- 1 名前:朝一から閉店までφ ★ [US] [2019/03/26(火) 12:17:39.96 ID:CAP_USER9.net]
- 2019.3.26 11:30コラムその他
何事につけ、初体験は脳裏に刻まれるものらしい。 初めて父親と飲みに入った焼き鳥店も、初めて女性と2人で入った喫茶店もよく覚えている。緊張してコーヒーを注文すると、彼女はスパゲティのナポリタンを頼んだ。熟練度に大差があった。焼き鳥なら慣れていたのに。 初めてテレビを見た記憶は、力道山とザ・デストロイヤーのプロレスの試合である。テレビを購入した隣家に呼ばれ、見た。 力道山はデストロイヤーが覆面に隠した凶器で額を割られ、顔面を黒く染めながら(白黒テレビだったので)足4の字固めに耐え続けた。デストロイヤーも空手チョップで前歯を折り、血だらけだった。なぜ裏返ると技をかけた側が痛がるのか不思議に思いつつ、ただただ、白覆面の「魔王」が怖かった。 昭和38年5月24日、東京体育館で行われたこの試合は力道山がギブアップを拒み続け、レフェリーストップで引き分けた。当時のビデオリサーチの調べで、視聴率は64%だったという。力道山は同年12月、赤坂のナイトクラブで暴力団員に刺され、1週間後に亡くなった。39歳だった。東京五輪の前年である。 本紙の取材では、デストロイヤーは力道山が刺された前日も6人タッグ戦を力道山と戦い、事件の数時間前には赤坂の料亭でギャラを受け取っていた。そのまま飲みに行くことを強く誘われたが、これを固辞して米国に帰る飛行機に乗るため羽田空港に向かった。 事件を知ったのは、オレゴン州ポートランドの空港に到着後だった。あの時、一緒に飲んでいれば自分が守ってやれたはずだと、後悔していたのだという。 後年はバラエティー番組のレギュラーとなり、恐怖感と引き換えに、茶の間の人気者となった。3月7日、米ニューヨーク州の自宅で亡くなった。88歳だった。 各紙の訃報に、違和感があった。デストロイヤーさん、あるいは本名のリチャード・ベイヤーさんの呼称が軽い。格闘家やスポーツ選手に対する「敬称なし」は畏怖、敬意の表れである。「ザ・デストロイヤー死す」でよかったのではないか。 https://www.sankei.com/smp/column/news/190326/clm1903260006-s1.html
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