いじめを苦にした自殺
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いじめを苦にした自殺(いじめをくにしたじさつ)とは、主にプロレス技を中心に起こった悲劇の総称である。
目次

1 概要

2 イジメの先駆者

3 イジメを苦にした自殺

4 関連項目

5 外部リンク

概要

20世紀初頭から隆盛を続けてきたプロレスリングには、一般的に、もしくは横隔膜を痛めつける技が数多く存在する。ヒザでみぞおちを突き上げるキッチンシンクや、ダイビングボディプレス、ニードロップなどがそれらの代表的な技となっている。しかし、その中で胃を絞めあげる技を使うレスラーに、不思議なほど悲劇が付きまとっている。これはプロレスの歴史における大いなる謎である。
イジメの先駆者

プロレスリングの黎明期である1920年代を代表するレスラーの一人、ジョー・ステッカーは、主に足で胃絞めを行うボディ・シザースを得意技として、NWA世界ヘビー級王座を獲得したこともある名レスラーである。その驚異的な脚力で鹿を絞め殺し、対戦相手の胃を何十分にもわたってしめあげ続けたという逸話を持つ彼であったが、世界恐慌の訪れとともに徐々に精神のバランスを崩し、最終的に重度のうつ病を発症、30年にわたって精神病院に隔離されたまま81年の生涯を終えている。
イジメを苦にした自殺

戦後を代表するプロレスラーの一人、フリッツ・フォン・エリックは異常に鍛えられた握力を駆使した胃締め、ストマッククローを行うことでアメリカンプロレスを席巻。世界トップレベルの稼ぎを獲得していた。しかし、彼はその成功に溺れ、彼の息子達にも同じような道を歩ませようとしたことに悲劇が待っていた。

なぜなら、フリッツの息子達は彼のような巨大な手を持っておらず、また彼のように胃絞めを行うために太い足で横隔膜をけりつけ、問答無用のパンチで観客を熱狂させ、最後は動きの少ない胃絞めや頭蓋絞めでギブアップを取れるような時代ではなかった。にもかかわらず、偉大な父の跡を継ぐため、兄弟たちは総じて一般的な大きさの手で胃絞めを行い続け、ファンやプロモーターに時代遅れといわれ、独自のスタイルを築くべきというアドバイスも多々言われることになるも、トップ中のトップであり引退後もプロモーターとして絶大な影響を持つ父の下ではそういったことも満足に出来なかった。このことが、悲劇の遠因となっていく。

しかも、父以上の体格を持ち、兄弟の中でもっとも期待が込められていた次男のデビット・フォン・エリックが1984年に遠征先の日本で25歳の若さで急死すると、厳格な父はことさら胃締めに固執。兄弟全員同じスタイルで戦わせようとする暴挙に出てしまう。その結果、ファイトスタイルの問題に全員が苦しむこととなり、三男のケリー・フォン・エリックなどは1986年に交通事故で足を切断したにも関わらずにマットに引き戻される。さらに、次男の急死以前、4男のマイク・フォン・エリックは握力の源となる肩を怪我していた。そのため、別のスタイルを模索しなければならない中でこのような仕打ちを受けた結果、すでに危うかった精神バランスが一気に崩壊。彼は1987年に精神安定剤を過剰摂取して自殺してしまう。

この悲劇にも関わらず、フリッツは末弟のクリス・フォン・エリックをマットにデビューさせようと画策する。彼は、165cm、73キロしかない小柄な肉体の上、ぜん息まで病んでいたにも関わらず。

そのため、1990年にデビューを果たすものの、急激な体型の変化のためにステロイドを使用せざるをえなかった彼は、ステロイドの副作用である精神のバランスの不安定化をもろに受けてしまい、デビュー翌年の1991年に21歳の若さでピストルで自殺してしまう。もはや胃締めすらできない体格の末弟ですらマットに上げざるをえなかったフリッツ家の悲劇は、世界中のプロレスファンからフリッツ家の呪いとまで呼ばれるようになる。

そして悲劇に結末が訪れる。交通事故で右足を切断した翌年に、義足をつけてマットに復帰したケリーだったが、すでに鎮痛剤が手放せない体となっており、1988年に見事チャンピオンに輝いた後は、それが麻薬へと代わっていく。もちろん、父親とのわだかまりや兄弟たちの悲劇もまたその原因である。結局、1993年にコカインの使用がばれて逮捕され執行猶予中に自宅で自殺。もはや、胃絞めというものはありふれたつなぎ技でしかなくなった時代であった。

この悲劇を受け父親であるフリッツ・フォン・エリックは自らの誤りを認めるかのように、全てのプロレス稼業から足を洗うことになる。そして、長年彼を支えた妻とも離婚し1997年に癌のために亡くなる。それは、偉大なプロレスラーの死というよりも、呪われた一家の伝説の終焉という意味合いが強かった。そして、1950年代にアメリカで脚光を浴びた胃絞めを基本としたファイトスタイルも終焉することになる。

幸い、長男のケビン・フォン・エリックはこの悲劇を乗り越えている。それは、デビュー直後に父親譲りのオールドスタイル、裸足といったギミックをファンに受け入れられ、地元で安定した人気を得ており、また、兄弟間における数々の悲劇の結果、なんとしてでも彼には生きてもらいたい、生き残ってもらいたいというプロレスファンの想いが強かったためでもある。彼は、フリッツ家のテリトリーが崩壊した1995年にプロレスラーを引退。その後、地元であるテキサス州を離れ、ハワイで家族とともに暮らしている。
関連項目

いじめ

いじめの事実はなかった

プロレス

ストマッククロー

アイアンクロー

お前じゃない

外部リンク

悪質ないじめ(6分過ぎより)



更新日時:2017年11月23日(木)17:54
取得日時:2019/09/20 18:32


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