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【音楽】井上陽水の吉田拓郎評「こうなんだと前面に言い放っている感じ」 [湛然★]



1 名前:湛然 ★ [2021/05/12(水) 23:12:44.70 ID:CAP_USER9.net]
井上陽水の吉田拓郎評「こうなんだと前面に言い放っている感じ」
5/12(水) 19:05 NEWSポストセブン
https://news.yahoo.co.jp/articles/ef5b5a0a5193eeba3a9c921be8e9459d1201ba30?page=1
井上陽水には吉田拓郎がどう見えた?
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210512-00000020-pseven-000-1-view.jpg


「吉田拓郎が『結婚しようよ』でフォークソングをメジャーにし、井上陽水が音楽性を追求した『氷の世界』を初のミリオンアルバムに導き、2人で現在のJポップへの道を切り開いた」

 こう語る富澤一誠氏は、拓郎が『今日までそして明日から』を歌った1971年、彼に影響を受けて音楽評論家となった。

「それまでのフォークは反戦、反権威をテーマに『私たちは〜』と連帯を呼びかけていたのに対し、拓郎は『私は〜』という主語で身近な世界をフォークに持ち込んだ。フォークファンは商業主義だと抵抗感を示し、コンサートで拓郎が登場すると『帰れ』コールを浴びせました。しかし、拓郎は夏フェスの元祖となるつま恋オールナイトコンサートを主催するなど、実力で批判を跳ね返した」

 一方の陽水はアンドレ・カンドレ名義で1969年にデビューしたが鳴かず飛ばず。その頃を知るのが関西フォーク界の重鎮、高石ともやだ。

「無名の頃によくコンサートで一緒でしたが、ギター1本で客ひとりひとりをねじ伏せるような歌でした。彼の言葉はとても鋭く、私らも近づけないような雰囲気でした。演奏している背中を見ると、なんだか切なかったことを覚えています」

 1971年、井上陽水に改名してブレイク。名盤『断絶』『氷の世界』などに携わった音楽プロデューサー・川瀬泰雄氏は語る。

「陽水の本名は『あきみ』と読みますが、拓郎を意識したレコード会社が『拓郎(たくろう)のように陽水(ようすい)にしよう』と言い出して、本人は『そうですか』と受け入れた。彼にあったのは、ただいい曲をつくりたいという気持ちだけ。

(※中略)


 前出・富澤氏が陽水に直接、拓郎について尋ねたところ、こう答えたという。

「拓郎は、ああだ、こうだ、そうじゃない、こうなんだと前面へ言い放っている感じがありますよね。それに対して、僕のは自分にこうウジウジと語りかけている。言ってみれば、拓郎はサドで、僕はマゾか」

 当時の若者は拓郎派と陽水派に二分されたが、本人同士は友好関係にあった。拓郎は陽水に声をかけてレコード会社「フォーライフ」を立ち上げ、「よく一緒に将棋を指していた」(前出・川瀬氏)という。陽水は近年のコンサートで、「一部で拓郎と陽水は仲が悪いんじゃないかという声もあるんですが、そうかもしれない」と笑わせながら、拓郎の名曲『リンゴ』のカバーを披露した。

※週刊ポスト2021年5月21日号






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