- 1 名前:世界@名無史さん [2010/10/24(日) 19:14:29 0]
- モーセ,イエス,マルクス,フロイト,アインシュタイン,彼ら皆ユダヤ人。
ユダヤ人は優秀だと言われる。ノーベル賞受賞者も多いらしい。 キリスト教やイスラームの成立によって,人類史に多大な影響を与えた。 ところでユダヤ人って何者?本当にヤコブの子孫で, モーセに導かれてエジプトから脱出したの? むしろ,血縁集団と言うよりも,ヤーウェを自らの神とした連合だったのでは? よく言われるハビル人との関係は? ベニヤミン族はアムル人のヤミナ族との関係と関係あるの? カナン定着以前,王政時代,バビロン捕囚, そして,キリスト教成立の背景となった第二神殿時代 ユダヤ戦争,タルムードの編纂,中世のユダヤ人,ハスカラ, そしてシオニズムから現代イスラエルまで,大いに語りましょう。 民族としてのユダヤ人だけではなく, ユダヤ教の歴史,そしてユダヤ文化をも含めて。 なお,個別のスレが立っているテーマはそのスレでどうぞ。 このスレだけじゃ語れない話題は新しくスレを立てても良いでしょう。
- 191 名前:世界@名無史さん [2011/03/31(木) 18:06:19.89 0]
- 応神天皇の時代に、弓月の君に率いられて日本に渡来した、
私達の一族秦氏の今まで語られてこなかった歴史を開示しましょう。 祖国が滅亡した後、遊牧民族のユダヤ人の一部はシルクロードへと逃れて、 弓月国(現キルギスタン付近)を拠点に、多民族交易組合を束ねるようになりました。 そこから中国へと流入して、万里の長城を建設していた漢民族以外の人々(秦氏)と交わることで、 シルクロードの交易ルートを確固なものとしました。 ところが長城の建設を苦役と感じて、扶余や高句麗の地域に逃亡する人々が現れました。 高句麗国では、ピラミッドや万里の長城を建設した実績を持つ秦氏を束ねるユダヤ人達を高く評価し、 王家との間に血縁関係が生まれ、神宮に伝わる道教とユダヤ教や原始キリスト教が習合(融和)していきました。 そのとき、東洋人との混血が進みつつあったユダヤ人の末裔たちは、驚くべき事柄に触れることになりました。
- 192 名前:世界@名無史さん [2011/03/31(木) 18:06:59.01 0]
- 高句麗国の道教は、太陽信仰を持っていて、日本の神道にも大きな影響を及ぼしています。
たとえば、神武天皇の力の象徴として描かれている八咫烏は、太陽に棲む三本足の火の鳥ですが、 高句麗国で信仰されていたものが、そのまま日本に持ち込まれているのです。 扶余や高句麗国を建国した英雄として東明聖王の名が知られています。 また、兄である東明聖王を支えて神宮を創建して斎宮制度を確立した妹姫の名は耀姫と一族の間で伝承されており、 この両名とも、日の出の太陽と関わりを持つことからも、 高句麗国の太陽信仰が日拝を含むものであったことが分かります。 今日の日本のお正月に日の出を拝む風習もまた、同じ太陽信仰の名残と考えられます。 万里の長城の苦役を逃れて高句麗国へと流入したユダヤ人の末裔達は、 高句麗国の太陽信仰と触れて、驚くべき事柄を耳にします。 海峡を越えたはるか東方に、『日国』があるというのです。 『東方の日出(ひいずる)国』は、ヘブライ語で『ミズホラ』と呼び、これは『天国』を意味します。 また、ユダヤ民族にとって約束の大地『カナン』は、ヘブライ語で『カヌ・ナー』と読めば、『葦の原』を意味します。 日本の古い美名として、『豊葦原瑞穂(とよあしはらミズホ)の国』という言い方がありますが、 これはヘブライ民族から見たときの日本の呼び方で、『約束の大地にある天国』という意味になります。 『平安京』は、ヘブライ語では『エル・シャローム(平安の都)』となり、イスラエルの都『エルサレム』と同じです。 また、『ヤマト』は、倭、大和、日本などの漢字で表記されることがありますが、これらはすべて当て字で、 本当の意味を踏まえて表記するなら、『八真人(やまと)』と書くべきです。 『真人』とは、高句麗国の道教の世界では、仙人のような能力を持つ高貴な生まれの人のことを指します。 『八』は沢山のという意味ですから、『八真人』は、高貴な王家の血を引くたくさんの王子達を意味します。 ヘブライ語で、『ヤ・マウト』と言えば『神の民』のことであり、 『八真人(やまと)』という日本語と、読みも意味も一致しています。
- 193 名前:世界@名無史さん [2011/03/31(木) 18:08:22.35 0]
- 以上をまとめると、
祖国が滅亡した後、遊牧民族のユダヤ人の一部はシルクロードへと逃れて、 弓月国(現キルギスタン付近)を拠点に、多民族交易組合を束ねるようになり、 中国まで進出した人々は秦氏として万里の長城の建設をになっていたが、 苦役に耐えかねて扶余・高句麗の地域に流入し、道教の文化とユダヤ教やキリスト教を融和させて、 新たな太陽信仰を作り上げていきました。 『豊葦原瑞穂の国』の存在を知ったユダヤ人の末裔たちは、 失われた祖国の再建を果たすために、朝鮮半島の東南部に集結して、秦韓を名乗り、新羅建国の礎を築きました。 そして、選民思想に基づく神の民の考え方を高句麗語に置き換えたヤマト(八真人)民族を名乗るようになり、 極東の島国をカナン(豊葦原 約束の地)と信じて応神天皇の時代に弓月の君に率いられて大挙して渡来しました。 ミズホラ(瑞穂の国 天国)にエルサレム(平安の都)を再建したのです。 平安の都のシンボルは、上昇と下降を示す三角形を重ね合わせた、正・反・合を意味するダビデの星であり、 皇室のシンボル菊の御紋章は、エルサレム神殿の正面を飾るユダヤ民族のシンボルと言われているものと同じです。 祖国を追われたユダヤ人の一部は、モンゴル民族などと交わりながら東進し、 ついに極東の島国に到達して、エルサレムの再建を果たしました。 秦氏は『豊葦原瑞穂の国』で八幡宮や稲荷といった神社を創建し、まるでチェーン店を巡らすように全国に建てていき、 日本の豊かな国風文化を築いていく平安の道を歩んだのです。
|
|