- 21 名前:日本@名無史さん [04/07/19 04:15]
- 4宮家というのは、江戸時代の世襲の宮家(伏見、桂、有栖川、閑院)のことでは?
この4宮家のうち、桂宮(明治期に断絶)と有栖川宮(大正期に断絶)は、残っていない。 但し、有栖川宮家については、高松宮家が祭祀を継承している。 これは、高松宮喜久子妃殿下の母が、有栖川宮家最後の当主(威仁親王)の娘(実枝子女王。徳川慶久公爵夫人)であることに由来する。 戦後臣籍降下した宮家というのは11家であり、その内訳は、江戸時代から続く伏見宮と閑院宮に、伏見宮の分家9家。 なお、閑院宮家も明治期に伏見宮家から養子を迎えているので、戦後臣籍降下した11宮家は、血筋的にはいずれも伏見宮系ということになる。 また、これらの11宮家のうち、北白川、竹田、朝香、東久邇の4家は、明治天皇の娘の嫁ぎ先でもある。 このへんの話は、詳しくは以下参照。 www9.ocn.ne.jp/~senyou/keizu5.htm#24 ちなみに、世襲宮家の起源は、院政期〜鎌倉期ころ。 知行国制や世襲の皇室領荘園群の成立などで経済力をつけた皇族が、宮号を家名のようにして皇族身分のまま代々世襲するようになったことに由来する。 しかし、これらの宮家の多くは、やがて源姓を与えられて臣籍降下したり、あるいは断絶したりしたため、数代程度しか続かないのが普通だった。 また室町期には、大覚寺統(南朝)系の宮家は強制的に断絶させられたため、最終的に室町末期の段階で残っていたのは、崇光天皇(北朝第3代)を祖とする伏見宮家だけだった。 その後、織豊期に八条宮(のち京極宮→桂宮)、江戸初期に高松宮(のち有栖川宮)、江戸中期に閑院宮がそれぞれ宮家として成立し、幕末に至る。
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