- 99 名前:名無しさん@社会人 [2014/04/11(金) 21:42:18.91 ]
- 私はこの言葉を読んで、昭和の戦争期に一定の人々を魅了した「軍の中での平等」を思い起こした。
当時の軍事国家は徴兵制を社会の基盤としていたが、それを好意的に受け止めている層も少なからず存在したことは、さまざまな研究で明らかにされている。 すさまじい格差社会の中、貧困に苦しみ学歴も家柄もなく、家父長にもなれない男たちにとって、 少なくとも社会よりは軍隊のほうが公平に機会が与えられる場だったからである。 軍は住居と食を保証してくれる安定的な職場であるとともに、 適度に学歴や家柄のある既得権益層がその有利さを生かせない世界であることも、かれらには重要だった。 いい目にあっている者たちを引きずり下ろす、絶好のチャンスだったのである。 実際、軍隊の中では、「負け組」出身の兵士や下級士官が、インテリや名家の師弟をいじめるということが頻発した。 むろん、そのことによって、自分たちの苦しい境遇が変わるわけではない。 自分たちに格差を強いる「何か」に復讐しているのではなく、その代わりのターゲットに憂さを晴らしているにすぎない。 今、若い世代を中心に社会全体が右傾化し、極右勢力が支持を集めている背景には、 暴力にすがって代理のターゲットでいいから復讐したい、という気分があるのだろう。 そして、そんな気分を利用して政治は階級化をさらに推し進めるし、「負け組」の不満をあえて募らせていく。 かれらがずっと使い捨ての「兵士候補」として「勝ち組」を攻撃してくれたほうが、「何か」を握っている者たちには都合がよいのだから。
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