- 1 名前:無名草子さん mailto:sage [2007/05/20(日) 16:18:56 ]
- 前スレ
love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1164817139/ 【森達也による「下山事件」証言捏造問題の簡易まとめ】(詳細は>>2以降参照) 04年、森達也がノンフィクション「下山事件(シモヤマケース)」を出版。 同書では、当時を知る関係者が、下山事件当時の様子を詳細に語り、事件は矢板玄らによる犯行である旨断言したり、 犯行に使われたのではないかと言われている亜細亜産業の車について車種を断定する証言が書かれていた。 ↓ ところが、証言者らの肉親である作家・柴田哲孝が「下山事件 最後の証言」で、森の書いた 前述証言は全くの捏造であると指摘。 ↓ 森はそれから一年以上沈黙していたが、06年に刊行された「下山事件」文庫版の付記で捏造問題に初めて言及。 自分の記述に錯誤があったことは認めたが、 「克明に取材の記録をメモしていなかった」とし、あくまでもミスで、 意図的な捏造ではないと主張している。また、記憶どおりに書いたのだから本文の書き換えはしないとし、 「謝罪はしない。なぜなら自分が間違ったことをしたとは思っていない」としている。 【森達也による「反戦落書き」裁判判決歪曲問題簡易まとめ】(詳細は>>2以降参照) 04年2月 いわゆる「反戦落書き」事件の裁判で、懲役1年2ヶ月、執行猶予3年の判決が下される。 04年4月 森がスカイパーフェクTVガイド5月号で、この判決を「実刑判決」と歪曲した記事を書く。 04年6月 森、「メディア総研設立10周年記念シンポ」講演で、判決をまたしても「実刑判決」と歪曲 04年7月 「現代思想」04年8月号で、森と斉藤貴男が対談。ここで森は、執行猶予判決が出たことを斉藤から直接聞いている。 04年11月 「世界が完全に思考停止する前に」単行本発売。これに、前述の記事が収録される。判決記述は「実刑判決」のまま。 06年7月 同書文庫版発売。判決部分はいまだ「実刑」のまま。
- 229 名前:無名草子さん mailto:sage [2007/07/24(火) 23:27:16 ]
- >>215-218の続き
●「思考停止」しているのは世界ではなくあなたの方だ 引用No.5 森はこの時点で「適正な医療処置を施せば、ここまでは悪化しなかっただろう」と断言してみせるが、 それもあり得ない。麻原自身が憤懣を吐き出し、拗ねた状況を演出したのである。むしろ、麻原を 「悪化」させたのは被告人の意向を抹殺した弁護人であり、「自分だけの世界に閉じて」しまったのは 麻原自身だ。医療処置の必要性があるのなら、拘置所にも医師はいる。 そもそも森は、こうした司法手続きの在り方や、裁判経過を知らなかったり、あるいは無視して主張を 展開しているように見受けられる。同著(引用者注:「世界が完全に思考停止する前に」のこと)の中では、 傍聴で直接耳にした判決について、こう触れている。 【起訴された十三事件すべてに於いて、裁判長は弁護側の主張を斥けた。意外だった。一つか二つ くらいは、弁護側の主張を認める展開はあるかもしれないと思っていたからだ】 その上で、こう主張する。 【はっきり書こう。まるで検察側の論告求刑を聞いているかのような判決理由だった】 それのどこがおかしいのか、皆目わからない。裁判は相対評価ではなく、絶対評価だ。いくら推定 無罪の原則に従ったところで、検察の主張が合理的と判断されれば、それにそった判決になるのは 当然である。 むしろ、ジャーナリストとしては、審理の内容を注視して、それによって導かれた判決に、齟齬がないか、 論理的に無理はないか、手続きが公正であったかを監視するところに責務がある。森の言い分だと、 立証内容や審理過程の合理性の検討を無視して、判決結果だけを非難している。十三事件もある のだから、一つくらいは譲歩してやってもいいのではないかと言いたいのか。それこそ危険である。判決 内容を批判するのであれば、その中身を精査すべきである。
- 230 名前:無名草子さん mailto:sage [2007/07/24(火) 23:27:50 ]
- ●「思考停止」しているのは世界ではなくあなたの方だ 引用No.6
ところが、彼は公判の傍聴を判決のたった一回に留めている。その理由は、こうだ。 【なぜなら法廷にはカメラを持ち込めない。僕は映像表現従事者だ。カメラを回せない自分に意味など ない。ジャーナリスト面などすべきじゃないし、したくもない】 いったい、どの素スタンスや土台で現実の事象を語っているのか、わからない。麻原の態度を「総合 失調症と断定はできない」と言い訳しつつ、その前提で話をすすめることにも合点がいかない。その上で、 こんな風にも吐き捨てている。 【ジャーナリスト? 冗談じゃない。いったい彼らはこれまで何を見てきたのだ?】 私に言わせれば、それこそ卑怯だ。 こうした論調は、判決より半年も前の『月刊現代』二〇〇三年七月号から、最近では月刊『プレイ ボーイ』で「A3」なる連載を開始し、恥ずかしげもなく繰り返されている。 森の場合、これらに共通して言えることは、最初に持論としての結果や結論があって、これに辻褄の あう事象ばかりを、並べ立てていることだ。自身の打ち出した仮説に見合わない不都合な事実は黙殺 して触れない。そして、彼の真骨頂としてどうしても結び付けたい結論は、最初から麻原を極刑におとし めることだけが目的とされる社会の異常性である。
- 231 名前:無名草子さん mailto:sage [2007/07/24(火) 23:28:29 ]
- ●「思考停止」しているのは世界ではなくあなたの方だ 引用No.7
例えば、同じ論旨の主張は、二〇〇四年三月十日付けの朝日新聞にも掲載されている。 【いずれにせよ、これでオウムの一連の事件の真相は闇に閉ざされた。閉ざしたのは、麻原ではない。 僕らだ。吊るすことを最優先に、憎悪と萎縮で現実から目を背け続けたこの社会の側が、真相を闇に 押し込めた。僕にはそうとしか思えない】 つまり、麻原を極刑に持ち込むことが絶対的な基調としてあって、これに従順に裁判が進められた、 即ち、不正が社会的規模で公然と行われたと主張したいらしい。いうなれば、陰謀史観だ。その前提で、 辻褄のあわない事実は無視しているようにしか見えない。 また、同記事の中では、精神鑑定について、こんな一文が記載されている。 【犯行時の責任能力の有無ではなく、公判が維持できるかどうかの判断くらいはすべきだった】 これまた先程の精神鑑定の論旨と食い違って、どこにスタンスがあるのか見えない。 ただ、公判が維持できたかどうか、即ち、麻原に充分な弁護能力があったかどうかについて判断しようと いうなら、私は森が著書で触れている事実からこう反論できる。即ち、麻原の法廷態度についてである。 【主文言い渡しの前に、裁判長は麻原に起立を命じた。しかし麻原は動かない。何を言われたかわから ないのだろう。八人の刑務官たちが彼を取り囲み、両腕をとって引き起こし、証言台の前に引き立てた。 (中略)今の彼にはもう言葉は届かない。答えたくても答えられないのだ。この場にいる誰もが、それを 感じているはずだ。ならば裁判長のこの言葉は、いったい誰に向けられているのだろう。誰に聞かせる ための言葉なのだろう】(「不思議の国の極刑裁判)
- 232 名前:無名草子さん mailto:sage [2007/07/24(火) 23:37:00 ]
- ●「思考停止」しているのは世界ではなくあなたの方だ 引用No.9
ただし、念の為に言っておくと、現時点での麻原については別の話だ。極刑の言い渡しをあれだけ 恐れてみせたのだから、それが現実のものとなった今では、そのショックもただならぬものだろう。控訴審を 前に、弁護権を行使できないほどの状況に陥ってしまったとするなら、これを裏付ける為の精神鑑定、 公判停止もやむを得ないところだが、これこそ密室で進められる事態であるが故に、いわゆる"謀(はかりごと)" がないように厳しい注視が必要というものだ。 森が文中で指摘するように、感情や憤懣だけで、極刑を語ったり、被告人を批判する言動には、私自身も 危うさを感じざるを得ない。しかし、同じ理由で森の主張するところにも危うさを覚える。「尋常ではない」と 森がいうことに比例するように彼の言い分も「尋常でない」のだ。それは曲解、現実無視に起因する。 それにしても、司法手続きの在り方や、主張の矛盾点などは、ちょっと調べたり、専門家に話を聞けば わかることで、公にする言論としては考えにくい誤りを露呈している。そもそも、雑誌や新聞においては掲載 責任の発生するものであり、必ず編集者がいる。編集部や校閲があって、チェックがなされて然るべきはずだ。 当初、麻原裁判に関する彼の記事に接した時には、どうしてこのようなものが平然と掲載されるのか、 理解できなかった。 それは、編集者もしくは編集部のレベルの低さなのだと考えた。事実関係の確認、まして基本的知識の 習得すらできていない編集部なのだと。
- 233 名前:無名草子さん [2007/07/24(火) 23:40:44 ]
- ●「思考停止」しているのは世界ではなくあなたの方だ 引用No.10
ところが、森の文章によると共同通信の協力によって裁判傍聴が可能になったとあり、原稿も書いている という。まして朝日新聞にも寄稿があるのだから、裁判の基本や麻原裁判の経緯などは司法記者クラブに 問い合わせればすぐわかるはずだ。それもなされず、原稿が掲載されたあとも、同様の論旨が誌面を飾る ところを見ると、私の疑問は膨らむばかりだった。 どうして、彼に教えてやらないのだろうか。 どうして、周りは誤りを指摘しないのか。 そこで、著書の『世界が完全に思考停止する前に』の表題を見て思い付いた。なるほど、周りは森に教えて やらないのだ。おかしいと思ってもいわない、もしかしたらおかしいと思ってもみない、彼の周辺は彼に対して 無関心なのだ。即ち、思考の停止した中でしか、森の言論は成り立たないのだ。あるいは、裸の王様のままに 彼を踊らせているのだ。 かつて、現実を認識できないままに、思い込みや曲解でこの社会を間違っている、乱れていると叫んだ人物が いた。少なくとも、私はそういう人間を知っている。彼の周りには、自分でものを考えることを放棄した人間が 集まった。その人物の名前を麻原彰晃といった。 【つまり日本社会は、オウムによってオウム化しつつある】 実はそう書く著者の主張は、麻原的思考構造の上に成り立っていて、彼の主張の生息する場所がオウム的 空間と化している。そのことを念頭において反面的に彼の著作を読みとることこそが、「完全に思考停止する前に」 必要なことなのである。 =========引用終わり================== 「諸君」平成17年3月号掲載 青沼陽一郎執筆 「思考停止」しているのは世界ではなくあなたの方だ より
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