- 1 名前:朝一から閉店までφ ★ mailto:sage [2023/06/03(土) 16:14:17.49 ID:7jHn51/a9.net]
- 【追悼】「関西最後の大物芸人」上岡龍太郎氏が58歳で芸能界引退した理由
ラリー遠田作家・お笑い評論家 6/2(金) 14:47 元タレントの上岡龍太郎氏が、5月19日に大阪府内の病院で肺がんと間質性肺炎のため亡くなっていたことが発表された。81歳だった。 いま40代以上の一般的なテレビ視聴者であれば、上岡のことを知らない人はほとんどいないだろう。彼はかつて数多くの番組で司会を務めた人気芸人だった。 しかし、若い世代の中には彼のことをよく知らないという人もいるかもしれない。その理由は、上岡が2000年に引退を発表して、二度と表舞台に復帰することがなかったからだ。去り際があまりにも鮮やかだったため、下の世代の人にはその存在すら認知されていない可能性がある。 彼は人気絶頂期になぜ自ら引退を選んだのか。毀誉褒貶の激しい上岡龍太郎とはそもそもいかなる人物だったのか。その歩みを紐解いていきたい。 1942年、上岡龍太郎は京都府に生まれた。物心ついたときからラジオで流れてくる漫才や落語を熱心に聞いていた。中学生のときには時代劇に夢中になり、役者を志すようになった。だが、高校に入ると一転してロカビリーに目覚めて、ジャズ喫茶に出入りするようになった。 ミュージシャンになることを考えたこともあったが、歌は上手くなく、楽器の練習をするのも面倒だったため、司会者の勉強をすることにした。 1960年、横山ノックに誘われて「横山パンチ」という芸名で漫才を始めることにした。のちに横山フックも加わり「漫画トリオ」という3人組での活動が始まった。 「パンパカパーン、パンパンパン、パンパカパーン、今週のハイライト」という決まり文句で始まるテンポのいい時事ネタ漫才は当時としては斬新だった。 1960年代半ばにはお笑い界で「トリオブーム」が起こり、てんぷくトリオ、トリオ・ザ・パンチ、トリオ・スカイラインなど多くのトリオ芸人が爆発的な人気を博した。大阪を拠点に活動していた漫画トリオもその波に乗って全国的にその名を知られるようになった。 ===== 後略 ===== 全文は下記URLで https://news.yahoo.co.jp/byline/larrytoda/20230602-00352209
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