扉は語らず
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著者名:小舟勝二 

事件直後から今日までの、彼の選んだ態度に就いて非難を試みるかも知れない。――彼はその翌朝、平然として倉庫からあらわれた。そして今日まで、一言でも事の真相を歯から外へは出さないで来たのだ――それは彼の意志だった。だが、或いは彼の環境が、その意志を助長させたとも云える。誰一人として彼に疑惑の視線を投げない! 否、この惨事の一幕に於ける彼の存在そのものを知らない。彼には当夜何事も起らなかったのだ。
「え? 僕がこの手で犯した殺人に恐怖を感じないかって? 良心の苛責? 精神的苦悶?………冗談だ! 僕はその種のロマンチシズムやセンチメンタリズムはとうの昔にどこかへ置き忘れて来てしまった。これは君、何の不思議もない出来事さ。舗道を歩いたら靴の底が減ったと云うようなものだ。………扉を開けたら一人の男が死んだ………殺したんじゃない死んだんだ。それは僕の責任じゃあない……」
 ――都市美術社の若い装飾工の墜死は、墜死者自身の不注意に基因する! というのが居合せたすべての人々の到達した結論だ。彼が墜ちたのは二本の丸太の衝撃を避けようと試みたことにある。何故装飾用材は自然的に倒れたのであるか? 彼の立て方に何らかの不注意があったのだ。若い未熟な技工の間にはしばしば起ることだ。敢えて珍らしくはない。又それ以外に想像は許されない。生憎彼の近くには誰もいなかったのだ。その丸太が家具部倉庫の扉のあたりに立てられてあったことは、倒れた位置で推察された。
 だが、それで終りだ。
 誰が――全く、誰が錠の下りた倉庫の扉に就いて疑がうことが出来るだろう! さて、私は、この物語に大そう古風な標題をつけた――
「扉は語らず」
(一九三〇年四月号)



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