ニック・ハイドフェルド
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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ニック・ハイドフェルド」の項目を執筆しています。

ニック・ラース・ハイドフェルド(Nick Lars Heidfeld、1977年5月10日 - )は、2000年頃からF1でささやかれている都市伝説。その正体は、新型のステルス戦闘機とも、コンピュータープログラムとも言われているが、2009年現在、確認されていない。台湾語のページ ⇒[1]にも「幽靈,存在感薄弱」などと書かれ、生死も正体も確認されていない。
目次

1 開発、実戦配備

2 配置転換

3 本格始動

4 関連記事

5 脚注

6 外部リンク

開発、実戦配備

ハイドフェルドの開発は極秘裏に進められたため、正確なことはわかっていない。しかし、F1参戦以前から、下のカテゴリーで正確無比なドライビングが注目を集め、「コンピューター・キッド」などという、まるで日本オタクのような愛称を付けられてしまう。このことで、新型ステルス兵器の存在が明るみに出てしまうことを恐れたドイツ政府は、ハイドフェルドがメルセデスやBMWとのコネを有しているにもかかわらず、それらの資源を敢えて利用せず、2000年に陰険教授の弱小チームからデビューさせた。政府の思惑どおり、使えない車を与えられたハイドフェルドは全く目立った活躍を見せられず、このことが以後の彼のF1人生の大半を決することになった。
配置転換


2001年には、後に長い付き合いになるザウバーに移籍、フィンランドの酔っ払いとコンビを組む。チームメイトよりも遥かに良い成績を収めた。そんな中、トップチームである枕連合のシートが空き、そこには、メルセデスの支援を受けるハイドフェルドが収まるはずだった。しかし、あまりに影が薄かったため、マクラーレンのシートは酔っ払いに奪われてしまう。まさに、ステルス・ニックの真骨頂である。

2002年もザウバーから参戦、フェリペ・マッサとコンビを組む。再び獲得ポイントでチームメイトを上回るが、マッサはフェラーリに丁稚奉公として就職、後のステップアップへの重要な足掛かりを(運良く)掴んだ一方、ハイドフェルドは特に注目されることなく、再びザウバーに残留することになった。ふたたび、ステルス・ニックの真骨頂である。(以後、ワンパターンなため省略。)

2003年もザウバーから参戦したらしいが、特記事項なし。

2004年、ジョーダンから参戦したらしいが、特記事項なし。

2005年、ウィリアムズに移籍し、マーク・ウェバーとコンビを組む。ここでもチームメイトを凌ぐ活躍を見せ、既に2番手ゲッターの片鱗を見せつつあった。充分に優勝を狙えるポジションにあったにもかかわらず、ステルス・ニックが目立ってしまうことを恐れたドイツ政府とBMWの意向により、負傷欠場。古巣ザウバーに、影薄く舞い戻ることになる。他方、ウェバーはウィリアムズに残留、ウィリアムズは何の疑問も抱かずにニコ厨と契約した。みたび、ステルス・ニックの真骨頂である。
本格始動


2006年、BMWザウバーから参戦した記録が残っている。唯一記録として残っているのはハンガリーでの3位表彰台を獲得するものの、このレースで初優勝した道端馬豚とホンダの39年ぶりの優勝という話題に集中してしまい、誰も気にしなかった。2番ゲッターの座もデラべっぴんの初表彰台という2名が歓喜する中でシャンパンファイトすらステルスされた。インタビューはカットされ、よく考えてみればBMWとしては初表彰台だったはずであるが、それすらもステルスされた。又、このグランプリからやってきたくぴっかり君が2戦後に初表彰台に上がると、BMWチームはあたかも初表彰台のように喜び、また国際映像もくぴっかり君を新ヒーローの誕生のようにVIPクラスの扱いをした。まさにステルス・ニックの真骨頂である。

2007年もBMWザウバーから参戦した記録が残っているが、記憶にございません。おぼろではあるが、カナダで大クラッシュしたくぴっかり君が完全に目立ってしまった。まるで光と影のようなこの人生は、まさにステルス・ニックの真骨頂である。

2008年もBMWザウバーから参戦した記録が残っているが、記憶にございません。おぼろではあるが、2番ゲッターを4回もやって目立とうと考えたが、初優勝をくぴっかり君に持ってかれてしまった。やっぱり光と影のようなこの人生は、まさにステルス・ニックの真骨頂である。

2009年もBMWザウバーから参戦した記録が残っているが、記憶にございません。おぼろではあるが、第13戦イタリアGPで、地味さゆえに、フィジケラをオーバーテイクしたことに気付かれなかった。この時のフジテレビの実況は、「フィジケラの後ろからは、BMWのハイドフェルドです。(中略)そのハイドフェルドの後ろからは、御覧のように、フィジケラの姿もぉ(ここで間違いに気付く)……見えています。ジャンカルロ・フィジケラです!」という、極めて不思議なものとなった。そして、このレースをきちんと完走してみても、誰も気にしない。続く第14戦、 7ba2 シンガポールGPでリタイア。彼の活躍が、これまで誰の記憶にも残っていなかったのは、殆どリタイアせず安定的に完走を重ねていたためだと明らかになる。実は2年前のフランスGPからコツコツと連続完走回数がF1最高記録を作ってたらしいが、誰も気にしない。そして、リタイアしてみたところで、やっぱり誰も気にしない。そして筆者の私も今おぼろながら思い出したが、たしか第2戦マレーシアGPで2番ゲッターをやっていたらしいが、レースが途中で終わってしまった為に誰も気にしない。まさにステルス・ニックの真骨頂である。


2010年、BMWのF1撤退が発表され、ドライバー市場に放出される。しかし、相変わらず誰も気にしない。彼が影を薄くする主因であったBMWすら気にしていない。彼自身は「僕は、ライコネンマッサウェバー、ヴィルヌーヴ、クビサとコンビを組んで負けなかった」と主張し、来期の起用に向けて猛アピールしているが、世間では「あまり自己主張しない控えめな性格が好きだ」とか言われている。実は、マクラーレンやメルセデスの有力ドライバー候補だったらしい。しかし、何が不満だったのか知らないが、未だ項目すら作ってもらえないチャンピオンが突然マクラーレンに加入、マクラーレン移籍はオジャンになった。その後、メルセデスへの移籍を目指すが、何が面白くなかったのか知らないが、凍結処分されていたターミネーターが突然メルセデスから復帰、こちらもオジャンになった。その後、人に知られる事なくイタリア製夏バテタイヤのテスト要員をしていた。誰も気にしない


さらに、人に知られる事なくペーターのところに戻って来たのだった。寿司屋と一緒に走っていたデラウェアかデラべっぴんだかなんだか分からないそいや昔いっしょに表彰台に登ったことがある人をいつの間にか追い出してしまっていたのだった。てか、追い出されたことにもデラウェアかデラべっぴんだかなんだか分からない人は気付いて居なかったみたいだった。さすがステルス・ニック!いつの間にか撃墜しちゃってるところがすごい!結局、ボスのペーター・ザウバーもニックが戻ってきたことに気付いていないようで、今日もニックに対して「おーい!デ・ラ・ロサ!今度のシンガポールは入賞してくれよな!」って喝を入れてたんだけど、一緒に居たスタッフから寿司屋もみーんな誰も気にしない。気分がよかったらしく、ヘルメットのカラーを変更したが、遂にヘルメットの色までステルスカラーになった[1]。その目立たなさによりペーターに存在を完全に忘れられ、いつの間にかシートを失いこのまま誰からの記憶からも消え去っていく・・・。と思われたが、かつての同僚くぴっかり君がオフにラリーで派手にハードラックとダンスっちまい大怪我で当分欠場となり、その代役に選ばれることとなった。が、やはり誰も気にしないため、「あれ?いつの間に増毛したんだ?」と勘違いされることもしばしぱである。~

2011年、くぴっかり君の代役でロータス・ルノーから参戦することになった。ステルスコーティングされた黒いマシンに黒いスーツを着こなし、ステルスカラーのヘルメットをかぶって登場し、最新の軍事技術を披露した。そのため、道端馬豚などからは「ニンジャー!サムラーイ!」と賞賛を受けた。よく覚えていないが、第2戦マレーシアGPにおいて表彰台に立ったと記録されている。予選6番手だったニックは、決勝スタート時に第1コーナーを外側から攻め、ルイズをパスして2位に浮上したらしい。トップを走っていた鎌田吾作は、「後ろを走っていたルイズに黒いものが覆いかぶさり、いつのまにか消えていた。何が起こったのかわからないと思うが俺にもわからない」と証言している。最近、「この1コーナーの様子がFIAの国際映像に記録されている」、「もう一つの戦闘機が実は並走していた」、という都市伝説がよく出まわるようになった。しかし、ドイツ政府とロシア政府はこの都市伝説を全面的に否定している。中盤戦に入ってうだつの上がらないニックは、ますますその存在感が薄れ、上司は「シート空いてるならグロージャン座らせるか」とつぶやかれた。他のドライバーにアピールスべく、他のマシンと接触して、必死に自分の存在感を見せた。また、ハンガリーGPでは、ピット出口でマシンを燃やし、観客や他のチームクルーにアピールしたが、「誰も乗ってなくてよかったね」と安心された。しかし、F1サーカスがベルギーを訪れる頃、シートにはいつのまにかセナの甥っ子が座っていた。不思議な事に、いつ交代したのか誰に聞いても明確な答えは得られなかった。一説では、ペトロフよりも成績がいいのに交代させられたことから、最新のステルス技術を警戒したKGBの仕業ではないかとも言われている。その後、ニックはドイツへF1よりもドライバーが外から見えにくい車に乗りに行ったとの噂もあるが、行方は定かではない。こうしてF1界一影の薄い男は、本当にF1からいなくなってしまった。でも、きっとニックは今日も世界のどこかで、レースに出ているはずだ。やっぱり誰も気にしないけど。
関連記事

ステルス


ヘイキ・コバライネン

マーク・ウェバー

hyde……156cmよりは大きいが、ニックは意外と小さい。ハイドフェルド、だから。

存在感が薄い

脚注^ニック・ハイドフェルド、ザウバーのスーツ姿と新ヘルメットを披露

外部リンク

俺たちのニック
 ・編・歴 FIA Formula One World Championship

チーム :レッドブル - マクラーレン - フェラーリ - メルセデス - ロータス - フォース・インディア - ザウバー - トロロッソ - ウィリアムズ - ケータハム - HRT - マルシャ
元チーム :BARホンダ - トヨタ自動車 - アンドレアモーダ - USGPE
現役ドライバー :1 ベッテル - 2 ウェバー - 3 バトン - 4 ハミルトン - 5 アロンソ - 6 マッサ - 7 M・シューマッハ - 8 ロズベルグ - 9 ライコネン - 10 グロージャン - 11 ディ・レスタ - 12 ヒュルケンベルグ - 14 小林可夢偉 - 15 ペレス - 16 リチャルド - 17 ベルニュ - 18 マルドナド - 19 セナ - 20 コバライネン - 21 ペトロフ - 22 デ・ラ・ロサ - 23 カーティケヤン - 24 グロック - 25 ピック
リザーブドライバー :ブエミ - フィジケラ
その他のドライバー :クラーク - ディニス - ハッキネン - マンセル - フェルスタッペン - ガショー - 片山右京 - 鈴木亜久里 - 井出有治 - 中嶋悟 - A・セナ - モントーヤ - J・ヴィルヌーヴ - クルサード - ラッツェンバーガー - 佐藤琢磨 - 中嶋一貴 - クビサ - ハイドフェルド - スーティル
関連項目 :富士エクストリーム耐久レース - ライコネン症候群 - マクラーレン爆弾 - SUPER H2O -


更新日時:2018年3月18日(日)14:06
取得日時:2020/02/21 02:49


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