アルビレックス新潟
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アルビレックス新潟(- にいがた)とは、新潟市を本拠地とするプロサッカークラブである。
目次

1 概要

2 歴史

2.1 チーム結成以前

2.2 チーム結成?J1昇格まで

2.3 J1昇格後

2.4 2010-2011年

2.5 2012年

2.6 2013年

2.7 2014年

2.8 2015年


3 現在

3.1 1月

3.1.1 大移動

3.1.2 和田元コーチ、大阪FC監督に就任

3.1.3 西村竜馬選手、アスルクラロ沼津よりレンタルバック

3.1.4 北嶋秀朗氏、トップチームコーチに就任

3.1.5 不老伸行氏GKコーチに就任

3.1.6 トゥッコフィジカルコーチ退任

3.1.7 安田好隆氏トップチームコーチに就任

3.1.8 吉田達磨監督就任

3.1.9 ラファエル・ハットン選手、レンタルバック

3.1.9.1 NGT48本格的活動を開始


3.1.10 佐藤優平選手、モンテディオ山形へ完全移籍

3.1.11 契約更新いっぱい

3.1.12 始動

3.1.12.1 AFC U-23選手権開幕


3.1.13 高知キャンプ 

3.1.14 化けるということ


3.2 2月

3.2.1 タイキャンプ

3.2.2 小林裕紀選手、アルビレックスキャプテンに

3.2.3 試金石 トヨタ・プレミアカップ 対ブリーラム・ユナイテッド戦

3.2.4 ソン・ジュフン選手、水戸ホーリーホックへのレンタルを延長

3.2.5 茶野隆行氏、新潟医療福祉大学コーチに就任

3.2.6 清水キャンプ

3.2.7 トレーニングマッチ アウェイ川崎フロンターレ戦

3.2.8 開幕、の前に

3.2.8.1 GK

3.2.8.2 DF

3.2.8.3 MF

3.2.8.4 FW


7fe7 3.2.9 2016年開幕戦 アウェイ湘南ベルマーレ戦


3.3 3月

3.3.1 なんて素敵なバカ試合 アウェイヴィッセル神戸戦

3.3.1.1 というわけにもいくまい

3.3.1.2 というわくにはいくまい・その2

3.3.1.3 3選手の怪我を発表




4 その他

5 関連

概要

Jリーグチームであるが、本州日本海側では最大規模を持つプロスポーツチームであり、女子サッカーチーム「アルビレックス新潟レディース」は元より、シンガポール唯一の日本人サッカーチーム「アルビレックス新潟シンガポール」を所有。さらにはシンガポールが出資する形で、2012年にスペインのバルセロナに「アルビレックス新潟バルセロナ」を設立。さらに、同じくシンガポールが出資して、2014年1月にカンボジアの首都プノンペンを本拠地とする「アルビレックス新潟プノンペン」が設立するという、実に新潟県民もビックリな増殖を繰り返すクラブである。

その結果、日本で一番世界進出を果たしているクラブチームである。信じられないんだけど、海外に3ヵ所もクラブを抱えるということは、確かにそういうことになる。

愛称は干潟。

なお、雪国を本拠地とするチームなので、J1に昇格して10年を経過し、今年こそACLを狙おうなどという話が出たとしても開幕直後に今年こそ降格だろうと思っているネガティブなファンが大勢いるのが大きな特色である。今年こそ優勝だ! なんて夢物語は口が裂けても言えず、言ったとしても他チームのファンのみならず、自チームからもバカにされる運命にある。負けて納得し、勝って不思議がる、判りやすく言うと東北楽天ゴールデンイーグルスの先輩のようなチームである。ついでに言えばカップ戦(菓子杯、天皇杯)などは連戦連敗。まったく勝ち上がることができず、若手の練習試合だと割り切っている節もある。ただし、好くも悪しくも新潟市の気質にマッチしているため、地盤は新潟県のほか、お隣の庄内県魚沼県にも広がっている。

あわせて、サッカー以外にも別法人として野球チーム(新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ)やバスケットボールチーム(新潟アルビレックスBB、女子チームの新潟アルビレックスBBラビッツ、アメリカの独立リーグに所属するロングビーチ・ジャム・アルビレックス)、アルビレックスチアリーダーズに新潟アルビレックスランニングクラブ、スキーやスノボのチームとしてチームアルビレックス新潟、さらにはモータースポーツチームのアルビレックスレーシングチームなどが存在するが、新潟県民でもこの増殖にはほとんどついていけないため、この項目では割愛する。
歴史
チーム結成以前

1955年
、前身となる新潟市のクラブチーム新潟イレブンSC結成。

1994年、日韓ワールドカップの開催に向け、新潟市にプロサッカーチームを! というサッカー関係者にとっての夢物語、一般人にとってのどーでもいい戯れ言が始まる。

1997年、JFL(J2下部リーグ)昇格。チーム名を「アルビレオ新潟」変更することになったが、アルビレオなんて名称はとっくの昔に商標登録されていた。慌てて、アルビレックス新潟にチーム名を変更する喜劇を、新潟市民は生暖かい目で見守った。もっとも、この事件をきっかけに新潟市民にその存在を(一応)知られるようになる。(ちなみにこの時、「オラッタ新潟」と後一歩の所でつけられそうになった。笑われる名前にならなくてよかったね)

チーム結成?J1昇格まで

1999年ノストラダムスが地球滅亡を予言した年にJリーグに加盟申請。チームも4位とまずまずの結果を残す。
ファイル:アルビ販売機.JPG タダ券バラマキなど無謀なチーム経営の負債はこのような所に回っているが、所詮世間は冷た?い。

2001年、日韓ワールドカップ開催にあわせ、新潟スタジアム(通称:ビッグスワン)建設完了。ただし、長野オリンピックの悪夢から抜け切れない雪国人は、こんな赤字を垂れ流す箱物を建てどうすんだと、ずっと無用の長物扱いしていた。さらに、開幕セレモニーとしてさだまさしのコンサートを選んだそのセンスに多くの人間が驚愕した。

2002年、日韓ワールドカップが開催されると、日本人と一緒に新潟市民も世界のサッカーに触れる。そして、自分たちの県にもサッカーチームがあったことを思い出す。その結果、世界のサッカーとおらがとこのチームのレベルの差に愕然とした人間の多くは、ネタとして、日本で最も雪の多い地域の一つでサッカーチームを応援という自虐を楽しむようになる。そして、見事にJ2で昇格失敗。この段階で新潟市民のハートをがっちりつかむ。

2003年に何の因果か最終節に1位をかすめとる劇的な展開でJ1に昇格。この時期の奮闘をきっかけとして、新潟では反町といったら隆史ではなく北京オリンピック康治を指すことになる。ただし、代表監督の反町の下の名前が康治とは知らない人間も多い。ビッグスワン完成と同時に、タダ券のバラマキというそれまでになかった集客方法で熱心なファンを大量に生み出すことに成功する。このマーケティング方法は麻薬の売人が格安または無料で麻薬を提供し、常用者を作り出すのにたいへん似ている。思ったよりもでかいビッグスワンを橙色に染め上げたアルビレックスの成功があまりに派手だったため、日本全国に二匹目のどじょうを狙うサッカークラブが雨後の筍のように出現することになる。しかし、この時期から新潟の誇りだったなんて言うのはいくらなんでも言いすぎである。

J1昇格後

2004年、J2で得点王としてチームを支えてきたマルクスが抜け、1stステージ終了時で14位と降格の危機に瀕する。予想どおりと大部分のファンは感じていたことは秘密。その後、南蛮国よりオゼアスを召集し、ファビーニョ、エジミウソンの3人で南蛮戦隊オコメンジャーを結成。この戦隊の活躍により2ndステージは6位と躍進する。
この時期から、強い相手に勝ち、弱い相手に負けるというアルビレックスのチーム性が固まっていく。

2005年、隣の魚沼県大地震が起こったのに、「がんばれ新潟!」という垂幕で魚沼県民から苦情が来る。魚沼県の震災被災者からしてみれば、「魚沼の物は新潟の物? ふざけんな!」である。オゼアスが脱退したが、新たに代打の神様が入隊。世界レベルのフリーキックに驚いたファンは大勢いる。そして、そのフリーキック以外の得点源がなかったことに驚いたファンはもっと大勢いる。まぁ、この時期ぐらいなら新潟の誇りといえなくもない。

2006年、反町監督勇退。代わりにモンテディオ山形から骸骨がやってきた!でも、代打の神様帰国。そしてぎりぎり残留だ!

2007年、シーズン前に深井正樹、千代タン、デビ純カス、マル様、そして新潟に骨を埋める覚悟でやってきた検閲により削除を補強。これが功を制しチームは快進撃を続けた。中でも検閲により削除はチームの精神的支柱となりそれまでチームの顔であった慎吾ゴーゴーをベンチへ追いやる程の活躍をみせた。一応、6位に滑り込んだ。その後、チームが引き抜きでガッタガタになるとは知る由もなかった。

2008年、前シーズン終了後検閲により削除が「やっぱ俺、猫より犬派だから…」と言い残し沈没しかけの泥舟に復帰する。そして、アルビレックスにとってのバースが埼玉のお金持ちのところへ円満に移籍。彼の活躍ぶりから引き止められるわけはないと達観していた新潟県人は多いが、どうせなら、ヨーロッパに行ってほしかった。なお、開幕後に泥沼の4連敗を達成し、エジミウソーーーン(泣)と多くのファンに嘆かせたが、幸い、アレスさんの補強が当たり、なんとか降格圏を脱出。ところが11月になるとなぜかアウェイ戦でゴールが決まらなくなるいつもの病気が再発、順調に順位を落し続け、ついに最終節に、運が悪かったらJ2降格というプチスペクタクルを演出することに成功する。幸いにも、ガンバ大阪をホームに退けることに成功、J1残留を勝ち取ったが、最終的に13位。でも、まぁ、ほら、新潟だし。ちなみにこの年、マル様不在の試合でまったく勝利できなかったことは秘密だ。
このような順位でも監督の更迭の話が出てこないのが新潟クオリティだが、一つだけ強烈に動いているものがある。それは、2010年にJリーグの春秋制を秋春制に変更するだのいう戯言ついてである。新潟の冬に屋外でサッカー観戦するなどというのは、ある意味自殺行為であるため、サポーター、チーム一丸となって改悪に反対している。

2009年、前年度のチーム得点王アレスさんを手放すことを決意。まぁ、ゴールした瞬間にユニフォームを脱いで、イエロー食らったおかげで、チームをJ2陥落の危機に陥れていたことはサポーターも理解していたため、エジミウソンほど惜しまれることはなかった。代わりに、大宮アルディージャからペドロさんが期限付き移籍やってくる。
リーグ開幕直後から、何か悪いものでも食べたんではないかと思われるぐらいに連携が機能しまくり、リーグ戦で一時は首位にまで立ち、その後もリーグ上位をキープするなどという、新潟の歴史に残る快進撃。もちろん、ファンはまったく盛り上がっておらず、期待もしておらず、なおかつ「今年、何位ぐらいだと思う?」「ここまで調子いいから10位ぐらいじゃない?」などと半ば本気で話していた。これは、褒めた直後に負けるという、悪しき伝統を回避するためにはどうしてもやらなければならない儀式である。あわせて、リーグ戦とはまったく関係ないナビスコ杯では連敗続き、あっという間に敗退している。そんな彼らを見て新潟サポーターは「やっぱり新潟だ」と安心しているのも現実である。そして、夏に入ると同時にまったくシュートが入らなくなるいつもの病気が再発。多くのファンを安心させると同時に定位置へ向かって急降下し、無事、アジアチャンピオンズリーグ圏内から外れる。しかし、場合によっては、あの妙に薄っぺらな戦力でアジアの強豪と無駄な戦いをしまくるような状況に陥るとも限らないため、訓練されたアルビレックスファンでも気が気ではない状況が続くことになる。8月末、レンタル移籍なのにチームでもっともゴールしまくっていたペドロさんを大宮から完全移籍させる、と同時にネズミと11匹の仲間にン億円で売り渡す。仕組んだのがもちろん難波のあきんどであったが、その結果、新潟ではありえないほどの大金をタナボタで手に入れるが、このチームにそんな大金を有効利用できる経験はまったく存在しない。よって、ファンも気楽に、これでマリノスから移籍してきた大島秀夫がちったあ活躍するんじゃないか、などとてきとーなことをほざきつつ、ペドロさんの移籍からまっっっったくゴールが入らなくなった状況を、別の意味で楽しむのが、訓練されたアルビレックスファンのいつもの姿である。その後、いつもの勝てなくなる病が続くも、なぜか同じように勝てなくなる病にかかった相手と連戦することになり、なんとか順位を下げることなく9月を乗り切る。すると、10月4日、首位を走っている鹿島アントラーズとの戦いを○様のスーパーゴールによる1-0で勝利し、見事、今年度の降格を免れる。一応、首位争いも翌年のアジアチャンピオンズリーグ出場も可能な首位との勝ち点差4点での5位という立場であったにもかかわらず、今年度の降格を免れる。2009年のJ1最終成績は13勝11敗10引き分けで8位。そして特筆すべきは、優勝した鹿島に2つ黒星をつけた上、2009年度降格が決まった3チーム、大分に2引き分け、柏に1勝1敗、千葉に1勝1分けと、まさしく強いやつらには強く、弱いやつらには弱いという新潟というチームの持ち味を発揮した一年となった。あわせて、ウィキペディアにすら「中位力の新潟さん」とかかれる始末。これは、ウィキペディアのような信頼性のおけない辞書のようなナニカでは、以下に示すような2010年の惨状が理解できなかったためである。
2010-2011年

以下を参照。

2010年のアルビレックス新潟

2011年のアルビレックス新潟・前半戦

8075 2011年のアルビレックス新潟・後半戦

なお、なんで分割されたかについては、正直なところ思い出したくない。
2012年

アルビレックス史上最低の1年にして最高の奇跡の年。

2012年のアルビレックス新潟・第一部

2012年のアルビレックス新潟・第二部

2012年のアルビレックス新潟・第三部

2012年のアルビレックス新潟・第四部

2013年

この年、アルビレックス新潟は飛躍する。

2013年のアルビレックス新潟・序章

2013年のアルビレックス新潟・第一部

2013年のアルビレックス新潟・第二部

2013年のアルビレックス新潟・第三部

2013年のアルビレックス新潟・エピローグ

2014年

夢は夢。お金はお金。そして、人間関係は実に複雑だ。

2014年のアルビレックス新潟・序章

2014年のアルビレックス新潟・第一部

2014年のアルビレックス新潟・第二部

2014年のアルビレックス新潟・第三部

2014年のアルビレックス新潟・第四部

2014年のアルビレックス新潟・第五部

2014年のアルビレックス新潟・第六部

2015年

最悪とは、最悪に備えないことである。あわせて、ルールが変更されたことにチームとして対応しないとどうなるかというと、こうなるのである。

2015年のアルビレックス新潟・序章

2015年のアルビレックス新潟・第一部

2015年のアルビレックス新潟・第二部

2015年のアルビレックス新潟・第三部

2015年のアルビレックス新潟・第四部

2015年のアルビレックス新潟・第五部

2015年のアルビレックス新潟・第六部

2015年のアルビレックス新潟・第七部

2015年のアルビレックス新潟・最終章

現在

なお、この記事については常時アルビレックスの最新情報を掲載するよう心がけているものの、アンサイクロペディアのサーバーの具合により、どうしても最新情報が反映されない場合が多々ある。そのため、試合結果などを確認する際は、このページの最上部にある「履歴表示」から最新の情報を確認したほうがいい。
1月

というわけで、1月である。リオデジャネイロオリンピックまで実質半年。最終予選を含めれば、すでに勝負始まっている。問題は、吉田達磨監督の就任とコーチ陣の立て直しがまだなのと、15位の戦力を鑑みればなるべく補充ではなく補強といえる移籍を期待したいのだけれど、いかんせん、新潟である。なるようにしかならない。なるようにしか。
大移動

1月4日、仕事はじめと同時に大騒ぎが始まるからこそのアルビレックス。まずは、とんでもなく大きな、かつ重要な話として右SBの川口尚紀選手が清水エスパルスへレンタル移籍。これは、2016年がオリンピックイヤーであることと、同僚に松原健選手がいたということがすべてである。また、2015年の川口選手は守備面で課題が残り、最終的にはフィッツジェラルド舞行龍ジェームズ選手にすらポジションを明け渡していたため、そこからの挽回をはかるためには、若手育成に定評のある清水へのレンタルに手を上げるのも納得である。と同時に、アルビレックスとしては優秀なサイドバックの控えが必須になる。この時間が足りない中で。

さらに、もう1件、足りないDF陣がさらに足りなくなる事態となる。ただし、新潟の誇る酒井三兄弟の末弟、酒井高聖選手が隣県であるJ3チーム、福島ユナイテッドFCにレンタルということで、多くのファンはむしろどうぞどうぞとまるでダチョウ倶楽部のような反応であるし、それも当然である。アルビ時代にムッキムキの肉体を手に入れて、後は試合経験だけと感じるファンも多かったため、高聖選手のこれからの活躍を祈るとともに、さらに足りなくなったDF陣を前に軽くめまいがしなくもない。

けど、まだ、時間はある。はず。

その上で、さらにコーチ陣についても大移動が発生するんだから、仕事始めというものは恐ろしい。なんと、2008年から長年にわたってアルビレックスを指導し続けた栗原克志トップチームコーチが、なんとアルビレックスの育成普及部コーチに移動するという、けっこーなニュースがやってくる。これにより、アルビ色の強いハイプレス&ショートカウンターという戦術が大きな転換点を迎えた可能性もある。もっとも、ファンの中では今回のチーム内人事について、栗原コーチがS級ライセンスを取るための環境づくりという考えでまとまっており、残る茶野隆行コーチがいれば、柳下正明前監督の指導方法、もしくは戦術タスクの引継ぎが可能であるとの判断もある。

けれども、その結果として、新コーチ陣の補充がアルビレックス内部で行われることになった結果、新年早々にセットプレーの指導という点でどないすんねんという話もでてくる。出てしまう。けれど、新たにアルビレックスのコーチに就任することになった能仲太司前アルビレックスレディース監督については、まさにサッカー皇后杯でチームを準優勝に導いた実績があり、同じく育成部から栗原氏と交代する形になった片渕浩一郎コーチについても、ユース出身のアルビレックスの若手選手と深い関わりがあるうえ、北信越地区における日本サッカー協会のナショナルトレセンコーチを務めていた実績がある。そのため、もしかしたら、セットプレーの指導方法についても、それなりに大きな変化が出てくるかもしれない。出ないと困る。後、守備組織の再構築についても、できないと死ぬる。

あわせて、アルビレックスのコーチ陣の中で後はGKコーチの座が空いており、そこが埋まらない限りは守備時におけるセットプレーの指導なんざ厳しいという話もある。そのため、果たして2016年のあるびれつくすがどうなるかは、まさにこの1週間にかかっている。かもしれない。
和田元コーチ、大阪FC監督に就任

同じく1月4日。着々とスクラップ&ビルドの進むアルビレックスにおいて、組織を離れる人材との関係を良好に保つための必須事項、及び組織のイメージを維持するのにけっこー大きな要素である再就職先の斡旋力が見事に発揮され、2015年11月に退任した和田治雄コーチが、なんとJFLに所属するFC大阪の新監督に就任することが決定。その結果、J3のAC長野パルセイロ監督に就任した三浦文丈元コーチはもとより、日本屈指の名監督である森保一サンフレッチェ広島監督を育成したアルビレックスブランドが、今後、J2以下のチームにおいては、その運営において大きな鍵を握る、かもしれないなんて話になる。

それぐらい、派閥に影響されない人脈というものは大きい。

まぁ、悪影響も大きいのは認めるけれども、重要なのは落ち目の連中に引っ張られて落ちていくことを回避できる体制であり、上昇気流にのった連中の足を引っ張らない謙虚さである。特に後者。分かりやすく言うと浦和レッズ。とりあえず、2011年にレッズが楽しいことになったように、2012年のガンバがボロボロになったように、2015年の清水エスパルスが地獄を見たように、緊急事態における対応力では派閥に縛られないことが第一条件になる場合が多い。早め早めに監督のクビを切る、緊急補強で即戦力のDFを獲得する、当たりのブラジル人が出てくるまで移籍を繰り返すといった所業を行うには、何よりもまず身内人事に縛られないことこそが大事なわけで。

ただし、新監督の招聘自体、バクチであることは認める。
西村竜馬選手、アスルクラロ沼津よりレンタルバック

1月6日、JFLに所属するアスルクラロ沼津にレンタル移籍していたCB西村竜馬選手がアルビレックスに復帰することが決定。これにより、2015年にJ2及びJ3に波乱を巻き起こすきっかけとなったアルビレックスの若手レンタル移籍選手が、全員J1に帰還することとなる。分かりやすく言うと、活躍したら五輪出場という時期的に明確なニンジンがぶら下がることとなる。ただし、川口尚紀選手やロメロ・フランク選手といったJ1でも通用する人材をしっかりとレンタルし、さらには今後の成長を期待したい酒井高聖選手にも、しっかりと出場機会を確保できるようフロントは動いており、なまじっか身内での熾烈なレギュラー争いで腐らせるよりも、外の空気を吸わせることも大事であることを首脳陣は理解している。これは、本当に重要なことである。

ただし、困ったことに、いかんせん、CBすなわちセンターバックというポジションについては、フィッツジェラルド舞行龍ジェームズ選手ほかイム・ユファン選手に大野和成選手、増田繁人選手と駒がそろっており、西村選手に求められるものが活躍、ではなくさらにその上の飛躍になってしまうところが実に厳しい話である。もっとも、2015年の怪我祭りのことを思えば、しっかりとしたバックアップこそがチームの崩壊を防ぐ鍵となるため、西村選手に過酷なレギュラー争いを強いることはチームとしては間違ってはいないし、こういった壁を乗り越えなければ、少なくともJ1では生きていけないことも確かである。

どうなることやら。
北嶋秀朗氏、トップチームコーチに就任

1月6日、アルビレックスにとって本当に久しぶりとなる、純粋なFW出身の指導者がロアッソ熊本よりやってくる。というわけで、柏レイソルで天皇杯後、チームの引継ぎに大忙しの吉田達磨監督の人脈が早々に発揮された結果、2012年までのべ12年間柏で戦い、2011年の初優勝の大きな原動力となったミスターレイソル、北嶋秀朗氏37歳がアルビレックスのトップコーチに就任する。

もちろん、ほとんどのアルビレックスファンは森保一監督と同じルートをたどるもんだと、この時点で達観している。

しかし、人脈や実績、何よりすでにロアッソで2年間コーチを経験し吉田監督とも顔見知り。その上、キャプテンシーにもファンとのコミュニケーション能力にも長けていることから、珍しく、本当に珍しくアルビレックスにとって華のあるコーチの就任となる。ただ、どう考えてもモチベーターだよなあという話と、それに伴う戦術家としての能力の有無については、うーーーーーーーん。まぁ、高望みをするよりも、一つずつ拾い繕い対処していくほうが妥当である。あわせて、アルビレックスが北嶋コーチに求める知識、経験は多岐に渡っており、その中でもセットプレーについては誰がなんといおうと改善、改革しなければ今年もまたアルビが死ぬため、お願いですから柏のネルシーニョ監督が培った、もしくは選手に叩き込んだセットプレーの精神をば、監督と一緒になってアルビに注入したってください。いや、マジで。

声出し、マークの受け渡しなどの意思疎通はもとより、効果的な練習方法、上手な選手のクセ、下手な選手の特徴、状況に応じてのチーム全体での意思決定システム等、優勝チームには成功の積み重ねが存在。若手選手を考えさせる大きな財産になる。無論、セットプレー以外の話にも通じるのだけれど。

あわせて、もう1つ北嶋氏には大きな財産があり、2009年のJ2降格と2010年のJ1昇格という、強烈な失敗とそこからの建て直しを経験しているため、まさに2015年に崩壊したアルビレックスを立て直すヒントがそこにある。まぁ、そういった話をコーチ3年目の氏に求めるのはコクであるのだけれども、レイソルファンも認める次期監督候補としては、こういったメンタル面での大きな動きをどう選手に伝えるかがシーズンを通して重要な話になる。と思われる。
不老伸行氏GKコーチに就任

1月7日、2016年初となるアルビフロントのビックリドッキリ人事が発動し、愛媛FCのユースチームのGKコーチだった不老伸行氏(36歳)が新潟にやってくる。なお、大変に困ったことに立命館大学出身でヴィッセル神戸で控えGKとして2002年から3年間Jリーグに所属していた不老氏の経歴とアルビレックスの首脳陣及びフロント関係者の経歴でかぶっている箇所がまったくなく、一応は愛媛のユース監督に元アルビレックスの青野大介監督を通じて、不老氏がどんな人物であるかは確認できたことは確かなのだけれども、さすがに実績が未知数なユースチームのGKコーチであることが変わりはないわけで。

そのため、もっと実績のあるコーチを招聘するルートはな?? 7f06 ?ったんかいなという点がまず頭によぎって当然であると同時に、アルビフロントがどういった判断で不老氏の獲得を決断し一本釣りが行われたかをいろいろと調べると、面白い話がふんだららとかなんとかというのが世の中である。とりあえずは、新コーチの実力は未知数であってしかるべきなのだけれども、久しぶりにアルビフロントがバクチに走った感は否めない人事であると同時に、基本、GKコーチというものがチームのセットプレーの際の思想に深く関わるため、そういう点においても本当に未知数のGKコーチという存在は怖い怖い怖い。実際、不老氏の実績という点でデータを確認すると、2014年から愛媛FCのジュニアユース及び2015年にユースチームにGKコーチとして関わった中、四国プリンスリーグにおいてジュニアユース及びユースチームでそれぞれ2位という戦績を収めているのだけれども、いかんせん、愛媛ユース自体が四国屈指の強豪であり、頻繁に1位になるような強豪であるため、2位という数字いいのか悪いのか判断が難しく、それなりの戦績を収めている以上は、それなりにセットプレーについても強いチームであるとは考えられるものの、だとしても情報が無さスギである。

その上で、その情報をたどろうとすると面白い話が見つかるのが世の中である。そして、新たな人脈形成という面でいうと実にとんでもなかったりするのが世の中である。

というのも、不老氏の出身である立命館大学は関西のサッカー界で強豪として知られ、アルビレックスでも前野貴徳選手の出身校であると同時に、なんと大学のカリキュラムの中にJリーグ教育・研修コース(基礎)とかいうとんでもない項目が存在。ようは、日本のプロスポーツの将来を担うとかなんとかいう人材を輩出するための講座が2015年より開設されている中で、2016年2月よりわざわざ、受講者をJチームに雇用させる実習が行われることになっており、それも講座の開設にあわせてJリーグの村井満チェアマンがじきじきに後押しするレベルで、本格的な人材育成がスタートしようとしている。と同時に、当然のことながら、元Jリーガーや公認会計士、コンサルタントといった受講者の受け皿となるチームもどこかに必要となるわけで。それも、こんのクッソ忙しい時期に将来の人材育成を主眼に置くような奇特なクラブが。金儲けよりも地域密着やスポーツ文化の発展に尽力するような時流とはすこしずれたクラブが。

そんなクラブ、どこにあるかってんあるよここにしっかりと。というわけで、ええ、まぁ、なんだ。こういう話もあるのが世の中ということにする。気にしない。あわせて、この話は単純に不老氏とアルビのつながりを探そうとしたら立命館大学のHPにこんな話があったというだけで、至極てきとーな話である。
トゥッコフィジカルコーチ退任

短期間に人事異動が激しすぎて泣きたくなる1月7日。広報より、2016年のアルビレックスの指導に大きく関わる動きが発表される。2012年よりアルビレックスのコーチに就任し、柳下正明監督の下、J1でも1、2位を争うハードトレーニングの源となっていた名物コーチ、トゥッコ氏の退任することとなり、2016年のキャンプは、アルビネタとして鉄板だったグラウンドのコーンを見て選手全員が憂鬱になるという話が使用不可能になってしまう。ただし、今回のトゥッココーチの退任については2015年の惨状と深く関わっているため、ファンもその手腕を認めつつ、さすがに仕方ないどうしようもないという認識で一致。

とにもかくにも、2015年にあまりにも主要メンバーに怪我が多すぎたのは、アルビレックスのトレーニングと医療体制になんらかの不備があったためである。さすがに、試合中の怪我は致しかたないとしても、最終的にユース選手を動員せざるをえないところにまでチームが追い込まれてはさすがにいろいろと考え直すところがあって当然なわけで。

実際、選手の怪我のせいで2013年、14年に他を圧倒するスタミナで押し切ってきた戦術が破綻。それまで、春先にハードトレーニングを積み重ねれば秋以降のスタミナに直結、終盤戦になればなるほど勝てるという話が、2015年ではまるで逆。秋口にはごく普通に後半30分過ぎに足が止まるチームとなっていた。これは、チーム内にスタミナ配分という思想が根付く以前の問題で、さすがにあそこまで怪我人が出ればスタミナ不足かつスタミナ配分の経験が薄い若手を大量起用せざるをえなかった以上、どうしようもない。そのため、スタミナ強化のためのハードな練習が、結果的にチームのスタミナ不足を招くという笑えない状況になっていた。

あわせて、他のチームよりもスタミナ面で優位に立つという思想は、残念なことに連戦における勝率の低さに連なってしまい、連戦の初戦はどんな強豪チームでも互角に戦えるのに、連戦の最終戦では降格争いのチームとも互角、圧倒的な立場になれないまま勝ち点を伸ばせないという、実にアルビレックスらしい光景が広がっていた。そのため、2016年における若手選手の超大量起用におけるトゥッコ氏の立場が微妙だったことも確かで、柳下流のハードトレーニングでスタミナを強化するよりも、若い選手ほどスタミナ配分を考えさせるほうが無難であるし、何よりも2015年にチームが怪我で死んだことを思えば、まずは怪我の予防が第一義となっても仕方ない。その上で、無駄走りをしなければいけないときと、しなくていいときを叩き込むことで、体力的なスタミナも精神的なスタミナも試合終了まで持たせられるようにするのが、ある意味、理想である。問題はアルビレックスの選手にそういった理想を叩き込めるかどうかというと、


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出典: フリー誤報百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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