- 1 名前:muffin ★ [2018/02/14(水) 19:16:33.53 ID:CAP_USER9.net]
- https://www.asahi.com/articles/ASL2F5HCSL2FUTQP02K.html
2018年2月14日17時00分 長野・エムウェーブでの練習の帰りだった。バンクーバー五輪を1シーズン後に控えた2008年12月。駐車場を歩きながら、小平奈緒が少しおどけて切り出した。 「朝日新聞で雇ってください。このままじゃ、ニートスケーターで……」 小平は当時、信州大教育学部4年。将来は「先生になってスケートの楽しさを伝えたい」という夢はあったが、師事する結城匡啓(まさひろ)コーチのもとで、まだ競技を続けたかった。 だが、4年生の冬になっても就職先が決まらない。半年前の北京五輪で有名になったフェンシング・太田雄貴の「ニート剣士」をもじって自虐的に笑った。 長野の地元紙には、スケルトンで五輪に出場した記者がいた。そんなことも話題にしながら、小平は言った。「私、自分で滑って自分で記事を書きます」 本気で記者になりたかったわけではないだろう。ただただ、競技への一途な思いが伝わってきた。 彼女の希望は長野で競技を続けること。私は地元放送局の関係者に相談はしてみたものの、結局力になれなかった。卒業時も就職は決まらず、小平の両親は「1年ぐらいは面倒を見ようと思った」。 治療やリハビリをした縁もあって、松本市の相沢病院に採用されたのは4月半ばだった。小平は「初任給で家族を食事に連れていけました」とうれしそうに話していた。 何よりもスケートが大好きで純粋だ。卒論のテーマもスケートの動作解析。「何時間でも滑っていたい。映像もすり切れるほど見る」。 その情熱を受け止めてくれる職場が見つかり、才能が開花した。バンクーバーでは団体追い抜きで銀メダル。ソチ五輪はメダルを逃し、涙を流した。単身オランダに留学し、力をつけた。 好きな言葉は「勇往邁進(ゆうおうまいしん)」。強豪校ではなく、スケート部のない高校に進んで同好会で活動し、実業団の誘いを断って大学へ進んだ。 選手生命の危機でもあきらめず、決めた道を真っすぐ進んできた。その一念が実を結ぼうとしている。(稲崎航一) https://www.asahicom.jp/articles/images/c_AS20180213005462_comm.jpg
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