- 1 名前:朝一から閉店までφ ★ [US] [2018/11/19(月) 11:15:30.41 ID:CAP_USER9.net]
- 核兵器廃絶
張本勲さん姉、80歳が署名集め 広島で被爆 毎日新聞2018年11月19日 11時02分(最終更新 11月19日 11時09分) 野球評論家の張本勲さん(78)の姉で、広島で被爆した小林愛子さん(80)=兵庫県加古川市=が今年5月から9月にかけ、核兵器廃絶を訴える署名をひとりで908筆集めた。署名を兵庫県被団協に託したことを電話で聞き、張本さんはこう伝えた。「姉ちゃん、あっぱれや」。原爆の話題をきょうだいで話したのは、被爆後初めてだったという。 被爆当時5歳だった張本さんと7歳の小林さんは、母親と広島市の自宅にいた。当時、兄ともう一人の姉は勤労奉仕で外出中。ピカッという光とともに外が真っ赤に見え、ドーンという音とともに家が崩れ落ちた。母親がとっさに張本さんと小林さんに覆いかぶさった。母の体には窓のガラス片がささり、母親の血で張本さんと小林さんのシャツは真っ赤に染まった。 小林さんは母親に促され、張本さんを連れて2人で逃げた。熱線で皮膚が溶けたり焦げたりし、苦しむ声が耳にへばりついた。市中心部にいた、もう一人の姉は翌朝見つかり、全身やけどで亡くなった。「あまりにつらい思い出だったから」家族で被爆体験を話したことはなかった。 小林さんが集めた署名は、被爆者らが2016年から呼びかけ、毎年国連に提出している「ヒバクシャ国際署名」。これまで個人的に署名に協力した程度で、自ら街頭に立って求めたことはなかった。しかし、県被団協のメンバーから今春、「神戸の繁華街に何時間も立ったが、たった5筆しかもらえなかった」と聞いた。小林さんは「私も核兵器をなくすためにもっと動こう」と決意した。 知り合いだけではなく、県内の企業を飛び込みで訪ねたり、広島に里帰りした際、ホテルのロビーで観光客に声をかけたりした。「張本の姉です」と伝えたこともあった。小林さんが被爆者であることを伝えても、「あかん」と断られることもあった。 「核兵器について、考えたことがないのかな。関心がないのかな」。悲しくなった。一方、突然訪れた先で「子どものためなら」と応じてくれ、社員に署名用紙を回してくれた企業もあった。 小林さんは20年ほど前から、小学校や中学校を中心に被爆体験の語り部を続けている。今月5日、加古川市の中学校で話した際も、この署名集めの意義に触れた。 小林さんは改めて強く願う。「核兵器を世界からなくしたい。二度と私たちのような思いをする子がいないように」【幸長由子】 https://mainichi.jp/articles/20181119/k00/00e/040/177000c
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