- 1 名前:きつねうどん ★ [2020/10/01(木) 12:06:34.70 ID:CAP_USER.net]
- 英訳版がアメリカで大ヒットした小池一夫原作・小島剛夕作画の漫画「首斬り朝」。その他にも「暴れん坊将軍」「必殺仕事人」といった作品にも登場する、江戸時代の死刑執行人をご存知でしょうか?
江戸時代の死刑は現在と異なり、斬首刑も行われていました。そして、死刑執行人を務めていたのが「山田浅右衛門(やまだあさえもん)」です。9代にわたって続いた山田家は、どのような一族だったのでしょうか。今回は、江戸の死刑執行人・山田浅右衛門の仕事や生活について解説します。 山田浅右衛門の本来の仕事は、刀の試し切り 山田浅右衛門(6代吉昌からは朝右衛門)は、江戸幕府の御様御用(おためしごよう)を務めていた山田家の当主が、代々襲名していた名前です。御様御用は腰物奉行(こしものぶぎょう)の配下で、将軍の佩刀や諸侯に下賜する刀などの「試し斬り」を担当していました。つまり、偉い人が使う刀の切れ味を確認する仕事だったわけです。 intojapanwaraku.com/wp-content/uploads/2020/08/390740_m-1-e1598407669350.jpg 出典元:写真AC 「あれ、死刑執行人の話はどこに行ったの?」と思われた方、よく考えてみてください。刀は本来、人を斬るための道具です。その切れ味を確認するためには、何を試しに斬ってみるべきでしょうか? そう、もちろん人間です。御様御用を務める人は、処刑された罪人の死体を引き取り、それを斬ることで刀の切れ味を確認していたのです。 それがやがて、「もうあいつらに死刑執行もやらせればいいのでは?」という話になっていきます。斬首刑は主に町奉行所の同心の仕事でしたが、そう簡単にできるものではなく、高い技術を必要としました。そのため、死体を斬り慣れている御様御用に代行を依頼することが増え、次第に御様御用は死刑執行人を兼ねるようになったのです。 そして、初代山田浅右衛門・貞武が2代吉時に御様御用の役目を譲った結果、御様御用は山田家が独占・世襲することになります。こうして、「江戸の死刑執行人・山田浅右衛門」が誕生しました。時代としては、ちょうど徳川吉宗が将軍だった頃です。すでに関ヶ原の戦もはるか昔、人を斬る機会などほとんどなくなった武士にとって、試し斬りも斬首刑もプロを頼るほかなかったのかもしれません。 なお、世襲とはいうものの、浅右衛門が実子に跡を継がせた例は2回しかありません。多くの場合、弟子の中から最も優秀な者を跡継ぎに選んでいたのです。もしかすると、つらい仕事を実の子に継がせたくなかったのかもしれません。 山田浅右衛門はとても裕福。その収入源は…… 次は、山田浅右衛門の生活について見ていきましょう。実は、浅右衛門は徳川将軍の家臣ではなく、主君のいない浪人という立場でした。当然、江戸幕府からの俸禄(給料)や知行(領地)はもらえません。それならさぞかし生活も苦しかったはず……と思いきや、実態はまったくの逆。山田家はとても裕福で、小規模な大名に匹敵するほどだったのです。一体どうやって収入を得ていたのでしょうか。 メインの収入源は、言うまでもなく本業である試し斬りです。当時、刀の切れ味(≒価値)を正確に確認するためには、浅右衛門に試し斬りを依頼して「折紙(証明書)」を出してもらうのが最も確実でした。そのため、腰物奉行だけでなく大名などからも多くの依頼が舞い込み、大きな報酬を得ていたのです。
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