貫太)、スネ夫やトンガリみたいなお坊ちゃまの少年・もみ手、ニコ助、みよちゃんみたいな少女・河野みき、モジャ公と共主演する宇宙人ロボット・ドンモ? 5544 ??「アニメオリジナルキャラ」[7]として追加し、天野空太(モジャ公と一緒に住んでいる少年)も、原作の明らかに野比のび太みたいなビジュアルと性格から逆転させ、性格は『妖怪ウォッチ』の天野景太の先取り[8]で、風貌も徹底的に藤本弘風(『ドラえもん』と『キテレツ大百科』の折衷)にすることで、何とか体裁を取り繕った。空太やピテカンなどの人間キャラも、『キテレツ大百科』と同じく11歳の小学5年生(1984年生まれ。1995年10月時点の小学5年生)という設定に変更された。

餓鬼大将「ピテカン」に至っては、まんまアニメ版『キテレツ大百科』のブタゴリラのパクリである。パチえもんであるし、また「パチレツ大百科」[9]と呼んでも差し支えない。この頃は既にアニメの『キテレツ大百科』は『ドラえもん』に次ぐ人気作品になっていた。ピテカンという作品自体でいえば手は込んでいたのだが。

もはや、「原作の意味あるのか、それ」と言いたくなるほどだが、いいのである。「藤子F原作」というネームバリューさえ手に入れられれば、話が原作と1ミリもシンクロしてなくても、話の出来なんてどんなに酷くても、取り敢えずはスポンサーがつくのだから、誰も気にしない。。

原作とアニメがここまで異なる作品も珍しい。藤本先生もさぞ悲しがったことであろう。原作殺しの元祖と言える。ブタゴリラのキャベツよりもひどいではないか!!

以下は、モジャ公のアニメ版のキャラクター画像となる。黄色くて丸い物体「モジャ公」以外は全てアニメオリジナルキャラであり、またモジャ公の性格も180度変わり、もっと酷い事にアニメでは原作と異って語尾に「?モジャ」をつけるようになったので、全てが「アニメオリジナル」&アニメ版キテレツ大百科(の雪室俊一が考案した設定)からのパクリである。よく版権で訴えられなかったものだと言いたいが、雪室に訴訟なんて起こしている暇がないので親告罪として黙認されてしまった気がする。まあ、エヴァンゲリオンのロイヤリティ訴訟よりかはまだ軽度なんだし。

ぶっちゃけると、オリジナリティを徹底的に排除し、『ドラえもん』『キテレツ大百科』に加えて『オバケのQ太郎』に至るF作品の焼き直し要素にゴンスケの客演まで加えて、パチの限りを尽くした本作の救いは、最初の2話までは藤本先生の脚本だという事である。いや・・・それだけだけどね。なお、藤子Fの逝去は放送期間中の1996年9月23日(月曜日)で、その翌日9月24日放送「食べ合わせは恐いモジャ」の回で藤子Fの追悼テロップが掲示された。 左から、帽子を被っているのが餓鬼大将の「ピテカン」、ミキ、空太、トンガリもみ手、ニコ助
(なお、この空太は一応上に掲げた原作ののび太みたいな外見の奴と同一人物ということになっているが、どう見ても別人でありオリジナルキャラである。) 左からモジャ公の妹モジャリ、弟のモジャル、モジャ公 あるシーンより。


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出典: バ科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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