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【奈良】箸墓古墳築造、卑弥呼の死亡時期と合致 畿内説と九州説とが対立している邪馬台国の所在地論争にも一石 国立歴史民俗博物館★6



1 名前:春デブリφ ★ mailto:sage [2009/06/01(月) 00:27:41 ID:???0]
 古墳時代の始まりとされる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)が築造されたのは
240〜260年という研究を国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)がまとめ
た。放射性炭素年代測定によるもので、250年ごろとされる卑弥呼の死亡時期と重な
る。畿内説と九州説とが対立している邪馬台国の所在地論争にも一石を投じることにな
りそうだ。

 「魏志倭人伝」など中国の史書によると、卑弥呼は2世紀末〜3世紀初め、それまで
戦乱を繰り返していた倭国(わこく)(現在の日本)の国々が共通の女王として擁立。
邪馬台国に都を構え、239年には中国・魏王朝に使者を送って皇帝から「銅鏡百枚」
など多くの品々を贈られたとされる。
 全長280メートルの前方後円墳である箸墓は、最大でも110メートルだったそれ
以前の墳丘墓とは規模が大きく違う。強大な政治権力が誕生したことを物語り、時代の
画期を示すものと考えられている。魏志倭人伝にある卑弥呼の墓と、箸墓の後円部の大
きさが近いことなどから、古くから箸墓を卑弥呼の墓とする考えがあった。
(中略)
 歴博は全国の5千点を超す土器の付着物や年輪の年代を測定。その結果、箸墓の堀や
堤からも出土し、箸墓が築造された時期の土器と考えられている「布留(ふる)0式」
が使われた期間を240〜260年に絞り込んだ。
 31日にハワイで始まる放射性炭素国際会議と、同日に早稲田大である日本考古学協
会の研究発表会で報告される。

■ソース(朝日新聞)(中略部分はソースで)
www.asahi.com/culture/update/0528/TKY200905280355.html
※画像:卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳
 www.asahi.com/culture/update/0528/images/OSK200905280103.jpg
■前スレ(1の立った日時 05/29(金) 06:54:23)
tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1243687084/

58 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:20:21 ID:UDTpwtfHO]
九州はないとか言ってる人は勉強が足りないよね〜

59 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:20:57 ID:vsbA3qKQ0]
>>51
>政変事にいちはやく新政権を承認する使者を送った事への外交的配慮。

その情報収集能力ひとつとってもただの辺境国ではない証拠になるわけで。
魏が金印を下賜するのもうなずける。

60 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:22:01 ID:WuFclIp00]
邪馬台国九州説が真だとしたら、
魏志倭人伝に登場するだけの存在になるだけ。
大和朝廷に繋がる畿内にあってこそ意味がある。

61 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:22:37 ID:/gv97o260]
ええと、
九州の邪馬台国と言えそうな遺跡って、どこだっけ。
宮崎日向の何とか原遺跡かな?


62 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:24:36 ID:vsbA3qKQ0]
>>57
私もそう考えます。
おそらく鉄器に関しては九州の方が先進的だったと思います。
なので実質は左遷されたニニギ一族が九州の鉄器文化を手に入れ神武帝の時代に畿内へ侵攻したのでしょうね。
クーデターのような形で。
だからこそ一度は敗れて熊野へ退避したのにその後畿内勢力が続々と神武帝側の味方となった説明もつきます。
もともと畿内に縁が深かったと考えれば自然とみちびかれる答えですね。

63 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:24:45 ID:NCPrV7ZHO]
>>49
魏志倭人伝にある倭人の習俗は南洋土人的であり九州以南だろう。
しかし地理的歴史的記述は大和である。
おそらく、近畿地方の大和と九州南洋土人がごっちゃになったのだろう。


64 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:25:21 ID:TfXdbv2tP]
>>61
宮崎あたりに天皇関係の遺跡が多数あるのが九州ぽい気がするんだけどなぁ

65 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:27:37 ID:vsbA3qKQ0]
>>63
大和朝廷はその後も大宰府という役所を置いて外国からの使者を直接帝都に入れることは稀でした。
それは邪馬台国時代から続いていたと考えれば魏の使者も九州で留め置かれて畿内には入れなかったのでしょうね。
使者はずっと九州にいたわけですから「コレが倭の風俗か」と九州の風俗が倭全体の風俗と思い込むのも無理はありません。

66 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:29:00 ID:xka+Sq970]
卑弥呼なんてのがいたかどうかも怪しい



67 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:30:33 ID:EbbrfY1O0]
>>30
女陰ってマムコのことなんだ。

68 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:31:03 ID:FhkblCOM0]
>>59
魏が、倭国へ使者を送ったのは、朝鮮半島情勢が影響している。

帯方郡で、三韓人が反乱を起こして、
帯方郡の太守が殺害されるという事件が起こっている。
それが、西暦240年代のことだ。

だから、魏の皇帝が、倭の使者(難升米=梨津臣命?)に、
魏の傘下の武官に任命している。
これによって、倭の軍は、魏の意向を受けた軍隊ということになり、
朝鮮半島へ出兵しても、その倭軍は魏軍という大義名分が生まれる。

しかし、倭軍は援軍として駆けつけなかった。
そうこうしているうちに、魏は、三韓人の反乱を鎮圧した。

で、魏の張政が、倭に視察にきて、なぜ、来てくれなかったのか?
と問い詰めたら、
倭国で内乱(狗奴王の乱=武埴安彦命の乱か?)が起こっていて、それどころではなかったと。


69 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:32:45 ID:EbbrfY1O0]
>>40
軽く感動。
そうだよね。

あたまいいね。

ついでに、魏志倭人伝と地域比定の解説プリーズ。

70 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:33:01 ID:5Gj9wXzq0]
AD248の皆既日食は近畿、九州では観測できず韓半島南部(任那?)では観測出来たらしい。

71 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:34:07 ID:2QT8b8eMO]
宮内庁って隠し事多いよな!
でも外交は宮内庁がないと出来ないんでしょ?

72 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:37:55 ID:UDTpwtfHO]
九州である事は、ほぼ確定してるんだけど、それじゃ面白くないし奈良の都合もあるのでチマチマやっていくんだろうね。


73 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:39:30 ID:uTcRwgZe0]
3世紀、日本の中心は間違いなく機内。
日本中の物が集まってきている。
考古学がそう示している。

74 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:40:01 ID:FhkblCOM0]
>>62
自分は鉄を過大評価するべきではないと思う。
単純に、九州は、熊襲との戦いの最前線だったから
鉄が多くあったのに過ぎないと思う。

あと、神武天皇は九州から東征したというが、
神武天皇が、ナガスネヒコと戦う直前は
吉備に赴任してた時だから、九州から遠征という感じではないと思うね。

それに、神武天皇が近畿に入って、イワレ彦を名乗った後も
欠史八大の間は、あまり、事柄が無いことから
この間は、まだ、政治的実権は握っていても
祭司上の実権は握ってなかった可能性が高い。
この欠史八代の間に、倭国大乱があって、卑弥呼が擁立されたとあるから
この時に、神武皇統は完全なナンバー1になったのだろう。

75 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:41:32 ID:21+lNzFy0]
「初の統一国家! 出雲系王朝!!!」って感じのドラマ・映画・小説作れば良い。
出雲王朝が有名になれば、観光地的にはWinWinだろ。

76 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:42:11 ID:FhkblCOM0]
>>70
出来てないし、対馬では観測された。
でも、皆既日食は、あんも無関係だ。

卑弥呼=ヤマトトトヒモモソ姫命だ。
孝霊天皇の皇女であり、大和王朝の祭司上のトップにいた巫女。
彼女が、魏から倭王と認められていた人物だ。



77 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:42:20 ID:mzkIhuj40]
放射性炭素年代測定によって、畿内の遺跡がすべて250年ごろと出るヨカン

78 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:42:49 ID:EbbrfY1O0]
分った!

神武は、制圧しようとしていた九州懐柔のため、
俺は宮崎から来たんだ〜とか言ったんだ!
信長のコレトウとかコレムネみたいに。

俺ってあったまいー!


79 名前:佐田大神vs姫太伯 [2009/06/01(月) 01:44:55 ID:jb2LfzwHO]
僕が、歴史の真相を教えてしんぜよう。


邪馬台国(旧大和国・現奈良県)の
日御子(ヒミミコ・現在で言う斎宮)の
「姫太伯ー∬ー天御中主神ー∬ーイザナギー∬ーアマテラス卑弥呼」が

狗奴国(旧伊勢国・現三重県)の
日神(ヒミココ・現在で言う太陽神)の
猿田彦(日本列島の先住民の主・本来の太陽神である)と戦い

アマテラス卑弥呼が、日の神の実権を乗っ取る


それから西方の豪族である「姫太伯ー∬ータカミムスビー∬ー神武天皇」が

邪馬台国(旧大和国・現奈良県)を東征し乗っ取り

大和王権の誕生となる


そして現在に至る



卍僕は源氏の子孫だが、本来は猿田彦の子孫だったという家伝が伝わる

80 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:45:32 ID:rkX5Xt0u0]
弥生人は半島からの渡来人で犬を好んで食べていたwww

「弥生犬は朝鮮半島からの渡来人に連れられて日本にやってきた
と考えた方が自然でしょう。おそらく彼らはイヌを食べるために
ブタ等と一緒に連れてきたんでしょう」
www.athome-academy.jp/archive/history/0000000181_02.html

ちなみにこの説をといているのが今回の発表のリーダーである西本豊弘


81 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:45:35 ID:FhkblCOM0]
>>77
そんなことはないわ。
纏向遺跡の一番古い遺跡だと
西暦170〜西暦200年ごろと判断されることが多い。

82 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:46:42 ID:21+lNzFy0]
神武が実在してるとか妄想家・資料原理主義は( ・∀・)カエレ

83 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:47:13 ID:DTpIymY70]
>>70
はいはいウリナラ国に帰ってね

84 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:47:35 ID:mzkIhuj40]
神武は、海外出兵時代に遠洋航海できなかった、落ちこぼれ海軍。
だから、九州から都落ちして、列島内で傭兵として使ってくれる権力を探した。
それもままならず、熊野経由で畿内に乱入、やっと小領主となった。
周囲には大地主がひしめいており、神武は子孫9代にわたってひもじい生活をした。

85 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:48:17 ID:ygm+g/bo0]
>>70
>AD248の皆既日食は近畿、九州では観測できず韓半島南部(任那?)では観測出来たらしい。

そんなことないよ西暦248年は朝鮮は日食は見えない
>AD248の皆既日食は近畿、九州では観測できず韓半島南部(任那?)では観測出来たらしい。
うるさくて好きではないが、書いている内容は興味深い。

86 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:48:51 ID:FhkblCOM0]
>>80
そんな詳しいことは分かりません。
でも、そもそも、弥生時代の始まり自体が
紀元前1000年になりつつあるから
西暦3世紀の卑弥呼とは、基本的に無関係。



87 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:48:58 ID:UxX9dP/I0]
邪馬台国の前にあった倭国大乱って、気候変動による全国的な不作が
大きいんじゃないのかな?何かで見たような気がする。それ以前は
温暖で各地域にそれぞれ集団があって、不作による混乱によって
殺し合いが続いて、それを収めたのが卑弥呼擁する邪馬台国なのかな。
で、邪馬台国の頃にはまた温暖な気候に戻ったと。

88 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:50:36 ID:ygm+g/bo0]
>>82
じゃあ、アメリカ人も妄想家・資料原理主義なんだな。

89 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:50:57 ID:rkX5Xt0u0]
今日、NHK教育で朝鮮と日本の番組やってたね
任那日本府の
朝鮮南部でも前方後円墳が沢山でてきてる


90 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:51:10 ID:0Nzzff/50]
これ論理がおかしいだろ。

九州北部にも畿内にも吉備にも出雲にも有力な勢力があっておかしくない。
少なくとも文献的には九州説の方がそれらしいんだから(畿内に向かう旅程が全く記されて無い)、纏向なんか調べるより九州説が間違ってる明確な根拠を示さないと証明にならない。

大陸に近い九州の方が先進文化の吸収には絶対有利なんだから、九州から畿内に政権が移動したか畿内勢力が九州を征服したかの経緯が無いと説明つかない。
初めから畿内が圧倒的な勢力を持ってたって説は信憑性が無いよ。
瀬戸内海を囲んで諸勢力が通交してた時期が当然あったんだろうから、そこら辺を掘り下げないで「古墳の年代」だけで歴史を確定しようってのは無茶。

91 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:51:20 ID:FhkblCOM0]
邪馬台国(大和国)
投馬国(出雲国)
狗奴国(許乃国)

卑弥呼時代の西暦240年代=日本書紀の崇神紀の治世10年前後。

92 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:51:34 ID:iptgAt4qO]
宮内庁が古墳の発掘を許可すれば全てわかってしまうんだがね…


許可が出ない限り永遠に結論は出ないだろ


アメリカとかだったら速攻で掘って調査するだろうが

謎をわざわざ謎のまま残して議論を楽しむなんて洒落てるじゃないか

俺的には「さっさと掘らせろ!」って思う

93 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:55:05 ID:rkX5Xt0u0]
>>86
>>そんな詳しいことは分かりません。

あなた動物考古学を勉強したことあるの?
今回の発表をした西本先生が断言してます
ちなみに弥生時代が紀元前1000年という研究も
今回の発表をした民博な


94 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:55:30 ID:21+lNzFy0]
>>90
卑弥呼がいた町ってなれば、大観光名所になるでしょ。
卑弥呼の歴史的地位とは関係ない。

95 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:55:56 ID:ykjoEFLFO]
ドコだって良いじゃん…九州だろうと関西だろうと…
もしかすると中国地方かもしれないし、中部地方かもしれないし、関東地方かもしれないんだし…
アミダででも決めちまえ…
生き証人が誰一人居ない以上、歴史書ですら誰かが書いた想像の産物である可能性は誰にも否定は出来ないんだし…
ヤオビクニが居るならまだしも…まぁそれすらまだ産まれてねぇか…

96 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:56:10 ID:nLbRwijC0]
はっきりいって、歴史の大きな流れとしては、
卑弥呼かどうかなんて、どうでもいい話になる。

この時代はすでに小国分立じゃなくて、
畿内に統一的な政権があったということが分かればね。



97 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:56:31 ID:/gv97o260]
>>92
継体天皇のは調べたようだが。
今城塚古墳。
はにわ。
他のも、埋まってるのはハニワだろう。

98 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:56:52 ID:hmwaFKor0]
投馬(ツマ)は出雲、方角は帯方群から大雑把に南としてるだけ。
それで水行20日。
邪馬台国は大和、これも大雑把に南と表現。
水行10日、陸1月も実際行かずに伝聞で、
本州のどっかに着いてそっから歩くという事でしょ。

距離12000里が問題になるが、これは魏からみて
当時遠距離の都市を大体12000里前後と記述してたのと同じでしょう。

99 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:57:11 ID:FhkblCOM0]
>>90
最近の考古学者では、九州から近畿地方に
首都が移転したという見方をする人は少ないです。
海外から輸入品が、九州から近畿地方へ流れるのは、
古代に限らず、中世だって、そうでした。
当たり前のことです。でも、そんな時代においても、近畿地方が首都でした。

100 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:57:23 ID:2QT8b8eMO]
なんで発掘許可しないの?

101 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 01:57:30 ID:mzkIhuj40]
丸くて土盛りの低い塚だった卑弥呼の墓を、
鍵穴型の高い土盛りである前方後円墳の箸墓に比定するのは、
詐欺師の仕業。

102 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:58:21 ID:UxX9dP/I0]
有名な遺跡の規模を検索してみたんだけど
吉野ヶ里は50ヘクタール
巻向は300ヘクタール
何か巻向規模でか過ぎない?

103 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 01:59:55 ID:rkX5Xt0u0]
魏志倭人伝には邪馬台国は「蚕桑緝績し」と書いてあるんだよね
当時、養蚕があったのは九州


104 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:00:29 ID:FhkblCOM0]
>>93
弥生人というのは、渡来人ではありません。
縄文人+渡来人=弥生人だからです。
そして、日本語の系統としては
縄文人の言語をそのまま継承している。
縄文人と弥生人の混血は、長い時間をかけて緩やかだったので
基本的に、縄文人の言語を継承したまま
弥生人の血も強くなってきたというのが、本当のところ。

105 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:01:26 ID:rkX5Xt0u0]
>>101
藤村新一のせいで日本の石器時代は空白になったけど
その過ちをまた繰り返すかもねw

106 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:01:35 ID:iptgAt4qO]
前方後円墳は地球の磁力を制御する鍵穴だと本に載ってた。

民明書房刊「はに丸とひんべえ その愛」より



107 名前:佐田大神vs姫太伯 [2009/06/01(月) 02:03:16 ID:jb2LfzwHO]

神武天皇は最初、九州地方の地方豪族にすぎず
中央の邪馬台国を、東征して。それから大和王権を建国した。

倭の民は、中国の周王朝の祖である呉太伯、つまり姫太伯の一族である。
畿内の中央から九州の地方まで太伯の末裔の豪族が支配していた。
中央の君主も、太伯の子孫である

108 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:03:20 ID:UDTpwtfHO]
畿内説には無理があるね

109 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:04:24 ID:rkX5Xt0u0]
>>104
今回の発表をした西本先生が言っているんですよ
よく読みなさい

弥生人は犬を食べていた
www.athome-academy.jp/archive/history/0000000181_01.html

110 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:04:24 ID:FhkblCOM0]
>>87 :名無しさん@十周年:2009/06/01(月) 01:48:58 ID:UxX9dP/I0
>邪馬台国の前にあった倭国大乱って、気候変動による全国的な不作が
>大きいんじゃないのかな?何かで見たような気がする。

西暦240年くらいな。
倭国大乱は西暦150〜180年くらいだから、時期が全く違う。
ちなみに、崇神5年くらいに、疫病が流行したとある。
これが、西暦240年代の気候変動の時代でしょう、たぶん。

111 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:04:26 ID:p+Ki9emC0]
径百歩の塚でしょ?
普通は円墳を想像するけどなぁ…

112 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:05:38 ID:I3es4cnt0]
両方にあったじゃあダメなの?

113 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:07:22 ID:cSJ3PyQY0]
>>109
西本さんの言うことが、全て正解のわけないじゃんw
というか、歴博の人でも、意見が微妙に違うしね。


114 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:08:10 ID:/gv97o260]
>>109
中華は何でも食う。
中国系の男のY遺伝子を見ると、Oタイプは
中国朝鮮は9割の男がOタイプ。日本は5割。
だから犬食う奴が居ても変では無い。
そんなことは言われなくてもわかってることだ。

ここでは倭人の話をしてるのであって、日本のOタイプの男は
中華の名を残すこともできず、土着に取り込まれ一体化してるので
倭人でしかない。


115 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:08:19 ID:Iu3JGnu60]
今年の夏は卑弥呼ブームで決まり!

116 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:09:31 ID:Z+yBmwLJ0]
>>1
今回の発表で、自分の学者人生が
崩壊してしまう人も多くいるから
みんな、必死なんだよ。

邪馬台国九州説の人はアマチュアに多いが
これで、たくさん本を書いて商売してきた人は
全てが崩壊してしまう。



117 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:10:28 ID:1uUxM4w6O]
なんかスレの流れがどんどんオカルトになっていってる…

118 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:11:45 ID:XKHEfAU50]
>>113
江戸時代中期までは犬食をしてましたよ

119 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:12:06 ID:/gv97o260]
>>114
そして
倭ができて以降、日本に帰化した男もほとんどOのはずなので
つまり倭ができた頃は今よりOタイプの男はだいぶん少なかっただろう。
となると、どう考えても倭人は土着のD系統が強い民族であったのだろうし
O系統の男が中華の名を捨てることになったわけだ。

120 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:12:13 ID:lh0XQe/U0]
ぶっちゃけ邪馬台国そのものが存在しないのではないかと思うようになってきた
魏志倭人伝はいまでいうと同人誌で「邪馬台国って国があってー。女王様がいたりしてー。
死んだら奴隷1000人とともに埋められた。みたいなw」って感じで書かれていたりする



121 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:12:52 ID:sQnwpdxl0]
纒向遺跡の古墳群、卑弥呼側近を埋葬か 「畿内説」の根拠に
5月31日22時26分配信 産経新聞

 早稲田大学で同日開かれた日本考古学協会総会で報告された。

 纒向石塚古墳については出土した炭化物の残存炭素量を測定した結果、西暦200年
ごろの築造と推定。土器の形式変化から年代を割り出す考古学的手法では2世紀末〜
3世紀前半で、約50年間の幅があったが、今回の分析結果によって年代がさらに絞り
込まれることになった。

 また、約200メートル西にある矢塚古墳(同、全長96メートル)は220〜260年ごろ、
矢塚古墳の南約300メートルに築かれた東田大塚古墳(同、全長120メートル)は
220〜240年ごろの築造の可能性が高いという。

 研究グループは、卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳(同、全長280メートル)について、
卑弥呼の没年(248年ごろ)と合致する240〜260年築造との見解を出しており、
纒向遺跡内の最古級の前方後円墳は(1)纒向石塚古墳(2)矢塚古墳、東田大塚古墳
(3)箸墓古墳−の順に築造された可能性が高いとしている。

 炭素年代測定法は数十年単位の誤差が出やすいとの批判もあるが、研究グループの
春成秀爾・国立歴史民俗博物館名誉教授(考古学)は「多くの資料を分析することで
年代を絞り込むことができた」と精度の高さを強調。纒向石塚古墳などの被葬者に
ついては「卑弥呼はまだ生きていた時代なので、彼女を支えた有力者の墓ではないか」と
している。

 邪馬台国について中国の史書「魏志倭人伝」などによると、2世紀後半に卑弥呼が
擁立され、239年に中国に朝貢するなど3世紀前半を中心に隆盛したとされている。
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090531-00000575-san-soci

122 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:14:28 ID:Z+yBmwLJ0]
もう、邪馬台国論争は
九州説VS近畿説
から、

箸墓=卑弥呼墓VS箸墓=台与
にかわりつつある。

もう、近畿説でほぼ決まり。

123 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:14:53 ID:1F5HNP/aO]
邪馬台国九州説はもう無理だね。
卑弥呼(邪馬台国)は巻向の地で滅ぼされたんだよ。
その後間もなく大和朝廷が成立したと考えないと、
時系列的に無理があるしな。
で、卑弥呼は出雲系の姫。
だから大和政権としては都合が悪いので、歴史書には
邪馬台国の記述が殆んどなし。
外国の魏史倭人伝にのみ詳しい記録が残ってしまったという事。

124 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:15:12 ID:Iu3JGnu60]
>>117 最終的には、勾玉でガメラの呼び方を研究してるなw

125 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:15:19 ID:rkX5Xt0u0]
>>113
>>歴博の人でも、意見が微妙に違うしね。

だったら歴博の人でも他の人でも違う説の人のソース出してね

>>114
俺もそう思いますよ
たくさん犬を食べたんでしょうね

126 名前:佐田大神vs太伯 [2009/06/01(月) 02:17:12 ID:jb2LfzwHO]
釣るか・・


倭人は呉太伯の子孫なり。
古代、倭の国は。呉や越と同格に扱われていた。



127 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:18:09 ID:UxX9dP/I0]
>>110
時期が違うのか。疫病もどんな時代でも世の中不安定になるもんなぁ。
何にせよ、邪馬台国時代の前後にどんなことが各地で起こったのか
発掘とか当時の気候とか詳しく検証できたら、もっと大和までの流れを
掴めそうだなぁ。

128 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:18:12 ID:rkX5Xt0u0]
魏志倭人伝には「男子は大小と無く、皆黥面文身す」
ヤマトにこんな文化残っているんですか?
文献とかに残っていますか?
男は皆イレズミだよ

129 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:18:13 ID:7jbg7B0l0]
どっちでもいいのよなあ。

前方後円墳は日本が起源で、規模も日本の古墳が最大最多なので
とにかくヤマトの遺跡なのは確か。
首都がどこだろうが、移転しようがそんなものはヤマトの勝手だろう。

130 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:18:26 ID:Z+yBmwLJ0]
>>123
日本書紀を読め。そんなことは、どこにも書いていない。
卑弥呼は、完全に大和王朝の出身。


131 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:20:59 ID:LRX7D6DY0]
>>128
でもさ、今の日本人って髷結わないけど江戸から明治にかけて民族的に入れ替わったとかないし
どうなんだろう

132 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:21:02 ID:UDTpwtfHO]
畿内説はオカルト好きな人にはたまんないだろうね
「魏志倭人伝」だと九州説が有力、物的証拠の金印もある

それに卑弥呼が一人とは限らないしね

133 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:21:17 ID:7jbg7B0l0]
>>125
犬は、野犬退治が大変だろうと思うんだがな。
少しでも噛まれて狂犬病になると、終わりだし。
となると、飼うも何も狂った犬を退治して、その死体だけで満腹だろうに。

そうでなくともオオカミだらけの昔に、犬をわざわざってのも変だがな。
どちらにしろ、退治したら食糧だからな。
これは民族関係ないだろう。

134 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:21:18 ID:Z+yBmwLJ0]
大和王朝が、出雲国譲りの経緯から
長い間、出雲の神様も大切にしていたのは事実だ。
だから、卑弥呼(モモソ媛命)も、出雲の神様も大切にしていた。

ただ、出雲国譲りが行われたのは
卑弥呼(モモソ媛命)よりも、ずっと前だ。
神武天皇の時代よりも、さらに前の時代。

135 名前:道化師 ◆2NM3Ldm/eI mailto:sage [2009/06/01(月) 02:21:29 ID:KPyI5kbDO]
上岡さんに聞けば済む話し。

136 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:23:01 ID:rkX5Xt0u0]
>>130
日本書記だと卑弥呼は神功皇后だぞ
国学者の本居宣長も否定してる



137 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:24:10 ID:7jbg7B0l0]
>>128
さっきから妙に噛んでくるよな。

風習が続いてないと民族が変わるのか?
だとしたら、世界中で現代と忠誠では服装も髪型も変わってるから
地球人は総入れ替えされたのか?
江戸以前にマゲをしてたが、明治でマゲ無し洋服になった。これは民族が違うのか?


138 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:26:13 ID:rkX5Xt0u0]
>>133
でも、縄文時代には食って無かったみたいね
もちろん多少は食うやつもいただろうが
渡来人が入ってきて犬を食う文化が広まったようだ

あくまで今回の発表をした西本先生の説だけどね

139 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:26:38 ID:Iu3JGnu60]
連合国家の邪馬台国の卑弥呼が、ヤマト王権を作った。この次期の女帝は一人で
別名:天照大神、 神功皇后、倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)。

140 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:27:18 ID:Z+yBmwLJ0]
>>136
だから、国学者の本居宣長は大外れ。
彼は、国学者で、大和王朝が中国に朝貢するのが気に入らなかったから
邪馬台国九州説をぶちまけた。

日本書紀は、中国との外交に使うから
無理にして、年代を編纂したから、
結局、神功皇后が卑弥呼に違いないと
日本書紀の編纂者が理解したんだろう?
中国側の女王って記述が、何のことか分からなかったんだろう?

141 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:27:42 ID:UxX9dP/I0]
古い時代、縄文の頃は日本各地に入れ墨文化って結構あったように
思う。それが下火になってきたのが邪馬台国から大和にかけてでは
ないだろうか?丁度中国、朝鮮の文化が影響を与えた時期。
でも日本の入れ墨って古くから現代にも続く芸術でもありそう。

142 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:27:51 ID:1F5HNP/aO]
>>130
魏にとっても重要な邪馬台国は殆んど記述されてないし。
それに…神功皇后がそうだと言いたいのかw


143 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:28:40 ID:lh0XQe/U0]
沖縄旅行していた時ガイドのおっちゃんが邪馬台国は琉球にあるんですよと力説していた
大和の大王は琉球から移り住んだ人々だとも
これで確定でしょ

144 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:28:44 ID:rkX5Xt0u0]
>>137
>>だとしたら、世界中で現代と忠誠では服装も髪型も変わってるから
地球人は総入れ替えされたのか?
江戸以前にマゲをしてたが、明治でマゲ無し洋服になった。これは民族が違うのか?

反論にすらなってない
ヤマトにはイレズミ文化があったことの証明をもってこいよ
お前の思い込みの主観じゃなくね

145 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:29:07 ID:G9E4EKsn0]
昔ある番組で三角縁神獣鏡の出土具合だけで九州説は崩れるって学者のコメント取って流したら
スポンサーの広報部長が九州の人で、えらい怒られたな。

146 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:29:32 ID:5j3+PFke0]
>>139
>別名:天照大神、 神功皇后、倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)。

そんなこと、どこにも書いてません。
息をするように、うそをつくな。

卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命 以上です。



147 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:30:15 ID:ODNpOBO40]
そもそも海を隔てた外国の歴史書の記述に、どれだけの信憑性があるのか疑問だな。
国内にあの時代をリアルタイムに記述した資料が存在しないって未開人にもほどがあるよね。

148 名前:佐田大神vs太伯 [2009/06/01(月) 02:31:17 ID:jb2LfzwHO]
天津神の民族たちは、国津神の民族を支配してからも、国津神の神を大事にした。
だから、天皇家は出雲大社も大事にした。

そこまでは納得出来るが、しかし

天皇家は、アマテラス卑弥呼をあまり大事にはしていなかった


これは、疑問と思わないか?皇祖神なんだよ?

それとも、皇祖神だと後からでっちあげたのか?

149 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:31:22 ID:rkX5Xt0u0]
魏志倭人伝によると
邪馬台国は鉄器と絹を生産してたんだぞ
これだと九州だろ

150 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:32:10 ID:pzax3CxZO]
卑弥呼はマンモスの養殖に成功したらしいな

151 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:33:07 ID:7jbg7B0l0]
>>144
刺青が無いと倭人ではない証明をお前がするほうが先だろ。

なぜなら、刺青が無くとも倭人だからだ。
朝鮮人や中国人は、刺青をしなくなったヤマトの人間を倭人と呼び続けた。
ミズラがなくなっても倭人。
いまでも倭人と呼ばれるのはヤマト民族。

それをおまえがなんで一人否定してるんだ?

152 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:33:21 ID:Iu3JGnu60]
>>146 でも、卑弥呼に匹敵するような女帝は卑弥呼だけでしょ?

153 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:35:45 ID:rkX5Xt0u0]
>>145
サンカクブチは今や畿内説の人も根拠につかいませんw
でも、はしはかを調べて中国から送られたらしい鏡が出てきたら
やはり畿内説が強まるだろうね

154 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:36:28 ID:Iu3JGnu60]
そうすれば、辻褄が合う気がしたから

155 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:37:03 ID:5j3+PFke0]
天津=葛城の高天地方
国津=出雲地方。

近畿地方のことを、日の昇る南天とされ、
出雲地方のことを、日が沈む黄泉の近くとされ、

まあ、天津というのは、近畿地方のことです。
国津というのは、近畿地方以外の地域で、とくに、
出雲王朝の配下だった地域。

徳川幕府的に言うと
天神系(葛城・大和の譜代豪族)
天孫系(葛城・大和の親藩豪族)
地祇系(外様の豪族)

で、
諸蕃系(渡来系氏族)

156 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:37:37 ID:lh0XQe/U0]
魏志倭人伝では卑弥呼が亡くなった後奴隷1000人が生き埋めになったらしいな
箸墓古墳から奴隷1000人は出てきたの?



157 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/01(月) 02:37:55 ID:hmwaFKor0]
>>148
決して大事にしなかったわけじゃないだろ。
でもやっぱり何らかの争いがあって
邪馬台国を書記に記すには問題があったのでは?

158 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/01(月) 02:39:26 ID:yj2At8xc0]
>>153
どの鏡が中国の鏡かは分かりません。
くれぐれも、箸墓から出たから卑弥呼の鏡だなどと言わないようにして
もらしたいものだ。まあ、箸墓が調査されることはないだろうけど。






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