- 1 名前:朝一から閉店までφ ★ [ニダ] [2019/03/21(木) 18:53:28.28 ID:CAP_USER9.net]
- 2019年03月21日 06時00分
70歳を過ぎて北九州市立大地域創生学群に入学し、地域福祉について学んできた大石晴代さん(80)=小倉南区津田=が23日、卒業式を迎える。在学中に肺がんが見つかり、手術や抗がん剤治療のため6年間かかっての卒業。年齢の離れた同級生と旅行に行くなど、充実したキャンパスライフを送った大石さんは「大学を卒業するという目標が生きる力になった。人生を悔いなく歩みたい」と話し、今後も地域でのボランティア活動に意欲を見せている。 大石さんは熊本県生まれ。戦後、父の仕事の関係で戸畑区に転居し、中学を卒業して鉄鋼会社で働いた。高校進学は家庭の経済事情が許さなかった。結婚後は夫が建設会社を起こし、事務担当として支えてきた。 2003年に夫が死去後、介護福祉士の資格を持っていたため高齢者施設で働き始めたことが転機となった。市立大の学生が施設に職場実習に来たことで「改めて福祉を学んでみたい」との思いが募り、小論文と面接の試験を突破。13年4月、同学群地域福祉コースに入学した時は74歳だった。 前方の席に座り、講義に耳を傾ける日々の中、同年冬ごろに肺がんが発覚し、14年4月に手術。復帰後も抗がん剤の副作用は重く、指先の痛みで、ペンを握って字を書くことができない。記述形式の試験で不合格が重なり、単位の取得が予定通りに進まなかった。それでも、14年夏には同級生と、研修を兼ねて大阪へ。学びの場では誰も「年寄り扱い」しない。当時の写真は宝物だ。 18年4月からは卒業論文に着手。担当教官の助言で、テーマは「自分史」にした。「激動の昭和、平成を生きてきたからこそ、書ける自分史がある」と、A4用紙6枚にまとめ上げた。日本社会の変遷と自身の経験を重ね「洗濯機や炊飯器の登場で女性の社会進出が進んだ」と考察も交える。 「思い立ったらすぐ行動する性格だから、ずっと忙しい人生でした」と振り返る大石さん。忙しさが暮らしに張りを与えてくれたという。今後も家にこもらず、住んでいる津田地区で、地域に貢献できるボランティアができないか考えている。卒論完成後はしばらく大学に行っておらず、卒業式では同級生との再会が楽しみという。 =2019/03/21付 西日本新聞朝刊= https://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_kitakyushu_keichiku/article/495900/
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