カノッサの屈辱
[Uncyclopedia|▼Menu]

カノッサの屈辱(カノッサのくつじょく、イタリア語:Umiliazione di Canossa、ドイツ語: Gang des Canossa、英語: Walk of Canossa)とは、聖職叙任権をめぐってローマ教皇グレゴリウス7世と対立していた神聖ローマ皇帝カノッサ4世が、1077年2月に、教皇による破門の解除を願って北イタリアのハインリヒ城に赴いて許しを願ったことをいう。この歴史的な謝罪を評してカノッサ4世はエンペラー・オン・キングス・イン・アポロジー(謝罪界の王の上に君臨せし皇帝)と呼ばれる。ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「カノッサの屈辱」の項目を執筆しています。
目次

1 破門とその経緯

2 カノッサの屈辱

3 カノッサの屈辱パート2

4 後世への影響

5 関連項目

破門とその経緯

1075年、カノッサ4世は北イタリアにおける影響力を増すべく、自分の子飼いの司祭たちを次々と大司教に任命した。当時、司教の任命権は教皇にあったため、教皇は「行いを改めなければ帝位を失うであろう」との厳しい書簡をカノッサに送りつけた。カノッサ4世はこれに激怒し、教皇の廃位を宣言。ところが教皇も対抗して、皇帝の廃位と破門を宣言した。

キリスト教社会の当時において、破門とは社会的抹殺を意味した。破門された者は教会へ入ることを許されず、教会からの宗教的保護を受けることも許されず、教徒と同等の立場で関わりを持つことも許されず、周りの者から鼻をつままれて「くせー!」と罵られ(エンガチョ ドイツ語: Engatscho)、理由も無く頬をひっぱたかれる。

カノッサ4世の破門の報せを受けたドイツの諸侯たちは、これを機会にとばかりカノッサ4世に叛旗を翻し、会議にて新しい皇帝を選出することを決めた。ここに到って手詰まりとなってしまったカノッサ4世は、破門の解除を求めて教皇に謝罪に赴くことになった。
カノッサの屈辱

十余人の従者とともに、教皇のいる北イタリアのハインリヒに向かったカノッサ4世だったが、その道中は苦難の連続であった。街行く人々からは鼻をつままれ「くせー!」と罵られ、30分おきに従者からは頬をひっぱたかれ、別の従者からは20分おきに頬をひっぱたかれ、20と30の最小公倍数は60だから1時間に5回、60分ごとに右と左の頬を同時にひっぱたかれつつ、街行く人々からは鼻をつままれ「くせー!」と罵られ、別の従者からは「エンガッツォ!(Engazzo)」と妙な指サインを示されたと思ったら頬をひっぱたかれた。こうして8日間の苦難の旅の末、教皇のいるハインリヒ城に着いたカノッサ4世を待っていたのは城の扉に貼られた「残念! 教皇は南イタリアにいるよ?ん♪」という一枚の紙だった。カノッサの屈辱パート1である。
カノッサの屈辱パート2

呆れた従者達が順番にペッとカノッサ4世に唾を吐きかけては1人、また1人とペッと唾を吐きかけては去っていき、遂に1人となってしまったカノッサ4世は、行きと同様の苦痛を味わいながら中イタリアまで戻り、そして南イタリアへと旅立った。南イタリアまでの道中では街行く人々からパスタを投げつけられ、這う這うの体で南イタリアのナポリの教皇邸に着いたのはカノッサ4世というよりもうパスタだった。

窓から覗いていた教皇に対して破門の解除を懇願したパスタ(以下、カノッサ)は謝罪の言葉を述べるも、教皇は「誠意が伝わらない」としてはねのけ、「悔 5117 恨の心を示せ」とカノッサに迫った。これを受けてまずカノッサが最初に行ったのは、語尾にサーセンを付けるという方法だったが、悔恨の心は全く伝わらなかった。次にカノッサが行おうとしたのは東洋の国最大の謝罪の意とされる切腹だったが、何かがおかしいことに気付き、寸での所で何とか思い止まった。そして「悔恨の心」を示す方法が何かないものかと思案に思案を重ねたカノッサは、気が付けば雪の中を3日も動かずじっと立ったままの状態だった。その雪とパスタに埋もれたカノッサの姿に痛く心を打たれた教皇は、ここにようやくカノッサの破門を解除した。エンペラー・オン・キングス・イン・アポロジー誕生の瞬間である。
後世への影響

この事件は教皇vs皇帝の世紀のスペシャルマッチであったが、教皇が皇帝よりも強いということを満天下に知らしめる結果となった。その後も教皇の権威は上がり続け、21世紀の教皇ベネディクト16世に到ってはもはや誰も立ち向かえないレベルになっている。この『カノッサの屈辱』という言葉は、「強い奴に刃向かっちゃったものの、結局ごめんなさいすること」の慣用句として現在でも用いられている。
関連項目ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「アントニオ猪木対モハメド・アリ」の項目を執筆しています。

アナーニ事件

謝罪

エクストリーム・謝罪 1077年大会

屈辱とパスタにまみれた皇帝 - この事件をモチーフにした文学作品

アントニオ猪木対モハメド・アリ

カノッサの陵辱

カノッサの憂鬱

カノッサの暴走

カノッサの消失


更新日時:2019年1月23日(水)12:15
取得日時:2019/07/09 10:01


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション
Wikipediaで表示
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしUncyclopedia

Size:7673 Bytes
出典: 嘘八百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
担当:undef