- 100 名前:名無的発言者 [2012/11/23(金) 10:31:38.15 .net]
- 1919/ソ連凶産党が撒き餌をばら撒いた。
1919/ 大正8年レーニン指導下のソ連が誕生した直後の1919年、ソ連は中国に「帝政ロシアの中国に対するすべての不平等条約は廃止されるべき(ロシア領となった外満州返還)」との宣言を行い、 中国側に領土返還の一縷の希望、撒き餌をまいた。 これによって中国国民の間には親ソ意識が生まれ、大正10(1921)年には中国共産党が結成され誕生した。 しかし1924年の中ソの新条約交渉時、帝政ロシアの結んだすべての条約類を廃止するとした条項が用意されたが、 ソ連代表の帰国により締結には至らなかった。 後のヨシフ・スターリンは不平等条約廃止の宣言を否認し、中国への領土返還を拒否。正に凶産党は捏造が国是だ。 日本と共に大アジア主義を画策していた孫文(1925年3月12日朝、孫文北京にて肝臓癌病死行年59歳)、汪兆銘、蒋介石は、この撒き餌にだまされ、親ソとなり、 日本から一時離れた。以後凶産に気付いた汪兆銘、蒋介石は再び日本と手を結び中国凶産党を最後の5分間まで追い詰めた。が、またまたソ連の画策にあい、 ソ連の傀儡毛沢東との「国共合作」となる。孫文後継者筆頭汪兆銘は、中国凶産化から決別、孫文の遺志を継ぎ再び日本と共に、大アジア主義確立を目指した。
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