- 975 名前:名無しさん@八周年 mailto:sage [2008/04/19(土) 04:50:13 ID:Cnu7RPjh0]
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宮崎正弘のチベット紀行によると、ダライラマの離宮はこうなってるらしいぞ。 初っぱなから驚かされたのはダライラマ猊下に対する、あまりの不当な扱いである。 嘗て猊下の謁見された応接間に、ピカピカの曼陀羅が壁画になっていたが、 そのチベット歴史の絵物語の最終場面が、なんと、なんと。毛沢東が右にダライラマ 猊下、左にパンチェンラマを従えて、陪席させるかたちをとり、 さらにその周りが周恩来と劉少奇という構造なのだ。 完全に暴君がチベットを支配し、聖人と従えて統治している絵図ではないか。 この衝撃はラサ市内の殆どの寺をめぐっても同じだった。 ポタラ宮には千の部屋があると言うが、どこにもダライラマの写真がない。 私はどの部屋でも目を凝らして探したが、何処にもないのだ。 所々に先年、なくなったパンチェン・ラマ十世の写真のみが、 さりげなく飾られている。 97年頃からダライラマの写真、肖像は一切禁止命令が出たからだという。
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