- 1 名前:Ψ [2018/11/19(月) 12:34:09.14 ID:ZVngEwZm.net]
- 「不逞(ふてい)鮮人が放火して回っている」「井戸に毒を投げ入れた」−。
そんな流言が東京や横浜で広まったのは、関東大震災後の大正12年9月1日夜から2日にかけてである。 都市部の火災はおさまらず、新たな火の手も上がっていた最中だ。警視庁や神奈川県警察部は厳戒態勢をとり、住民らは自警団を組織、その一部が朝鮮出身者らを迫害する事件が起こりはじめた。 東京日日新聞に衝撃的な見出しが躍ったのは、そんなときだった。 「鮮人いたる所めつたぎりを働く」「日本人男女十数名をころす」「横浜を荒し 本社を襲ふ 鮮人のために東京はのろひの世界」… 震災被害で紙面は1枚、裏表の2頁だけだが、1面のおよそ3分の1を「不逞鮮人」の記事が占めていた。 誰もが情報に飢えていたときだ。こうした報道により、流言は“事実”と化したといえよう(※1)。 3日以降、関東一帯で朝鮮出身者らへの迫害が頻発する。神経過敏となった各地の自警団は、朝鮮出身者とみるや集団で取り囲み、殴打し、殺害した。 https://www.sankei.com/premium/news/181118/prm1811180010-n1.html 関連ニュース 【毎日新聞】朝鮮人と思い込んだ自警団が幼児や妊婦含む9人虐殺…野田市でタブーの「福田村事件」 流山市で講演会 https://mainichi.jp/articles/20181118/ddl/k12/040/065000c?inb=ra
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