- 1 名前:坊主 ★ mailto:sage [2018/09/25(火) 17:04:17.45 ID:CAP_USER.net]
- ハンセン病回復者に笑顔で言葉を掛ける門野真由さん(中央)=8月29日、岡山県瀬戸内市の国立療養所邑久光明園
fki.ismcdn.jp/mwimgs/6/e/-/img_6ef61dce378eb4f80f9672a7da35d946440943.jpg 福井県立若狭東高校放送部が2009年にハンセン病回復者の高瀬重二郎さん(同県高浜町出身)をモデルに制作した番組で、編集作業を担当した卒業生の門野真由さん(25)=同県おおい町=は現在、高齢者介護の仕事に励んでいる。知的障害のある兄に対する周囲の「差別的な目」におびえていた在校当時、回復者への理解を求めて自らの体験を伝えている高瀬さんに勇気をもらった。「ハンディを持っている人であっても、みんなが誰かの大事な人」と選んだ福祉の道。8月末に岡山県の国立療養所を訪ね、その思いを新たにした。 門野さんは若狭東高1年だった08年、国立療養所長島愛生園(岡山県)から同校を訪れた高瀬さんと出会った。「断種、中絶を強要されて子どもはつくれなかった」「逃走防止のため与えられた療養所限定の貨幣があった」。高瀬さんは講演で、医学的に誤った見地から入所者が受けてきた人権侵害の歴史を、ありのままに語った。 門野さんは衝撃を受けた。「ハンセン病の問題は、無知から生まれた。正しい知識がないから差別が膨らんでいった」。その現実を多くの人に伝えたいとの思いから、部員仲間と療養所の現地取材も行い、高瀬さんへのインタビューで半生を番組にまとめた。 高瀬さんとの出会いは、生き方の転機にもなった。 幼少の頃から、1歳年上の知的障害のある兄と出掛けると「じろじろと見られるのがすごく気になった」。同級生にはふざけて兄のまねをされ、恥ずかしく感じたこともあった。「みんなから差別されている感覚だった。周りは全部敵だと思っていた」。そんな悩みが吹き飛んだ。 「今までひどい差別を受けてきたのに、人前に出てしゃべるのはきっと覚悟がいること。それでも経験を伝えようとする高瀬さんの姿に勇気をもらった」 卒業後、岐阜県の短大で介護福祉を学んだ。特養ホーム勤務を経て、高浜町のデイサービス施設で高齢者の入浴介助やリハビリ支援を担っている。「利用者の人たちは『自分なんか役に立たん』と言ったりするけれど、何もできなくても、いてくれるだけでいい。そう感じてもらえる介護職になりたい」 8月29日、現役の若狭東高放送部員やボランティアとともに小浜市社協の交流団に参加し、9年ぶりに国立療養所を訪ねた。邑久光明園で福井県出身の入所者の手を取り、笑顔で言葉を掛けた。高瀬さんが5月に亡くなって寂しい思いをしていたが、福祉を志した原点に立ち返り、「これからも介護業界で頑張ろう」とあらためて感じた。 門野さんたちが制作した番組は、放送部で今も人権教育に役立てられている。療養所では、初めて現地で入所者と触れ合う部員たちを温かく見守った。後輩たちにも「自分と違う立場の人であっても、その痛みを知れる大人になってほしい」と願っている。 福井新聞 2018年9月24日 午前11時30分 www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/706032
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