- 1 名前:砂漠のマスカレード ★ [2019/02/14(木) 08:54:26.35 ID:i7IHS5VF9.net]
- 「昭和のプロレス」を体現した人気レスラーで、65歳まで現役でリングに立ち続けた天龍源一郎氏の「仕事人秘録」。
「時代の先をいっていた」というプロレス新団体SWSの取り組みに、既存の団体はどう反応したのでしょうか。 SWSと無事に契約を終え、プロレス界に様々な新機軸を打ち出した。 SWSは従来のテレビ局ではなく一企業がスポンサーにつき、選手の(待遇の)ランクが上がりました。 世の中に存在が知れ渡り「ビジネスとしてのプロレスが独り歩きできるんだな」と胸を張って歩きましたよ。 泊まるのはビジネスホテルや民宿からちゃんとしたホテルに、移動はグリーン車になりました。 日本独特のプロレスから一歩を踏み出したのはうれしかった。 SWSは大会場では選手入退場の1本の花道を作りサーチライトも使い電飾もきらびやかです。 ファンがどこからでも選手を見やすくするためです。当時は別々の花道が当たり前。 他団体から「戦う者同士が同じ花道を通るなんて」と非難囂々(ごうごう)でした。 ファンミーティングを開くと「ファンと距離が近すぎる」と批判されます。 メガネスーパーはプロ野球でやったことをやろうとしたのでしょうが、何でもクレームがついてましたね。 今はどうでしょう。選手は新幹線のグリーン車に乗り、いいホテルに泊まり、ファンとの交流もやっています。SWSが時代の先をいっていたと思います。 別の効果もありました。他団体では「SWSには行くな」と選手のファイトマネーが上がったそうです。僕の契約金は数億円。 僕がSWSに行くことでプロレスラー皆が潤ったと言ってもいいかもしれません。 最大の思い出は、1991年12月の東京ドームでのハルク・ホーガンとの一騎打ちですね。 全米ナンバーワンのホーガンと戦うわけです。僕もSWSの社長として実現のために渡米し、(ホーガンが所属する団体)WWFの首脳と4回も会談しました。 布石として同年3月にはホーガンとタッグも組みました。 社長としても選手としても自前でドームを満員にした自負があり「メガネスーパーに少し恩返しできたかな」と感無量でした。 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190214-00010000-nikkeisty-bus_all 2/14(木) 0:10配信 https://image.middle-edge.jp/medium/c6e1b0ee2b7ffc4bcffe06dd3b19e2b4.jpg https://www.youtube.com/watch?v=eRbqNlDJOJg&t=7s サンダーストーム 天龍源一郎のテーマ
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