- 575 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん mailto:sage [2007/02/21(水) 06:32:13 ID:j1Lt2c9O]
- >>574
まず最初に、私はあなたが何者か知らないし、もしかしたら>555では ないかもしれないという予感を以ている。事実としてあなたは>555と 同一であるという証明を行っていないし、あなた自身が>555は自分 であると宣言したところで、それは客観的な証明にはならない。あなた には>555と同じであるという立証は出来ない。 また次に、そもそも私にとって、貴方が>555と同じであるかということは 大した問題ではない。貴方が>555と同じだったとしても、私は>573 に対する>574の内容についてのみ返答しうる。事実として、>574は >573に対する内容のみに反駁しているに過ぎない。そこには、ただ単 に提示された状況として、>573に対する>574の反駁がある。 仮に>574が>573を>551と同一人物であるとみなすとしても、>574 の文中に於いて>>551にかんする文章は一切引用されなかった。故に私 が、>>551との脈絡に於いてそれらに反駁する義務は、論理的にはない。 何度もいうが、>574が>555と同一であることは“もはや”証明出来ない し、同様に私が>573と同一である事は証明出来たとしても、>573が >551と同一であることは誰にも証明出来ない。 故に引用される文脈とその文章に於いて、反駁が成り立ち、引用する文脈 と文章が自己のものに制限されるわけではないのと同様に、私が過去から 引用する文章と文脈において、全ての者は反駁しうる。そういった議論が成り立つ。 すなわち、同一性ではなく、文脈上の議論がある。 (なお、上記文は都合によりアンカー記号を別のものに変えた) ところで、日本史板や世界史板はおよそ学問的な板だけれど、識別子を 持たない。コテを付けることで他と区別することは出来ても、殆どの議論の 相手は識別子を持たない存在として認めなければならない。にも係わらず、 議論そのものはスレッド名がすなわち命題である場合、ある指向性を持って 語られる。そこでは「発言主体の同一性とか関係ない真理探究の議論しよ うぜ!」ということが、事実として機能している。つまり、上記の例証と言える だろうか。 >>573より >ある命題にかんする真実性/論理性の探求において >誰が参加しようが、誰が主張を述べようが、より事実に >近い解釈は常に一つに収斂していく、のが常だ、と仮定 >するとき、全ての人間は等価であると同時に、同質では >ないだろうか。 ということの仮定において、全てのなりすましや、自作自演は、やはり意味を持 たない。ただ全ての利用者が、命題にかんする真実性/論理性を探求している わけではないし、そのような利用法が推奨されているわけではない。併し、 そのように考えたときは少なくとも、識別子というものは、余り重要ではなくなる。 因みに、今議論している内容は、主旨として>>551とはかけ離れていたものに なってしまった。そもそも、>>551の時点では、どうやら「短期的・・・・」とあるよう にIDによる識別子は前提で書いてある。>>547を受けてのものなので、当然で はある。 此処でタネ明かしをすると、>>551=>>573=>>575だが(*)、お互いが明確な命 題なくレスにレスを返すということをくり返すと、次第に議論の論点が変質して曖昧 なものになるなあと思った次第。こういうのを、おそらく「ためにする議論」というのかも しれない。 (*無論、そう“主張している”わけだが)
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