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【福島県民、チェルノブイリを学びに行く】ロシアとベラルーシ訪問「事故で意識が変わった」



1 名前:みつを ★ mailto:sage [2018/11/10(土) 04:09:32.06 ID:CAP_USER9.net]
https://jp.sputniknews.com/opinion/201811095558631/

福島住民 「事故で意識が変わった」
オピニオン
2018年11月09日 07:03
(アップデート 2018年11月09日 18:59)

リュドミラ サーキャン

10月末から11月初めにかけて福島県の住人代表の3人がロシアとベラルーシを訪問した。3人の訪問の目的はチェルノブイリ原発事故の被災者にNPOがどう救済を行ったか、その経験に学ぶことにあった。スプートニクは、3人が事故で放射能に汚染されたノヴォズィブコフ市に向かう前に取材を行い、事故によってどんな教訓を得たか、今自分は安全な生活が送れていると思うかについて、話をうかがった。
スプートニク日本

スプートニク:事故の後、あなたの生活はどう変わりましたか?

佐藤龍彦 (楢葉町の元住民): 「私は当時郵便局に勤めていました。たまたまその日は休日でした。そして地震がおきたのです。経験したことの無い様な揺れでした。

その後、津波がきましたが、うちは幸い津波の被害は受けませんでした。でも原発事故が生じ、地震から1日経過した3月12日、30キロ圏内の住民全員に避難命令がだされました。当時、家には母と娘婿と孫がいました。同じ町の介護施設に勤務の長男は利用者さんを避難させるために昼夜働き、その翌日避難命令がでたので、私は利用者さんも乗せ、孫と連れ合いと一緒に避難をしました。
行き先はバラバラで、うちは町から30キロ離れた場所でした。それから避難所を転々とし、7年数か月にわたる避難生活となってしまいました。いつ帰宅できるか全くわかりません。

放射能は匂いや形もなく、目に見えない。どれだけの危険性か皆目わからない状態で避難し、帰宅を今か今かと待つうちに5か月が経ちました。1日か2日で帰れると思って避難したので、ペットの犬のコロには水とわずかな食べ物を残してきました。1週間が経過し、コロのことが大変心配だったので、親戚の叔母と母と一緒に戻りました。戻るといってもゲートが張ってありその中には入れないので隙間を縫いようやく家に辿り着き、犬と対面しましたが、既に硬直し亡くなっていました。

角田正志 (福島県教職員組合、組合長):「 放射能の情報は全くありませんでした。教職員組合をしていたので子ども達を放射能から守り、教職員の勤務を適切にする立場から情報を集めつつ、教育委員会と対応、交渉をしていました。
被災地の状況は連絡がつかず、テレビやラジオの情報しかない。町中、交通機関等が停止して、皆さんがどの様に動いたのかはわかりませんでしたが、町には人はほとんど出ませんでした。スーパーには食べ物も水も売っていません。こんなふうに地震による停電、断水で困っていたところに、原発事故が起こりました。

そんな中でしたので、福島県では原発事故よりも、地震に関連したライフライン方に様々な影響があったように思えます。それが次第に、放射能が風によって運ばれたと聞かされ、皆さんが一斉に恐怖を感じたと思います。福島市から避難した方も大勢いましたし、福島市へ避難した方もいました。」

中村孝太郎 (社会民主党 福島県連合副代表):「 私のいる所は福島県の南で原発からは60キロ離れていますが、なぜか放射能の影響は物凄く少なかったです。ですから避難指示は出されず、逆に避難されてくる方を受け入れる側でした。
(リンク先に続きあり)






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