- 1 名前:世界@名無史さん [2014/08/30(土) 14:52:13.04 0.net]
- 一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語りましょう。
基本はsage進行。バルバロイによる荒し、煽りは適当に無視して下さい。 現代トルコ・ギリシャの話はできるだけ他所でやってください。 前スレ 【栄光の】トレビゾンド帝国総合スレ【東ローマ】 awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284293895/
- 736 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/09/15(火) 16:10:11.84 0.net]
- ちょうど鐙が普及し始めたからゴート族の優位が崩れたのだろう
民族大移動開始時にはゴート族以外は鐙を使っていなかったようだ 西ゴートも鐙を使うアラブ軍に滅ぼされている
- 737 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/09/15(火) 16:46:31.34 0.net]
- >>707
東ゴートのテオドリックは東ローマ帝国の皇帝の代理者という名目で統治にあたり、 またフランク族など他のゲルマン系部族の多くも東ローマの皇帝の権威を尊重したため、 少なくとも表面的には、東ローマ皇帝は地中海世界全体の宗主権を握る最高の支配者 という地位を保ち続けることができた
- 738 名前:世界@名無史さん [2020/09/17(木) 23:20:28.53 0.net]
- 7世紀に南スラヴ人がバルカン半島を南下し、西欧とビザンツとの間に楔を打ち込むと、
両者の交流は困難となった その結果、ローマをはじめとする西方の主要都市におけるギリシア語の知識は激減し、 同時にコンスタンティノープルにおけるラテン語の知識も大きく後退した そして、相互理解の機会は減少の一途をたどった
- 739 名前:世界@名無史さん [2020/10/18(日) 10:02:03.99 0.net]
- 東ローマにおいて古代ローマ時代のような”プレノーメン・ノーメン・コグノーメン”な
名乗りをしなくなったのって何で?
- 740 名前:714 mailto:sage [2020/10/18(日) 10:02:41.43 0.net]
- ageてもうたorz
- 741 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/19(月) 19:04:29.59 0.net]
- >>714
別にageてもいいんでない? もう5chの世界史板なんて過疎り放題でageようがsageようが大差ない それはともかく、その全名の名乗り方はローマ系住民の習慣であって 東ローマ帝国本土の大半の住民であるギリシャ系住民の習慣じゃない そりゃあローマ人の習慣なんて廃れていって当然だろうよ コムネノス朝頃だっけか? 家名を本人の名前の後に続けて名乗る習慣が出たのは。 それ以前か?忘れた・・・
- 742 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/19(月) 19:35:31.08 0.net]
- 第四回十字軍がコンスタンティノープルを占領したとき、
この時代までは残っていたギリシア彫刻の傑作も破壊されたんだよな 古代の文献もこの時に失われたものが多い 聖ソフィア大聖堂では聖域の大きな垂れ幕が、その金の縁飾りのせいで ずたずたに引き裂かれた 扉や説教壇からは銀細工や金メッキの彫刻が剥ぎ取られた 聖使徒教会では歴代
- 743 名前:皇帝の墳墓が荒らされた []
- [ここ壊れてます]
- 744 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/19(月) 19:58:25.68 0.net]
- >>714
9世紀半ば以降、テマの高級軍人の中に苗字を帯びる者が増大する
- 745 名前:世界@名無史さん [2020/10/20(火) 10:22:12.20 0.net]
- >>704
正教圏でも?正教徒にとってビザンツは総本山でしょ 逆に西欧もイタリアを祖国とは全く思ってない ローマは崇拝しても
- 746 名前:世界@名無史さん [2020/10/20(火) 11:02:47.06 0.net]
- >>719
正教圏のロシアで今ビザンツって人気なんだろうか? もし人気だったら、ロシア経由で国際的にビザンツ人気が盛り上がる可能性もあるかもしれない
- 747 名前:世界@名無史さん [2020/10/20(火) 11:22:15.56 0.net]
- なんで西ローマ帝国はあっさり滅びたの?
https://youtu.be/23QKcq73ebk
- 748 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/20(火) 12:35:50.55 0.net]
- >>719
正教徒はビザンツを総本山とは思ってないだろ ローマはペテロの座だが、コンスタンティノープルは使徒は殉教者や聖書所縁の地でもなんでもない カトリックにはラテン語という共通語があるが、正教はほぼ改宗後早い段階で聖書は現地語に 翻訳された 総主教も各言語圏ごとに独立した存在 また、正教圏の有力構成国はほとんどビザンツの領土だったことがない ブルガリア、セルビアは一時的に領土になっただけ アルメニアとグルジアは従属していただけ ロシアとルーマニアは領土になったことはまったくない(カトリック圏の中南米と同じようなもの) 正教圏としての一体感はあるかも知れないがビザンツを共通の祖先と見なす考えはあまりない とはいえまったく関係ないと思っているわけではなく兄貴分くらいには思っているかも知れないが
- 749 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/20(火) 16:30:18.23 0.net]
- 正教圏諸国人でビザンツで高官に出世した人が少ないのも痛い
オスマン朝は大宰相にまで出世したバルカン人やアルメニア人など帝国内の諸国人がたくさんいたが (というよりトルコ人よりも多い) 初期の頃はともかく、ヘラクレイオス朝以降の領土の縮小したビザンツ帝国で 高官に出世したのはギリシア人以外だとアルメニア人以外あまりいない
- 750 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/20(火) 16:46:44.60 0.net]
- >>723
よくビザンツは実力主義だったといわれるけど、 官僚となるための前提となった高度な教養自体、コンスタンティノープル以外では 事実上習得できず、地方の出身者で子弟を首都の高等教育機関に送り出すことが できたのは富裕な家系に限られていたんだよな 中国で科挙を受験することができたのも富裕層の子弟が多かったらしいけど
- 751 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/20(火) 16:53:21.83 0.net]
- 中世や古代なら「富裕ならチャンスがある」のは実力主義と言っていいんじゃない?現代社会なら格差の再生産だけど。
- 752 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/20(火) 18:18:27.29 0.net]
- 軍や下級役人で成果上げればどの民族や出自関係なく出世して官位も得られただけで十分だと思うけど
コムネノス以降とはその辺は分けて考えたい
- 753 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/20(火) 18:44:40.44 0.net]
- 富裕ならチャンスがある、ということは、経済力がある階層が時代とともに変わっても、経済力のある
社会層を常に支配体制に組み込める社会ということだから、こういう社会は持続性がある 社会でもっとも経済力のある層を支配層に取り込めなくなると、革命などの大きな社会変動が起こる もっとも、格差が拡大しすぎて人口の99%が下層となってしまうと、いくら富裕層を支配体制にいれたところで、 99%が反乱を起こせばひっくりかえるから、やはりどこかに閾値があるのだろう
- 754 名前:世界@名無史さん [2020/10/20(火) 19:31:16.40 0.net]
- コーンスターチヌス大帝 age
- 755 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/20(火) 20:25:43.50 0.net]
- お前らなんぞ目玉くり抜かれて終わりだよ
- 756 名前:世界@名無史さん [2020/10/21(水) 00:04:37.67 0.net]
- 今の日本で中国史や中国
- 757 名前:文化が親兄貴分としてしまれているのと同じような感じで
ロシアやバルカン半島諸国でもビザンツ史やその文化が親しまれてるってことはないんだろうか [] - [ここ壊れてます]
- 758 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/21(水) 00:31:37.14 0.net]
- >>730
ビザンツ史についてはどうだかわからないけど文化についてはあると思う だから >ギリシアでビザンツを作るとしたら、大ギリシア主義とは切り離して、周辺諸国含めた 普遍文化を強調すればうまくいくかも知れない ということ 東洋でも、中国が冊封体制を持ち出して周辺諸国を属国扱いしたり、逆に日本が大東亜戦争は正しかった とかいうと軋轢が起こるが、文化的なものなら中国人は日本のドラマをみて、日本人は三国志や キングダムが好きで中華史劇ドラマも結構みられている ビザンツは、ギリシアだけではなく、ブルガリアセルビアトルコロシアがあまりナショナリズムを強調するのがネック なんせ19世紀末から20世紀初頭は「火薬庫」と言われた地域だから、東洋より複雑で荒れやすい この点オスマンドラマは、ちゃんと諸民族出身者をドラマの登場人物に配して一方的に描かなかったこともトルコ以外で 受け入れられた理由のひとつ 一方ギリシアは大ギリシア主義と結びつきやすいからビザンツであまりアピールせず、古代ギリシアの方をアピールしてる
- 759 名前:世界@名無史さん [2020/10/21(水) 00:54:48.62 0.net]
- >>731
ビザンツの普遍文化というとやっぱり正教や美術・文学とかになるんだろう 軋轢を生みやすいナショナリズムからは極力切り離して、そういう共通文化からまずは親しみを持たせていくべきだな
- 760 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/21(水) 14:43:00.20 0.net]
- ビザンツ人は自国のことを、人類の歴史は多くの帝国の興亡史だったが、
自分たちの国はその最後を飾る帝国であり、その後にはキリストの再臨、 最後の審判が来ると考えていた オスマン帝国に滅ぼされたとき、ビザンツ人はどう考えたんだろうか
- 761 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/21(水) 20:05:51.15 0.net]
- お前らともあろうものがアレクシス和訳についてあまり話していないとは
- 762 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/22(木) 07:42:26.24 0.net]
- プロコピオスの『秘史』も。
- 763 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/22(木) 08:36:53.49 0.net]
- >>733
まだ滅亡まで余裕のあったうちは、終末論があったし、滅亡後民衆はそのように思っていたかも知れない 知識人の中には(少数派) オスマンをローマの継承者と見る人もいた しかしその他知識人は、西欧の勃興をわりと認識していたようだから、終末論を脱していた可能性がある その西欧では、このままオスマンに征服される危機感もあったろうが、一方でカール五世とかが登場し、 新たな普遍帝国を目指したから、結局のところキリスト教的ローマ帝国は西方で継続しているから 世界の終末はまだ来ない的な感じになったんじゃなかろうか モスクワ大公国がツァーを名乗るのもオスマン以外の継承者理念の反映なのだろう
- 764 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/22(木) 22:18:14.51 0.net]
- すいやせん
ギリシャの火ってどれくらいすごかったんですか? 現代科学でもギリシャの火は作れないんですか? これでもオスマンになぜ負けたのですか?
- 765 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/22(木) 23:22:58.07 0.net]
- ブリエンニオス歴史の翻訳終わってんならさっさと出して欲しい
引用の様子見てると相当事実に基づいてしっかり書いてそうだし
- 766 名前:世界@名無史さん [2020/10/23(金) 02:55:03.52 0.net]
- >>737
ギリシャの火が活躍したのは9世紀ぐらいのことであって、 オスマン帝国が攻めて来た15世紀にはとっくのとうに過去の遺物として忘れ去られた兵器になってたぞ その頃にはビザンツでギリシャの火が使われた記録はもう一切なくなってる 多分、時代と共に製法が忘れ去られて作れなくなったんだろう
- 767 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/23(金) 05:13:50.90 0.net]
- >>739 なるほど、でもすごいですよね
今でもわからないってのは
- 768 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/23(金) 11:49:51.12 0.net]
- 若槻泰雄が『日本の戦争責任(下)』で、
「日本の仏教は六世紀に伝来したときから、国家鎮護の思想として国家権力の 庇護の下に成長してきたのであるから、国家権力と対立するという思想を本来 持ちえなかった。浄土真宗のような例外もないではなかったが、国家を超えた 普遍的概念を構成することはなかった」 と書いているんだが、むしろ叙任権闘争の後、聖俗が分離した西欧文明圏のほうが 特殊なんじゃないのかな。 ビザンツ皇帝は「地上における神の代理人」とされ、皇帝は教会のあり方に 干渉したし、皇帝は厳密にいえば聖職者ではないが、「使徒に匹敵する」存在とされ、 一般信徒とは区別された。皇帝は説教を行うこともできたし、教会の内陣が 一般信徒に閉ざされた6世紀以降でも、内陣で聖体拝領を受けることができた。
- 769 名前:世界@名無史さん mailto:Sage [2020/10/23(金) 13:32:48.60 0.net]
- ヒトラーはまだビザンツ人がいれば
どうしてました?アウシュビッツ行き?
- 770 名前:世界@名無史さん [2020/10/23(金) 21:06:50.44 0.net]
- >>739
ネットフリックスのオスマン帝国のドラマではギリシャ火が使われてたとか言われてたけどあれは創作なんだろうか?
- 771 名前:世界@名無史さん [2020/10/23(金) 21:07:25.49 0.net]
- あ、コンスタンティノープルが陥落した時の戦いで使われてたってことね
- 772 名前:世界@名無史さん [2020/10/24(土) 06:55:15.60 0.net]
- >>743
そのドラマは見たことないから知らんけど創作なんじゃね? 時代考証をちょっと間違えてる歴史ドラマなんて珍しくないし
- 773 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/24(土) 08:03:33.56 0.net]
- あのドラマ、間違いなくエンタメ用に脚色されたり意図的に抜いた要素とかあるからな
メフメト2世時代の大宰相チャンダルル・ハリル・パシャが ビザンツ皇帝コンスタンティノス11世の弟である大臣兼軍司令官ルカス・ノタラス大公と内通していたってところとかな 少なくとも間違いなく彼らは直接会ったことはないだろうし、 ビザンツとオスマンで内通してたにせよ、こんな幹部クラスの人間同士で内通していたとは考えにくい ただ、ルカス・ノタラス大公がコンスタンティノープル陥落後にオスマン側に処刑されたところは事実やね 俺はこのドラマ見てから調べて知ったけども あと、傭兵隊長ジュスティニアーニ・ロンゴが皇帝の娘(妹?名前も忘れた)と恋愛関係になっていたところとかも創作 そこよりケルコポルタ門が『鍵のかけ忘れ』に気づかれて突破されたところは再現しろよ・・・と思う 普通にどっかの門が破壊されて突破されたことになってたし
- 774 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/24(土) 12:16:13.57 0.net]
- >>739
>ギリシャの火が活躍したのは9世紀ぐらいのことであって 1043年のルーシの襲撃ではギリシア火で撃退されているから、少なくとも11世紀までは使われていたようだ
- 775 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/24(土) 16:11:18.50 0.net]
- 1453年についての史実どうこうとか言い始めたら戦ってたのなんて西ヨーロッパの商人とその傭兵だけで
住民はいつも通り生活してただけになりますけどね
- 776 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/24(土) 18:48:42.12 0.net]
- アラブ人が海軍を創設できたのは、優れた港や造船所を持つシリア、エジプトを
征服したかららしいね 674年から678年までアラブ艦隊はコンスタンティノープルを包囲するけど、 このとき滅亡寸前の帝国を救ったのが「ギリシアの火」 7世紀後半にシリア出身のカリニコスによって発明された 生石灰・松脂・精製油・硫黄などを混合した液体であったらしい
- 777 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/25(日) 09:49:59.32 0.net]
- あの〜双頭の鷲ってビザンツの象徴じゃないですか?
ロシア、アルバニア、セルビアはビザンツの実質的な正当後継国ということですか?
- 778 名前:世界@名無史さん [2020/10/25(日) 10:33:09.04 0.net]
- アラブは乾燥地帯なのに、どうやって軍船用の木材を調達したんだ?
レバノン杉でも
- 779 名前:使ったのか? []
- [ここ壊れてます]
- 780 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/25(日) 10:38:54.27 0.net]
- 全部自称だけどね
ブルガリア君主とかも双頭の鷲じゃないけど、 シメオン1世はギリシャ語の『バシレウス』と名乗っていた ビザンツ帝国を圧倒しコンスタンティノープル総主教にバシレウス(皇帝)だと認めさせた 『ローマ人とブルガリア人の皇帝にして専制君主』とも自称している とはいえ、もちろんビザンツ皇帝からしてみればただの僭称に過ぎなかったわけだが。 東欧・南欧世界においてビザンツ皇帝というのは憧れの象徴だったのは間違いない
- 781 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/25(日) 11:02:24.78 0.net]
- そうなんですか・・
双頭の鷲は左右に向いてますよね? 意味は西も支配者、東も支配者としての意味なんでしょ? 支配者としての憧れの象徴にはなりえますね
- 782 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/25(日) 12:15:10.69 0.net]
- まあ古今東西、君主の称号やら紋章やらってのは僭称だったり
新しく創設したけど当時の人らには「自称でしょ?」程度の認識だったりする場合が多い それでも年月が立つと権威ある称号だと認識されたり、 あるいは”ホントは縁もゆかりもないけど自身の権威付けに・・・”って理由で利用される 神聖ローマ帝国も双頭の鷲を国章としてるだろ? あれもローマ帝国(皇帝)の権威にあやかってるだけ ヨーロッパの西も東も支配する権利を持つ唯一の皇帝ですよ〜ってこと もちろんローマを保有したことはないし、ラテン語も公用語でもないし、ローマ人は中世後期にはもういない それでも「カール1世がローマ教皇からローマ皇帝としての戴冠を受けたから!」 これだけでローマ帝国を名乗っちゃうんだから、まあ面の皮厚いよね(笑)
- 783 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/25(日) 14:50:10.80 0.net]
- >>737
ギリシアの火は何度かあちこちで研究者による再現実験がされている 例えば greek fire byzantine national geographic で検索すると再現実験の動画が出てくる 原料は推測らしいが、将来ギリシアの火で焼かれた船の残骸が見つかって、残骸に残る物質の成分分析をして 成分が判明する時がくるかもしれないね
- 784 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/25(日) 14:55:18.15 0.net]
- >>754
神聖ローマ皇帝はしばしば都市ローマの支配者でもあったし、公文書もラテン語のものが多いだろ?
- 785 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/25(日) 19:06:31.61 0.net]
- カール大帝の西ローマ皇帝戴冠を知ったビザンツ側の反応は、
カールがコンスタンティノープルめざして進軍してくるのではないかという 懸念だったとか この時期ビザンツでは皇妃イレーネが君臨しており、女性の支配者を認めない フランク王国では、皇帝は空位であるという認識だった
- 786 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/25(日) 20:40:06.18 0.net]
- 中近東は産油地帯だから、やはりギリシャ火には石油が使われていたのか?
- 787 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/25(日) 22:58:40.62 0.net]
- www.modelshipmaster.com/products/ancient/dromon/Dromon.JPG
ビザンツ主力戦艦ドロモンの模型 ビザンツ海軍は二段階の戦術を取った 第一段階では、「ギリシアの火」で敵艦を破壊する。 この際、微妙な操艦を行う漕ぎ手の腕がものを言った 第二段階は敵艦に接舷し、重装兵が乗り込む。
- 788 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/26(月) 06:17:19.36 0.net]
- メディーバルトータルウォー(ゲーム)で東ローマに興味もったんだけど
西欧資本のせいであんまりなくない? 東欧も含めて東ローマ題材の映画とかドラマとか 地味という感じもするな 日本語付きの大河ドラマみたいなものがあればわかりやすいんだけどな いろんな宗教や考え方が入り混じって翻訳
- 789 名前:しそうだな []
- [ここ壊れてます]
- 790 名前:世界@名無史さん [2020/10/26(月) 08:19:18.32 0.net]
- ビザンツが地味なのは後継者のギリシャが今しょぼいからなのかな
人口も1000万人しかいないみたいだし
- 791 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/26(月) 09:06:39.56 0.net]
- ギリシャだけでなく、他の東方正教の国々も、西欧諸国に比べればイマイチだよな
世界を制したのは西欧文明のほうだったし
- 792 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/26(月) 09:19:29.38 0.net]
- オスマン帝国統治下のギリシャ人は、自分たちがヘレネス(古代ギリシャ人、異教徒)
の子孫だということをすっかり忘れ去っていた 西欧からの旅行者が古代ギリシャの遺跡を訪れるのを見て、 「彼らはヘレネスの子孫で、祖先が残した遺物を見に来ているのだ」 と考えていたという
- 793 名前:世界@名無史さん [2020/10/26(月) 11:34:42.63 0.net]
- ビザンツのドラマとか映画がないから何が分からないかって、
当時の一般的な人々の服装や街並みとかがいまいち想像つかないんだよな ビザンツ時代の絵画みても支配階級か宗教的人物のモザイク画ばかりで良く分からんし オスマン帝国の時代のイスタンブールの街並みのほうが絵的にイメージ沸く ビザンツ時代のコンスタンティノープルの映像は頭に浮かばない
- 794 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/26(月) 12:12:44.74 0.net]
- ビザンツが登場する映画なら、Fetih 1453 というトルコの映画がある
検索するとようつべのは日本語字幕もある コンスタンティノープルの民衆も少しでてくる
- 795 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/26(月) 12:16:28.15 0.net]
- ビザンツ 映画 で検索したら、
ビザンツ歴史関連映画「コンスタンティン・フィロソフ」(1983年作) というのも見つけた。テッサロニキや当時の小学校が登場しているらしい
- 796 名前:世界@名無史さん mailto:Sage [2020/10/26(月) 14:02:28.88 0.net]
- 枢軸側と連合国側の違いとして
過去の古い制度への復活が枢軸側で 新しい制度への切り替えが連合国だった 連合国が西欧だな ソ連は例外だが、枢軸側は東欧に多い 東欧は過去の古い制度への復活を目指すから 地味で西洋より時代遅れで、映画ドラマも 古臭くて敬遠されがちなんだろう
- 797 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/26(月) 22:22:07.86 0.net]
- 東ローマは西ローマに比べて皇帝政府の権力が強かったけれど、これはやはり
専制政治の伝統が強いオリエントを統治していたからなのかな 西ローマの場合、在地の有力者が強い力を持っていたので、 皇帝政府が地域を把握していなかった
- 798 名前:世界@名無史さん mailto:Sage [2020/10/27(火) 13:14:02.53 0.net]
- すいやせん
十字軍とビザンツはなぜ対立してたのですか? 同じキリストでしょ? ビザンツは十字軍を編成したことはあるのでしょうか?
- 799 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/27(火) 21:25:19.23 0.net]
- >>769
そもそもキリスト教でもカトリックと正教の違いがあることも知らない人?
- 800 名前:世界@名無史さん mailto:Sage [2020/10/27(火) 21:44:30.58 0.net]
- >>770
はい
- 801 名前:世界@名無史さん [2020/10/27(火) 22:02:59.59 0.net]
- ビザンツ「聖地をムスリムの手から取り戻してくれ。ただし取り戻した後はうちの領地にしてくれ」
十字軍「はい」 占領後 十字軍「なわけないだろ。占領地は俺らのものだわ」 ビザンツ「約束を破りおって許さん」 こんな感じだったような
- 802 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/27(火) 22:37:19.62 0.net]
- というか高校の世界史教科書に載ってそうな話をここで聞くのか
- 803 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/28(水) 04:30:43.86 0.net]
- >>771
どこから語ろうか・・・ 正直解説動画とかサイトとか見てほしいレベル ビザンツは中世半ば頃まではヨーロッパの先進国家、オリエントを支配下に入れてた 宗教はキリスト教の内の(東方)正教、その本拠地(ホントはそうではないが、わかりすく説明する)は キリスト教がローマ帝国で公認された当初は正教会とカトリックという区別はなかったが、 11世紀に入るまでには正教会とカトリックという形に分裂、対立関係にあった それでも「完全な異教徒よりはマシ程度」の考えは持っていたが・・・ そんな状況下で、ビザンツ帝国を圧迫していたセル
- 804 名前:Wューク朝(イスラム王朝)がアナトリアを征服し、
ビザンツ側は「異教徒共がエルサレムを占拠した!全キリスト教徒の危機!」と西欧に宣伝、 エルサレムの奪還を目的とする救援を求めた。 (これは当時の皇帝アレクシオス1世によるプロパガンダでしかない。 実際はセルジューク朝以前からエルサレム周辺はイスラム勢力の支配下にあり、キリスト教徒の巡礼も許されていた エルサレムはアラビア半島の一部なので、アナトリア征服とは何の関係もない。 アレクシオス1世が自国の征服版図を取り戻すための宣伝活動だった) しかしビザンツ側はあくまで傭兵団程度の規模の派兵を求めていただけったのに対し、 西欧側はローマ・カトリック教会の呼びかけにより、西欧連合軍規模の軍団を派遣した。 なお、この時エルサレム及び周辺地域はスンナ派のセルジューク朝とシーア派のファーティマ朝で取り合いをしていた そこに十字軍が殴り込みをかけて・・・ あとは解説動画でも見てくれ [] - [ここ壊れてます]
- 805 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/28(水) 04:33:02.20 0.net]
- 解説に抜けてた点があった
>宗教はキリスト教の内の(東方)正教、その本拠地(ホントはそうではないが、わかりすく説明する)は の後に >ビザンツの首都と同じコンスタンティノープル が入る
- 806 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/28(水) 04:43:32.65 0.net]
- >>772
だいたい合ってるが、ビザンツ側も都合の良いことを言い過ぎなんだよな 実際に聖地奪還の努力をしているのは十字軍騎士たちなんだから、 そりゃ報酬ナシで動いてくれなんてムシの良いことを言って聞いてくれるはずがない そもそも十字軍に参加している騎士たちは本国では出世ルートを外れた嫡男ではない連中ばかりで、 十字軍に参加して領土を獲得しなきゃ後がない。 まあそんな事情こそビザンツ側の知ったこっちゃないだろうが、 少なくとも”聖地奪還”という宗教的な目的だけではるばる西欧からやってきてくれるはずもない しかしアレクシオス1世コムネノスはちゃっかり戦後利権は確保する策士である。 少なくとも自分の治世の間は十字軍が獲得した領土に影響を及ぼすことができた
- 807 名前:世界@名無史さん mailto:Sage [2020/10/28(水) 10:29:08.51 0.net]
- 皆さん
教えてくれてありがとうございました。 m(_ _)m
- 808 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/28(水) 14:59:54.79 0.net]
- ビザンツでは西欧のように修道会が組織されるということもなかったな
隠修士の伝統を色濃く残していた東方の修道院は、それぞれが独立した 施設であるという傾向を持っていた
- 809 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/28(水) 19:10:53.57 0.net]
- >>777
もう遅いかも知れないが、上の解説は細部で違うところがある まずビザンツは、援軍を要請したが、聖地奪回とか、宗教戦争という意味合いはなかった ビザンツ皇帝の依頼を拡大解釈したウルバヌス達が十字軍にしてしまった だからビザンツ側は、宗教的情熱に燃えて聖地奪回のための大軍がやってきてびっくりした また、征服地の宗主権はビザンツだと誓約させたが、ビザンツも軍を出すという前提だった 問題のひとつは、ビザンツ軍は途中で手を引いてしまったこと ビザンツ軍とすれば、当時の国境線をすこし押し返す程度でよかったのでほどほどで軍を返してしまった その後の多くの征服地は十字軍だけで征服したので、その部分まで宗主権を主張するのは十字軍側としてはムシがいいだろうと不満を持った 当時「同じキリストでしょ」という考えはあまりなくて、カトリックと正教は仲が悪かった →15世紀、滅亡直前でも「枢機卿のマントよりターバンの方がまし」といって、
- 810 名前:オスマン征服を受け入れる人々も多かった []
- [ここ壊れてます]
- 811 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/28(水) 19:36:38.50 0.net]
- >>779
すまん。 その細部で間違った解説をしたヤツが俺だが、あんたにも一つ間違いがあるぞ >→15世紀、滅亡直前でも「枢機卿のマントよりターバンの方がまし」といって これを言ったのはビザンツの住民ではなく、大臣兼軍司令官のルカス・ノタラス大公だよ しかも内容は「枢機卿の四角帽を見るくらいなら、スルタンのターバンの方がマシだ」のはず まあニュアンスは伝わるのであんたのでも大して間違っていないが
- 812 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/28(水) 20:00:18.37 0.net]
- >>780
実は、俺もそれ書いた後調べてみたら、尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』には 「私は市内にラテン人の司教冠を見るよりは、イスラム教徒のカフタン(毛皮付マント)を見る方がよい」 とあった マントは、カトリックではなく、イスラム教徒の方で、更にターバンではなく、カフタンだったわww
- 813 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/28(水) 21:27:15.60 0.net]
- 初歩の質問から新しい発見へとつながるのはいいことだ。
意外にもわかっていてもしらんかったことってある
- 814 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/29(木) 19:53:18.93 0.net]
- >>781
それは全然知らんかった カフタンって調べたらあんまり定義のない、 ゆったりとした長袖・袷仕立ての長い前開きのガウンだそうだ トルコでは近代化政策の影響であんまり見ないけど、 イスラム圏では広く一般的に男性の服として定着している しかも最近はワンピースの一種として非イスラム圏の諸外国の女性が着ていることが多いみたい カフタンで検索したら日本のファッション関係のサイトばっかり出てビックリ
- 815 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/30(金) 06:49:07.99 0.net]
- ニカイア帝国ってのがあるのか
亡命政権だって 社会主義の国に住んでいる政治家が資本主義の国に逃げて政権樹立をイメージするけど こんな時期に近代国家的なものがあったなんて なんて日本よりも進んでいるんだと思う 中世の日本なら亡命は許さんから降伏か滅亡どちらかを選べだろ
- 816 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/30(金) 11:21:44.10 0.net]
- 大体がローマと言えば温泉だろ、クリチョンって風呂入るイメージないんだけどw
やっぱコンスタンティヌスのせいだな、ローマの荒廃と滅亡は
- 817 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/30(金) 11:37:33.46 0.net]
- >>784
近代国家とは関係ない。 滅亡したり領国を失った武将や大名の一族が御家再興を期して他家の客分になることはよくあっただろ?それも亡命政権だよ。足利義昭の鞆幕府も亡命幕府。
- 818 名前:世界@名無史さん mailto:Sage [2020/10/30(金) 12:17:56.62 0.net]
- ビザンツの関わりを抜きにして語ると
亡命とは政治的理由がないと亡命にはならない 家臣や他大名の庇護のみなら 単純に守られただけで亡命にはならない
- 819 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/30(金) 14:56:13.03 0.net]
- バカジャネーノ、亡命なんかに定義はない
相手側の情報を知りたいとか、権威として利用できるかとか、受け入れ側の理由があるだけだろ。 そういう事例が古今東西で多いから「亡命」という言葉の定義が出来ただけだ。 終身雇用の侍お役人社会では、主の失態で数百もの家族や家来が露頭に迷うと社会問題になるから亡命ではなく切腹が出てきた。守るものも無いのに腹を切るのはタダの自刃。 やっぱ温泉無いと頭が悪くなるんだろうな 温泉こそローマやで
- 820 名前:世界@名無史さん mailto:Sage [2020/10/30(金) 19:54:13.89 0.net]
- お前に国語能力、日本語能力ないことだけわかった。
- 821 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/30(金) 21:47:19.00 0.net]
- 移民と難民と亡命
わからない人いるよね
- 822 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/31(土) 07:54:14.05 0.net]
- >>787
ビザンツ帝国の亡命政権もその「亡命」なのか? ニカイア帝国
- 823 名前:窿gレビゾンド帝国が亡命政権なら、鞆幕府だって亡命幕府だろ? []
- [ここ壊れてます]
- 824 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/31(土) 09:50:34.77 0.net]
- 建前は日本中が室町幕府のもので全員臣下だから、鞆幕府って自分の中の臣下間の移動にすぎない
信長も毛利に将軍を預けとくぞといっていたらしいしな ビザンツは首都が別格すぎるというのがまずあるな
- 825 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/31(土) 10:04:41.65 0.net]
- 国家権力の迫害からの避難所を求めるって意味は「亡命政権」「亡命国家」にはもともとないでしょ。
- 826 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/31(土) 10:39:07.85 0.net]
- ド=ゴールは?
ナチスの犬のヴィシー政権の迫害からロンドンへ避難所を求め 自由フランスを樹立した
- 827 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/31(土) 12:37:40.93 0.net]
- >>791
現代人の思考で行くと コンスタンティノープルが占領されて、同じ宗教でもやり方が違うので 受け入れられないから別の国へ避難したのなら亡命になる 単純に攻略されて逃げて別領土で新たに国つくっただけなら亡命にはならない ニカイア帝国は亡命政権じゃないってことだな
- 828 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/31(土) 18:18:59.59 0.net]
- 誰ぞ歴代皇帝ベスト10、ワースト10頼むわ
- 829 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/31(土) 22:37:43.13 0.net]
- ユスティニアヌス帝ならベスト5当確だろう
- 830 名前:世界@名無史さん [2020/10/31(土) 22:48:16.77 0.net]
- アレクシオスはベスト10に入る?
- 831 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/31(土) 23:08:40.63 0.net]
- バシレイオス2世もベスト5当確
- 832 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/10/31(土) 23:33:44.11 0.net]
- >>798 ベスト10は当たり前
ロマノス4世ディオゲネスはワースト5当確
- 833 名前:世界@名無史さん [2020/11/01(日) 08:24:37.45 0.net]
- ベスト1位はやっぱりバシレイオス2世かユスティニアヌス1世かのどちらかになるんか?
- 834 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/01(日) 10:32:15.33 0.net]
- ベスト1位は初代皇帝
コンスタンティヌス1世だろ? よくビュザンティオンを見つけたよな チートすぎるから除外か?
- 835 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/01(日) 14:46:14.68 0.net]
- >>802
東方のサーサーン朝ペルシア国境と、北方のドナウ河国境の二方面へ 必要に応じて移動するのに最適な場所が、ビュザンティオンだったんだよな
- 836 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2020/11/01(日) 15:30:37.64 0.net]
- オスマンが首都にするくらい
今でも首都になるくらいのものを見つけたのはすごい
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