- 748 名前:名無シネマ@上映中 mailto:sage [2009/10/17(土) 04:12:34 ID:FyIWcCPT]
- 全体を三分の一に分けると、ほぼ原作通りの1/3は「大傑作かも!」と思わせる奇跡的な出来。
中盤から、アニメレベルの堤真一と、(ここでは)アイドルレベルの妻夫木が出てきて せっかくオリジナル(原作)の、比類無きシュールでアップデイテッドで柔和にデカダンな素人な香りが いっぺんに「お話」の世界へ連れられてしまう・・ その先を良しとする人もいるかもしれぬが あらためて原作を読むと、『ヴィヨンの妻』の箇所は映画でも完璧に近く、 残り三分の一は、あっちこっち太宰作品からのパッチワーク+売れ筋役者の顔見せ・・で はじめにあった、「どうにもどうにもしょうのないあのころの雰囲気の素地」は決壊し、 ただ普通の映画的な「お話」に絡め取られていく・・ せめて妻夫木が、もうちょっと空虚で枯れた演技をしていれば・・ 堤は(いつもそうなのだが)カリカチャライズされすぎ。 ところどころナマのまま使われる太宰の文章は、田中陽造の力量を超えていて 昔からオリジナルだったのだ、とあらためて思わされる。 広末の浅はかな演技などあって、結局、普通の映画になってしまうのだが、 はじまりのトーンと抑制を効かせていたら、とんでもない傑作になり得ていたかも。 ちなみに原作のサチは、映画のそれよりずっと無垢であり 無垢の作家太宰の手にも及ばない奇怪な無垢を帯びている・・ 松たか子ではそれは表現できてはいないが、原作のエッセンスを拾ってほしかった・・ 原作にある箇所は秀逸だが、田中陽造がオリジナルに付与/編集した箇所は 安易な「わかりやすさ」への「説明」の愚に満ちていた映画だったのだと、 今にして悔やむのであった。。
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