シャッター通り
是非お友達にも!
◇暇つぶし何某◇

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この記事は誤りと嘘八百でいっぱいの百科事典である
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「日本休業」
? 商店街 について、店主

商店街(しょうてんがい)とは、全国の津々浦々に存在するシャッターの見本市会場である。かつては商品を売っていたらしいが、色々あってこのような業態に鞍替えが行われた。
目次

1 概要

2 歴史

3 協賛企業

4 関連項目

概要

都会には大手企業の営業所が近いため会場は少ないが、地方では営業所不足を補うため、あちこちに設けられている。ただし、所詮は地方であるため企業占有が進んでいないため、よろず屋的な見本市会場となっているのが現状であり、企業側としてはこれを自社一色で染めるのが狙いとなっている。

尚、消店街と間違えられることもあるが、登記上商業地としては残存しているので厳密には誤りである。消店街とはシャッターすらも消えてしまい、更地になったような商店街のことを指すべきである。
歴史

日本における商業の歴史は古く、それは縄文の昔に遡る。といってもこの頃は物々交換であった。

土偶マニアのさんは全国にいい土偶を見付けると、自分が育てた作物と交換していた。しかし、あくまで商談が成立するのはお互いの利害が一致した場合であるため、ある日遠隔の地で遮光器土偶を見付け、これを欲しいとせがむと、相手は足下を見て田んぼ全部となら交換してやると言われる。でも、それに一目惚れした余り、亜さんは「こいつが自分から俺と一緒にいたい」とか「こいつから買ってくれ買ってくれとテレパシーが送られてきた」などとどう見てもキチぴーな電波を受け取ってしまい、とうとうちっぽけな一体の土偶のために全ての土地を手放してしまい、数日後、全ての財産を喪った亜さんはそれを胸に抱えたまま息絶えていたという。実は亜さんは宮廷に仕える高官であったため、事態を重く見た国は「亜は物の価値も分からんから小賢しい賊党の奸計にはまってしまったのだ。こうなれば物の価値を示す基準を作らねばならぬ」と一念発起し、貨幣を造ることを決めたという。

その後、女王卑弥呼が現れ、日本はシャーマニズムの国になったため、あらゆるものは錬金術で作られるようになったことで、一時市場経済は途絶えた。ところが卑弥呼が死に、の台与の代も終えるととうとう日本には今までにない荒廃した姿だけが残るようになる。

そのため、文化に著しい後れを取った日本はせめて形だけでも追いつこうと、必死に隣の国から色々と輸入するようになるが、その時「お米だと虫が付いて困るアル、魚だと腐ってしまうアルね、お金ヨ、お金をよこすアル」と要求される。しかしながら、当時の日本にはそんな習慣はなかった。すると「ナント!倭の国はオカネもないアルか!(ブッw)…それならワタシがお金を売るあるね」。以来、日本にはお金を輸入することでお金が手に入るようになった。その対価として、なけなしの宮廷のお宝がどんどん売り渡されたかどうかはお察し下さい

しかし、その不平等さに気付いた朝廷は激怒し、自分の所で貨幣を造ることにしたのである。これが有名な「和同開珎」であるが、庶民は金の価値を知らず、池の鴨を驚かすために投げた、盗人を退治するのに投げた、耳に穴を空けてみずらの代わ?? 3fbb ?に使った、禁則事項ですにはめた、などまともに使われることはなかったのである。そして、また相変わらず割の合わない物々交換を続けており、青空商店街が続く有様であった。

本格的な流通システムが始まったのは江戸時代になってからであり、江戸大坂では同じ職種が集まることでお互いが結託して商店に対して高い相場価格を付けられ、お互いに潤うというシナジーが得られるということで、問屋街を造成したのが商店街の始まりだといわれる。また、徳川家光による参勤交代というバラマキ行政制度により、地方の至る所に宿泊、物資購入などの需要が起こると街道沿いに商店が設けられるようになり、これも地方商店街の元祖になったといわれる。中でも当時の商店街で目を引くほどのものは鳴海宿の絞り染めなどの反物商店街と、赤坂宿や品川宿などに代表される女人商店街である。

時代は更に進み、幕府が自滅して天皇家が実質支配するようになると、世界に追いつき追い越せと言わんばかりに無理やり貨幣経済を促進した。その結果、牛肉、革靴、水銀燈などあらゆる文明開化グッズが売られるようになり、それを販売する商店もあちこち誕生した。大がかりな都市だと呉服屋があらゆるニーズに応えた結果何でも屋になり、周りの客を吸引する一方、文明開化に遅れた地方では小さな店を寄せ集めれば、せめて大きく見えるのではないかという集約効果により、商店の寄せ集め、すなわち商店街というものが作られるようになったという。だが、その時商店で売っていたものといえば、近代化とはほど遠く打ち出の小槌、きびだんご、おむすびなどといったものであった。

それから戦後、日本の経済はぼろぼろになっていたが、その中で人々はしたたかに生き残るために自分たちにとって「これイラネ」というものをどんどん販売していく闇市が全国で大流行した。だが、その中に闇の帝王が生まれ、彼らは一帯の土地を買い占め、そして周りの貧乏人どもにみかじめ料とショバ代を提供する代わりに店舗を構えさせるスタイルが広まり、商店街の骨子が整った。

こうして庶民は少しずつ豊かになっていくのだが、いかんせん移動手段だけはまだろくなものがない。だから、人々は地元にこういう商店街が欲しいというニーズによって、あちこちに商店街が造られていくのである。だが、人間というのは恩知らずで欲張りな人種であり、あれが揃うならこれも揃えて欲しいと、地元の商店街に「品揃え悪いぞゴルア」とイチャモン付けるようになり、なんでも揃ってる店を求めるようになった。折しも最先端を逝く米英ではそのようなショッピングスタイルが最もヤングでトレンドとなっており、人はそういうスタイルに憧れていた。いつしか三種の神器も揃えた庶民たちは地元を捨て、中心の町を目指すようにある。そこはいわば地方の顏と呼べる商店街であり、欲しい洋服も果物も靴も何もかもが揃っているパラダイスであり、近くに化け物みたいな大きさで何でもそろってるよろず屋があった(これは百貨店というものであるがここでは述べない)。こうして商店街は地方の顏として君臨し、多くの人を寄せ付けていた。

ところが、その平和も長くは訪れなかった。最初の黒船が大英という薬局である。先見の明があったこの店は人が車を持ち始めたことをいいことに、少しでも土地の安い市街地外れを狙ってよろず屋「ダイエー」をバカスカ建てまくったのである。そこは何でもあり、何より当時大ブームだったインベーダーゲームが中にあるというのだ。おまけに駐車料金がタダである。こうなると人々は「あんな殿様商売で品揃え少ない店なんて行ってらんね」とそっぽを向くようになり、商店街に暗翳が差し掛かった。しかし、彼は駅前に建てたり、商店街の中心に建てたりすることもあったので、完全に睨まれていたわけじゃなかった。


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出典: 悪質なデマサイト『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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