- 1 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2018/03/17(土) 17:27:04.65 .net]
- 司馬遼太郎全集を重箱の隅をつつきながら読み進めてまいります。
現在「翔ぶが如く」が進行中です。 前スレ 司馬遼太郎 Part12 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1516287702/
- 676 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 05:42:23.66 .net]
- トイレと言わず、厠と言ってもらいたい。
- 677 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 05:46:14.51 .net]
- 黒岩重吾の奈良時代を描いた小説で、川の上に小屋をつくって、そこでうんこをしている描写があった。
厠の語源は、この川の小屋=川屋なのかどうかが知りたい。
- 678 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 05:50:47.78 .net]
- 篠原国幹の統率術というのは、薩摩隼人のウィーク・ポイントである「死を恐れるのか?」を連呼するだけなんだな。
- 679 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 05:55:50.15 .net]
- ちなみに「植木の戦い」は、実戦経験のない乃木さんの初陣です。
- 680 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 05:58:34.88 .net]
- 小学校の国語の教科書が、武将・軍人の話で埋め尽くされる日が待ち遠しいです。
乃木さんの植木の戦いなんて、むかしの日本人なら誰でも知っていた。
- 681 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 06:01:34.45 .net]
- 偏頗するのはよくないけどな。
楠木正成は美化されすぎたために面白くない人物になってしまった。 実物はもっと面白い人物だと思う。
- 682 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 08:42:11.92 .net]
- ☆ 村田三介
弘化2年(1845)生まれ。明治6年陸軍少佐を辞し、西南戦争では小隊長として西郷軍にくわわる。 熊本県北部の植木で政府軍をやぶり、乃木希典ひきいる第十四連隊の軍旗をうばう。 鍋田で明治10年3月11日戦死。33歳。 篠原国幹に「死を恐れるのか?」に言われるほどの頭脳派。 https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/13/1a83a9565e00762238acfbf24a659423.jpg
- 683 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 08:47:34.66 .net]
- 村田三介のイメージは冷静沈着な頭脳派だよな。
日テレ「田原坂」では村田三介の妻・佐和子役は石井富子さんだったが、イメージに合わない。 俺はずっと汾陽光輝(かわみなみ)役の鈴木ヤスシの妻か姉だと思っていた。 livedoor.blogimg.jp/donzun-actors/imgs/3/5/350bf83f.jpg
- 684 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 08:50:08.76 .net]
- なお村田三介が属する四番大隊の大隊長池上四郎の姓は「いけのうえ」と読む。
「いけがみ」と読んでいる人が多いと思うが。
- 685 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 08:54:30.00 .net]
- >>677
トイレ(toilet)のことを厠(かわや)と言いますが、その呼び名には、手水(ちょうず)、手水場(ちょうずば)、便所(べんじょ)、雪隠(せっちん)などがあり、川の流れに落とす川屋(かわや)からカワヤの名が出たとの説も広く知られています。 この他にも、昔から、はばかり、ご不浄(ごふじょう)、遠方(えんぽう)、東司(とうす)、後架(こうか)、高野山(こうやさん)、閑所(かんじょ)、装者所(よそものどころ)など、多くのトイレの呼び名があります。
- 686 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 08:55:03.62 .net]
- 便所=仏教からきた言葉で、便利な所という意味です。
- 687 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 09:04:37.21 .net]
- 古代人の便所は水洗式だったことの証左となる歌が、「万葉集」巻十六に出ている。
香塗(こうぬ)れる 塔になよりそ川くまの くそふな喰(は)める 痛き女(め)やっこ あの人は人糞を食っているフナを食べている汚ならしい女だという相手の女をののしった歌です。 これは、川の上に便所を作っていた証拠と言えます。 世界の便所は、流すか、捨てるか、埋めるの三通りですが、川に流すのは南方系文化、便器を置くのは北方系文化と言われています。 溜桶をいけて便を貯めておくのは、農業用の肥料に使うところからきた日本独自の知恵。 konjaku-photo.com/m/pic/600/3215.jpg file.qingdao.blog.shinobi.jp/koedame.jpg
- 688 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 09:07:17.36 .net]
- 万葉集サイコー。ユーモアをも交えた自然主義文学だな。
古今、新古今ごときと並べて語ってはならない古代の最重要な文化遺産。
- 689 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 09:09:10.22 .net]
- >>684
そうだったんですか。ずっと「いけがみ」だと思っていました。
- 690 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 09:12:58.08 .net]
- >>687
わたくしは昭和40年代までの日本をこよなく愛する日本人ですが、 子供の頃遊んでいて肥溜めに嵌った屈辱の思い出があります。 肥溜めのことを考えると、あの時代に戻りたいとは思いません。
- 691 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 13:04:52.28 .net]
- >>669
加治木常樹の「薩南血涙史」によると、永山休二の小隊が植木に着いたのは、戦いが終わった後の2月23日ですよ。 加治木自身が永山小隊の押五(のちの伍長か)だったので間違いはない。
- 692 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 13:20:29.19 .net]
- 覚えてしまおう。熊本県北部の市町村。
https://www.kyusanko.co.jp/sankobus/sagasu/kennai/kenhoku/img/map_sg16.gif
- 693 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 13:30:19.31 .net]
- >>659
明治後は吉松秀枝(ほつえ)少佐。 小説も、そのようになっている。
- 694 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 13:33:20.96 .net]
- 知っているよ。
- 695 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 13:35:57.79 .net]
- 頭の悪い人って、そんなことも知らないバカじゃありませんよアピールがウザいよね。
「知っていますよ」アピールをした瞬間に、相手にバカだと見透かされているのにね。
- 696 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 13:36:43.04 .net]
- まあまあ、みなさん仲良くやりましょうや。
- 697 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 13:45:51.60 .net]
- 乃木希典少佐が60余名の兵とともに植木に到着したのは、熊本城攻撃が終わった2月22日の夕刻。
たたちに第三大隊長吉松秀枝少佐に命じて、植木宿の西南の端に散兵を配置した。 その後、遅れてきた兵を含め200〜300の兵力にはなったようである。
- 698 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 13:54:18.02 .net]
- ☆ 木葉
玉名郡玉東町木葉(旧木葉村)。 乃木は8q後方の木葉に炊事所を設けていたが、植木の兵の夕食は準備していなかった。 長行軍の上に飯抜き。戦えませんな。 matinami.o.oo7.jp/kyusyu-okinawa/gyokutou-konohatop.jpg matinami.o.oo7.jp/kyusyu-okinawa/gyokutou-konoha5.jpg
- 699 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 14:03:32.01 .net]
- 村田三介の小隊は、午後7時、乃木連隊吉松大隊に攻撃を開始する。
村田隊の弾薬が尽きた頃、伊東直二の4番大隊9番小隊が植木に到着した。 薩軍総勢400。 ここで村田小隊は白兵突撃に切り替える。
- 700 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 14:17:09.74 .net]
- 官軍はまだ一兵も失われていないのに、乃木は「余は勢の持久すべからざるを知り」退却を決意する。
退却先は後方の千本桜。現在の地名は、熊本市北区植木町舞尾。 www.geocities.jp/seinan_eki/jpg/ueki/nogitaishoukinenhi.jpg
- 701 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 14:28:23.40 .net]
- 第14連隊の連隊旗を薩軍に奪われた問題に関しては、発見者である高田露(あきら)、河原林雄太少尉に軍旗の扱いを命じた乃木少佐、河原林少尉を切り殺した薩軍の岩切正九郎押五の三者の証言が食い違っている。
司馬は、高田露の証言が正しいとしている。 乃木は命令を下したのみで、河原林少尉の命令後の行動は知らない。 しかし、おそらく嘘をついている。この嘘が乃木の心痛の種であり、乃木を殉死に追い込んだ動機のひとつであろうかと思われる。 岩切正九郎の証言は、収監中に政府が圧力をかけて偽証させたものであろう。
- 702 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 14:51:27.02 .net]
- ☆ 河原林雄太少尉
河原林少尉の出身藩である豊前小倉藩(小笠原氏・十五万石)は慶応二年(1866)六月、第二次長州征伐の荒波に飲みこまれます。 その後の講和の結果小倉城を中心とする企救郡を長州藩に奪われ、明治になっても廃藩置県まで国の直轄地になってしまいます。 小笠原家は藩庁を豊津(現在の行橋市)に移し豊津藩と称しますが、藩祖忠真公以来の小倉の地を去った藩士達は佐幕藩の苦労を嫌というほど味わうのです。 河原林少尉は嘉永元年(1848)の生まれですから、第二次長州征伐の時点で数えの19歳、おそらくは若い藩士として苦労を味わったでしょう。 https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/022/276/38/N000/000/033/148809498358717368178_DSC04617.jpg
- 703 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 14:57:08.46 .net]
- >>701
河原林少尉に連隊旗を背負ったままで、しかもわずか10名の兵で、400忍の薩軍相手に殿軍をやれという乃木の命令には、明らかに矛盾がああるな。 こんなこと長反橋の張飛にしかできない。
- 704 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 14:58:46.44 .net]
- 司馬も、乃木と河原林少尉の最後の別れは、高田露が見たという本営の民家ではないかと言っているな。
- 705 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 15:00:54.13 .net]
- 植木の戦いは、2時間余りで終了する。
乃木が退却したのとほぼ同時刻に薩軍も退却している。 薩軍もまた長い行軍で疲労していた。
- 706 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 15:02:03.33 .net]
- ドラマや映画では、植木の戦いは昼間に撮影されているが、日没後の戦いである。
- 707 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 15:07:07.54 .net]
- ☆ 鹿子木
熊本市北区鹿子木町。 薩軍の村田小隊・伊東小隊の退却場所。植木から3q南。 https://arbeit.nifty.com/arbeit_images/baitalk/2899/phpzpe62G.jpg ※スシロー熊本鹿子木店のバイト・アルバイト募集情報に貼られたアルバイト役のおねえさん
- 708 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 15:10:42.61 .net]
- 乃木少佐は午後9時40分に植木から千本桜に退却。
前線の吉松秀枝少佐以下も全員無事に退却している。 取り残されたのは、河原林少尉以下の10人である。
- 709 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 15:16:44.30 .net]
- 以下は筆者の推測であるが、高田露は乃木が本営としていた民家は「狼藉の跡は見苦しかった」と証言している。
おそらく岩切正九郎ら数名の薩兵は、乃木が本営としていた民家に斬り込んで闘争に及んだはずである。 河原林少尉は乃木を無事に退却させるために、自ら殿を引き受けたと思われる。 その後河原林も民家から脱出するが、追尾してきた岩切正五郎に斬殺された。享年32.
- 710 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 15:25:48.43 .net]
- ☆ 投刀塚(なたづか)
熊本市北区植木町投刀塚。 河原林雄太少尉の戦死地。 pic4.homemate-research.com/pubuser1/pubuser_facility_img/1/3/4/2700000000000084431/0000003137/2700000000000084431_0000003137_1.jpg kakutaxi.com/wp-content/uploads/IMG_1400.jpg
- 711 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 15:42:45.07 .net]
- 乃木は千本桜で吉松少佐らと落ちあい、田原坂を越えて木葉まで退却した。
https://murakumo1868.web.fc2.com/img-02modern/0217.jpg
- 712 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 15:53:38.93 .net]
- 鹿子木村まで退却した村田小隊・伊東小隊に、熊本から三小隊の援軍が来着する。
四番大隊六番小隊 小隊長:松下助四郎 四番大隊七番小隊 小隊長:石原市郎右衛門 四番大隊十番小隊 小隊長:橋口成一
- 713 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 15:56:29.08 .net]
- >>701
河原林少尉の遺体の背腰に巻かれた軍旗が差されていたというところが、岩切正九郎の偽証だな。
- 714 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 16:04:56.13 .net]
- 村田三介戦死後、兵站の責任者桂久武が、第14連隊の連隊旗は村田一代の武勇のしるしとして遺族に送った。
ここで村田の妻・佐和子(>>456・>>457・>>458)が登場する。 戦後、連隊旗の行方を捜索していた警察に、佐和子は連隊旗を渡してしまった。 捜索当時に乳児をかかえていた佐和子は、拘留されれば哺乳できないと考えたためである。 https://www.bvd.jp/WordPress/wp-content/uploads/2017/12/pickup08_01.png
- 715 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 16:07:01.08 .net]
- _ ∩
( ゚∀゚)彡 おっぱい!おっぱい! ( ⊂彡 | | し ⌒J
- 716 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 16:10:55.57 .net]
- >>712
戦力の増強は、植木方面と、さらに北方の山鹿方面だな。
- 717 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 16:16:20.69 .net]
- >>691
河原林少尉の遺体の発見者は加治木常樹自身。 その加治木は市ヶ谷監獄に収監されるが、偶然にも岩切正九郎と同牢する。 加治木は岩切の話を聞いて、はじめて自分の発見した遺体が河原林少尉の遺体であることを知った。 数奇な話ですなあ。
- 718 名前:二十三日の木葉 mailto:sage [2019/03/23(土) 18:23:18.02 .net]
- 【木葉の戦い】(2月23日)
22日夜半、薩軍本営で作戦会議が開かれた(>>643)。熊本城攻撃をこのまま継続するかどうかを話しあい、 当初は篠原の強行策継続が決定したが、遅れてきた野村忍助が反対し、西郷小兵衛や池上四郎らも同調し、会議は紛糾してしまう。 桐野は西郷に決を求め、西郷は強行中止を決断。熊本城を包囲する一方、残りは北上して小倉を強襲することが決定する(>>643の折衷案を訂正)。
- 719 名前:二十三日の木葉 mailto:sage [2019/03/23(土) 18:23:53.27 .net]
- 23日に6個小隊が小倉へ向けて出発した。総勢1800名は二手に分かれて植木方面に進出するが、対する乃木の歩兵第14連隊は未だ兵力は完全に集結しておらず、手元には700名ほどしかなかった。
木葉で展開する歩兵第14連隊は8時30分頃より優勢な薩軍と交戦を開始し午後1時頃までは互角に戦っていたが、薩軍右翼の1隊が遠く南回りに回り込んで第14連隊の右翼を脅かした事で連隊は劣勢となる。 それでも夕刻まで持ちこたえた第14連隊は夜陰に乗じての撤退を開始するが、木葉山を大きく迂回してきた薩軍が側面を襲ったことで部隊は総崩れとなり、第14連隊は木葉川を越えて寺田山へと退却する。 この戦いで乃木は第三大隊長であった吉松秀枝少佐など多くの部下を失っている。 seinan1877.zouri.jp/ueki/koba.jpg
- 720 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 19:07:00.32 .net]
- 司馬さんは、西郷の折衷案を華麗にスルーして、野村忍介の小倉占拠論があたかも22日夜の軍議で決まった内容だというように書かれている。
ちょっと呆れたぞ。
- 721 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 19:08:04.12 .net]
- もともと西郷の折衷案なるものは史実にないのではないか?
- 722 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 20:35:47.11 .net]
- ☆ 国見山〜木葉山
木葉山の南に水田地帯が開けている。 w.speedia.jp/mutu48/yama-konohayama00.jpg
- 723 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 20:39:55.54 .net]
- ☆ 津森秀実大尉
乃木の第14連隊第3大隊第3中隊長 植木へ将校斥候
- 724 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 20:42:33.22 .net]
- ☆ 功力栄植大尉
木葉から高瀬への街道に置かれた中隊の中隊長
- 725 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 21:26:05.59 .net]
- ☆ 七本(ななもと)
熊本市北区植木町轟七本 将校斥候と囮を兼ねた津本大尉の20余名は、七本という集落で、薩軍の松下助四郎小隊・石原市郎右衛門小隊・橋口成一小隊と遭遇する。 津本は木葉まで引き返した。木葉の戦闘は、このようにして始まった。 kumanago.jp/shugaku/files/ProgramImage/0/ProgramImage_626_image.jpg ※七本官軍墓地ー木葉の戦いで戦死した官軍兵士のみが埋葬されているわけではない。
- 726 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 21:38:07.27 .net]
- >>725
昨夜のうちに植木に着いた三小隊のうちの石原市郎右衛門小隊は、木葉の戦いには参加していないようである。
- 727 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 21:46:21.38 .net]
- 上木葉に散兵していた吉松秀枝少佐が射撃を命じたときに最前線にいた薩軍は、いったん境木にまで後退した。
>>725で松下助四郎小隊・橋口成一小隊と書いているのは、司馬さんがそのように書いているからなのだが、 翌々日の連載では、その二小隊は華麗にスルーされて、園田武一小隊長・平野正介小隊長・国分寿助小隊長に替えられている。 境木に後退したときに、松下助四郎小隊・橋口成一小隊が植木から駆けて追いついたことに変えられている。 驚いた。
- 728 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 21:52:01.12 .net]
- ☆ 境木
熊本県玉名郡玉東町大字上木葉字境木 https://pds.exblog.jp/pds/1/201411/24/53/d0158053_22311633.jpg pic3.homemate-research.com/pubuser1/pubuser_facility_img/8/6/6/2700000000000086668/0000002097/2700000000000086668_0000002097_1_s.jpg
- 729 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 22:40:36.31 .net]
- >>726
参加しとるわ、あほ。 もう一度、>>719の配置図にしたがって整理してみる。 植木から山鹿にむかった3小隊が、神宮司助左衛門小隊・嶺崎半左衛門小隊・石原市郎右衛門小隊。 植木から木葉にむかった3小隊が、園田武一小隊・平野正介小隊・国分寿助小隊。 左翼の植木迂回隊というのが、松下助四郎小隊・橋口成一小隊の2隊。 総勢1,600。
- 730 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 22:57:30.44 .net]
- つづいて、山鹿3小隊の木葉への進行経路であるが、眠くなったので、また明日以降に。
- 731 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/23(土) 23:41:06.71 .net]
- >>728
境木は田原坂を下ったところにある。 seinan1877.zouri.jp/tabaru1/tabarutizu1.JPG
- 732 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/24(日) 18:59:14.74 .net]
- ☆ 五両
熊本市北区植木町山本五両 植木から山鹿街道を北へ2q 山鹿へ向かった薩軍の三小隊が木葉の戦闘に気づいた地点 https://iwiz-loco.c.yimg.jp/im_siggqyasDduMSlD0nA2vxDqFAg---x302-y226-cwc302-chc200-bd0-n0-ifmpng-prix-q100/p/olp/j_gu2KlxwzB_TnuUGX647qD.1f8rOSQb5ZUvHM0QIJEQTUdWx1eeEbraJhCgizw_oD8DQw-- ※味千ラーメン植木五両店のラーメン
- 733 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/24(日) 19:01:12.18 .net]
- ☆ 金比羅山
umihikoyamahiko.net/kumamoto/kumamoto/yama.img/konpirasan0.jpg
- 734 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/24(日) 19:06:10.18 .net]
- ☆ 大平
熊本市北区植木町平原大平 田原坂の北
- 735 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/24(日) 19:35:21.92 .net]
- 山鹿三小隊が木葉村の背面に出現したのは、午後1時であった。
そのうちの石原小隊・嶺崎小隊は、大城寺の上の高地に回った。 そこから眼下に展開している官軍に銃弾の雨を注いだ。
- 736 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/24(日) 23:28:08.48 .net]
- ☆ 吉松秀枝少佐の戦死
「援兵の余裕などない。たとえあっても君に分かつべき兵はない。 君がもしここを守らないというなら、私が君に代わって守ろうじゃないか」 「私はただ君のほうに余力があるなら増援してもらいたいと思っただけだ。ここは私が守る。 ……しかし言っておくが、足下はその職が連隊長である。宜しく大局を督すべし。久しく此処に留まるべからず」 享年33。
- 737 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/24(日) 23:31:40.76 .net]
- 連隊長が自ら最前線に伝令に走るなど、もはや軍人とはいえないな。
ド素人。
- 738 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/24(日) 23:32:44.00 .net]
- 乃木さんの下で戦うということは、死ぬということだ。
- 739 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/24(日) 23:40:04.09 .net]
- 長州閥がなければ、乃木の立身出世など有りえなかった。
軍人ではなく文官になってもらいたかった人だな。
- 740 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/24(日) 23:45:54.70 .net]
- 援兵の催促に感情的に反応して、最前線に自ら赴く。
器量が小さすぎる。
- 741 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/24(日) 23:52:07.05 .net]
- ブサヨwwwwww 必死だな wwwwww
糞してwwwwww 寝ろやwwwwwwwwwwwwwww
- 742 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 00:22:21.41 .net]
- 軍神(´‘c_,‘` )プッ
- 743 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 02:03:29.03 .net]
- ☆ 石貫
熊本県玉名市石貫 乃木は木葉から石貫への退却を決意した。 臆病なので高瀬を素通りして石貫まで退却。 https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/bb/a458f467b639f37eafcdb116c3e61fde.jpg
- 744 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 02:06:49.72 .net]
- ☆ 稲佐
熊本県玉名郡玉東町稲佐 木葉の前線から1q後方。第14連隊の輜重隊が屯していた場所。 https://i.ytimg.com/vi/RgBYZzMEsZ8/maxresdefault.jpg
- 745 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 02:13:38.27 .net]
- 乃木はわずか40数人の輜重班(軍人ではなく人夫)に大宮勝武中尉をつけて、全軍の殿軍とした。
- 746 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 02:14:11.80 .net]
- こいつバカだろ。
- 747 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 02:26:01.13 .net]
- ☆ 逃げ遅れた乃木連隊長を庇って戦死した人々
大橋伍長 摺沢静夫少尉試補
- 748 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 02:27:14.29 .net]
- こいつバカだわ。
- 749 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 02:31:04.11 .net]
- 連隊長みずから人夫40人に殿軍を命じるために前線から1q後方に来たバカ。
しかも前線指揮官の吉松少佐は、乃木が稲佐村に来た時点には既に戦死していた。 おまえは吉松に自分が代わって指揮を執ると大口を叩いていなかったか?
- 750 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 02:40:37.12 .net]
- 阿呆な連隊長の下、木葉で戦った第14連隊の犠牲者
死者26名 負傷者50名 薩軍の死者 4名
- 751 名前:浅き春 mailto:sage [2019/03/25(月) 10:42:58.45 .net]
- 【熊本協同隊】
☆ 出町学校 2月23日、熊本民権党は熊本城下の出町学校において隊名と隊長を決めた。 熊本市西区出町。
- 752 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 10:48:36.27 .net]
- 隊長は平川惟一(のぶかず)
29歳で宮崎八郎より2歳年長であるし、100石取りの上士の家であるから、郷士出身の八郎が隊長になるわけがない。 詳しくは>>629に書いた。
- 753 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 10:49:36.13 .net]
- 戦場に女を出入りさせていた八郎が隊長になれるわけがない。
- 754 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 10:53:01.00 .net]
- 民権家の女癖が悪いのは、現代だけではなかったんですね(´・∀・`)ヘー
- 755 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 10:58:26.29 .net]
- ☆ お浪
陣営に潜んでくる若い婦人というのは、宮崎八郎が熊本に出てくると常宿としていた高瀬屋という宿屋の娘お浪だったそうです。 「血生臭い戦場にただ一輪、恋の花を咲かせた女性」という美化されたキャッチ・フレーズは勘弁してほしいです。 ただの押しかけ従軍慰安婦です。軍の統制が紊乱するだけです。 「田原坂」では戸川京子。 nagomi-web.com/fuhou/fuhou_select/image_fuhou/78togawa_1.bmp
- 756 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 11:00:17.93 .net]
- 宮崎八郎のチンポがよほど良かったんだろうな。
- 757 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 11:01:21.96 .net]
- 民権家は他に褒めるところがないんだけれど、チンコだけはすごいらしいね。
- 758 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 11:07:19.20 .net]
- >>755
「田原坂」のナレーションも確か「血生臭い戦場にただ一輪、恋の花を咲かせた女性」みたいな感じだった。 セックスの際の体液の臭さを、花の香で中和しようとするんだろうな。
- 759 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 11:24:13.02 .net]
- ☆ 江上アサ
熊本県出身で日本の元祖料理研究家と言われる江上トミを知っていますか? 昔のNHK「今日の料理」や日本テレビ「キユーピー3分クッキング」でお馴染みだった人です。 江上トミの母親アサは熊本県南関の惣庄屋江上安太の娘でした。 荒尾村の宮崎八郎の許婚者でありました。
- 760 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 11:26:23.49 .net]
- 許婚者がいるにもかかわらず、専用従軍慰安婦(´・∀・`)ヘー
しかも許婚者は家格が上の隣村の惣庄屋の娘(´・∀・`)ヘー
- 761 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 11:28:52.32 .net]
- 高田露(あきら)は、マジでお浪を斬ろうと思っていたらしいな。
- 762 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 11:36:20.25 .net]
- ☆ 種子島彦之丞
西郷のいる本営の護衛隊長。 津本陽の「抜き、即、斬」の主人公。短篇集『人斬り剣奥儀』 (PHP文芸文庫) 所収。 鹿児島では明治になっても決闘がさかんにおこなわれた。 「抜き、即、斬」は、わずか11歳の稚児種子島彦之丞が仲間の稚児をいじめて殺した20歳の二才相良源左衛門に決闘を挑んだ話。 小さいとはいえ、彦之丞は自顕流の抜きの稽古をつんでいた。いじめっ子に敢然とたち向かう彦之丞の勇気がすばらしい。
- 763 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 11:42:46.70 .net]
- ☆ 蒲生彦四郎
西郷本営の狙撃隊長。 薩摩琵琶が得意だった。
- 764 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 11:45:14.29 .net]
- ☆ 森友諒
種子島士族で、西南戦争のときは西郷の護衛兵。 従軍記『戦塵録』を残す。
- 765 名前:日本@名無史さん [2019/03/25(月) 12:08:50.88 .net]
- 八郎は一気に書き上げた挙兵趣意書を中根正胤(>>628)に読み聞かせた。
- 766 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 14:13:11.40 .net]
- 【熊本攻城戦】
☆ 河東祐五郎 種子島西之表士族。西南戦争に17歳で従軍した。 田原坂の戦いの様子を詳細に記録した「丁丑弾雨日記」を著す。 2月27日に伊倉に退いた西郷軍側の河東祐五郎は、寺院に休泊した。 寝るときは、下に麦わらを敷き上に畳をのせてもぐり込んだが、「堅氷指を墜さんばかりの厳冬なれば苦寒肌に?して通宵眠り得ること能はさりき」。
- 767 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 14:21:49.30 .net]
- 2月22日:12門の四斤山砲は攻城戦に未着
2月23日:永山弥一郎が占拠した花岡山(>>631)から砲撃したが射程距離が足りなかった。 img01.militaryblog.jp/usr/sat/020GTG.JPG その後、20ポンド臼砲4門を鹿児島から運び安己橋に据えて砲撃した。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/88/Gribeauval_12_inches_mortar_April_1789.jpg/200px-Gribeauval_12_inches_mortar_April_1789.jpg
- 768 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 14:25:03.59 .net]
- ☆ 讃良清蔵
西南の役最後の戦いである城山において、薩摩軍の讃良清蔵という砲隊半隊長が「西郷先生だけでも何とか生き残って欲しい」と熱望しました。
- 769 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 14:28:57.09 .net]
- ☆ 岩元平八郎恒成
弘化4年(1847)生まれ。もと近衛砲兵大尉で西南戦争のとき薩摩軍の砲隊長をつとめる。 西郷隆盛にしたがい、城山で明治10年9月24日戦死。31歳。 www5d.biglobe.ne.jp/~iamarock/iwamoto/familyhistory/album/hei1.jpg
- 770 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 15:10:39.05 .net]
- ☆ 田代清丈
砲兵小隊長。堀新次郎、村田三介と墓が並んである。 https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-3f-31/satsuma10box02/folder/463117/38/7834138/img_3?1353115899
- 771 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 15:14:00.64 .net]
- 【植木への退却】
23日の木葉の戦いに大勝した後、薩軍は乃木連隊を追撃することなく、驚くべきことだが植木に退却してしまう。 野村の小倉占拠論は、どうなってしまったのだろうか? 薩軍は戦略を立てる参謀なしで戦っている。
- 772 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 15:17:39.37 .net]
- 戊辰戦争では進撃する先々で味方が増えた。
この体験が薩軍の戦略を甘いものにしてしまったのだろうな。 明治10年においても士族・農民ともに政府に不満をいだいている。 行く先々で味方が増えると思っていたかもしれない。 そもそも熊本鎮台が西郷に刃を向けるなど、薩軍幹部の誰もが予想していなったわけだし。
- 773 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 15:22:33.76 .net]
- お祭りの鬼が、子供を追っかけまわしているようなものだよ。
子供を追っ払えば、元の位置に戻ってしまう。 薩兵の強さを過信していたのだろうな。 たしかに強いが、戦略はない。戦略不要なまでに薩兵は強いと過信していた。
- 774 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 18:12:27.31 .net]
- 戦う気がないのだから、戦略も何もないよ。
戦うことになるかもしれないと予想して、参謀に戦略案を練らせておかなかったのは落度だけどな。
- 775 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 18:13:14.18 .net]
- そんなことをしていたら、篠原に「死を恐れるか?」と睨まれる。
- 776 名前:日本@名無史さん mailto:sage [2019/03/25(月) 19:54:26.28 .net]
- 【先発旅団】
第一旅団:野津鎮雄少将……東京歩兵第1連隊、大阪歩兵第8連隊 第二旅団:三好重臣少将……参謀長野津道貫大佐、近衛連隊(士族兵) 両旅団とも2,000の兵力。その後、大幅に増員。 2月22日に博多上陸。23日に博多を進発。
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