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卑弥呼の館? 建物跡見つかる 奈良



1 名前:〈(`・ω・`)〉φ ★ mailto:sage [2009/11/11(水) 08:04:03 ID:???0]
邪馬台国の候補地といわれる奈良県の纒向遺跡で、3世紀前半では
最も大きな建物の跡が見つかり、邪馬台国近畿説をとる専門家は、
女王、卑弥呼が政を行った宮殿だった可能性があるとして注目しています。
奈良県桜井市にある纒向遺跡は、3世紀から4世紀にかけての巨大な
集落跡で、栄えた時代が重なることから、中国の歴史書に記された
「邪馬台国」の候補地といわれています。桜井市教育委員会が9月から
行った発掘調査で、直径が30センチから15センチ程度の柱が
東西南北に規則正しく並ぶ建物の跡が見つかりました。建物は、
出土した土器の年代などから3世紀前半のものとみられ、大きさは、
柱の数や間隔から、推定で南北19メートル、東西12メートル余りと、
これまで見つかった当時の建物の中で最も大きいということです。
ことし春までの調査では、一定の方向にそろえられた、別の3棟の
建物やさくの跡が見つかっていることから、専門家は、この一帯が、
大型の建物を中心に計画的に施設を配置した、宮殿のような区画
だったのではないかとみています。これについて、邪馬台国が近畿に
あったと考える兵庫県立考古博物館の石野博信館長は「建物の大きさや
計画性は予測以上で、卑弥呼が政を行った場所という可能性が高い」
と話しています。一方、邪馬台国が九州にあったと考える佐賀女子短期
大学の高島忠平学長は「広い範囲で調査を行い、結果が明らかに
なった段階で、吉野ヶ里遺跡といった九州の遺跡と比較、検討すべきだ。
今回の建物を“卑弥呼の館”とするのは早計だ」と指摘しています。
今回の調査成果については、今月14日と15日に現地で説明会が
開かれます。NHKニュース
www3.nhk.or.jp/news/k10013692871000.html

79 名前:Ψ [2009/11/11(水) 23:19:04 ID:ga+uWYrZ0]
別に今まででも天皇の墓と知らないで掘っちゃったこととかあるよ
京都の某大学は昔勝手に、掘っちゃったこともあったらしいし

80 名前:Ψ [2009/11/11(水) 23:19:35 ID:4/UaY0GE0]
>>78
私は内紛だと考えます。
魏志倭人伝でも邪馬台国の勢力基盤はまだまだ脆弱だと描かれていますしね。
おそらく南北朝のような大乱があったものと思われます。

81 名前:Ψ mailto:sage [2009/11/11(水) 23:23:01 ID:YG/ugojGO]
>>79
それ聞きたかったんだけど法規制とかどこまであるのかな?

82 名前:Ψ [2009/11/11(水) 23:23:16 ID:UXlCC/2V0]
邪馬台国が滅ぼされた国なら
卑弥呼の墓が残ってなくてもおかしくない
どうも卑弥呼の墓が欲しい人たちがいるらしい

畿内説→卑弥呼の墓存在→あらたな観光の目玉

83 名前:Ψ [2009/11/11(水) 23:26:48 ID:v2Cyj2lk0]
>>78
追い払ったとか、わけのわからん議論をするな。
九州説の場合、卑弥呼は全国各地にいた皇族の一人で、畿内の男系天皇が断続したので、
やむをえず、地方にいる皇族からリストアップされ、擁立されたと考えるべき。
継体天皇擁立と同じことだろう。→>>29>>31>>35>>47
これが、おいらの説得力ある仮説だ。


84 名前:Ψ [2009/11/11(水) 23:27:52 ID:ga+uWYrZ0]
宮内庁が江戸時代の研究を元にしてここが何とか天皇の墓とか決めているらしい
そこは基本的に掘れない。最近はやや規制が緩くなって、遺体の近くじゃなきゃ
ちょこっと掘らせてもらえるらしいけど

85 名前:Ψ [2009/11/11(水) 23:31:06 ID:VQMod8+g0]
魏志倭人伝読んでて思ったんだけどさ
卑弥呼=日or火or霊(ヒ) 巫女・御子・皇子 姫みこだとすると
明らかに名前ではなく号だよね

すると
和国大乱7、80年余、女を立てて王とする、の卑弥呼と
親魏倭王の称号を与えられた卑弥呼が、同一人物ではない可能性はない?
倭人伝自体が魏略のコピ改で、魏略のソースが伝聞という

86 名前:Ψ [2009/11/11(水) 23:31:16 ID:v2Cyj2lk0]
>>83
忘れていた。>>45を追加しておく。

87 名前:Ψ [2009/11/11(水) 23:33:22 ID:SQ+YUxUY0]
>>85
ねーよニワカ
死ね



88 名前:Ψ mailto:sage [2009/11/11(水) 23:33:31 ID:YG/ugojGO]
ものすごく初歩的な質問するけど、邪馬台国の時代の日本列島、朝鮮半島は
現在の形をしていたのか?

89 名前:Ψ mailto:sage [2009/11/11(水) 23:39:19 ID:VQMod8+g0]
>>83
お家騒動で女帝を立てるっておかしくない?
第一2〜3世紀に2代続けて女帝ってはないだろ

90 名前:Ψ [2009/11/11(水) 23:41:37 ID:ga+uWYrZ0]
魏略が魏志の元である根拠が分からん
普通に公文書をもとにしたと考えていいじゃない
陳寿の「三国志」は結構実証主義的な歴史書だよ
史料が散逸していたとも思えないし

>>88
朝鮮半島は知らないけど日本の平地は少なかった
現在の平野部の半分だか三分の一だかは海だったらしい
古代の覇権はそこをどうやって干拓をめぐって争われたと推測される

91 名前:Ψ [2009/11/11(水) 23:42:36 ID:4/UaY0GE0]
>>88
ほぼ同じ形をしてましたよ。
>>89
大和朝廷でも女帝は珍しいケースではありません。
やはり天照大神の存在が朝廷の基盤になっていることが大きいと思いますね。
そしてちょうど卑弥呼の時代に日本では九州で二年連続という珍しい皆既日食が観測されています。
科学が未発達な時代にこれは大事件だったと思います。
シャーマンが国のトップになるのもなんとなくうなずけます。

92 名前:Ψ [2009/11/11(水) 23:49:25 ID:vgWUiClb0]
>>1
俺はインチキ臭いと思ってる
そのうち
キムチの化石でも発見されるんじゃねーの

93 名前:のろま大佐 ◆UmooQG8asU [2009/11/11(水) 23:50:24 ID:RUlRG9jJ0]
吹けば飛ぶようなちっぽけな豪族集団にそんなに躍起になるなよ

インドのオーパーツとか
夏殷周の伝説のほうが凄い

94 名前:Ψ mailto:sage [2009/11/11(水) 23:51:23 ID:YG/ugojGO]
>>90-91
なるほど。決して現在の朝鮮位置と地続きってわけではなかったんだな。

95 名前:Ψ mailto:sage [2009/11/11(水) 23:54:56 ID:pXWnbZlw0]
卑弥呼とズッコンバッコンしたい

96 名前:Ψ [2009/11/11(水) 23:55:08 ID:ga+uWYrZ0]
でも氷河期には地続きだったよサハリンとかも

97 名前:Ψ [2009/11/11(水) 23:57:50 ID:UXlCC/2V0]
魏志倭人伝って信用できるの?



98 名前:Ψ [2009/11/11(水) 23:59:15 ID:Kf4O/26K0]
日本史は好きだけど、
当時の中国やローマ帝国と比べたら土人も良いところだよな・・。

99 名前:Ψ mailto:sage [2009/11/12(木) 00:00:15 ID:Xhcf5jfy0]
>>90
比較するとそっくりだかららしい

前漢書
魏略云、倭在東南大海中、依山鳥為国。

倭人伝
倭人在帯方東南大海中、依山鳥為国邑。

>>91
女帝は珍しくないけど、皇位の正当性争いに女帝を立てて事態を収拾した、って考えは不自然

100 名前:のろま大佐 ◆UmooQG8asU [2009/11/12(木) 00:00:52 ID:RUlRG9jJ0]
>>98
でも人数が少ない戦や
小さな地域の合従の醍醐味もあると思うんだよね

信長の野望シリーズとかは全くその辺りを理解してないけど

101 名前:Ψ [2009/11/12(木) 00:03:55 ID:YZdXfIh20]
>>93
周の伝説がすごいとおっしゃるなら日本の皇室は周王朝の血縁ですよ。
周王朝初代武王の曾祖父である古公亶父には3人の優秀な息子がいました。
中でも末子の季歴が誉れ高く長子・太伯(泰伯)と次子・虞仲(仲雍)はその末子に跡継ぎの座を譲り国を出ました。
そして建国したのが呉です。
季歴は2人の兄を呼び戻そうと使者を送りましたが2人は体に刺青をし帰還を断わりました。
当時の中華世界では刺青は蛮族の証とされていたのです。
魏志倭人伝にも邪馬台国の因習として刺青が描かれていますね。
さて、この呉が越に滅ぼされた紀元前500年頃に日本では様々な中国南部渡来の遺物が発掘されています。
漆椀や鉄器や弩で惨殺された縄文人の遺骨などが出土し環濠集落なる戦乱を思わせる集落も出現しています。
要するに国を負われた呉の人々が日本列島に移住してきた痕跡なのです。
日本から出土する青銅器はなぜか世界でも殷周時代にしか使われていない特殊な鉛成分が同じく含まれているのです。
呉の人々は大切な青銅の宝物を日本列島に移住する際に持ち込んだのでしょうね。
出土する日本の青銅器はそれらの青銅を再利用したので特殊な鉛成分によって由来が明らかとなったわけです。
周は姫姓ですし皇室も同じく姫姓ですしね。

102 名前:Ψ [2009/11/12(木) 00:12:26 ID:509fRCYt0]
かつては現在の中国南部には今で言うタイ人が住んでいた
北方から来た東夷に追われていろんなとこに落ち延びたんだ
>>99
もとの史料が同じなら当たり前


103 名前:Ψ [2009/11/12(木) 00:28:16 ID:Xhcf5jfy0]
>>102
つまりいずれにしろ著者が直接渡航したわけではない

104 名前:Ψ [2009/11/12(木) 00:29:54 ID:PDAeB4qd0]
>>103
直接やった奴より指示した奴、つまり大倉理沙が
一番法律的には罪が重い
大倉理沙受刑者w
刑務所に入る時ってアナルまで調べられるらしいよw

がんばってねーんw

105 名前:Ψ [2009/11/12(木) 00:35:29 ID:mUVA3EBUO]
>>101
中国の歴史書にも書かれてるもんねえ

倭人自ら名乗ったらしいし

106 名前:Ψ [2009/11/12(木) 02:40:40 ID:53p7glJL0]
>>31 訂正
応神天皇の5代前の皇族  → 5代後の皇族

>>89
>>99
皇位の正当性争いに女帝を立てたのは、当面、適当な男系が見当たらないため、
暫定擁立したということ。この場合、卑弥呼の夫(倭人伝で夫はいないといっても
死別した可能性がある。また、天照=卑弥呼の場合、天照には息子がいた)が
皇統であったが、歴代天皇の血筋から離れすぎていたため、纒向で難色が示された。
また、卑弥呼自身も皇族であったと思われる。
その後、男系皇族ということで、卑弥呼の息子が即位したが、血筋が離れ過ぎていたため、
また倭国が収まらず乱れたため、別の皇族の女性、台与が女帝として即位。
台与は纒向の歴代天皇の近い皇族と思われる。つまり、神話の高木神は纒向直系。
卑弥呼の息子はこの台与と結婚し、その息子が後の天皇家へと繋がるということ。
血筋が離れていた継体天皇も、仁賢天皇ら、歴代天皇に連なる妃を迎えることで、
その子孫は後の天皇家へと繋がった。
なお、おいらの考えでは、「台与=神功」、「台与の息子=神武=崇神=応神」である。
初代天皇は応神であるが、功績の大きい応神〜武烈の系統が絶えたために
継体の相続に難色が示され、紛争が起きたため、継体への相続に正当性を与えるため、
応神〜武烈の業績を、架空の天皇・崇神をでっち上げることで、崇神〜応神に移した。
すると、辛酉なんたら説のために神武〜崇神を新たにでっち上げる必要が生じた。
だから、崇神〜応神はリアルだが、神武〜崇神は、神武以外に中身がないわけ。

107 名前:Ψ [2009/11/12(木) 02:48:25 ID:53p7glJL0]
>>106
応神〜武烈が悪く書かれているのはそのためと思われる。



108 名前:Ψ [2009/11/12(木) 02:52:54 ID:9gAmOe8I0]
>>106
つまり、百済と新羅まで打ち破って支配下に置いた(好太王碑文)のはトヨってことですか。

109 名前:Ψ [2009/11/12(木) 02:52:57 ID:53p7glJL0]
>>106
当面、適当な男系が見当たらず、暫定的に女帝を立てる場合、決定者らは、その血統に
皇位が完全に移らないようにしたいはず。
ちょうど、ドイツ分断後、西ドイツ政府が、将来の統一ドイツの首都を再びベルリンにするため、
発展性のない辺鄙なボンを暫定首都にしたようなもの。
ところが、邪馬台国はあなどりがたく、その女帝・卑弥呼の血統が結局、朝廷を掌握すること
になってしまった。
それが神武東征での長髄彦らとの激闘に発展したわけ。

110 名前:Ψ [2009/11/12(木) 03:04:12 ID:zqmp9h1K0]
青森の遺跡見に行った事あるが再現された集会所がヤノマミの家みたいで面白かったな。
土偶とか見ると刺青デフォだったみたいだし日本もあんな感じだったんだろな。

111 名前:Ψ [2009/11/12(木) 03:17:45 ID:53p7glJL0]
>>108
その可能性もあるかもね。

112 名前:Ψ [2009/11/12(木) 13:32:51 ID:Sdd0w2S20]
>>106
それだと東征の話につながらない
神功以前に九州に流されていたことになる

113 名前: [2009/11/12(木) 13:34:26 ID:VKZXqt/A0]
卑弥呼の部屋

今日のお客様は
藤原鎌足さんでございます

114 名前:Ψ [2009/11/12(木) 13:36:40 ID:Wg/MpiKG0]
中国人が蔑称で名付けた倭という言葉を嬉々として使う日本の学者連中は何なのか

115 名前:Ψ mailto:sage [2009/11/12(木) 16:17:16 ID:Fu/RN0K70]
この前、淡路島で発掘された製鉄工房遺跡は同じ時代だったかな。
160年くらい、延々と製鉄をし続けてたそうだけど、大したもんだね。

製鉄は原料である砂鉄と炭が大量にいる。
淡路島は瀬戸内海航路の途中にあるから、物流面では有利だったのだろうなあ。
出来た鉄製品を運ぶにも船は便利だ。

116 名前:Ψ [2009/11/12(木) 18:05:07 ID:r6ND3k7z0]
>>112
「ID:v2Cyj2lk0」「ID:53p7glJL0」の話を併せて読め。

117 名前:Ψ [2009/11/12(木) 18:19:22 ID:Sdd0w2S20]
畿内説の論調は最近ウリナラっぽい



118 名前:Ψ [2009/11/12(木) 18:31:55 ID:Sdd0w2S20]
>>116
大筋をまとめると皇位継承争いがあり
九州へ落ち延びた皇族が畿内へ逆侵攻した
という仮説になってる

けど神武がトヨ・イヨの息子だとすると
正統なのに九州へ落ち延びてる事になって変
国が治まったはずなのに東征?

119 名前:Ψ [2009/11/12(木) 18:33:47 ID:r6ND3k7z0]
>>118
落ち延びたというのではなく、もともと九州に住んでいた皇族だという仮説だ。

120 名前:Ψ [2009/11/12(木) 18:39:08 ID:YOpijzDH0]
やっぱり、優れた朝鮮の文化を取り入れたんだね。


121 名前:Ψ mailto:sage [2009/11/12(木) 18:45:10 ID:Sdd0w2S20]
>>119
ああそうか混乱してた
でも、卑弥呼が九州に居たってなってるぞ
東征した神武・応神と、その前の帝である母の神功・トヨも九州から?
重要な天皇はみんな九州から来たの?

まあ全部仮説だけど

122 名前:Ψ [2009/11/12(木) 19:12:18 ID:r6ND3k7z0]
>>121
おまえ、なんか変な奴だなw
あくまでも邪馬台国九州説に立った仮説だと言ってるだろ>>29


123 名前:Ψ [2009/11/12(木) 19:13:47 ID:xgpO2MNj0]
卑弥呼のうんちが見つかったのかね


124 名前:Ψ [2009/11/12(木) 19:23:03 ID:YPvEH8840]
出雲や諏訪なんかの神社の神主たちは、
往時の支配者一族の末裔という理解でいいのか?

125 名前:Ψ [2009/11/12(木) 19:24:09 ID:Sdd0w2S20]
>>122
ヤマトの中枢が畿内って書いてるけど…
邪馬台とヤマトは同政権の地域別時代による差で
魏志にある邪馬台国の時は九州っていいたいの?

126 名前:Ψ [2009/11/12(木) 19:30:54 ID:LW80ekms0]
昔の都とかより、巻向駅をどうにかしろ
せめて複式ホームにするとかしないとどうにもならんわ、便所も臭すぎ

127 名前:Ψ [2009/11/12(木) 19:31:14 ID:r6ND3k7z0]
>>125
アホの相手するの、疲れるわw



128 名前:Ψ [2009/11/12(木) 19:37:55 ID:UF7qNcpj0]
正直どっちでもいいよ

129 名前:Ψ [2009/11/12(木) 19:45:14 ID:Sdd0w2S20]
どっちでもいいが最近妙に畿内説に断定しようとするニュースが多い
でかい館が出た。邪馬台国は畿内に決まったな。
アホかと

130 名前:Ψ [2009/11/12(木) 19:46:36 ID:xgpO2MNj0]
とんこつでも食ってろ

131 名前:Ψ [2009/11/12(木) 21:38:10 ID:+0qMGEyt0]
そもそも、邪馬台国は、中国に朝貢してた中国の属国だから、今の日本のルーツである大和政権に近い存在だと都合が悪い。
だから、邪馬台国を、出来るだけ大和政権から遠い存在にしたいというネトウヨ的思想で、本居宣長がでっち上げたのが九州説。


132 名前:Ψ [2009/11/12(木) 21:52:45 ID:bcJ2u10b0]
卑弥呼ってのは
日本の歴史って言うより
遺跡に過ぎないワケね

133 名前:Ψ [2009/11/13(金) 00:37:40 ID:Fi+PYz2O0]
邪馬台国にはフェラチオはあったのだろうか?

134 名前:Ψ [2009/11/13(金) 00:43:32 ID:FzedQ98A0]
これだけのものを作れるのは列島に昔から居た人々(ヤマトからウリナラによって島根へ追われイズモと名付けられるようになった人々)だろ。
大昔から三内丸山のような大遺跡も作ってきたのだから。

135 名前:Ψ [2009/11/13(金) 00:44:06 ID:jB8rQ+Ub0]
倭国の女たちは、海を渡ってきた朝鮮の立派な男たちに憧れ、進んで身を捧げたのだと思うよ。

136 名前:Ψ [2009/11/13(金) 00:45:10 ID:eNZWdhJg0]
>>101
倭の五王が周王室の姫姓を名乗ってないのは何故?

実際は周王室と全く無関係の東夷族じゃないの
東夷族の倭漢氏みたいに系譜の詐称してるだけじゃん

137 名前:Ψ mailto:sage [2009/11/13(金) 00:53:04 ID:qr+5oPMu0]
卑弥呼ちゃ〜ん!きゃっきゃっ!!!!



138 名前:Ψ [2009/11/13(金) 00:56:40 ID:eNZWdhJg0]
刺青の習慣はやくざ屋さんが受け継いで、淫司の習慣は宗教団体が受け継いでマス

139 名前:Ψ [2009/11/13(金) 01:02:43 ID:reavf5k20]
230年に三国時代の呉の孫権は倭に遠征してます。
目的は人狩り。
漢末期から三国時代の長引く戦乱で中華世界の人口は極端に減少していました。
孫権としては魏を攻めたくても兵も生産能力も人口減によって深刻な不足状態に陥ってました。
そんな時にとある豪商から「東の海の果てに昔海を渡った呉の人々が迎えの船を待つ国がある」と聞かされました。
孫権はその話に飛びつきました。
「何百年も迎えの船を待つとは哀れなり。余が迎えの船を出してやろう。」と大義名分をかかげ人狩りの船団を組織しました。
呉の大船団が九州にたどり着いた時に戦乱の呉に帰りたくない勢力が反乱を起こしすでに魏と同盟を結んだ邪馬台国軍ともに船団を追い返してしまい遠征は失敗に終わりました。
このように三国時代でも呉から日本へ移住した人々の記憶が残っていたのです。
倭の五王がなぜ姫姓で記録されていないのかはわかりません。
蛮族として倭を描きたかった中華側の思惑で姫姓が史書から削られたのか、はたまた大和朝廷自身が姫姓を封印したのか。
現在の皇室に姓が無いのはもしかしたらそのあたりにヒントが隠されているのかもしれませんね。

140 名前:Ψ [2009/11/13(金) 01:23:57 ID:eNZWdhJg0]
曹丕は淫祠の取り締まりで社会問題を収拾したのに、
卑弥呼ちゃ〜んは淫祠おkでちゅ〜

141 名前:Ψ [2009/11/13(金) 01:39:30 ID:Fi+PYz2O0]
何か凄い妄想を膨らましている人がいるね
おんなじ人?

142 名前:Ψ mailto:sage [2009/11/13(金) 19:20:22 ID:hL6eycxU0]
卑弥呼の館って風俗店があってもいいな

143 名前:Ψ [2009/11/14(土) 13:45:49 ID:NGr0K2cA0]
 

144 名前:Ψ [2009/11/14(土) 13:50:33 ID:RDhGrHwY0]
>>129
九州だと邪馬台国は日本の数ある小国の一つに過ぎないことになってしまう
近畿だと日本政府の起源になるからな・・

邪馬台国自体の価値も九州と近畿とで大きく変わるんじゃないかな?






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