- 633 名前: mailto:sage [2019/09/16(月) 15:53:15.98 ID:a/YPhtWq.net]
- 閑話休題 某所で駄文コピペ呼ばわりされたんだけど文字起こしだからねッ
小松左京『悪霊』より 歴史の中で悲憤のうちに死んだものは、何も君がノートにとった人物だけでない事は自明である。 記録にのこっているのはまだましな方で、 万斛の恨みをのんで、 曠野に白骨を晒した名も無い人々は、全世界で何十億を数えるだろう。 それを思えば世界史などは、鬼哭啾々として、 かの文人が言った如く、「人類の歴史は巨大な恨みに似ている」と言う事になろう。 が、それもまた実は誠に偏頗、且つ感傷的な見方であって、 およそ生物の歴史は、 地球始まって以来の膨大な地層をなす先行者の死骸の上に、いきいきと生成し流転し、 今日あるを思えば「死」もまた生きる事の一つの相であって、それをしも恨みと言うのはあたるまい。 ~~旦_(-ω- ) …些か達観も度が過ぎる気もしますが、 怨みを掘り起こす行為に熱中する友人への忠言の形で述べられています。 怨みを引き受ける側でも、代弁する側でも無いからこその言葉ですね。 私も同様ですよ…どうやら被告席にいる設定を押し付けたい輩もいるようですけどね。 ~( ~³ω³ )~ 文化にもそれぞれ「毒」が有り、宗教、思想、芸術、文学などにも、一種の毒が含まれており、 それに対する免疫性を持たないものが不用意に接すれば、たちまち精神に激しい急性中毒症状をおこし、 あるいは激しく酩酊し、精神の弱い、免疫性の低いものは死に至るほどの猛烈な瀉痢を呈したり、慢性中毒に陥ったりするものだ。 怨霊の毒とは―怨みをのんで死んだ人々の、巨細な記録には、 人々に強い情緒反応を起こさせ、それを通じて、その人物に感情移入させる力がある。 とりわけ、その時代において、現実に食うか食われるかの「力の対立」を生きていたそれぞれの当事者でない、 現代の人間は、記録の中から、一方的に「敗者の無残さ」にのみ、強い感情を抱きがちである。 ―この時、「怨霊の記憶」は、不用意にその記憶を読むもののナイーブな魂に、強烈な「情緒反応の型」を刻印する。 この「型」は、一旦それと知らずに嵌まり込んでしまえばなかなか抜け出せない。 この「型」が即ち怨霊の持つ「毒」であり、その毒にあたった者は、すべての現実に対する思考・判断が、 自分でも気づかぬうちにこの「型」「枠組み」に影響され、 それはまた、周り事象に対する思考・判断を通じて、自己の中に新たな「毒」を再生産して行き、一切を「毒の眼」を通してみるようになり(中略) …左巻きが共有してる通弊ですねえ ε=(´、丶) さらに言えば…韓国人と言う依代まで創ってしまった 彼等を狂わせた責任は重いでしょうね
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