- 33 名前:ニューノーマルの名無しさん [2021/02/23(火) 07:04:49.97 ID:gNxciwkJ0.net]
- 『ヤクザの歴史』
ヤクザという存在は、過去、日本に現れてきたさまざまな人物の伝説や言い伝えを積み重ねながら徐々に構築されてきた。 なかでも18世紀に現れた的屋、博徒とのつながりは深い。 的屋は露天商人のグループ、博徒はプロの賭博師である。 的屋の起源ははっきりしている。 18世紀の日本では、世の中の出来事や宗教的行事に絡んで市が開かれたびに、露天商人たちが場所を移動して店を出してした。 こうした商人たちが互いに身を守り合うために作っていた組織が的屋である。 当時から的屋では上下関係がきっちりしていた。 下は見習いから一般メンバー、幹部、副首領、首領までランクに分かれ、 組織の中に組み込まれた者は、各々行うべき義務と役割を与えられ、厳しい掟を守らされていた。 1735年〜1940年にいたるまで、その時々の幕府や政府からは、忠義心のある組織として評価されてきた。 では、博徒の方はどんな人間が集まっていたのか。 徳川幕府は、大規模な土木工事の際にかなりの高給を出して人を集める一方で、博徒を使って労働者たちに賭け事をさせ、しっかりと金を取り戻していた。 ちなみに、ヤクザの名前の由来は博徒であるとする説がある。 花札をつかっためくりカルタの中に、八、九、三の目が出ると、合わせて二十で無得点になるゲームがある。 この数字、八、九、三を続けて言えば「ヤクザ」になる。 当初はプロの賭博師の中で札の呼び名としてしか用いられなかったこの用語が、いつしか賭博師そのものを指すようになり、 やがて組織のメンバー全体を表すようになって、20世紀に入ると一般に定着した。 世界でも最も精巧な犯罪組織と結び付くヤクザという言葉は、もとを正せば博徒界の用語だったわけだ。
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