キテレツ大百科
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…が該当する[8][9]。なお、『チンプイ』は、チンプイとワンダユウの宇宙人2匹がレギュラーで、『ドラえもん』とは全く別個である。なので、決して藤子Fの著作の全てが『ドラえもん』の二番煎じ・劣化版ではないことを留意されたい。というより、『ドラえもん』こそが「オバQの路線でSFネタを入れたマンガを描いてみよう」という経緯で出来た特殊なF作品だという説もある[要出典]。藤子Fは元々SFオタで鬱作品も多く、『魔太郎が来る!』や『笑うせぇするまん』の藤子Aはまた別のベクトルで黒い。一部のファン[誰?]は「Aは何もかも混ざった混沌の黒。Fは一点の曇りもない純粋な黒」と評するほどである。

もちろん、それらの一連のパチえもん作品の中で、今も知られているような作品は一つも無い。当たり前である。

なお、既に『ドラえもん』で成功していた藤子Fが、なぜこれらの不本意なパチえもんの制作を許可したかと思われるかもしれない。だが、藤子Fにとって1979年から続いているテレビ朝日版『ドラえもん』のアニメの方も元々あまり乗り気ではなかったのであり(日本テレビ系で最初にアニメ化した際は大失敗だったため、トラウマ気味だった)、もしドラえもんの2回目のアニメ化を拒んでいたら今のようにドラえもんは国民的になってなかったことを考えると、アニメ化を無理に拒むことは出来なかったのである。パチえもん作品の大半が失敗に終わった中で、『キテレツ大百科』はむしろ実質アニメオリジナル作品として成功したのが唯一の救いかもしれない。まあ、オファーがあるのだから取り敢えずはやっておこうと言う面もあったし、大山のぶ代さんがドラえもんに半生を掛けていたこそのドラえもんだったのだから。下手に何もしないでの粛清されましたよりも読者が忘れての検閲により削除の方がどうにかなるし。
「パチえもん」製作スタッフの苦悩

放送局や会社の上層部から制作するよう依頼を受けたアニメ会社の制作スタッフたちは、とにかく頭を悩ませた。エクストリーム謝罪にならない様に努めた。

いくら「あの藤子F」の原作を元に作るとはいえ、肝心のその原作は単行本が僅2,3巻しか出ておらず、しかも藤子Fも途中で話を作るのを放棄して連載打ち切りとなったようなとんでもない拙作(打ち切り作品)なのである。もしくはモジャ公のように原作の内容を一切使えないのである(原作つきアニメなのに原作の内容を一切使用できないというのも不思議な話だが)。

にもかかわらず、その原作を元にアニメを半年から1年持たせなければいけないのである。量も無いし(原作漫画をそのままアニメにしたら、アニメはせいぜい7,8話で終わってしまう)、ストーリーもお世辞にも面白いとは言い難い。(※藤子Fもドラえもんや他作品で多忙だったので、当然イイアイディアが浮かべばドラえもん等に優先して回していた)

つまり、アニメ制作会社は、とりあえず話・主要キャラの「枠」だけを原作から借りて、後は話を全部オリジナルで作らざるを得なかったのである。したがって、当然のようにほとんどが優もなく劣もない無味乾燥な作品になってしまった(特にモジャ公)。

一応「藤子F原作」という威光があるため、番組スポンサーも事前にちゃんとついて、また子供達からも事前に注目されたのであるが、蓋を空けてみたら内容は本当にクソなので、放送開始後せいぜい7.8話ぐらいまでには視聴者である子供たちに見限られてしまった(※子供の目は決して節穴ではない)。それでも予定では半年?1年放映することになってるので何とか無理やり番組の放映を続けたのだが、番組スポンサーにも撤退された結果、打ち切りとなった。利口な子供はちゃんと判断するのだから。


もちろん、これらの「パチえもん」作品を見た児童の頭から内容は自動的に消去され、後世に残るようなことは一切無かった。「悪い事じゃない、アンインストール。」なのだし。

ただし『キテレツ大百科』は例外中の例外で、既に『サザエさん』『 125e ひみつのアッコちゃん』等他多数で確たる実績を残しており(サザえさんとアッコちゃんではアニメの設定の大半が雪室によって味付けされたものである。"テクマクマヤコン"の呪文名を考えたのも雪室。)、70歳を過ぎた現在でもサザエさんで年間100本近くの脚本を手掛けているもはや怪物といってもいい雪室俊一に脚本が任されたので、大きく化けた。

キテレツは、家の光協会という無名の出版社の雑誌で連載され単行本もわずかに3巻、キャラの顔と設定すら連載最後までバラバラで統一されることが無かった(アニメ化は連載終了の11年後。)。そんな超マイナーな雑誌のしかも11年前の打ち切り作品である。正直、「藤子F」というネームバリューが無ければアニメ化される可能性など絶対にない原作である。普通ならば、半年と持たなかったであろう。

8年も続いたのは、雪室以外の誰にも成し遂げられなかったであろう。もはや奇跡である。さすが、1しか無い原作を(アニメ化の際に)100にでも1000にでも1万にでも膨らませられることの出来る雪室である。あのどこかで有名になった「自動卵割り機」の回の脚本も雪室であるから。「キテレツはワシが育てた。」
? パチえもん について、雪室俊一
一方で意外な形で功を奏したことも

また、ドラえもんで知られるシンエイ動画もベテランや中堅スタッフは既にドラえもん・大長編ドラえもん・(藤子作品以外が原作の)「おぼっちゃまくん」「美味しんぼ」等の他作品に既に手が回っているので、それらの「なんとなくドラえもんみたいなアニメ」に有能な(既に実績のある)スタッフを充てることは出来なかった。

よって人出が足りず、新人スタッフらだけにアニメの制作が任せられたのであるが、新人スタッフらは当然かなり苦しめられた。ゼロみたいな原作を広げて面白くするなんてベテランスタッフにすら困難なのに、当たり前である。特に「21エモン」という名のパチえもんは1年(52話)やるはずが39話で打ち切りとなった。

ただ、この時21エモンを担当した新人スタッフに原恵一らがいた。この時 原は大きく苦しめられた。オリジナル設定・オリジナルストーリーをほぼ全部自分達で作らなければいけなかったが、その苦労が原のストーリーテラーとしての才能を開花させた。苦労の開花は素晴らしい花となるのだから。

後にシンエイ動画ではクレヨンしんちゃんが爆発的ヒットとなり劇場版まで作られるようになったが、原は監督・? 13ca ?コンテ等以外に、いつの間にか「脚本」を劇場版でするようになったのである。映画はストーリーを一から作らなければならない。だが、原は映画の脚本(当然オリジナルストーリー)を一から全部作った。映画の監督及びアニメの監督を兼任しながら。

原脚本のクレしん映画では「オトナ帝国の逆襲」「戦国大合戦」などいわゆる子ども向けでは無く実質大人向けの作品が特に有名だが、それより前の「いかにもクレしんらしい、原作テイストが前面に出たくだらない映画」もほとんどが原脚本であり、それらも評判が高い(特に暗黒タマタマなど)。

よく「若いうちの苦労はお金を出してでも買え(苦労が人を成長させる)」というが、まさにそれである。作画畑だった原がパチえもんのアニメ制作というとても困難な苦行を積んだことで、ストーリーテラーとして目覚め、結果、クレヨンしんちゃん映画の傑作が生まれたのである。また、原以外にも21エモンや他のパチえもん作品の(当時の)新人スタッフは成長しほとんどがクレヨンしんちゃんに回されていった他、また(シンエイ動画の外注先の)京都アニメーションの若手スタッフもパチえもんの制作で原作に頼らず(頼れず)一からアイデアを絞り出すことで育っていった。「京都アニメーションはワシが育てた。」
? パチえもん について、シンエイ動画

パチえもんアニメの制作という「困難・苦行」が、原恵一ら当時のシンエイ動画の新人スタッフらを飛躍的に成長させ、今があるのである。
脚注^ 放送当初2年半の1979年4月?1981年9月は、日曜朝が30分通常版で、月曜日から土曜日までが10分だけの短縮版である。金曜日だけの30分通常版は、1981年10月2日以後。
^ 佐藤智恵に至っては、『キテレツ大百科』と『妖怪ウォッチ』の両方に出演しており、『妖怪ウォッチ』のカンチ(『キテレツ大百科』のトンガリに相当)と、『キテレツ大百科』でダムに沈む村の小学生・三太を演じている(1990年9月2日放送「宿題が危ない!8月32日を作ろう」に登場)。更に、佐藤智恵は1歳下の荘真由美と同学年で、遠藤綾や辻村深月が生まれた日に高校受験生だった『金八先生』世代である。
^ 『モジャ公』の原作のエピソード「自殺フェスティバル」では、観客の前で、モジャ公達が自殺を強要させられるという場面で、(作品の中で)有名なドキュメンタリー映画監督がやってきて助けてくれるというもの。その助ける方法は・・・観衆に向かって地球の戦争の記録映像を見せて興味を逸らす。
監督「みなさん! ただ今お見せしているのは、近日ロードショー『宇宙(秘) 135f 地帯』予告編です。一つの星にいくつもの国がある不思議な世界、同じ星の人間同士 血を流し合っている おそろしい星!」
観衆「なにっ同じ星の人間同士が! まだそんなやばんな星があるのか」
監督「本物の戦争ですよ 自殺フェスティバルなんかくらべものにならない迫力ですよ!/さあさあ観に行くなら今だ 戦争が終わらないうちに」 ⇒[1]
^ 読み切りではAの『黒ィせぇるすまん』が前年の1968年に描かれているが、大人向けの『ビッグコミック』掲載だった。なお、1969年はAもモジャ公に少し後れて『狂人軍』を連載し、さらにFは『ミノタウロスの皿』を発表した。そして年末にはFの『ドラえもん』が始まったので、FにとってもAにとっても大きな転機の始まりの年と言えた。なお『魔太郎が来る!!』の連載はさらに後で、しかも『モジャ公』と異なり掲載は幼年誌ではなく、ちゃんと中学生・高校生以上向けの雑誌である。『ミノタウロスの皿』の連載もビッグコミックであった。
^ 餓鬼大将と少女は一応原作にも登場するが、ほんのちょい役であり、そのエピソードの大半はアニメで作られたものである。
^ 1995年版『モジャ公』初回から18年3ヶ月後の、2014年1月8日にアニメ化された『妖怪ウォッチ』の人間主人公の名前も「天野景太」だが、こちらは「天野空太」とは異なり、高知名度で誰からも敬愛されるキャラになってしまった。その上に、景太と空太の2人とも、11歳の小学5年生という設定で、一人称は「オレ」である。
^ 2018年1月6日から毎週土曜朝に放送されているアニメ『ポチッと発明 ピカちんキット』は、『キテレツ大百科』の丸パクリで、主人公の小学5年生の少年はサンバイザーを付けており、コロ助に相当する人外がおり、「ピカちん大百科」が登場するなど、正に「パチレツ大百科」そのものである。
^ 小学館が2013年?2014年に発行した藤子Fアニメファンの論叢「Fライフ」(全4巻)では、好きな藤子F作品に、『エスパー魔美』『チンプイ』『SF異色短編集』といった『ドラえもん』以外の作品を挙げている人々が多数いる。
^ 藤子Fが『チンプイ』を制作した動機は、中央公論の編集長から「女の子が主人公の作品はいかがでしょうか?」と提案された事である。出典:藤子F不二雄全集『チンプイ』の巻末コラムより。

関連項目 f12 ウィキペディア専門家気取りたちも「パチえもん」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。

ドラえもん

藤子不二雄 - 藤本弘(藤子F)と安孫子素雄(藤子A)の2人とも、こちらで詳述。

パクリ - 上記のパチえもんは一応全て作者公認のパチモンであるから、非常にややこしい。

小学館

シンエイ動画

コロコロコミック

江川達也 - 藤本弘ヘイターのくせに、『まじかる☆タルるートくん』や『魔動天使うんポコ』など、パチえもん漫画を描いている。

トラのもん

外部リンク

モジャ公の原作の紹介「SFマンガの傑作「モジャ公」」

藤子・F・不二雄の最高傑作「モジャ公」
1876

更新日時:2019年8月29日(木)18:36
取得日時:2020/09/23 17:04


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出典: 悪質なデマサイト『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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